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「他者」に届く形を与える──那覇・わが街の小劇場滞在制作記

かもめマシーンでは、5月8日〜21日にかけて、那覇・わが街の小劇場にて滞在制作を行った。22年から開始した南京事件をモチーフとした新作を創作するにあたって、ひとつの足がかりをつくるために行われたこの滞在制作。結果を先に言えば、諸手を挙げて大成功という形にはならず、むしろ、南京事件という歴史問題の扱い方や集団創作の難しさ、あるいはわたしたちの間の人間関係の問題など、色々な問題点が可視化されるような2週間であった(伊藤新は、私がもうかもめマシーンを辞めてしまうのではないかと心配したそうだ)。

この2週間、わたしたちは何に立ち止まり、何によって前に進めなかったのか? そして、そこから何を得て、何を目指していくのか? それらを簡単に記す。

(萩原雄太)

※本プロジェクトでは、日本の外務省の表記に準じ、「南京大虐殺」ではなく「南京事件」と記します。

舞台作品として南京事件を構成する


2019年の『俺が代 さよなら平成ツアー』で、はじめて沖縄を訪れ、アトリエ銘苅ベースの公演を実施して以降、21年の『しあわせな日々』の滞在制作を那覇にあるわが街の小劇場(以下、わが街)にて実施したり、この他にも下見やリサーチといった機会があったから、わたしたちが沖縄に来るのは5回目。ほぼ、年1回というペースだ。今回の滞在制作は、南京事件をモチーフとした新作のクリエーションの進展を目的として、わが街にて実施された。『しあわせな日々』の滞在制作は、どちらかというと発表することを強く意識していたから、創作過程を強く意識する今回の滞在制作とはその意味が大きく異なっている。舞台を仕込むような道具も持たず、わたしたちは、ほとんど身体ひとつで那覇空港に降り立った。

南京事件を巡るこのプロジェクトは、これまで、早稲田小劇場どらま館でリサーチを実施し、台湾のIFTR Asian Theater Working Groupにてワークショップを実施してきた。これまでの実践を踏まえ、2週間の滞在制作を通し、他者に届けられるような「演劇作品」としてのフォルムを作っていこうというのが今回の滞在制作の狙いである。もちろん、演劇作品とはいっても、そのフォルムには舞台作品以外にもさまざまな形があり得る。ただ、いったいどのような形式を選択するべきかに悩み、立ち止まるのではなく、ひとまず、わたしたちが取り組んできた「舞台作品」という形式を前提とした作品を創作し、その結果を踏まえてプロジェクトのこれからを探ろうと考えた。そこで、萩原がつくった小作品としてのテキスト構成を携えて、沖縄入りした。

わが街の小劇場でのリハーサル

この構成では、丸木夫妻の「南京大虐殺の図」の説明から物語が始まる。そして、外務省の発表する歴史問題Q&A 、従軍兵士の日記、被害者の証言、裁判記録、首相談話といった既存のテキストを組み合わせた作品を編み上げている。従軍日記や被害者の証言など、1937年の「南京事件」に対して直接言及するテキストのみならず、21世紀の日本人(あるいは日本国)が生み出した公的な声明を使うことによって、「過去の歴史」としての南京事件ではなく、現在のわたしたちが抱える問題としてのそれを描くことを狙った。そのため、安倍晋三元首相による戦後70年談話の主語を変え、自らの言葉にして話すことを、ひとつのクライマックスとしている(主語を変え、テキストの意味を変えるというのは、私の常套手段である)。

証言を使うことの是非


すでに半袖で十分な陽気の中、滞在制作は5月8日から開始。はじめの1週間は持ってきたテキストをひとつひとつ検討していった。

すでに舞台作品のテキストとして構成されているのだから、いわゆる「読み合わせ」のあとに、「立ち稽古」へと移行することもできる。けれども、今回のプロジェクトにおいて、わたしたちは集団創作であることを重要視している。拙速に舞台作品としての形を求めるのではなく、ひとつひとつのテキストの言葉を拾いながら、いったいなぜこの言葉が書かれたのか? この言葉の背後にはどのような状況があったのか? そして、このテキストを読むことによって、わたしたちの考えのうち、どの部分が照らされるのか? を丁寧に見つめていく。そうして、わたしたちは、わたしたちがこの作品において「何をしたいのか?」あるいは「何ができるのか?」といったことを、滞在制作期間の一部に参加してくれた児童精神科医でトラウマケアを専門とする小澤いぶきさんを交えながら話し合っていった。

そうしてだんだんと見つかっていったのが、「わたしと日本人との関係を、南京事件を通じて語る」という今作のテーマともいえるスタンス。わたしたちがこの作品において扱うのは、「南京事件」という歴史的事象のみではない。そうではなく、南京事件から86年を経ようとしているいま、わたしたちはどのように責任を背負うことができるのか? そのとき、「わたし」という個人を主語にするのではなく、「日本人」(あるいはわたしたち)という集合を主語に語るべきなのではないか?

