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修士論文執筆の記録と展望|地方国立人文系大学院生の視点から
先日、和歌山大学観光学研究科にて、修士論文を提出したので、記録と展望を残しておこうと思います。大それたトピックではないのですが、①修士課程の学生の実態が知られていないことによる社会的孤独感 ②人文系大学院進学の情報の少なさ に対して、少しでも貢献できればと思い、この記事を書こうと思いました。
ちなみに、このように記録を残そうと思ったひとつのきっかけは、同級生であり、尊敬する友人が、とても素晴らしい取り組みをしていたので、わたしも、何かできることをしておきたいなと思った次第です。(ちなみに、彼は、大学入学同期で、学部時代は、多分、ふたりがいちばん大学にいなかったのに、結局、最後まで進学を続けている不思議な同期です。)
インターネット上に存在する、多くの海外大学院に留学する日本人は、私からするととてもエリートな人が多く、進学先の大学も、いわゆるトップスクールと言われるところが多いように感じます(加えて、そのような人たちは、国内の名門大学の卒業生がおおいです)。そして、私も留学の準備のために、そんな人たちのブログ等を読んだりするのですが、なんだか親近感があまりわかず、参考になりそうでならないなと、ちょっとがっかりした気分になることが多いです。そんな中、私のように、地方大学出身で、非英語圏の地方都市や田舎と呼ばれるところで大学院進学をしたというケースは少ないのではないかな、と感じております。このアカウントを通して、私のようなノンエリートなPhD lifeもあるということ、海外大学院留学は英米の有名大学に行くことだけではないんだよということを、知っていただくきっかけを作れればなと思っております。
わたしは何者なのか
そもそも、検索やSNSで、この記事に辿り着いてくださった方に簡単に自己紹介をしておきます。和歌山大学観光学部を卒業し、同大学の観光学研究科に在籍しています。親族には、全くアカデミア出身の人はおらず、ほとんどが高卒、専門学校卒、自営業が多いです。ちなみに、両親はパン屋です。
学部時代は、優等生ではなく、1年目は、出席日数ギリギリで単位を取りながら、ひたすら、スリランカ、ブルネイ、ミャンマーなど、あんまり他の人がいかなさそうな国に行ってみたいというよくある好奇心から一人旅をしていました。2年目は、速攻休学し、株式会社マザーハウスというバングラデシュなどの途上国でものづくりをする会社でMD(マーチャンダイズ部門)で約10ヶ月間のインターンをしていました。3年目は、起業するぞと決め、新規事業を作ったりしていたものの、諸事情でホームレスになり、シェアハウスに拾われ、文学徒に出会い、勉強をはじめ、1単位足りなくて復学するも留年が決まる。4年目は、コロナ渦でリモート環境になったことが功を奏して、単位も成績も爆上がりし、自信がついたことにより、5年目に、結構ノリと勢いで会社を作り(現在4期目)……なんとなくそんな感じで、手当たり次第、興味のあることをやり続けて、七転八倒しながら在籍期間7年(休学2年含む)という本当にエリートとは程遠い学部時代を過ごしていました。成績もそこそこです。
人一倍、こけまくって、怪我しまくって、自分のできることとできないことが明確になったなという実感だけはあります。あと、結構なんとかなるという前向きな思考のおかげで、とりあえず、助けてくれる友人や知人にはとにかく恵まれています。(ありがとうございます。)ADHD気質、ASD気質は8:2くらいです。(診断は受けていないのですが、自分の説明がしやすいので、便宜的に使っていますが、ご容赦ください。とはいえ、ふつうに生活できる人間になるためにトレーニングと気力と鬼のような環境調整で擬態して生きています。)
という人物が、大学院進学や修論執筆について語ります。
大学院では、指導教員はカナダ人の先生で、英語で論文を書きました。授業も、和歌山大学観光学部、観光学研究科は、英語ですべての授業を履修できるという素晴らしいシステムのおかげで、留学せずとも、英語で履修することができました。
どんな論文を書いたのか
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では、本題に戻ります。まず、専門外の方にも分かるように、簡単に説明をしていきたいと思います。というのも、①として記載した、大学院生の社会的孤独感にもつながりますが、「なんとなく難しそう」というイメージから、そもそも話を聞いてもらえないという課題があり、わたしは、できるだけ聞いてもらう人に理解できるよう、相手の興味や関心、理解度に合わせて説明を心がけています。
わたしは、災害を軸に研究をしました。災害研究とは言っても、地震のメカニズム、建築、データ分析のようなものではなく、Critical Disaster Studies(批判的災害研究)と呼ばれる、災害を社会的(政治的)なものとして探求するという研究を行いました。
そのなかでも、サバイバー・サポーター(被災者でありながらも支援活動に従事する人)について研究を行いました。サバイバー・サポーターもしくは現地支援者という言葉は、いくつかの文献で登場するものの、実は、その実態は、あまり研究されていませんでした。
そこで、その人たちがどのような役割を担っているのかや、どのような権力構造のなかに彼らが置かれているのかということを、実際に珠洲市を訪れ、調査を行いました。
