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エロスとアプロディテの母子関係

新国立美術館で開催中の「ルーヴル美術館展 愛を描く」を鑑賞後、勝手に広げて調べてみたシリーズ。第2回です。

今回は、ギリシア神話を読み返してエロスとアプロディテの誕生とその関係を整理してみました。

前回と同様ですが、
エロス:クピド=アモル:キューピッド
アプロディテ(アフロディーテー):ウェヌス:ヴィーナス
それぞれギリシア語:ラテン語:英語での呼び名です。

本題に入る前に、国立西洋美術館の常設展でみてきたブロンズ像を。

コルネイユ・ヴァン・クレーヴ《ウェヌスとクピド》
1700−1710年 国立西洋美術館
弓を掲げて腕に手をおきながら母を見上げるクピドの愛くるしさよ!
「やったよママ!またカップル誕生だ!」「まぁ、クピドちゃんはお上手ね。」


エロスとアプロディテの誕生

まず、エロスはいつ誕生したのかを確認してみました。
その誕生にはおおまかに2つの流れがあります。

一つは、原初に「カオス(混沌)」が生じた次に「ガイア(大地)」「タルタロス(冥界の深部)」と共に生まれた古い神であり、父も母も持たないとするもの。
ヘシオドスの『神統記』はこちらのタイプ。また、アリストパネスは受精していない卵から生まれたとしています。

もう一つは、エロスには親がいるよ、というもの。父親として取り上げられているのはゼウス、ヘルメス、ヘパイストス、ゼピュロス、アレスなどなど・・・!!!
いったい誰が本当の父親なのでしょうか。これではいつ誕生したかという時系列の整理はできません。母はアプロディテです。

続いてアプロディテの誕生。
こちらも大きく2つの流れがあるようです。

一つは、ヘシオドスの『神統記』にあるように、ウラノスの陰部が切り落とされて海に投げ込まれ漂流したのち肉塊から湧き出た泡の中から誕生した、というもの。

もう一つは、これもまたアプロディテには親があるというもので、ゼウスとディオネとの間の子どもだとなっています。私が読んだホメロスの『イリアス』とギリシア神話をベースにラテン語で書かれたオウィディウスの『変身物語』では、この親子関係は周知の事実といった風で突然出てきます。
また、アプロディテの母とされるディオネさんは、彼女自身の両親についてウラノス&ガイアの娘、オケアノス&テテュスの娘など出生不明なかんじ。


エロスとアプロディテの母子関係の謎

二人の誕生諸説を整理すると、次にはエロスアプロディテが親子なのはどこからどうして?というギモンがわきます。参考になりそうな解説が事典にありました。

古典期にはエロスは愛の神とみなされ、ローマ人のクピドと同一視されるが、混同してはならない。(中略)彼の父はゼウス、ヘルメス、あるいはまたアレスであるかもしれないが、母はアプロディテである。アプロディテはエロスを自分の共とし、未来の夫たちを近づけるためになくてはならない誘惑の道具にエロスを使っている。

ジャン=クロード・ベルフィオール『ラルース ギリシア・ローマ神話大事典』p228

「ローマ人のクピドと同一視されるが、混同してはならない」の言葉は前回の記事内容と違ってきてしまうので気になりますが、その意味するところはいずれ理解できるか?ここは保留して先に進みます。

「アプロディテはいつもエロスを自分の供と」するという点については、母と子のように切っても切れない間柄にあるという関係性を示しているようです。
ヘシオドスの『神統記』では母子関係にあるかどうかについては書かれていません。しかし、アプロディテが泡から誕生した場面にエロスがつき添う様子が書かれています。

さてエロスがつき添い 美しい欲望ヒメロスがお伴をした 彼女アプロディテ

はじめて誕生し 神々のやからの仲間入りをなさるにあたって。

つぎのような特権をはじめからこの女神は得ておられたのだ

この持ち分モイラ

人間どもと不死の神々の間で授かっていられたのだ。

すなわち娘たちの(甘い)ささやき 微笑えみと欺瞞

甘い喜悦 情愛と優美がそれである。

ヘシオドス『神統記』p31

父ゼウスの肉塊から単独で誕生した場合にも、その傍らにエロスがいたと語られるヘシオドス『神統記』と、父が誰であるかはともかく母子であることが周知の事実のように語られるオウィディウス『変身物語』からは、アプロディテとエロスそれぞれの象徴するものが重なり合って、ある点では不可分な関係にあることを意味していて、それが図像として表されているということでしょうか。

