見出し画像

百聞は一見に如かず日記|其一

「悔しい」「なんで」という気持ちに飲み込まれそうになりながら、現地の状況をインスタのストーリーやXの投稿で把握する。現地の友人・知人のバッテリーを消耗しないため、こちらからの連絡は控え、投稿を待つというのは、非常に心が痛む経験だった。

「大丈夫?」と一言送れば、こちらは安心できるのだろうが、その一通を送ることによって、現地の情報の混乱はさらにひどくなるだろう。ぐっと堪えて、待ち続ける時間は、1月の地震を思い起こさせる、とても辛い時間だった。

軽く背景を共有すると、1月の地震で、友人が珠洲市で被災したことをきっかけに、物資の支援を始め、今では、研究のフィールドとしても奥能登には、大変お世話になっている。

2024年9月21日、能登半島を豪雨水害が襲った。わたしは、横須賀にいて、豪雨のニュースを知ったのは、横浜で夜ご飯でも食べようかなと移動していた時だった。前日から、どうやら、雨がすごいということは、友人のストーリーで見ていた。しかし、こんなレベルになるとは思っておらず、川の氾濫、道路の決壊を目にし、1月に感じたような、ひどい動悸がするのを感じた。

「また、あの苦痛がやってくるのか」と、当時を思い出し、手が小刻みに震えた。というのも、いちばんの苦痛は、わたしは現地におらず、SNSで情報を得ていた。その時に、ストーリーに流れてくる情報が全く違った。かたや、足元の道路が目の前で崩落し、足元がすくむとヘルプを出している友人の投稿の次には、飲み会やディズニーの様子が流れてくる。これは、体感しないとなんとも言い難いのだが、この状況がわたしには軽くトラウマになっていた。

しかし、この被災者でもなければ、親族がいるわけでもないけれど、関係があるという立場は、とてもとても理解が得づらく、共感してもらえる人が多くはないので、あまり今後は同じような経験をしたくないのが本音。

そんなこんなで、不安を抱えながら、1週間近くを過ごし、最後はいてもたってもいられなくなり、飛行機の運行状況を調べた。

「あ、問題なく動いてる」これが、わたしの背中を押し、どうすれば高屋まで行けるのか、調べていた。(*高屋は、珠洲市の中でも、外浦と呼ばれ、平常時でもかなりアクセスが大変。)

出典:https://kahoku.news/articles/20230519khn000010.html

そうこうしていると、友人から、「空港まで迎えに行くよ」と連絡をもらう。かなり孤立している、もしくは車がギリギリ通れるレベルだと思っていたので、あれ、普通に車で来れるの?と拍子抜けする。

そうと決まれば、即座に予約。修士学生で、特にたんまりお金があるわけではないので、正直、自費でボランティアに行くのは、痛い出費ではあるけれど、とりあえず、行かないことには始まらない。決済ボタンを半目になりながら押して、週末、現地に向かうことにした。

とはいえ、水害だから、長靴とか、軍手とか、なんか仰々しいマスクとかいるのかなと悩みながら、まあ、何かしら道具はあるでしょうと、いつものリュックと寝袋だけを抱えて現地に向かう。

空港から、高屋までは、たまたま同じタイミングで高屋に向かっていた、けいちゃん(という友達の友達)が拾ってくれる。彼は、地震のあとは、能登に来れておらず、今回、放っておけないと、わざわざ三重から車で飛んできたそうだ。クレイジーな行動には、クレイジーな仲間ができる。

そして、空港を出ると、あまり前回までと大きく変わらない光景に驚く。もっと全体的にぬかるんでて、道が塞がれていて、全然進めないものかと思っていた。とはいえ、道中、作業中の車両や業者さんに出会う。本当に、ひとつひとつ、誰かが復旧作業をしてくれている。頭が下がる。

高屋に向かう道中は、震災後にオープンした、恋路のアルバカレーに立ち寄る。キックボードでオーストラリアを縦断した経験のあるうにくん。奥能登に、おもろ友達がたくさん出来ている。嬉しい。


カレーをテイクアウトして、高屋に向かう。道中はパン屋さん「古川商店」にも寄って、友人の好物、冷やしクリームパンを買う。大体、ここから高屋まで40分近くかかるので、ぬるクリームパンになってしまう可能性を孕みながら、カレーとパンを車に積む。

Googleマップ通りにすいすい進める道路工事の力に脱帽しながら、ようやく高屋に辿り着く。浸水したという友人の家の前では、町の人たちが、家財出しの作業。ちょうどお昼休みを取ろうというところだった。

高屋に着くや否や、なんだか拍子抜けしてしまったというのが本音だった。メディアで見る惨状を追いかけ、肩を落としていたわたしだったけれど、人の力はすごい。一週間で、かなりの道路が通れるようになり、高屋の地域水道は、断水のなかでも湧き水を利用しているので、水が使える。

各家の水道は断水しているものの、この水道のおかげで、浸水したお家の家財の洗浄や、普段使いのお皿の洗浄などは、この水で賄える。

電気を使わずに濾過装置を使って山水を引いてきている
地域のみんながホースを繋げて作った簡易水道も稼働

高屋に来ると、本当に生きる力に感動する。前回の地震の教訓を生かしながら、少しずつ、「災害に強い」町が出来ている。災害に強いとは、単にハードがしっかりしているということではないと思った。ひとりひとりの実践が、どんな自然のリズムとも合わせて共鳴しながら、生きられることなんだと実感する。

自然は悪じゃない。付き合い方やデザインを人間の側が間違えるから、災害を引き起こすんだと、高屋の実践から学んだ。

こうして、到着するや否や、想像よりも生活が成り立っていること、とはいえ、同時に、それはとても最低限であることを痛感する。

たしかに、被災地のなかで見れば、輪島に比べると、被害は最小限だったのかもしれない。それでも、仮説暮らし、漁に出られず仕事ができない漁師さん、道が塞がれて畑に行けない農家さん、揃えた資材や道具が浸かってしまい途方に暮れる染色家の友人。これは、全く最低限の安心安全の生活ではない。

ただ、ただ、それでも、生きていこうと工夫をする高屋の強さに圧巻。

これは、切り取って簡単に編集できるような出来事ではない。実際に現地を訪れてみて、やっと分かるような、とても複雑で多層的な日常。困っていないとも、困っているとも言える。それは、いつだって、現実はそういうものなのかもしれないとも思う。

だから、わたしは、今回、本当に、早いうちに現地を訪れてみてよかった。こんなに百聞は一見に如かずを体感したことはない。被災地ほど、センセーショナルに切り取られやすい場所はない。というか、切り取ると、全部嘘っぽくなってしまう。仕方がない。それは、自分も写真を撮っていて感じた。数歩歩けば現状は違う。メディアの報道は、視聴率のためだと言われることもあるが、本当に、現実を現実のまま「伝える」というのは難しい。

だから、できれば、自分の足で行って、見て、聞いて、感じてほしいと思う。たった1日、2日でもいい。まるごと世界を飲み込んでみると、ようやく、自分の偏見や妄想に近い想像が、おかしなものだったのかが分かる。きっと、その経験は、普段の生活にも役立つと思う。

百聞は一見に如かず日記は、其二へ続く。


友人とシーシャに行きます。そして、また、noteを書きます。