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⑨参考文献 と史料からの変更点


小説を書く上で使用した主な文献を記載します。
「琵琶湖疏水及水力使用事業」「琵琶湖疏水の100年」「塵海」など、一部の重要な資料は図書館などに見に行く必要がありますが、ほとんどの資料はネット上で閲覧可能です。良い時代になったものだ。

2024年は、春からずっと田辺朔郎の事を調べていましたが、本記事で一区切りです。実に面白い1年でした。ありがとう2024!
(大晦日に記す)
【小説】「朔に穿つ」田辺朔郎の琵琶湖疏水記|鴨東|note

史料として参照した主な文献

「田邊朔郎博士六十年史」西川正治郎 T13
「塵海」北垣国道の日記 塵海研究会
「琵琶湖疎水誌(京都都市計画第一編)」田辺朔郎著 T9
「とんねる」田辺朔郎 T11
「袖珍公式工師必携」田辺朔郎 M21
「琵琶湖疏水工事図譜」田辺朔郎 M24
「石斉随筆」田辺朔郎 S12
「工学会誌各号」 全て田辺博士の報告によるもの
 ・M17「芦湖疎水」30巻
 ・M19「琵琶湖疎水工事」53巻
 ・M20「琵琶湖疎水工事」65巻67巻68巻
 ・M22「琵琶湖疎水工事第一隧道貫通報告」87巻
 ・M22「加奈太太平洋鉄道ノ記」88巻
 ・M22「琵琶湖疎水工事第一隧道貫通報告」92巻
 ・M22「モーリス運河ノ記」95巻
 ・M25「世界最長運河インクライン」131巻

「琵琶湖疎水及水力使用事業」京都市電気局 S15
  別冊「疎水回顧座談会速記録」
「琵琶湖疎水の100年」京都市水道局 H2
  「琵琶湖疎水図誌」河田小龍を収録
「琵琶湖疎水要誌」京都府疎水事務所 M21
「琵琶湖疎水図誌」河田小龍 M23
「琵琶湖疏水工事図巻」田村宗立

「水力」田辺朔郎著 T2
「琵琶湖疎水略誌」京都市電気局庶務課 S14
「明治工業史」工学会(編集長田辺朔郎)S4
「明治以前日本土木史」工学会(編集長田辺朔郎)S11
「工部大学校課並諸規則」M17

参考資料

「大日本ー東洋のイギリスー」ヘンリー・ダイアーM37 平野勇夫訳
 ※この本は調べている最中、全くの偶然で手に入ったものです。
「蘭均氏土木学」文部省 M13
「明治化学の恩人達(13) ヘンリー・ダイアー」 科学技術文献サービスNo.35 S48
「土木の近代化と”お雇い外国人”工学教育の父、ヘンリー・ダイアー」
「特集・先覚者の横顔「お雇い外国人」ヨハネス・デレーケ」三宅雅子
「角の三等分の作図が不可能であることを、高校生にもわかるように解説する試み」明治大学理工学部数学課 2005年度蔵野ゼミ卒業論文
「近代日本文化恩人と偉業 第二編 田辺朔郎博士」北垣恭次郎 S16

「日本ではじめての大工事」戦前の子ども向け図書
「君島大測量学 上・下巻」君島八郎 T2~T3
「測量学」関 信雄 S6

「明治初期京都経済史」寺尾宏二 S18
「琵琶湖疎水計画における舟運機能に関する研究」土木史研究 第20号 2000.5田中尚人 川崎雅史
「琵琶湖疎水の長等山トンネルと竪坑」第二回日本土木史研究発表会論文集 田辺陽一1982.6
「明治期の土木事業費と投資効果」第三回日本土木史研究発表会論文集 天野光三 1983.6
「琵琶湖疏水計画における舟運機能に関する研究」田中尚人、川崎雅史 土木史研究第20号 2000.5
「明治期の土木事業費と投資効果ー琵琶湖疏水事業を例としてー」天野光三 日本土木史研究発表会論文集1983 年 3 巻

ホームページ

国立国会図書館デジタルアーカイブと、
土木学会附属図書館デジタルアーカイブスと、
京の記憶アーカイブには大変お世話になりました。多謝

国土地理院 近代測量150年 | 国土地理院
「史跡と標石で辿る 日本の測量史」上西 勝也氏

北海道開拓使、琵琶湖疏水の測量、昔の測量機器など大変参考になりました。また資料提供ありがとうございました。

「関西の公共事業・土木遺産探訪」関西の公共事業・土木遺産探訪
25車石 40旧逢坂山トンネル 61水路閣 86京都宮津道路 96柳ケ瀬隧道 101生野銀山 etc.etc.
専門家による詳細な記述は大変参考になります。

アジア歴史資料センター
「インターネット特別展 岩倉遣欧使節団~海を越えた150人の軌跡~」だ大学事始編纂室
「年表でつづる大学の”始まり”物語。工部大学校」

史料からの変更箇所

田辺朔郎が琵琶湖疎水に関わった経緯
「琵琶湖疎水及水力使用事業」「疎水回顧座談会速記録」「琵琶湖疎水の100年」などの記載では、田辺朔郎は独自に疎水の研究をしていた事になっていますが、別記事でも述べたとおり、北垣知事に出会ってから研究を始めたとする方が自然と考えています。
 別記事で触れていますので、ここでは要点を上げるにとどめます。

田辺朔郎が明治14年10月に初めて京都に行き調査を行った事は、各種文献で記載のブレが無く確定事項として、その前か後かという基準で考えてみます。

・北垣知事の日記M15.4.20
 北垣知事は「工部大学卒業生なり」と記載。
 大鳥圭介は「明年卒業」と紹介したとされており、明治14年に出会っていてこの日訪れたと推測される。
 内容についても海外のトンネルの調査結果の報告であり、この日記の直前に提出された南一郎平の意見書の内容に踏み込んでおり、この時点で疎水事業に深く関与していると思われる。

・右手を怪我した経緯について
 「琵琶湖疎水及水力使用事業」によると、京都で調査中「削岩機で右手の中指を怪我」と記載
 この削岩機を何処から調達したのか? 当時の削岩機は蒸気機関で運転する大がかりな機械であり数も少なく、京都府以外から調達できたとは思えない。

・京都調査の際の荷物
 「セキスタント(六分儀)・ハンドレベル(簡易高低差測定器)・テープ(いわゆる巻き尺)」これを持って東海道を徒歩で京都へ行ったそうです。
疎水路線を測量する気満々の装備に見えます。
この装備でたまたま京都府で疎水事業を知ったと言われても・・・

・工部大学の教育内容
 工部大学の5年6年次課程の内容については「専ら実地に就いて事業を行う」とのみ書かれており、学生は工部省所管の事業に従事して卒業論文を提出していました。田辺朔郎のみが独自の立場で疎水事業を研究したとするのは無理がある。

 こうなった原因については、疎水初期に関わった南一郎平の存在を抹消する意図が働いていたものと推論しています。

以下は創作物として読む場合は興を削ぐような事もありますので有料記事にしておきます。

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