とくに『変身物語』は古代ローマ人が崇めてきた神々をギリシア神話の神々と同一視するようになってから成立したものだから、『変身物語』を主題の典拠にアプロディテとエロスを母子で描いたのは自然なことと思われます。


エロスといえばプラトンの『饗宴』:ほんの少し蛇足

プラトンの『饗宴』はお題がズバリ「エロス」について。
それを思い出して読み返してみると神々の名前がわんさか出ているではありませんか。たしか哲学のレポートのための付箋が貼ったままで「男女両性者アンドロギュロス」について調べていた。なんだろう?すっかり忘れています。
ギリシア神話を一通り読み終えた今は、あの時よりも神々の話がわかる分だけより理解できる気がします。

その『饗宴』のなかに、しっかりエロスとアプロディテの名前が出てきていました。
ソクラテスたちもヘシオドスとホメロスを読んでいてその名前を引用して語っている。現代の私が同じ本を読んでふむふむと頷く。なんか嬉しいものです。

『饗宴』ではパイドロス、パウサニアース、エリュクシマコス、アリストパネース、アガトーン、ソクラテスの順にそれぞれが「エロス」について語りますが、パウサニアースはアプロディテは二人いるので当然愛の神エロスも二人いるという自説を展開します。

一方のアプロディーテーは、齢も高く、母はなく、ウラノスを父とする娘、したがって、そのかたを僕たちは、天の娘ウーラニアーという名で呼んでいる。これに対し、より若いほうのアプロディーテーは、ゼウスの神とディーオーネーの間の娘で、したがってこのかたを僕らは、地上的パンデーモスな女神と呼ぶ。

プラトン『饗宴』p 33

このように、ヘシオドスとホメロスに書かれた経緯の違うアプロディテの誕生が出てきます。そして、

さて、アプロディーテーが愛の神エロースと切り離しがたいことは、僕たちの皆知っていることだ。

前掲書p33

と言ってここでアプロディテとエロスがつながります。「皆知っている」と言われましてもちょっと存じ上げないのですが(笑)、そういうことだそうです。この時代から、すでにアプロディテとエロスは結びついているということは確認できます。

さらに、地上的なアプロディテから発する愛の神については

この愛は、とるに足らぬ人びとの欲するものなのだ。つまり、この種のくだらぬ人びとは、第一に少年を愛すると同じように女性をも愛する。次に、その愛する者の魂より肉体を愛する。さらに、できるかぎり、知恵なき愚者を愛する。

前掲書p34

と言っており、天上的なアプロディテの発する愛の神については以下のように語ります。

まず第一に女性には関係せず、ただ男性だけに関係している。(中略)より齢も高く、激情の放縦からは遠い。かかるアプロティーテーの性質ゆえに、このアプロディーテーにつながる愛の息吹いぶきをうけたものは、生まれつきより強きもの、より知性ゆたかなる者を愛して、男性に愛を向けるのである。

前掲書p35

ここで注意すべきは、『饗宴』では古代ローマ市民の男性成人から男性未成年に対する「少年愛」が語られているということです。当時はそれが当然でありなかば義務のようなものであったということです。いわゆる男女間の「愛」による結びつきという考えはなくて、それはむしろ「徳」による結びつきといった考えであったことを念頭にみてくださいね。

ソクラテスの時代に、
①それ以前に書かれたヘシオドスとホメロスの引用からエロスとアプロディテの誕生と.関係性について二通り考えられる
②当時の習慣上、ゼウス単独で誕生したアプロディテを両親のあるアプロディテより上位に置いている
この二点を確認できました。
そして、地上的な愛はいわゆる男女間の恋愛を含むもの、天上的な愛はもっと高次で知的な愛を意味している、ということも読み取れるかと思います。

キリスト教にはエロス(恋愛)、フィリア(友愛)、ストルゲー(家族愛)、アガペー(無償の愛)の四つの愛がありますが、それがどのような経緯でギリシア語なのか詳しくわかりませんが、「少年愛」をさし引いて読み解くと、古代ローマ人たちの考えるエロスがキリスト教の四つの愛に何がしかの影響を与えたのだろう、とは推測できます。すっかり私見ですが。

こんな風にエロスとアプロディテについて哲学、宗教、芸術などでさまざまな解釈がずっと続いている、という事実じたいに感慨深いものがあります。


今日はこれでおしまいです。神話画をみるのがますます楽しくなってきました。



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