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まさかの給料差? 子どもの一言が教えてくれた大人の世界

田舎町の朝は、季節によって表情ががらりと変わる。春先はまだ肌寒い空気のなかに柔らかな日差しが差しこみ、夏になると草木の青い香りが窓辺からゆるやかに漂ってくる。そんな落ち着いた風景のなかで暮らしていると、どこか時間がゆっくり流れているような気がしてくる。

もっとも、こちらの生活リズムがどれだけのんびり見えようと、世界は待ってはくれない。朝食を済ませると、妻は平日毎日バスに乗って会社へ向かう。大手の日系企業だが支社が近くにあるわけでもなく、いちど街の中心部まで出て、そこからまた乗り換えをしてやっと職場に着くらしい。出社の支度をバタバタと終えると、「あ、もうこんな時間!」と小さく声をあげて家を飛び出していく。僕は玄関先から見送りながら、いつも同じように「気をつけてね」と声をかける。

その一方で、僕は在宅ワークをメインに、外資系企業の仕事をしている。パソコンとネット環境さえあればどこにいても問題ないのが強みで、地方に住みながら海外の同僚たちとオンライン会議をこなすなんてことも日常茶飯事だ。こちらは通勤ゼロなので、朝のあわただしさはそこまでではない。妻を見送ったあと、台所を少し片付け、コーヒーを淹れてからのんびり仕事部屋に向かうこともしばしば。そんな在宅ワーク中心の暮らしを、僕自身はけっこう気に入っている。

けれど、あまりにも出勤の手間が違うせいか、小学一年生の息子・蓮(れん)には「パパとママは同じくらい働いているのに、どうしてパパのほうがお給料が高いの?」という疑問が生まれたらしい。
ある朝食のとき、蓮が突然そう問いかけた。味噌汁の湯気が立ちのぼるテーブルで、僕は思わず言葉に詰まってしまう。たしかに、どちらも平日はきっちり働いているのに、外資系の僕と日系の妻とでは多少なりとも収入の差がある。それが子どもの目にもしっかり映っているのだから、侮れない。

「うーん、ママの会社は日本で安定したお仕事をしているから、あんまり海外には行かないんだ。パパの会社は、いろいろな国の人たちと取引してるから、そのぶん大きいお金が動きやすいんだよ」
そんなふうに説明はしてみたものの、蓮にはピンときたのかどうか、少しあやしい。時間やがんばりの度合いが同じでも、給料が違う――その仕組みを、小学一年生の言葉でうまく言い表すのはなかなか難しい。

週末になると、妻は「平日はバスの時間があるから大変だけど、土日はゆっくりできる」といって、家事や買い物をテキパキこなしている。僕は在宅だから時間の融通はききやすいし、買い物にも付き合いやすい。そこで、最近は家族でショッピングセンターに行くのが定番だ。蓮はおもちゃコーナーやゲームコーナーに興味津々だが、買うまでには至らず、「ただ見るだけね」の約束を交わしてからのぞかせている。
ある日、ショッピングセンターのフードコートで軽くお昼を食べていると、蓮が思い出したように「ねえ、パパとママはどっちも働いてるのに、なんでお金が違うの?」と、再び聞いてきた。妻はポテトをつまみながら、「あら、そういえば朝にそんな話してたわね」と苦笑いする。

僕は「ええと……」と少し考え込んだあと、「同じ時間働いていても、どんな業界でどれくらい儲けるかによって給料は変わってくるんだ」と蓮に教えることにした。外資系の企業は海外にもサービスや商品を売っているから、世界中から収益が入る。そのぶん、給与に反映されやすい。一方、妻の会社は国内のお客さんにじっくりサービスを提供することで安定を保っている。海外へ大きく打って出ないかわりに、日本人の暮らしをしっかり支える仕事をしているので、急激な収益アップは見込みにくいが、倒産などのリスクが少ないという強みがある――そんな言い回しをなるべくかみ砕いて説明した。
蓮は「ふーん」と聞きながら、まだどこか納得しきれない様子だったが、「外資とか日系って、なんだか大人って大変だね」と、小さい声でつぶやいたのがおかしかった。

そうはいっても、妻は妻で「もっとお給料が欲しい」と思っているわけではないらしく、むしろ、「一日に何本もバスに乗り継ぐのは面倒だけど、今の職場は日本のお客さんに喜ばれる仕事だし、やりがいがあるのよ」と機嫌よく話している。僕としては、通勤がないぶん家事や育児にもう少し手伝いできればと思うのだが、蓮はそれすら見逃さないみたいだ。「パパは家にいるから宿題のことも聞きやすいし、ぼくのほうが“パパ得”だよね?」とちゃっかり言われる。確かにそうかもしれない。

