見出し画像

レッド・ホット・チリペッパーズの『エディ』に思う色々。


先日、オリンピックの閉会式にレッチリが登場して狂喜しました。

そして、レッチリがアメリカを代表するロックバンドになったんだな~と改めて感慨にふけりました。私が初めてレッチリを知ったのは学生の時に多分『ポパイ』という雑誌でだと思います。


というのは当時は今のように色々な情報がほとんどなく、私のアメリカ西海岸情報はもっぱらポパイだったので、多分そうだと思うのですが、何だかジーパンを膝のあたりで切ったズボンに上半身裸のアンソニーとフリーが舞台で暴れながら演奏している写真に「西海岸にやばい奴らが現れた」的なキャプションを読んで「へ~」と思ったのが初めてだったと思います。


しかし、私は当時はディスコ狂いでブラックミュージックを聞く機会が多く、レッチリに関してはその見た目で何となくスルーしてしまいましたが、今考えるともったいないことをしました。
日本初来日のコンサートに行かれた方の話を聞くと小さい箱でノリノリのライブだったと聞き、行かなかったことが悔やまれます。
そんな私ですが、ヘビロテ(今も毎日朝はレッチリから始まり患者様がレッチリでいいよ、と言われれば一日レッチリです)でレッチリを聞くようになったのは、シンちゃんという後輩の影響です。
シンちゃんとはオーストラリアで出会い、その後日本でサッカーチームを
一緒に作り、チームの主要メンバーとして活躍してくれたいい奴でした。
そんなシンちゃんがサッカーの試合会場である荒川の鹿浜橋のグランドに愛車のジープでレッチリを聞きながら現れた時に「俺、試合に来るときはレッチリでテンション上げるんですよ。サッカーにはレッチリっすよ」と言うので、へ―そんなにいいなら俺もと思い聞き始めたらはまってしまいました。
時代的には『ワン ホット ミニッツ』ぐらいでしょうか。そしてその後もずっと聞いていたのですが、何だかコンサートに行く機会が無く昨年2023年のコンサートに初めて参戦しました。
そして、そのあまりにもそのコンサートが良くて、その後はそれまでにも増して聞くようになり、もっと深くレッチリを知りたくなり、フリートアンソニーの自伝本を読み、何でこんなにレッチリに引かれるのかが分かった気がしました。
それはアンソニーとフリーと私が同じ年だという事となんです。
1962年生まれ今年62才。
ただ、アメリカと日本の違いで彼らほどぶっ飛んだ青春時代ではないかもしれないですが、それでも何となくやってることも少し似ているし、当時聞いている音楽も似ているんです。
1980年代は音楽がキラキラしていた時代だと思うのですが、ディスコミュージックも元気でラップが始まりかけていましたし、パンクも勢いよかったり、それでいて大御所のロックやカントリー歌手、ジャズの人なんかもヒットチャートに出てきたり多様だった気がします。
だから、私が当時カッコイイとあこがれたロック、ファンク、パンクなどの音楽の原体験とレッチリのメンバーの原体験が似ているから、こんなにも彼らの音楽に惹かれるんだなと感じたのです。
そして、今年のライブです。
オリンピックの閉会式の時も演奏した『エディー』で泣きそうになりました。


エディーは、ヴァンヘイレンのエディー・バンヘイレンの追悼的な曲です。

エディー・ヴァンヘイレンさん


私は、特にヴァンヘイレン好きと言うわけでもありませんでしたが、ラジオや小林克也さんのベストヒットUSAで流れていた曲は好きでした。

こばやし小林克也さんのベストヒットUSAは、当時の洋楽好きにはマストアイテムでした。


エディーには『1983年の事だから、忘れてくれ』と繰り返し出てくるのですが、これは当時のボーカルのデイヴィッド・リー・ロスが1983年のヴァンヘイレンの舞台で麻薬でヘロヘロになり過ぎて歌詞も出てこなかった時の大失敗を指しているそうです。また、レッチリが結成されたのも1983年らしいので、そうした自身の時間軸も哀愁を込めてこの曲に思いが入っているのではないでしょうか?

デイヴィッド・リー・ロスさん、日本好きで日本に長期滞在したこともあるそうです。

また曲中に当時はやった曲『ホット・ティーチャー』のオマージュ部分など歌詞にも有りますが、この曲は『1984』と言うアルバムに収録されています。

ちょっと脱線しましたが、とにかくレッチリの『エディー』を聞いていると、私は当時の事を思い出し、そしてその時から今までの40年位の時の流れを感じてしまうのです。その間にはエディーだけではなく、私にレッチリを勧めてくれたシンちゃん、自分の父親、キヨシロー、坂本教授、柳ジョージ、鮎川誠さん、高橋幸宏さん、パンタさんなど多くの人が亡くなり、また新しい出会いもありましたが、時の流れに切ないような、寂しいような気持になります。
それでも、いやだからこそ音楽って本当に良いですね、悲しい時も楽しい時にも、様々な音楽で励まされたり、楽しんだり、その時の気持ちの増幅装置みたいですし、その時に聞いていた音楽を聴くとその時に戻るようなタイムマシーン的な働きもありますよね。
そう言えば、ヴァンヘイレンのコンサートに行きそこない、デヴィット・リー・ロスがソロで初来日した時にチケットが取れてNHKホールで見た後、原宿駅の方に歩いていると志村けんさんがやはりコンサート会場から一人で出てきて歩いていらっしゃいましたのも思い出しますが、けんさんもお亡くなりになってしまいましたね。

そして、レッチリのメンバーにも当たり前ですが時は同じに流れているのです。ボーカルのアンソニーは昨年も膝にサポーターをしていますし、曲と曲の間が昔はノンストップの演奏だったものが少しづつインターバルを取り、演奏の曲数も少なめだったと思いますが、それがまた響きました。「そうだよね、60超えると色々ときついことも出てくるよね。無理しないで長く続けてね」と声をかけたいような気持になるのです。そして、その年月が若い時のようなよく言うとパワーあふれる演奏とは違うしっとりとした味わいを感じるのです。なぜ、昨年、今年と2年続けて日本に来てくれたのか?初めはもうツアーやらなくなってしまう前触れ?とも考えましたがどうなんでしょうか?
だってアンソニーがコンサートの時は膝のサポーターだけだったのがオリンピック閉会式の時は左の脛にもコルセットをはめていたのが気になります。私のところに来てくれたら膝や脚の痛みにお役に立ていると思うのです、2007年に肺炎を患っていることなどから、右脚が長いと判断がつくので右ひざの痛み、左脛の痛み共に股関節で治せると思うからです。

アンソニーきつかったら跳ね回らないでいいから、椅子に座ってでもいいから、長く続けてね~。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?