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コンクリートの梁をはじめ、すべてがモダン/日本聖公会 東京聖三一教会 vol.02
世田谷の丘の上、白く美しいモダニズム建築の聖堂がある「東京聖三一教会」。内部もまさに「昭和のモダニズム」といった造りです。
空間にいたるところに感じるモダン
ご覧ください。この直線と曲線が見事に融合した梁を!
信者さんのお話しによると、コンクリート打ちっ放しの工法が出はじめた直後にこちらは建設され、昔はクラック(ひび割れ)が入り、水漏れしたこともあったそうです。
祭壇の真向かい2階にはパイプオルガンも置かれています。
2階のスロープも打ちっ放しの風合いを生かしていて白壁とのコントラストも目を見張ります。
また聖堂の側面は、窓と壁に少々「山・谷」といった具合に角度をついています。これは音響効果を高める目的があるそうで「賛美歌なんかとてもよく響くのよ」と信者さん。
窓枠にはこちらの十字架の塔(こちらをご覧ください)に通じるような模様がありました。○や△、□といったモチーフと線のコラボレーション。「聖三一教会」、つまり三位一体の意味合いが込められている造形ではないか、とのこと。それにしても、令和のこの時代に鉄のサッシにお目にかかれるとは! ちょっと感動です。
このコンクリート打ちっ放しの空間に、少々柔らかさを与えているのがこのペンダントライトでしょう。なんでも水銀灯で「明るくなるまでにちょっと時間がかかるのよ」と信者さんが教えてくれました。
青山にあった教会
こちらの創立は1889(明治22)年。東京・築地の外国人居留地にてアメリカ人宣教師によって建てられた教会が始まりです。築地で38年間活動を行った後、引っ越した先が青山南町(現在の一丁目)。「青山ツインビルのところに元々あったのよ」と信者さん。
なんでも当時の青山の土地は宮内庁管轄であり、1964(昭和39)年の東京オリンピック開催による道路拡張によって、1960(昭和35)年、現在の世田谷区に引っ越しとなりました。その時、麹町にあったインマヌエル教会と合同した、という歴史があります。
この壁際の祭壇や、ベンチ(信者さんは『ピュー』と呼んでいらっしゃいました)は青山時代からのもの。
ベンチの脇にも装飾があり、
有機的な印象を受けました。
コンクリートの空間に歴史をつなぐ木製品の数々。
どちらかといえば大きな聖堂。世田谷の丘の上、眺望も素敵な聖堂は、内部も目を見張るものがたくさん。随分長いことベンチに座っていました。
date: NOV 22,2020