「聞くこと」のインタラクション ── 『もしもし、わたしじゃないし』参加者座談会
21年2月11日〜14日、かもめマシーンではTPAMフリンジの参加作品として、『もしもし、わたしじゃないし』を上演した。2020年9月に初演されたこの作品は、今回、20ステージが行われ、20人の観客が自室や屋外など、それぞれの場所で「口」の話に耳を澄ませていた。
この作品は、電話回線を通じて1対1で上演される。それは、俳優と観客とが同じ時間・場所を共有しないという意味での特殊な体験となるのみならず、観客と観客ともまた同じ時間・場所を共有しないことを意味する。
それぞれの観客は、この作品をどのように受け取ったのだろうか? 上演終了後の2月15日に行われた参加者座談会には、演出の萩原雄太、俳優の清水穂奈美とともに5人の観客が参加。それぞれの知覚や体験を話すとともに、別の観客たちの体験に対して耳を澄ませるこの座談会は、観客同士が出会う場としても機能した。
(編集・構成:萩原雄太)
人格を持ったiPhone
参加者1:私はガラケーを使っているんですが、普段、30分も電話をすることはないですよね。学生時代には長電話をすることもありましたが、今は長時間喋るとしても使うのはLINEやZoomです。ガラケーを耳に当ててずっと聞いていると、当時、慣れ親しんでいた感覚を思い出しました。
そうそう、18才くらいの頃に仲のよかった友達が、脈絡のない話を電話でずっとしている人だったんです。その子の話し方は、私に対して、意見も相槌も求めていないような感じ。きっと、「喋っていたい」という感覚だったんでしょうね。上演中は、10年以上忘れていたそんな感覚を思い出しながら聞いていました。そうすると、電話口から「もしもし」と言われて、「聞いていないのがバレた!?」ってなる。
清水さんに聞きたいのですが、今、Zoomで顔を見ながら話をしていると、電話口で感じた印象とは異なるんでしょうか?
清水穂奈美(以下、清水):「こういう感じで聞かれていたな」というのは思い出します。電話をしていると、姿形とは異なり、その人から発せられる雰囲気のようなものを受け取ります。こうやってZoomで姿を見たり、話を聞いていると、なんとなく電話口の感覚と一致する部分がありますね。
参加者1:そうなんだ。私は、上演中に一言も発していなかったのですが、どこか一方通行ではなかったように感じました。
清水:話していると、聞いている人が集中して聞いていることや、ちょっと意識が離れたかな? ということが感じられます。集中していたら、「もしもし」と投げかける必要がなかったり、意識が離れていたら「もしもし」という言葉を何度か重ねて、意識を戻したりしていましたね。
参加者2:私の場合、これはリアルタイムで演じているのではなく、録音されたものだと思っていましたね。
萩原雄太(以下、萩原):前回の公演でも、録音だと思って聞いている人がいましたね。
参加者2:iPhoneを耳に当ててじっと聞きながら、どういうマインドセットで聞けばいいのかな、と思っていました。そして、時折iPhoneの画面を見ると、iPhoneの設定を英語にしているので、電話の相手が「非通知」ではなく「UNKNOWN」と出ていた。UNKNOWN=名も知れない人という表示を見て、まるで、iPhoneが人格を持っているかのように感じました。
萩原:『NOT I』はベケットの戯曲の中でも、叙情的な要素が強い作品だと思います。きっとベケットは、そんな叙情性を利用して「口」という身体の一部分に人格を付与しようとしたのではないか。人格が独り歩きするという意味では、「口」ではなく「デバイス」に人格が生まれてしまうというのは、この戯曲の本質的な部分であるかもしれません。
見られないから「身体がサボっていた」
参加者3:私も、どういうマインドで聞けばいいのか迷っていました。それは、すごく居心地が悪い感じ。電話をしている30分間「なんでこんな電話を受けて、話を聞いているんだろ?」っていう感覚だったんです。いろいろなことを話してもらっているのに、「何もしてあげられないな……」という気持ちでした。
ちょうどその日は、朝からバイトがあったこともあって眠かったんです。Zoomのように、こちらの姿が見えている状態なら、眠くてもテンションを上げて相手のテンションに合わせます。けど、電話だと見えないので身体がすごくサボっていた。なんか、こんなにぐだぐだと聞いている自分は罪深いんじゃないかと思ったんです。
清水:劇場に行く身体は、人前に出られるような観客の体になりますよね。電話だと身体はサボれるという指摘はなるほどと思います。改めて、どういう身体にアプローチしていけるか、ということを考えさせられました。
Jules Chéretによるテアトロフォンのポスター(1881)
参加者4:私は、これを聞きながら「テアトロフォン」を思い出していました。19世紀、電話がパリ中に張り巡らされると、オペラ座などの劇場から、電話で中継を聞くことができたんです。テアトロフォンの場合は、5分くらいで切れてしまったようですが。
萩原:そんなものがあったんですね。知らなかった。
参加者4:テアトロフォンを意識していたこともあり、黙って聞かなきゃと思っていました。けど、やっぱり「もしもし」と言われたら、「もしもし」と言い返したくなってしまう。そんな葛藤がありましたね。
萩原:観客は、電話に出た時に「もしもし」と答えるかどうかを考えてしまいますよね。もちろん、どちらでも構わないのですが、作り手側としては「もしもし」と返してくれると嬉しい気持ちがありました。
清水:こちらから「もしもし」と投げかけ、じっと待っていると、「もしもし」と返される場合もあるし、黙ったままの場合もある。それでも待っていると、身じろぎをしたり、鼻をすすったり、といった音が聞こえてきます。そうして、つながっていること、聞いてもらっていることが確認できるんです。
参加者4:冒頭だけではなく、途中の「もしもし」に返答する人もいるのでしょうか?
