【最近のマンガ話#2】池辺葵「ブランチライン」、または、社会とは値札である
メインのブログに書いた記事からの転載です。
池辺葵「ブランチライン」の1巻を読んだ。女性ばかり4姉妹の家族を描いた物語でとても素晴らしいのだけど、この記事ではまた本筋とは関係ないところを紹介したい。
主人公姉妹のひとりがはたらく職場に後輩の若い男性がいる。彼が自分の過去を回想するシーンで、両親の会話が描かれる。どうも彼の父親は前妻と離婚して彼の母親と再婚したようで、前の家庭の子どもに対する養育費の話を両親がしている。
その会話の吹き出しをバックとして、キッチンに置かれたローストビーフが描かれている。で、そこには「¥2,560」という値札がついている。
これ、直接的な説明を一切していないのに、この男性がどんな家庭で育ったのかが一発で分かる表現で、スゴいと思った。
池辺葵のマンガには、具体的な「値段」がよく出てくる。「どぶがわ」という作品では、あるスーパーで買い物をしている主婦らしき女性二人組の横を、主人公である老婆が通る。二人組は「奥さん見てアボガドが安いわ」「ほんとね」という会話をしている。老婆が棚をのぞきこむと、アボガドには一個あたり「¥198」という値札がついている。コマが切り替わると老婆の買い物カゴになって、「128円です」という店員の声。中に入っているのはもやし2袋と絹豆腐だ。これも、「格差」といった説明は一切無しで、マンガの舞台がどういう街なのかが分かる。
また、20代の居酒屋勤務の女性がひとりでマンションを購入するマンガ「プリンセスメゾン」では、値段そのものが作品の重要なテーマのひとつだ。年収270万円の主人公は貯金を貯めて、物件価格2,500万円の柴又の45㎡のマンションを頭金300万円の35年ローンで購入する。売買契約書と資金概算表が見開きページ全部を使って描かれる。
こういう値段のディテールを出す表現って、向田邦子とかの本でも読んだ気がして、実は日本の随筆(エッセイ、ではなく)の伝統なのかもしれない。「ブランチライン」の中で主人公のひとりが仕事についての持論を語った後に「それが私が社会で生きていくってことだと思っている」というセリフを言う。モノの値段とは社会の意思と欲望と理性と配慮の縮図だ。池辺葵のマンガは値札を使って人物と社会との関係性を表現するのがとても上手いと思う。