父の失敗の多い人生41 ~続・コミュ障が治らない父4~
ゲームのやりすぎと出張のしすぎで、生活のリズムが崩れて大変だったかもめです。ほんとに、自分のはまり症がやばい・・・
イライラするほど、ゲームしないでほしい・・・ほんとに。
あとは、なんか流行りのマイコプラズマというものが、息子君からうつってしまい、2-3週間咳が止まらないというびっくりな事もあり(咳で寝れないというか、起きるという経験を初めてした。)
人生いろいろあるなーと思っております。
ではでは、本日も書いていきたいと思います。
初めてきたモテ期!!大学3年生時代
昼夜逆転のチャラチャラした生活と、テニスサークルの中での宴会キャラが板についてきたころに、それまでの非モテの僕からは想像ができないくらい、キレイな女の子と付き合う事ができるようになります。
※つい先日、久しぶりに、仕事の関係で再開する事になるのですが、相変わらずキレイだった、、、笑
ただ、その子とは、僕の実力不足もあり、長続きせず・・・。
(いやー、、、あの時は本当に悪い事をした・・・。スイマセン。)
その子から乗り換えるような形で、付き合う事になったのが、学生時代一番好きになったと言える後輩でした。
もう、20年くらい前の事だから、きっかけなんかはあまり覚えていないけれど、すごく優しいのに、テンションが素敵で、笑い方がかわいい子だった事を覚えています。
当時は、お互いの下宿先も近く、よくバイト終わりとかに、彼女の家に転がり込んで、朝に一緒に学校に行くという様な事もしていた気がします。(おかげで、破綻していた生活リズムがだいぶマシになったと思います、笑)
特に、劇的なデートがあったとか、劇的な事件があったとか、そういう事でもなく、そんな感じで、1年間くらい一緒にいてくれて。そういった平和な時間が僕の中ではすごく新鮮で、幸せだったんだと思います。
まだ、20そこそこで、そんなわけはないんですが、笑。この人と結婚したいなーなんて思った事もありました(恥ずかしい)
で、4年生になったタイミングから、すこしギクシャクしはじめたんだと思います。4年生になっても、新歓とかの盛り上げ戦力として呼ばれ、調子にのっていたんだと思います。
当時の新入生からも、けっこうモテて・・・。そういう事になってしまいます。
いまになって思えば、これが彼女にも伝わっていたんだと思いますが、そのときは知らないふりをし続けてくれていました。が、やっぱりギクシャクはしてくるもので、僕が大学院入試だ、学生起業だ。なんてバタバタしている間に、彼女のこころは離れて行ってしまいました。
と、いう事で、これはこれで、自業自得で仕方ないのですが、、、
話は、これだけで終わりませんでした。
コミュ障の非モテが、急にモテ始めて、調子に乗ると、こういう事が起きるという典型的な事が起きたので、このしくじりについて次回書いていきたいと思います。
では、また。