Enough said 〜 自分語りと自分説得のハザマ
自分自身が自分の決断に迷ってない人は、自分の決断をうだうだ説明しないなぁと思います。カウンセリングをしていると、そうでない方は私に長々と釈明します。ちょっとでも疑問を挟もうものなら、かなり、
(ネコで言う)「しゃー」となることがあります。でもその中で自分自身をも説得できず、気づいて違った考えに思いをめぐらす方もいます。カウンセリングはある意味それが目的のようなところもあるので、それはそれでハッピー。
でも日常生活において、やけに虚勢をはる人がいます。それがなぜ虚勢とわかってしまうのかといえば・・・
策士策に溺れるではないですが、言葉多き人は時として自分の言に溺れてしまうと思うのです。
また、それを聞く方も、自分釈明や説得を、ついそのまま理解しようとしてしまいます。振り回されたり、悩んだりすることもあります。私は、きちんと見分けられるかな。この人の体幹、ぐらくらしていないかな?字面ばかりを追ってしまって、大きな構図を見失っていないかな?
自分釈明や自分説得が悪いとは全然思いません。でもそれをしている時に自分をちょっと距離を置いて見られるようになると、実は解決策はシンプルだったりすることもある、と言うのがカウンセリングからの学びのひとつです。