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思考停止状態から自分の足で立つまでのことについて。

どうも初めまして。始めました、note。

何かを訴えたい、伝えたいという気持ちも年を重ねるごとに徐々に無くなっていき(良い意味で大人になったのか?)、目の前の出来事をただ処理しているような生活を送っておりますが、この度尊敬する先輩の勧めもあり自分というものを言語化してみようかなと思い立ったわけであります。

プロフィールに載せたものが自分を構成する軸のようなものかなと考えていますが、以下に少し自己紹介を。

「風の谷のナウシカ」が公開された年に神奈川県の某下町に生を受ける。出産予定日より1か月早く破水し、急遽帝王切開で出産、そのまま保育器へ。(病院で破水してなかったら死んでたらしい)

その後発育に問題はなかったが、活発を通り越して問題児に成長。(わざと迷子になって親を困らせたり、予防接種をした医師に駐車場の石を投げつけたりetc)

小1で隣の市に引越しし、30歳ぐらいまで過ごす(高校は市外、大学は都内)。小学校から30歳ぐらいまで大分ざっくりしてるなと思ったかもしれないですが、タイトルにあるように自分の足で立っていなかった時期なんです。

私のバックボーンとしては、両親が某宗教を信仰している家庭に生まれ、出生前から自分の信仰が決定しており、当たり前のように宗教的教育や行事などに接する環境の中で育ってきました。

物心つく前は集まりに参加するだけで周囲や親から褒められたり、同年代の友達なんかもいたりして楽しんでいましたが、中学、高校と思春期を経ていく中で普通の家庭とは違うなということは感じていました。それでも、よくわからないけど周りもいい人だし、親も一応は好きだし、その宗教の模範的なモデルになることや周囲の期待に応えることが「正解」なのではないかと疑いませんでした。

その後大学に進むも色々ありまくり(まだ書ける心境ではないので気が向いたら書くかも)、就職も4年生最後の年が変わる間際に適当に決めた会社に行きました。そこから薄々感じてはいましたが、現実に打ちのめされ1年を過ぎた辺りで燃え尽き、休職から復職を試みるも2年で退職。丁度リーマンショック真っ只中で、社会的にも政治的にも殺伐とした空気感の中、あの3.11の震災でした。

僕は今まで真面目に自分を犠牲にしてまでも人のためや仕事をしていたのにどうしてこうなったと。理由が分からず、足元が崩れていく恐怖は今でも覚えています。

その頃は辛うじて食事やトイレなどの最低限の生活のみで殆ど寝たきりの生活を1年ほど続け、精神状況も今思うとかなりぶっ飛んでいたなと感じます。(普段支援してる利用者さんのこと言えないぐらいです)薬の副作用で体重が10キロ以上増え、顔もパンパンでした。インターネットや本も憑りつかれたように読み漁り、独自の考えや名案(偏りまくり)を家族や主治医などに話すものの当然理解されなかったし、両親も関わろうともして来なかった。

一番しんどかったのは「こんな風になるなんてお母さん信じたくない」と言われたこと。今でも傷ついてます、少しだけ。結局条件付きの愛情なんですか?と言いたくなった。まあ、今となってはどうでもいいレベルだけど。

この辺を境にさらに10年ほど確執というか、冷戦状態は続きますが長いのでまたどこかのタイミングで書けたら。とりあえず自分のことや幸せは結局自分にしかわからないし、正解も何もないっていうことが分かり、自転車の補助輪が外れたというわけであります。




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