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小ネタでGO! 2
第二段のはじまり、はじまり。
7.スケルトンは透けてない
ボンダイブルーのボディのiMacが出てきてから、樹脂製で半透明な製品のことを「スケルトン」と呼ぶことが当たり前になりました。
(ボンダイブルーとはオーストラリアのシドニーにある「ボンダイビーチの海の色」という意味)
でもスケルトンって、半透明って意味ではないって知ってました?
元々は、機械式腕時計の中身を見せるために、ケースの一部分を取り去って穴にしているもののことです。
中身の歯車などのことを骨格(skeleton)に見立てたわけです。
半透明ということなら、トランスルーセント(translucent)と呼ぶのが正しいです。
おそらくですが、日本人は「スケルトン」の「スケル」が「透ける」と同じなので、勘違いしたのだと思います。
そんなこと言ったって、今じゃスケルトンが半透明ってことになってますからね、日本じゃ。
8.旧日本軍のヘルメットは高級品
太平洋戦争の頃の日本の兵隊さんが被っていたヘルメットは、実は高級な素材で作られていました。
それは、所謂クロモリ(クロムモリブデン鋼)という合金です。
クロモリは鉄を主体としクロムとモリブデンを少し混ぜた合金で、強度や硬度に優れています。
昔の自転車、例えばそば屋さんでよく見る出前用の自転車とかのフレームはクロモリです。
自転車マニアの間では、軽量ではないが独特のしなりがあるということで、ツーリング用バイクのフレームに向いていると言われています。
戦争中の各国のヘルメットは鉄製で、アメリカなどは二枚重ねにしていましたが(スペースドアーマーですね)、日本の場合は丈夫な素材で頑張ろうとしたわけです。
日本の遺骨収集団が東南アジアへ行ったとき、現地に鉄兜だけはしっかり残っているわけですが、それは素材がクロモリだからです。
9.ウォール街には実際に壁があった
世界の金融の中心地、ウォール街。
「ウォール」って壁のことですよね。
これは1652年に、今のマンハッタン島の南端を管轄していたオランダ西インド会社が、インディアンやイギリスからの攻撃に備えて壁を作ったことに由来する地名なのです。
(1699年に壁は解体された)
今のマンハッタン島は道路がきちんとひかれていますが、元々はゴチャゴチャだったのです。
「これじゃダメだ」ということで、19世紀のはじめ頃に都市計画が作られ、今のような道路がひかれることになりました。
それぞれの土地の持ち主は、自分の土地が道路になってしまう者もいれば、大通り(Avenue)に沿った場所になる者もいて、随分とモメたそうです。
10.特攻はドイツ空軍にもあった
太平洋戦争のときの悲しいことというと、広島・長崎と共に神風特攻隊が挙げられると思います。
パイロットが乗ったままの飛行機で敵艦にぶつかりにいくわけですから、悲しい非人道的行為と言えます。
戦況が悪化していたドイツにも、この神風特攻隊のニュースは届いていて、同じように敵の爆撃機に体当たりする部隊が編成されました。
その部隊は「ゾンダーコマンド・エルベ」と言い、英語なら「Special Command Elbe」となり、日本では「エルベ特攻隊」と呼ばれました。
ハヨ・ヘルマン空軍大佐という人が考えて、ヘルマン・ゲーリングやアドルフ・ヒトラーでさえ反対したのを押し切り、「エルベ教育課程」という部隊が作られました。
集められたのは経験の乏しい若いパイロットばかりで、部隊の目的を知らされたうえで訓練を受けました。
(食べ物、飲み物、タバコや酒など、当時としては贅沢なものが支給された)
使われた機体からは機銃や無線機が降ろされ、友軍機が敵爆撃機の編隊を襲って混乱したところへ突っ込むことになっていました。
(敵機にぶつける直前に脱出することは認められていた)
1945年4月7日、アメリカ空軍の爆撃機と戦闘機による大部隊が爆撃に来たときに、エルベ特攻隊も出撃しました。
180機あった飛行機のうち、離陸できたのは150機、戦闘に参加できたのは100機、ほとんどのパイロットは負傷するか捕虜になるかして、アメリカ空軍側の発表によると、明確に体当たりによる爆撃機の墜落とされたのはわずか8機だったそうです。
この結果から、4月17日にエルベ特攻隊は解散しています。
この他にもドイツ空軍では、「ミステル(Mistel、宿り木)」という航空機が作られました(タイトル画像)。
爆薬を仕掛けた大型機の上に戦闘機を固定し、パイロットは上の戦闘機に乗り込み操縦し、親子の状態のまま敵に向けて飛行し、突っ込む直前に戦闘機を切り離してパイロットは生還するというものでした。
ミステルは250機くらいは作られたそうですが、戦果はあまりなかったそうです。
今回はここまで。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
--- 追記 ーーー
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