外来種ザリー/エッセイ
青いザリガニを飼っていた。
私がまだ、ローズピンク色のランドセルを背負っていた頃の話である。
性別も分からないので代名詞の選びようがない。
ザリガニに名付けた『ザリー』という安直な名前を使わせてもらう。
確か、ザリーは近所の土手で釣ったのだと思う。
私は田舎に暮らしていたので、電子機器に囲まれるよりも自然に囲まれて放課後を過ごすことが豊かだと心から思っていた。
正直、今もそう思っている。
時々は近所の老人たちの家を手伝って、老人しか買わない洒落た美味しい菓子を褒美にもらうことも大好きだった。
大きな森と流れる水に囲まれた広大な土地を、子どもだけで歩いた。
上級生が先導して、まるで自分たちだけの景色であるかのように遊んだ日々は、今も目を瞑ると鮮明に浮かぶ。
稲穂が風の通り道を見せてくれた美しい時代を思い出せる。
大人から解放される、自由な時間だった。
さて、ザリーは元々真っ赤なアメリカザリガニだった。
私はその頃から環境問題に興味があり、ザリーが『外来種』であることにネガティブな気持ちを抱きながら世話をしていた。
お前のせいでニホンザリガニやメダカは苦しいのだ、と恨んでいた。
しかし、そんな愛のない世話に転機が訪れる。
ザリーが3度目の脱皮をしていたのだ。
藻が生えまくり、水の濁った水槽で知らぬ間に頑張っていたザリー。
何度、「水槽が匂う」と母に怒られただろう。
そして二日後に、ザリーは真っ青に進化した。
「げえ、気持ち悪い。こいつあ病気だよ・・・」と悲しむ私の隣で、父は小学生のように「こりゃすごいなあレアだ!しっかり育てろ。」と言った。
父の弾む声に隣の本物の小学生は「ふむ、レアなら金儲けになるのかな。最高値になるまで育ててやろう」という具合であった。
それから、ザリーの水槽はいつ見ても透明であった。
全ては金儲けをするため。
その金で小さな家を買ってそこで犬を飼うと密かに計画していた。
ザリガニ一匹売れたところで、皮算用もへったくれもない。
脱皮したザリーの皮膚を数えたほうがマシである。
私は、雑木林のツルでターザンごっこをすることや流行りの一輪車を練習するよりも、真っ先にザリーの世話をした。
うっかりさぼった日は、冷や汗が出るくらい本気にした。
段々と愛着が湧いてきて、撫でたり一緒に日光浴をするようになった。
名前を呼ぶと、何となくハサミを振って返事をしている気がした。
そうして、外来種ザリーは順調に脱皮を繰り返して、父の下駄ほど大きく育ったが、カラスに食われた。
さぞ食べ応えのある食事だったはずだ。一軒家を購入できるほどの価値がつく予定だったのだから。
その数日後に、私は性懲りもなくザリガニを釣りに出掛けた。
目的は在来種の敵、アメリカザリガニである。
「メダカを守り金も儲けて私は本当に天才だよ!こりゃトッキョで儲けて環境大臣まっしぐらだね」と思い立ったからだ。
「あんたが将来金持ちになる見込みはメダカの体長ほどもない」と当時の私に言ってやりたい。
土手に向かう途中で同級生たちからシール交換に誘われた。青いザリガニの儲けよりも、ブロックシールが欲しいお年頃である。
棒切れで作った釣り竿を放り投げてシール帳を片手に広場に向かった。
今はブロックシールを十袋もやるから、新しいiphoneと交換したい。