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ママと一緒にごはんを食べたかった。

私は、母と一緒に食卓を囲んでゆっくりごはんを食べたことがなかった。

母はなかなか食卓につかなかった。ずっとキッチンにいた。私と弟と父が食べ始めてしばらくすると、座ってさっとごはんを済ませ、私たちが食べ終わる前にキッチンに戻った。

キッチンには、母の他に祖母がいた。ずっと、実家の料理担当は祖母だった。母は、洗い物や細々した雑務を手伝っていた。

祖母は、料理をしながらちょこちょこつまんで食事を終わらせる人だった。あまり食事をとっている姿を見せなかった。食卓を囲むことは珍しく、私たちが食事をしているときはたいていキッチンで炊事をしていた。

母は、キッチンで働く祖母をよそにゆっくりと食事をとることができなかった。

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実家は、祖母が建てた家だった。祖母とかわいい一人息子、そこに嫁いできた気の利かない嫁の3人で住むことになった。家の主人は祖母だった。

炊事だけでなく、掃除も洗濯も家事は全て祖母が担当した。ここは祖母の家だから、祖母が家のルールになった。母はできる限り家事を手伝った。よくある嫁と姑の関係なんだろうけれど、祖母は母に対して理不尽に厳しかった。ぴったりだった結婚指輪がスルッと抜けていつの間にかなくなってしまうくらい、母は痩せた。

祖母は、一言で言うと難しい人だった。家事は進んで行った。家事が好きだというよりは、家の人たちに愛してほしい、必要としてほしいがために家事をしている、ように見えた。祖母は、母に言わせると「愛したがりの愛されたがり」だった。基本的には家族を愛しているけれども、その分、いやそれ以上に愛されたいのだ。感謝されたり、祖母のおかげだといって褒められたりするのがあからさまに好きだった。

だから、祖母が誰かに何かをしてあげたとき、思ったように感謝の気持ちが返ってこないと祖母は苛立った。もう家事はしないなどと言って投げやりになった。母は毎日お礼を言った。お礼を言うこと自体は当たり前ではあるが、祖母の求めるものは子どもの私からみても異常だった。洗濯ありがとうございました、どこそこの掃除ありがとうございました、と、母は一つ一つの家事に対して感謝の気持ちを言葉にした。

母は私と弟を産んだ。母は平日仕事をしていたので、子どもたちの世話も祖母が請け負った。ごはんをつくり、おやつを与え、汚れた服を洗濯し、一緒に散歩に行った。母が家に帰る頃、子どもたちはごはんの時間だった。母はさっと身支度を整え、キッチンに向かう。炊事をする祖母に何度もお礼を言いながら、洗い物をする。あなたも食べなさい、と祖母に言われ、すみませんとぺこぺこしながら短い時間でごはんを食べる。子どもたちが3口くらい食べたか食べていないかくらいで、母はキッチンに戻る。今日はあれを掃除した、それとこれも片付けた、などと、祖母が今日やった家事を列挙され、またお礼を何度も言う。

母は、キッチンで働く祖母をよそにゆっくりと食事をとることができなかった。

子どもながらになんとなくわかっていた。母が私と一緒にゆっくりごはんを食べていたら、きっといけないのだろう。

それでも、ママと一緒にごはんを食べたかった。

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