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子どもに残すべきお金より大切なもの

玄関でただいまと声をかけたのは、小学生の息子・蓮(れん)だった。彼は外で遊んできたらしく、靴を脱ぐと同時に「ねえパパ、おやつまだ?」と元気いっぱいだ。それと同じタイミングで帰ってきた妻は、やや疲れた表情を浮かべている。ママ友たちとのお茶会から戻ったらしく、靴を脱ぎながらため息をついていた。

蓮、おやつはテーブルに出してあるから自分で食べてね。ところで、ちょっと聞いてほしい話があるの

妻がリビングに歩み寄りながらそう言うので、僕は家事の手を止めて耳を傾ける。すると妻は神妙な顔で続けた。

ケントくんママのおうち、下の子が中度の知的障害を抱えていて、お世話もお金もすごく大変みたい。しかも、将来のためにどう資産を残すか悩んでるんだって。ママ友同士でいろいろ意見が出たけど、結局よくわからないって……

蓮はおやつを頬張りながら「ふーん、障害って大変なの?」と首をかしげている。僕は蓮に向かってやんわり笑い、「大変なところもあるけど、いろんなサポート制度もあるんだよ」と答える。そして妻のほうを見て、もう少し詳しく話を聞くことにした。

資産を残すにしても、その子が自分で管理できないなら、いろいろ暗中模索になっちゃうかもしれないね

妻は深刻な表情でうなずく。「そうなの。子ども名義にするのはリスクが高いんじゃないかっていう意見も出たし、でも親名義のままにしたら子どもが使えないんじゃないか、とか……。やっぱり知的障害がある子には大金をドーンとあげるわけにもいかないし、ケントくんママのお母さんも青息吐息らしくて

僕は少し苦笑した。実はこうした“子どもの障害とお金”の話題は、あまり普段表に出ないが、聞くと確かに考えさせられる。妻も同じ思いだろう。蓮は「大金があれば困らないんじゃないの?」と素朴な疑問を呈してくるが、そんなに単純でもないのが現実だ。


僕は妻の不安そうな顔を見ながら、ゆっくりと説明を始めた。

中度~重度の知的障害があるなら、正直子ども名義でたっぷり資産を残すのは諸刃の剣だと思う。管理できないのに大金があったら、成年後見人に悪用されるリスクだってあるし、何よりトラブルの種になりかねないから

妻は「でも、将来その子が食べていけなくなるかもしれないし、少しはお金を残してあげたいわよね」と言う。蓮は「お金があればなんとかなるんじゃないの?」と相変わらず純粋な顔をしている。

そこで僕は補足する。

中度~重度の知的障害なら、『障害年金』が支給されるし、生活保護や福祉施設の利用などもある程度は整ってる。家や車のような大きな買い物をするわけでもないし、結婚資金をためるわけでもないかもしれない。むしろ大金を与えても、使いこなせず“宝の持ち腐れ”になるかもしれないし、周囲からそのお金を狙われるかも

妻はそれを聞いて、やや安心したような、複雑な表情を浮かべる。「確かに……そう考えると、わざわざ子ども名義の口座に大金を入れても良いことなさそうね。一長一短じゃ済まない話だわ」


じゃあ全然お金をあげないの?」と蓮は食べかけのクッキーを片手にきょとんとする。僕は首を横に振り笑みをこぼす。

必要になったら少額ずつ渡す方法があるんだよ。暦年贈与って言って、年間110万円以下なら贈与税がかからない仕組みがある。親名義でお金を持っておいて、必要なときに“月々のお小遣い”のようにあげればいい。外食や旅行に連れて行ってあげるのもアリだしね

妻は「ああ、それなら大金をバーンと渡すんじゃなくて、都度都度サポートすればいいわけね。無理して子ども名義にするより安全そう……」と納得する。蓮は「いいなあ、毎週ご馳走してもらえるなら最高じゃん!」と微笑ましい感想を漏らし、僕たちは少し笑った。


結局、その子の親がボケずに長生きして、少しずつお金を出し続けるのが一番いいってこと。大金をどんと遺すんじゃなくて、親が生きているうちにマックやサイゼリヤでおいしいご飯を食べさせてあげる。それで十分だと思うよ

僕がそう言うと、妻は思わずホッとした顔をする。

確かに、突然親が死んで、いきなりお金を使いこなせない子が放り出されるのも怖いわね。むしろ、週末に外食へ行くとか、旅行は徐々に回数を減らしていくとか、そうやって生活リズムを崩さないほうがいいのかも

僕は深くうなずいて、「徐行運転という言葉があるように、親が死ぬまで全速力でお金を使わせてしまうと、死後のギャップが大きくなるからね。じわじわ減らして、最終的に親がいなくてもパニックにならないように…まさに“備えあれば憂いなし”だ」とフォローした。


「ケントくんママのお母さんも、ものすごく貯金を頑張らなきゃって思いつめてたみたいだけど、これを聞けば気が楽になるかも」と妻が微笑む。蓮は「パパ、うちも長生きしてご馳走してね!」とむちゃぶりするので、僕は苦笑しながら「馬耳東風って言葉、知ってるか? お父さんがいくら長生きしても健康でいられないと意味ないんだから協力してくれよ?」と返し、蓮は「わかった!」とよくわからない返事をする。

我田引水に近いが、親が元気で長生きすることは子どもにとって最高の「遺産」であり、そのうえで小さなおこづかいや外食に連れて行ってあげる程度の資金があれば上等だ。むしろ突然大金を渡されても、子どもが扱えない場合は負担にもなり得る。僕らがやるべきは無病息災を願い、できる範囲で子どもを見守ること。それが何よりの安心につながるのだと思う。

妻はそっと笑みを浮かべ、「ママ友にも伝えるね。必要以上の資産はかえって災いを招くし、元気な親がそばにいてくれるほうが子どもは安心だって……」
僕は「そうそう、ことわざにもあるように“ただより高いものはない”んだよ。子ども名義に莫大な金を入れるってのは、実は怖いことかもしれないし、そもそもそんなにいらないってこと」とまとめる。

少し離れたトイレから蓮が「パパ、長生きしてね!」と叫ぶので、僕は笑って「がんばるさ、そんなに長生きしたらかえって蓮が困るかもよ」と冗談を返す。すると、妻と僕と蓮はなんだか声をあわせてクスクスと笑いあった。わが家でも、この先何があるか分からないが、少なくとも親がなるべく健康でいれば大きなトラブルは防げるのかもしれない——そう思うと、なんとも不思議な安心感を覚えるのだった。

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