ただし、この言葉の内実について、3人それぞれが微妙に異なった解釈をしていることは留意したい。

清水穂奈美は今回の制作過程において「日本人」を、自分と対象との「やりとり」の間に生まれるものと定義しており、「わたしたち」という言葉にはなじまないものであるという。一方、伊藤新においては、日本人とはその責任を通じて「誇れるようになる(なりたい)」という積極的なアイデンティティを指し、萩原にとっては「日本人であってしまう」という受動的な状態であることを指す。そのようなニュアンスの差異を埋めたり埋めなかったりしながら、わたしたちはリハーサルを進めていった。

模造紙に可視化した作品テーマについての議論

ただ、そうこうしているうちに、被害者の証言を使うことの是非、あるいはどのように使うのかという方法について、我々の間で大きな認識の差異があることが明らかになっていった。

今回使用したテキストの中に、この南京大虐殺における被害者の証言が含まれている。テキストを「使い」、俳優を「使う」立場の私にとって、このテキストを「使う」ことは自然なことであった。けれども、この「使う」という態度は(俳優の身体を自由に取り扱うことができないのと同様に)自由に取り扱うことは倫理的に問題があることのように感じられる。そのような迷いが、この言葉をどのように読むのか、という方法の発見を困難なものにした。「言葉を”使う”ことは許されるのか?」「もし使われるならば、その言葉は誰のために使われるのか?」「言葉の”真意”を誰が決められるのか?」センシティブな言葉であるからこそ、それを取り扱うための倫理を話し合う必要があった。

もちろん、芸術だから許されるといった特権的な態度を取ることは許されない。では、芸術においては、何が許され、何が許されないのか? その基準は、わたしたちが芸術をどのようなものとしてみなしているのか、あるいは、芸術行為であることを超えて「人として」という、根本的な態度にまで関与する。そのような、根本的な態度を巡る問題は、根本的であるからこそ調停は難航し、根本的であるからこそ納得のいくまで話し合わなければならなかった。
 

議論は盛り上がったが……

滞在制作の最終日となる21日には、成果発表会を実施した。

だが、前述の通り意見の食い違いから立ち止まったこと、萩原が体調を崩したことなどから時間がなくなっていき、目標としていたテキストの立ち上げについてはほとんど断念しなければならなくなった。無理をして、テキストの最後まで「上演」としてつくることも不可能ではなかったが、「成果発表会」なのだから、途中までできた部分を上演するとともに、対立した意見や考え方の違いなど、わたしたちの「できなかった」現状とともに観客へと開くことも大切なのではないかと考えたのだ。それをオープンにすることは、「わたしたち」という集合が大きな意味を持つこの作品にとって、きっとポジティブな意味を持つだろう。

プレゼンテーションの様子

10名弱の観客を迎えた発表会は、萩原によるプロジェクトの説明および、今回の滞在制作において実施した内容を説明するところから始まった。そして、これまで、議論に参加してきた横居克典が即興的にデザインした空間の中、俳優2人による30分程度の作品を上演。少しの休憩時間を挟んで、観客を交えたQ&Aを実施した。

今回のクリエーションにおいては南京事件を通じて、「日本人」や「わたしたち」という主体を浮かび上がらせることがひとつの目標であったが、3人という小集団ですら「わたし」が「わたしたち」になることは非常に困難であった。トークセッションでは、この困難さや、集団創作というクリエーションのあり方に関する難しさが話された。また、在日コリアンのバックグラウンドを持つ観客からは「日本人」というアイデンティティに関する問題が語られたり、他の観客からは、ウクライナ戦争を念頭に置きながら、「戦争」という状態が、日常と地続きで襲ってくる状態などについてコメントがなされた。

ディスカッションの様子

とても有意義なディスカッションになったと思うが、一方、一部の観客から男性ばかりが喋っていること、あるいは「言葉」を持っている人間ばかりが喋っていることに対する違和感が非公式に表明されたことは、この先、プロジェクトを展開するに当たって気に留めておきたいポイントだと思う。それは、わたしたちが、この成果発表会を設計するにあたって「そこまで気が回っていなかった」ということばかりではなく、そもそも、舞台作品/その後のディスカッションという形式そのものが、「言葉を持つ者」以外の発言を許さない形式になっていることにも起因するだろう。今後、これを「舞台作品」として作っていくのであれば、上記のような欠点を考慮した上での作品としなければならないだろうし、それを嫌って、舞台とは別の演劇作品にすることも、可能性としては十分に考えられる。