そんな蓮がもっと大きな気づきを得たのは、年末年始に親戚たちが集まったときだった。僕の父方は代々、会社を営んできた人が多い“攻めの家系”。母方はというと獣医や公務員など安定志向の職業が多い“守りの家系”。毎年のお正月に、両方からさまざまな話を聞くと、家族といってもこれほど価値観が違うものかと感心する。
経営者の叔父さんは「海外で新事業を立ち上げようと思ってる」なんて景気のいい話をして、蓮にお年玉をドーンとくれた。一方、公務員だった大叔父さんは「蓮くんにはこっちをあげよう」と言って、小さな封筒と一緒に手書きのカードと図鑑をくれた。「大きくなったら、給料だけで仕事を選ぶんじゃなくて、やりたいことを見つけるんだよ」とメッセージが添えてある。蓮は最初、大きい金額のお年玉に飛びついていたが、その図鑑を開いてみてからは、こちらのほうにより興味が湧いたらしい。僕も隣で見ていて、「お金で買えないワクワクって、こういうことなんだな」と思わず目を細めた。

それからというもの、蓮は図鑑をめくりながら、「どうぶつのお医者さんになろうかな、それとも海外で働くのもカッコいいよね」と声に出して空想をふくらませている。給料の違いはもちろん気になるらしいが、それだけが全てではないと、子どもなりに感じとったのかもしれない。「パパとママって、なんでこんなにいろんな働き方があるんだろうね?」と今度は少し違う方向の質問をしてくるようになったから、おそらく蓮の興味は“給料の差”というより“仕事とは何か”へと移りつつあるのだろう。

田舎の家に戻ってくれば、日常はまたいつもの静けさを取り戻す。妻は翌朝もバスの時刻に合わせて早めに家を出るし、僕はといえば在宅ワークでパソコンの前に座り、海外とオンライン会議をする。窓の外には田んぼや低い山が見えるし、夕方になれば買い物袋を持って帰ってきた妻と蓮の声が玄関から聞こえてくる。給料や働き方はまるで違っても、家族として同じ空気を分かち合っている。そのギャップが、今ではなんだか心地よい。

そう考えてみると、家族のなかで「同じ時間働いているのに、なんで給料が違うの?」という蓮の一言は、ちょっとした学びをもたらしてくれたのかもしれない。どの仕事にも意味があるし、どんなに稼ぎ方が異なっても、最終的には「自分が何を大切にするか」という問いに行き着く。蓮に教えるつもりが、むしろ大人のほうが初心を思い出させられた気すらするのだ。

夕暮れどき、台所からお湯が沸く音が聞こえてくると、平日の一日が終わりに近づいた合図。妻は明日も早いバスに乗らなくちゃ、と慌ただしく準備を始め、蓮はランドセルの宿題を片づける。僕はパソコンの電源を落とし、椅子から立ち上がると、窓越しに外の空を見渡した。
日が沈むのが早い季節には、あっという間にあたりが暗くなる。でもそのかわり、夜にはこの地域特有の満天の星が見られるかもしれない。リビングに戻ると、蓮が「パパ、お年玉で新しい図鑑買ってもいい?」と目を輝かせている。おもちゃじゃなくて図鑑とは、ずいぶん成長したなあと心がほっこりする。

給料が高いかどうかよりも、自分が夢中になれるものを大事にしてほしい。いつか蓮が大きくなって仕事を選ぶとき、もしまた「どうして同じ時間働いてるのに給料が違うの?」と聞かれたら、そのときはもう少し踏み込んで話してやりたい。産業構造とか、為替の影響とか、世界経済の動きだとか。
だけど、まずはいまの蓮が「不思議だな」「もっと知りたいな」と思う気持ちを失わずにいてくれるだけで十分だ。そういう“入り口”こそが、きっと働き方や生き方を選ぶときの大きな力になると信じている。

明日の朝もきっと、妻はバスの時刻に合わせて出勤し、僕はパソコン越しに海外の取引先と話すだろう。同じように働いているようでいて、給料も出社スタイルもまるで違う。それでも家に帰れば、家族としての空気はひとつに交じり合う。そして夜になれば蓮が図鑑をめくりながら、「あれもいいな、これもいいな」と小さな夢を語る。それだけで、なんだか世界が広がっていくような気がするのだ。

お金は確かに大切だけれど、それだけではない。外の風が季節ごとに色を変えるように、人の働き方や価値観もいろいろあっていい。蓮の疑問は、そんな当たり前のことを改めて思い出させてくれた。これからどんな道を歩むにせよ、好きなものや興味を見つけて、心から納得できる選択をしてほしい。
――バスに乗りこむ妻の背中と、在宅ワークのパソコンの画面が示す世界。その両方のはざまにあるこの家で、蓮は今日も小さな冒険を続けている。心の中に生まれた“どうして?”を、いつか“やってみたい!”に変えるために。

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