開示って

打ち返してもらったので打ち返そう。

自己開示したつもりでも、自分の説明はできていない?と疑い始めた。
友人の墓を覗き込むと、今までの会話で聞いていた出来事に、詳細と心情が刻まれていた。

今まで様々な出来事は聞いていたので、自分も出来事は喋っていたつもりだった。が、他情報があるかないかで出来事の見方もかわる。
当たり前だが、遊び中の会話でそこまで詳しく喋る機会なんてない。だって遊んでいるのだもの。面白くないものは不要である(面白く喋れるなら喋るが)。
なので、自身の説明はかなり省いていた自覚はある。あるが、出来事は喋ってきた方なので勝手に満足して説明した気でいた。
お互い様だが、深追いの質問をされなければ語らない癖もあると思う。世の自分語り好きの養分を分けてもらいたい、と時々は考えるようになった。

あと自分の説明よりも、親の説明の方が濃くなるのでそちらばかり喋る。自分が薄いのもあるが。
なので私は心情はあまり自分語りできない。結局なるようにしか動けなかった子供の出来事であり、感情は置いてけぼりでやることやっていたんだと思う。根本的に感情の高ぶりは少なかったが、吐き出しはずっと対物であった。一人っ子なので親以外にぶつけ合える人もおらず、親にぶつけたら物理的に死ぬ可能性もあるので大人しくするしかない。
ラバーダックにも限度はある。拾いきれないのであれば、ほつれからこぼれ落ち続ける。事柄は覚えていても自分の感情は忘れがちなのは、デバッグ失敗しているのだ。
まぁ、本当になにも考えていない節もあるが。

そして私は墓を持てない気質なんだと思う。
利益的に出来事はずっと覚えていても、それに伴う感情は刻めない。見返しても、哀愁や憤怒などを思い出せない。記号認識しかできていない。海に流して、時々潮風で出来事をおぼろ気に思い出す程度が丁度よい。

私の説明、自己開示が足りなかったら質問してください。波際に残ったものを解析して説明します。