清水:「もしもし」って返すだけでなく、相槌を打つ人、質問をする人もいましたね。
前回は「あの子って誰?」と質問を受けて、「あの子だよ」と、答えました。基本的に台本の言葉で返すようにしています。今回は特に、電話の向こう側でどのように聞いているかによって、演技が変わっていくことを狙っていました。声や音から、家の中で聞いているのか、外で聞いているのか、リラックスしているのか、緊張しているのか。聞いている人の発する雰囲気を受けて、どのように「あの子」という存在を注入していこうかと考えながら演じていたんです。
参加者4:内容としては、「未熟児」から始まっているため、あたかも、生まれてくることができなかった子供がイメージの中で育ってしまったような気がしました。喋っている人は、実際にはこの世に存在せず、巫女がいないと降りてこられない。そんな、宙ぶらりんな存在を感じていました。
電話の「聞き方」の可能性
参加者5:前回、9月の上演にも参加をしたので、今回が2回目になります。前回は、自分の部屋で「どうやって聞いたらいいんだろう?」と思いながら聞いていましたが、今回は、自宅近くの多摩川の川べりに寝転びながら聞いていました。
清水:リラックスしているのは、こちらにも伝わってきましたね。
参加者5:戯曲の中に、「草に顔をうずめて……ひばりの声だけ……」とありますが、まさにそのままの風景だなって思いながら聞いていると、すっと内容が入ってきました。明るい場所で聞きながら「ここで最期を迎えられたらいいな」とか。
2回参加したことによって、観客としてもいろいろな聞き方ができるのではないかと感じました。相槌を打つこともできるし、黙って聞いていることもできる。
萩原:電話を使うという珍しい形式なので、この作品に参加すると、観客としての身振りを発見しなければならないですよね。もちろん、演出として「このように聞いてほしい」という誘導はありますが、その聞き方の大部分は観客に委ねられている。どこで聞くのか、どのように聞くのか、この作品との付き合い方を見つけていくのもおもしろい部分だと思います。
白水社:新訳ベケット戯曲全集2
参加者2:今後も、今回のような電話演劇を模索していくのでしょうか?
萩原:ジャンルとしての「電話演劇」という意味であれば『NOT I』以外の作品に対して、この形式を与えられるかはまだわかりません。いくつかの戯曲は考えてみましたが、いまいち「電話」という形に変換することに対して、まだ必然性を見つけられていない。
ただ、この作品は僕自身としておもしろさを感じられるし、もっと深めていけると思っています。その理由は、劇場で普通に作品を観るのと同じかそれ以上に身体を感じられること。身体の姿勢、感情、意識などの微妙な変化が、声を通じて驚くほどクリアに伝わってくるんです。
そして、もうひとつの理由が、この作品を通じてパーソナルな空間に入っていけること。これまで、僕らの作品のテーマには「演劇と公共」がありました。しかし、電話を使うことによって「公共」とは切り離されたパーソナルな部分に作用していくことができる。この作品は、パーソナルなものに対して、演劇はどのように振る舞えるのかという問いでもあり、このパーソナルどうしを結びつけていくことができれば、別の形の「公共」が想像できるのではないかと思っています。
『もしもし、わたしじゃないし』は、参加者の電話に直接電話をかけるという形で再演をしていくだけでなく、電話ボックスを使ったバージョンなども考えています。それによって、この作品が持つ別の意味や可能性を見せていきたいですね。
──CREDIT──
『もしもし、わたしじゃないし』
2021年2.11(木・祝)〜 2.14(日)12:30/14:00/18:30/20:00/21:30
演出|萩原雄太
原案|サミュエル・ベケット「わたしじゃないし」(翻訳:岡室美奈子)
出演|清水穂奈美
舞台監督|伊藤新(ダミアン)
制作協力|清水聡美
助成|公益財団法人セゾン文化財団
主催|かもめマシーン