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失敗の多い人生を、誇りに思う⑬ ~メンタル疾患だった父1~
あぶない、あぶない!! 月に2本のノルマでいくと、今日が最終日!!!
4月はとんでもなく忙しくて、若干、バーンアウト気味だったけど、ここでゴールデンウィークが来てくれて本当によかった。
自分のこれからを見つめ直す時間が取れたし、余裕が全然なかった4月の振り返りや、5月の目標設定等もすることができた。ほんとギリギリセーフという感じ。
というのも、先週くらいから歯が痛くて、、、2日前に親知らずを抜いた。疲労で歯茎が腫れているとの事で、ご飯を食べてもおいしくない、、、。忙しい×体調を崩すと、心がとっても弱くなることを久しぶりに体感したよ。トホホ…
という訳じゃないけれども、今回からは、僕が昔、メンタル疾患になった話をしようと思う。いやーーーー、ブログのラインナップを振り返ってみて、自分でもビビるけど、貧乏・いじめ・コミュ障ときて、メンタル疾患。なかなかハードな人生生きているなと(笑)
よく、いまあっけらかんと生きているなと思うけれども、そういった背景とかも含めて、いつかこの文章を息子が読んでくれたらいいなと思って書いていきたいと思います。
メンタル疾患の前夜。サラリーマンになった父。
2011年4月。僕は、京都にあるとある大学の大学院を卒業し、社会人になった。理系だった(しかも、素粒子物理学とかやっていた)僕には無縁のはずの広告業界。
なぜ、広告業界で働く事になったのか?から話を書いていきたい。
もともと、僕にはいくつかの夢があった
・小説家になりたい
・ロボットが作りたい
・お医者さんになって、人を救いたい
・遊戯王みたいな3Dホログラフ体験をつくりたい
などだ。
ご存じの通り、小説家は文章を書く事が苦手なので断念。
お医者さんは、血が無理なので、早々にあきらめて、笑
ロボットは、「AI」という映画で、泣きすぎて。。。
僕はこんなさみしい思いをロボットにさせてしまう事の手助けはしたくないと思った。笑
だから、数学が得意だったこともあって、光の研究をしたいと思い、
将来のユメは「学者」になる事、だった。
ドラえもんの秘密道具を作って、いまだかつて見た事がない世界を生み出す!という仕事に就きたかったのだ!
けれども、、、
また、これはこれで、トピックとして取り上げたいのだが、、、
望んでいったはずの、大学の研究というものは、全然楽しくなかった。
1年、2年の時は大学生活自体の方が楽しかったので、仕方ないのだが
3年では、必死に勉強し(留年しそうだったからw)
4年では、もう学力としてはある程度追いついていた。
また聞いたところによると、大学院入試は、TOPの成績でパスしているらしい。
それでも、楽しくなかった。
だから、僕は、4年生のときに、学生起業するんだけど…
それは、また別の機会に置いておくとして、
その経験から「お金の流れを作り出す過程で、得られる経験がとっても刺激的である」という事に気づいてしまったんだよね。。。
つまりは、僕がやりたかった事は
・見た事も聞いた事もない体験をしつづける事だし
・それをみんなにも共有したいという事
もうちょっと砕けた表現をすると
・ドラえもんの秘密道具の部品を作る仕事じゃなくて
・ドラえもんの秘密道具があったらこんな世界ができるを創造する仕事
というなんだなぁ~~と。
という事で、エンターテインメント業界ばかりを就活ではエントリーし(いちお、早期内定を出してくれるコンサルなどで保険はつくりつつ…)、その中で内定をいただいた、今の会社に行く事になった。
じゃあ、会社の中で、いきなりやりたい事ができたのか?というと、まったく、そんな訳はなく、笑
まぁ、それは次回の話で。
それでは、また。