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東海道を歩く(山科~逢坂峠)前編「車石」

昨年末から車石の事を調べていて、山科~逢坂山までの間はまだ歩いていなかったので、お出かけ。

車石の上を進む牛車 
大津~京都三条まで2列の石が敷かれていて、その上を牛が曳く荷車が通っていました。
 1864発行 白川付近 再選花洛名所図会 国立国会図書館デジタルアーカイブ

 山科駅を出て、東海道に入って東に進むとすぐ東海道の石碑と車石が飾ってありました。

この建物、以前は老舗の御菓子屋だったらしく、入り口に看板が飾ってありました。古い物は残したいけど、保存も大変。どんな想いでこれを残したのか考えると、じわりと来ます。

展示スペースに看板と屋根の一部
落雁の型ですかね

 民家の石垣とかに車石が見つかるのですが、都市部は開発が激しいので残ってないですね。

国道1号付近まで来ると ようやく車石がありました
民家に設置された車石説明看板 右の高札は 車石・車道研究会の説明文で令和4年の日付
同研究会についてネットで検索しても全然出てこないので、最近は活動してないのかと思っていましたが、確認できて一安心
国道の横断歩道を渡ります。左に行くと161号で敦賀、右に行くと1号を四日市方向、正面に見えるのが「旧」逢坂山(現在は別の山が逢坂山と呼ばれています。)
生八つ橋「夕子」で有名な井筒屋2階の車石

本日の目的地

「放光山 閑栖寺」ここの車石の復元が一番正確なので、一度見たいと思っていたのです。
中に入れてもらい、まじまじと観察
中央に牛道3尺(90㎝)両側に約2尺(60㎝)の長方形の石
左側は15cm程度盛り上げて人馬道 仕様書どおりでございます。
(メジャー忘れてた!)
宝暦年間1751-1763の物とされる車石
木食養阿上人が日野岡峠の改修を行った際は車石は無く、その後1805年の本格整備までの間に車石が発明されたものと想定していましたが、これがそれに当たるかな?
土木遺産認定おめでとうございます

タモリカーブ

ブラタモリでタモリさん絶賛の三叉路
結構交通量多いです
右は京都へ、左は大阪(東海道57次)
大津算盤の碑の横の車石
スペースの関係かもしれませんが幅が狭い復元が多いのです。
車輪も小さく鉄輪ですので、多分人力車の物ですね。
峠の公園にある車石
これも幅が狭すぎですね。

雨が強くなってきたので、京阪電車で下山

湖西に住んでいるとラッピングじゃない京阪はむしろ希少
最大61パーミルの急勾配路線 大谷駅の40‰は日本一傾いた駅


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