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くだらない朝の話/エッセイ
先日、私は生まれてはじめて微睡もうたた寝もあくびも無しに、完全無睡眠で朝を迎えた。これは私史上では天変地異であるので記したい。
私の人生は「睡眠」が全ての中で頂点に君臨している。空腹でも余裕で眠れる。修学旅行もカラオケ大会も遠足のバスも全て眠る。
別につまらないわけではない。
睡魔が襲ってきた時に、睡眠に勝る存在が私の世界にはまだ無いだけの話しである。
さて、そんな私が起きたての毛並みがボサボサで目を瞬(しばた)かせている愛猫の隣で、目をギャリギャリにして朝焼けを眺めたのはわけがある。
私は昨年暮れに、久しぶりに実家に戻ってきた。風呂も食事も勝手に揃う極楽生活を送っている。ありがとう父よ、ありがとう母よ。広い家に愛猫も大はしゃぎの毎日だ。
母はこの世の全てを包括できそうな程に大らかで前向きな性格で、声を荒げたことは一度たりともない。しかし、私は母ほどに波瀾万丈な人間はなかなかいないと考えているので、時々声を荒げて他人を困らせたらいいのにと思っている。
新米社会人の弟は、東京から実家に帰ってきた。素直で努力を惜しまず真面目な性格である。根が明るいのに表が暗いので、根気強く付き合わないと彼の良さは分かるまい。ただし、私とは血の繋がりを感じないほどに顔面がとても整っているので、性格に難ありだが人々からは好評である。
最後は父だ。絵にかいたような昭和の親父。雰囲気を形容するとしたら『もしかしたらカタギじゃない・・・?』である。普段は真面目で家族を笑わせようと頑張ってくれているのだが、酒を飲んだ日が悪いと、それはもう『火事と喧嘩は江戸の華』みたいな状態になってしまうので手がつけられない。
その晩はこれが大アタリであったので、大変な騒ぎであっちやこっちに傷だらけのローラという感じである。(西城秀樹は世代でないしマトモに聴いたことないが曲名の響きだけは幼少期から気に入っている)
きっといつか恋愛遍歴について書く日がくると思うのでその時に詳しいことは記すつもりだが、私は男と話す時にかなり神経をすり減らしている。
特に騒がれるとたまったもんではない。
なので就寝時間はとっくに過ぎているのに目が冴えてしまって、明け方までちびまる子ちゃんのアニメを視聴して「さくらももこ先生のエッセイのあのエピソードが基だな。まる子は少しアレンジしているんだね」と思ったり、暗くて何も映らない中でカメラの勉強をして無駄にフラッシュを焚いたりした。ずっと布団に寝ころんでいたのに眠くならなかった。
睡眠はこの世で最も尊いのだが、こういうわけで眠れずに朝を迎えたというわけだ。恐怖という感情があった。学生時代に社会科の先生から聞いた断眠刑によると、七日位経つと死ぬらしい。ああ、私はこのまま眠れなくなって来週死んでしまうのかしら。と夜は本気で心配になった。
これは、宛ら『ストライキバイマイセルフ』ということになる。睡眠という私の最も尊い仕事を自ら絶った。雇用主も労働者も私なのでとくに抗議の必要はないし、何も生まれない。虚しいことである。
「昨日一睡もしてないんだ〜」という自慢話を小中学生時代に呆れるほど聞いたし、それができずに笑われて少し悩んだこともあったのだが、こんな事であっさりと達成してしまった。
「今日もいい陽気だね。私は昼に来るであろう睡眠波が怖いよ」と睡眠し続ける猫に吐露して、記憶の鮮やかなうちに記録をした。人生記録としてこのくだらない出来事を記したあの朝はきっと永遠に忘れられない。
それでも私は父のことを流行りの『毒親』だとか『親ガチャハズレ』だなんて思わない。個人的な意見だが、そもそも親がどれだけ酷くても、こんな稚拙な言葉を作って子どもたちに安易に言わせる風潮が私は気持ち悪いと感じている。
そんな私は、弟の冊数を何倍も上回るくらい作られた、私の成長記録アルバムに挟んである写真を見れば、父は不器用で本当は弱い人なのだと許せる。
写真の中の小さな私はいつでも笑っているのだ。
思い出してみると、父はいつでもカメラを片手にもって、あちこち遊びまわる私や弟を追いかけていた。当時のカメラはかなり重量があった。
子どもというのは人の本性を見抜くことが大変上手であるし、私はその才能が人一倍あったが、嫌がっている写真は一枚もなかった。
これが何より「父の愛情が深い」証拠である。
もうすぐ定年退職を迎える父は、私だったら死んでいるくらい休みなく働いてきたし、立派な家も建てて母はずっと専業主婦である。私も弟も充分な教育を受けて、好きな場所で好きなことを沢山させてもらった。美味しいものをいっぱい食べた。ついこの間もちょっといい温泉に連れて行ってくれた。
だから、父は定年退職したら、休みの日に社用携帯から後輩たちの泣き言が聞こえることもなくなるのだし、ドライブやカメラなどを今度は自分のために始めると良い。そうそう、もう行かなくなった家族旅行、久しぶりに行こうよ。私や弟の金で行こうよ。ちょっと私が多めに出すからさ。
それから、結婚後ずっと続いている弁当作りから解放された母と二人で、温泉やら植物園やらを回る旅に出て「お母さん、暫くあんたと住もうかしら」なんて言われたい。私の最も愛する人はお母さん。だからこそ沢山衝突してしまった過去もあるけれど、「暫くじゃなくて一生でもいいよ。いつだっていちばん家族を支えていたのは、お母さんだからね。これからは自分の好きに生きてね」と伝えて抱きしめたい。
未だに私を「姉ちゃん」と呼んでくれる弟もたくましくなって、最近の私は姉ちゃんのくせに説教されてばかりである。貯金も弟の方がある。家族親類からの信頼も弟の方が厚い。これは、渡り鳥のようにあちこち心の赴くままに行動している姉とは真逆に謹厳実直な弟なので、納得する他ない。
父は苔が生えてる立派な桟瓦屋根。母はどんな天気も映す大きな窓。弟は手入れをすればするほど素直に成長する庭の芝生。私は季節の匂いや陽気を届ける風。この家族は例えるとそんな感じである。
窓を開けてもらったり誰かの服にくっつかないと内に入れない、というのが姉弟をうまく表わせていると思う。
きっと家族がこのエッセイを読んだら笑うだろう。
父はちょっと怒るかな。クワバラクワバラ。
集えばやっぱり笑顔が多い家族なのだ。
どんな時も私はお道化ていたい。
「三人が笑ってくれたらそれでいい」と、一人ひとりが、想い合っている。
それから猫も。