パチンコ依存性と学校生活崩壊
ジブリ映画の中では千と千尋の神隠しが1番好きなカモメです。
前回投稿した記事にスキを頂いた方々、ありがとうございました。
本編の第三回目になります。
大学生時代の終盤になります。
パチスロで大金を負けてしまった翌日、もうギャンブルはやめようと前日の夜は考えていたはずなのに頭の中ではパチスロの事ばかり考えており、うまくいけばまた大金を手に入れることができるのではと思ってしまいました。
学校に行かなければいけないはずが、結局は朝からパチンコ屋さんに行ってしまいます。
負けた記憶よりも勝った記憶の方が鮮明に脳裏に蘇ってしまい我慢出来なかったのです。
2日続けて負けていれば、ひょっとすると違う展開があったのかも知れませんが、結局この日は少しだけ勝ってしまい、パチスロはやはり楽しくて儲かる遊びなんだと錯覚してしまいます。
一度学校をサボってしまうとズルズルと授業をサボる様になってしまい、大学1〜2年はほぼ毎日パチスロを打ちに行くようになってしまいました。
しかし、パチンコパチスロは大学生がやるにはお金があまりにもかかる遊びであり、連日負け続けると軍資金が無くなる日も多々ありました。
お金が無くなるとパチスロで儲けた時に買ったゲームやCDを売ってお金に変え、そのお金でまたパチスロに行く。または売れる物が何も無いと親から新しい教科書が必要になったと嘘をついてお金をもらい、その足で朝からパチンコ屋さんに行っていました。
毎月のバイト代もパチスロに使っていましたが、酷い時には一日で全額失った事もありました。
この様な生活をしていた当時も後ろめたさがなかった訳ではなく、負けて帰宅した日はもうギャンブルはやめてキチンと学校に行こう など自分の行動を後悔しますが
その気持ちも、パチスロ台の前に座るとどこかに消えてしまい、打ちはじめるとただパチスロに没頭していました。
どんどんと実生活では役に立たないパチスロの知識は増えていき、学校の勉強にはついていけなくなったままで大学三年生になったある日、ついに私は学校から呼び出しを受けてしまいました。両親にも別で手紙が届いていて、私と両親は学校主任と面談をすることに。
内容はもちろん私がほとんど学校に来ていない件についてです。
聞かれた内容は2つで 何故学校に来ないのか? 今後学校に来る気があるのか?です。
両親には学校に通っているふりをしていましたのでかなり怒られて、いったい何をいままでやっていたのか
問い詰められましたが、毎日パチンコ屋さんに行っていましたと言うことも出来ない私はお得意の嘘をつきます。
福祉関係のボランティアをしていました。というまったく意味のわからない嘘をその場凌ぎで出鱈目な事を言い
その場の両親と主任を納得させようとしました。
すんなりと信じてくれる訳もなく、一つの嘘がどんどん大きな嘘になってしまい、最後は学校を退学して福祉関係の仕事をしたいといいました(もちろん嘘です)
自分から退学を言い出した事に説得力があったのか、両親や主任からはそういう気持ちがあるのであれば尚のことキチンと大学を卒業したほうが仕事の選択肢も広がるのではないか、という説得を受けた私は今後きちんと学校に通うようにしますと約束しました。
大学生1〜2年次にほとんど単位を取っていなかったので3年生からの授業スケジュールは大変なものになりました(一つでも単位を落とすと留年)
流石に卒業までの間はパチスロに行けなくなるのかと思いきや、夜8時過ぎから閉店まで普通に打っている私がいました(依存症はわずかな時間でも見つけてうちに行ってしまいます)
学校事務の方々からは留年せずに卒業するのはほぼ無理だと言われてましたが、いろいろな人の助けを借りて、なんとか無事卒業することが出来ました。
しかし問題が一つ発生しました。
就職活動をまったくしていなかったのです。
しなかった、というよりも出来なかったというほうが正しいのですが。
一般的な大学生であれば1〜2年次にある程度単位を取り3〜4年次は就職活動と卒論制作が普通だと思いますが、私の場合3〜4年次は先に書いた通りびっしり授業がありましたので就職活動まで手が回らない状態での卒業となりました。
次回に続きます。
あとがき
大学生当時はまだあまりギャンブル依存性という言葉を聞かなかった気がします。インターネットも今ほど普及しておらず周りに相談できる人もいませんでした。
私が思うにギャンブル依存性は1人で抱えて解決するのは難しい病気だと思います。
自分が依存性であるかもと疑いがある方、周りには相談できないけど誰かに話を聞いて欲しいという方がいらっしゃいましたら、遠慮なくコメント残してください。
私で良ければお話しを聞くくらいはできますので。
かもめ