船はゆっくり滑りだす。
初夢、見ましたか?
去年の暮れに近所の神社で大祓の形代を納めたところ、いただいたのがこの紙。
この「宝船」を枕の下に敷いて、次の和歌を三回詠むと素晴らしい初夢が見られるのだとか(ちなみに、この和歌が回文だというのを後で知りました)。
こうした縁起担ぎには素直に乗る私。今年の元日は大開運日だというので、このnoteも始めた訳で。さらに宝船にも乗って、幸先良い一年をなんて思っていたのですが。
ご存じの通り、1日には北陸で震災が。2日には羽田で飛行機事故が。開運なんてどこ吹く風。年が明けて立て続けに災難が起きたのは、生まれてこれまで記憶にはなく。
そんな中で、さて、どんな記事を書けばよいものか。書いては消してを繰り返し、気づいたら1月3日。本当だったら、せっかく始めたこのnote。せめて最初の一か月は毎日更新するつもりだったのに。
自分が何か書いたところで、なんて思ってみたり。
書きたいのに、書けない。いや、書きたかったけど書かずにいたという話は前回の通り。今回は、もう少しその辺りについて話をしたく。
書くことを避けていた一番の理由は、一言で説明が終わります。
はい、そうです。面倒くさいのです。
これまで何度かSNSやらブログやら始めてみたものの、書くことの楽しさが面倒くささを上回ることなくフェードアウト。今度こそはと新しく始めても長続きせず。
自分がわざわざ書かなくても、世の中にはいくらでも情報があふれている。書きたいことだって、すでに誰かが書いている。もっと詳しい誰かが、もっと詳しい内容で。
書けない自分を直視しないよう、書きたい自分にフタをする日々。ただ、もともと考え事が好きで、何も考えないことができないタチでもあって(下手したら自分と会話する始末)。
そうすると自分の中に、どんどん「考え」がたまる一方なので。もう、いいかげん、どこかで外に出していかないと淀んでいくなと。
書くと決めたらイヤらしいもので、せっかく書くなら一つのジャンルに絞ってブログを書いて、アフィリエイトで一儲け。なんて思いも芽生えたものの、いかんせん、長続きしないことも重々承知。
まず自分が乗り越える課題は「続ける」こと。だからジャンルを絞らず、書くことにカラダもココロも慣らしていこうじゃないかと。
誰かが書いたものと同じネタでも構わない。もしかしたら、誰かの役に立つことだってあるはず。そうして書いていく中で何か鉱脈が見つかれば、そこにフォーカスするもよし。
とにかく気負わず、気楽にと。自分に言い聞かせて。
ちなみに私を載せた宝船の行く先は、なぜか韓国でした。行ったこともなければ、行きたかった訳でもないのに。もしや前日の「紅白歌合戦」の影響なのかも?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?