風土に馴染むのおっそ【連載⑥】さて44歳リクルートを辞めて
僕はこの風土に馴染むまで何年かかったのだろう。
言わずと知れたリクルート創業者江副浩正さんの言葉であり、最初の社是です。リクルート事件後に取り下げられましたが、社内では事あるごとにこの言葉が育成や戦略やイベントごとで使われて「言葉が風土になる」を象徴するものだと思っています。
さて僕の話。自ら、男性初の長期育児休暇という「機会」をつくった訳ですが、復帰後、普通にすぐ転勤、給与グレードダウンとなり、名古屋へ。「これはないっすわー」と東京の人事に直談判に行きました。
人事の方は「ごめんなさい、まだちゃんと制度が整っていないのと、説明不足でしたね。半年休むと評価をスキップできるのですが、4ヶ月のお休みだと病欠と同じで半期を2ヶ月の仕事で評価しないと行けないのです。ただ、成長を軸にした評価制度の中で、リクルートとして何の問題もないと言わざるを得ないのも確かです。政府のガイドラインに沿って今後にしっかり活かしていくようにしますね。」と取り付く島も無いのと、多分この人たちに絶対勝てない、と思い名古屋にすごすごと戻りました。パイオニアは痛い目を見るけれど、先行者利益もあるはず、と自分を納得させながら。
実際その後に、男性の育休後について様々なセーフティが引かれた、と聞いています。
さて、名古屋転勤は家族3人での同居で、会社や保育園を通じて様々なご縁に恵まれて、その当時の友人家族との味噌仕込みの体験も、今の「発酵食堂カモシカ」立ち上げの大きなきっかけとなっています。
名古屋一年の後に、またまた転がり、東京のSUUMOのリフォーム誌の編集部へ。編集デスクという新しい役割でした。リクルート人生16年で一番働いた時期かも知れません。量がとにかく半端なかったので、仕事のスピードが上がりました。別稿の「最強の窓際族」となる重要スキルの「スピード」という武器を手に入れた時期と言えます。
そして「SUUMO住宅展示場」というリアルな展示場をリクルートが初めて運営するプロジェクトが立ち上がり、真っ先に手を挙げて「僕、やりたいです。なんでもします!」と当時の部署トップのYさんに伝えたのでした。
これまでは、転がされてばかりで、仕事に置いて「やりたいです!」と明確に手を挙げて大きく自分を動かしたことが無かったので、冒頭の「自ら機会を創り出し」を初めて実践した経験となりました。
リクルートの率先垂範や積極性を重んじる風土に馴染むのがとても遅かった。
その時、既にリクルート中途入社後6年目に入っていました。ただ、この自分のリクルートの風土へ馴染んだと言えるまでにかかった時間が、マネージャーとなってからの人材育成方針の「信じて、待つ」に繋がっています。
SUUMO住宅展示場ではデータマーケティング担当となり、来場者データを分析し、展示場運営と参画しているハウスメーカーの課題解決をするという、編集と営業とマーケティングがひとつになったような面白い仕事ができました。17社を一まとまりに見る、比較して差分を見る、シンプルな型でした。
そんな矢先の東日本大震災。