修士論文を執筆してみてよかったこと
文章を書くことで読む力が上がった
Writing is learning (書くことは学習すること)と指導教員が口酸っぱく言っていましたが、とにかく、本を読んでいるだけの時よりも、あらゆる文章の読解力が60点から95点くらいに上がったような感覚があります。
自信がついた
シンプルな変化ですが、全てを書き上げた今、自信がつきました。これまでは、自分の興味関心ややりたいことをうまく表現できていない感覚がありました。ただ、1つ書き上げたことで、つまりは、こういうことをやりたいんですというものをポートフォリオとして提示できるようになったことは、自分の興味関心を説明するときに、とても楽だなと思います。
自分が論文を書くことが好き(苦ではない)だと確認できた
最後までやり遂げてみないと、結局、本当に研究の道に進みたいのかが分からなかったので、立て続けの博士課程への進学は保留にしていました。仕上げた翌日から、また関連書籍を読んでいる自分を観察して、多分、あんまり苦なくできることなんだろうなと認識することができました。
考え方が変わった
大人になると、自分の考えが正解だとか、物の見方を強化する方向に意識が働きやすいのですが、大学院での授業や修士論文の執筆を通じて、自分の物の見方のレンズを破壊されたような感覚がありました。あと、この既存の見方を壊される感覚が、個人的にフェチなんだなとも気付きました。
修士論文を執筆してみて大変だったこと
孤独になる
普段、起業活動をしているときはあまり感じなかった孤独感がありました。「まだ学生なの?」と言われる言葉にぐへぇとパンチをくらったりとか、そもそも修論の執筆の辛さを大学院の友人としか共有できなかったりとか、具体化すると、なんとなく「理解されない辛さ」みたいな感じだったかなと。あとは、特に、地方だと簡単に学会やイベントにも行けないので、本当に大学院の同期のコミュニティしか心休まる場所がないという感じになりやすいです。(Xのアルゴリズムのおかげで大学院生、研究者の方々と繋がりができたのは、本当に支えになりました。)
課題がとにかく多い
これは修士論文というよりは、大学院の課題に関してですが、1週間で3,000words(6000字)の課題が3-4個出るみたいなのはザラです。しかも、書くだけではなく、その課題のために数十ページの課題図書を読まないと行けないというタスクが発生します。どうやって、仕事と両立していたのか、記憶がありません。
お金のやりくり
わたしは、親の援助は受けず、入学金半額減免と2年間の授業料免除+自分で起業した会社からの給与+JASSOの奨学金(無利子1年間分)で生計を立てていました。特に、修論執筆期間は、ほとんど仕事の稼働ができなかったので、ある程度収入が下がることを見越して、奨学金を借りておいたことは、よかったです。(が、返済に震えています。)あとは、じんわり、授業料免除に向けての成績を維持しないといけないプレッシャーと、難しくても取りたい授業を取るという選択はチャレンジングでした。
これからの展望
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「で、これからどうするの?」と100回くらい聞かれるので、自分でも整理してみています。優先順位の一番目は、博士課程進学です。研究という営みを続るということが人生でできれば形式には拘らないのですが、まだまだ指導をしてもらいたいので、進学を決めました。諸々の事情から、現在所属している大学の博士課程進学ではなく、海外>国内くらいの優先順位で考えています。でも、まだ、かなり漠然とした希望です。これから、進学先や奨学金を探すフェーズに入ります。研究テーマは、変わらず、Critical Disaster Studiesを続けたいという想いでいます。性に合っているみたいです。特に、(critical) ethnographyが採用できる指導教員のもとで学べると嬉しいですね。そんな条件のいい研究室があれば教えてください。あと、「会社はどうするの?」ということもよく聞かれますが、わたしは、結構、今の仕事も好きなので、しばらくは、既存の写真や文章の仕事を続けつつも、リサーチスキルが生かせるような業務委託や事業づくりができれば嬉しいなと思っているので、方向性を模索中です。何か、おもしろそうな仕事があれば誘ってください。(合同会社ギンエンHP)
希望を叶えるにあたりさいきんのリアルな悩み
と、なんか、いい感じにきれいにまとまった記録を書いてみたのですが、実際は、とにかく悩みごとが多いです。「好きなことで生きていく」とはきれいに聞こえますが、やりたいことがあるタイプの女性のライフキャリアのロールモデルがあまりに情報が少なすぎるという点に困っています。研究者でも、男性が研究者で妻に支えてもらっていたりとか、子育ては任せていて成り立っている夫婦が多かったり、女性研究者でゴリゴリやっている人は独身の方が多かったり、そもそも、年齢的に子どもを持つか持たないのかの選択をし始めなければならなかったり……。ワークキャリアだけの設計では、どうも間に合わないことが増えてきて、珍しく、課題設定と解決がてんやわんやになっています。(「助けて〜〜」)
まだ、修論を書き上げただけで、完全に修了が確定したわけではないのですが、等身大の大学院生の記録を残しておきたいと思い書いてみました。学びたいと思いながら、進学を迷っている方や、同じく大学院生として戦っている人に届くと嬉しいです。