論理とは別の言葉


最後に、「なぜ沖縄で滞在制作をしたのか?」について記す。

その疑問に応えるのはそんなに難しいことではない。早稲田、台湾などでこのプロジェクトを展開してきて実感したのは、このプロジェクトが、わたしたちの持つ「歴史観」の相対化を迫るということだ。これまで培ってきて、知らず知らずのうちに身体に染み渡ってしまった歴史観を少しでも引き離すためには、東京という場所とは遠い場所で行うことがベターであると考えた。そこで、予算的な問題も考慮しながら、沖縄という東京とは少し異なった歴史観を持つ場所での滞在制作を決めた。

その結果、稽古場に遊びに来た現地の人々からは多くの示唆を得ることができた。わたしたちが「日本人」と規定している部分に、彼らは「沖縄人」という概念が組み込まれること、わたしたちが「日本人」と自らを規定するよりも強力に「沖縄人」というアイデンティティが働くこと。あるいは、フィールドワークとしてチビチリガマやシムクガマ、ひめゆり記念館などに赴くと、そこに保存されている「被害者の記憶」に圧倒された。そのような会話や思考は、わたしたちのプロジェクトに強い影響を及ぼした。

チビチリガマ(読谷村)でのフィールドワーク

ただ、滞在制作を行っていくにつれ、そのように言語化することに対する違和感を覚えるようになってきた。この滞在制作を、あまりそういう言葉によって説明したくない。

実は、沖縄に来る前から、すでに滞在の目的を巡って意見の相違があった。上記のような「歴史観の相対化」という目的を掲げる萩原に対して、伊藤新は、「友人がいること」清水穂奈美はこれまで培ってきた関係を耕せることなどを沖縄での滞在制作の理由としていた。「野球チームが沖縄でキャンプを張るのは、温暖な気候だから。それと同じように、『いい場所』だから沖縄で滞在制作をするということでいいのではないか」と、要約するとそのようなことを伊藤新から言われて、私は反発した。それでは「他者」に対して説明することができないのではないか。言い換えれば、私はプロジェクトを展開するにあたって「他者」に対する言葉を求めたのだった。どちらが正解ということもないままに、その話題は、別の話題へと移っていった。

発表会の後、これも非公式な形で、観客から「なぜ沖縄での滞在制作だったのか?」と問われたときに、あまり上記のような説明をしたくないと思った。どこか、そのような言葉にまとめてはいけないのではないかと感じたのだ。その言葉は、どんなに熟慮されたとしても、使う側の一方的な論理でしかないように感じる。結果、「これから探しますね」という返答をしてお茶を濁した。

あらためて、いったいなぜ、わたしたちは沖縄で滞在制作を行ったのか?

わたしたちは、何度目かの沖縄滞在でアーティストのみならずいろいろな知己を得た。そこには在日コリアンもいれば、元自衛隊員もいるし、命に関わる病気と戦っている人もいる。わが街の小劇場という場所に足を踏み入れた友人たちは、密閉されたスタジオ空間とは異なり、とても居心地よさそうに過ごす。そんな気持ちのいい空間で彼らと話をすること。そして、彼らと話をしているところを、別の誰かが見ていること。そうして、何かが起こったり、起こらなかったりすること。わたしたちは、この場所で「活動」のみならず、そのような「営み」を行ってきた。

わが街の小劇場

この営みには、近代以降の芸術が前提とする(想像上の)他者、あるいは「観客」という存在は登場しない。客観的な視点からその意味を語ったり、評価を下すことはできない。けれども、そのような実在しない「他者」を前提とすること、あるいはそれに向けた言葉を用意することに、はたしてどのような意味があるのだろうか? むしろ、それを目指さないことによって、南京事件という歴史問題を取り扱う上でも別の可能性が見えてくるのではないか(南京事件を巡る論争の多くは、評価と評価の衝突である)。そのとき、他者を説得するのは「歴史観の差異があるから」という理屈ではなく、「大きな窓があるから、わが街の小劇場で滞在制作を営んだ」という言葉によってではないだろうか。

きっと、それは、わたしたちがこのプロジェクトにおいて、これからどのような形式を選択するのかにも、あるいはひとつひとつの言葉を、どのように「使う」のかについても、大きく関わる問題だろう。

当初は、今回の滞在制作を通じてプロトタイプをつくり、来年には本公演という形でお披露目したいと思っていたのだが、まだプロセスを経る必要がありそうだ。何年かかるのか定かではないが、引き続きこのプロジェクトを育んでいきたい。

CREDIT

新作公演のためのワークインプログレス
期間|2023年5月8日〜21日
会場|わが街の小劇場
クリエーションメンバー|
萩原雄太、清水穂奈美、伊藤新
横居克典
協力|アトリエ銘苅ベース、小澤いぶき、Beri Juraic
助成|公益財団法人セゾン文化財団

The workshop presentation at the 15th Colloquium of Asian Theatre Working Group - IFTR in Taiwan was funded by  North West Consortium Doctoral Training Partnership, part of the Arts and Humanities Research Council


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