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【小説】「朔に穿つ」田辺朔郎の琵琶湖疏水記

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明治初期の文明開化を迎えた日本を舞台に、田辺朔郎は琵琶湖から京都に水を引く空前の大工事に挑みます。  立ちはだかる数々の困難を克服し、遂に世界最先端の「琵琶湖疏水」を完成させるま…
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#琵琶湖疎水

田辺朔郎の武勇伝 ①工部大学時代

自分の推しの土木技術者 田辺朔郎の武勇伝を紹介します。 (田辺朔郎が好きすぎて多少盛って…

鴨東
12日前
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【小説】田辺朔郎 ①萌芽

明治初頭 遷都により京都は衰退の只中にあった。起死回生の策として琵琶湖から京都に水を通す…

鴨東
3か月前
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【小説】田辺朔郎 ②出会い

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3か月前
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【小説】田辺朔郎 ③京へ

明治初頭 遷都により京都は衰退の只中にあった。起死回生の策として琵琶湖から京都に水を通す…

鴨東
2か月前
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【小説】田辺朔郎 ④紆余曲折

明治初頭 遷都により京都は衰退の只中にあった。起死回生の策として琵琶湖から京都に水を通す…

鴨東
2か月前
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【小説】田辺朔郎 ⑤シャフト

明治初頭 遷都により京都は衰退の只中にあった。起死回生の策として琵琶湖から京都に水を通す…

鴨東
2か月前
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【小説】田辺朔郎 ⑥坑道線垂下

明治初頭 遷都により京都は衰退の只中にあった。起死回生の策として琵琶湖から京都に水を通す「琵琶湖疏水」が計画された。当時の技術水準を上回る無謀な工事に挑んだのは若干21歳の青年技師「田辺朔郎」だった・・・ 坑道線垂下 大型ポンプの設置後、ようやく工事は進み出したが、なおも出水は続き工事は難航した。  大川の死後、シャフト作業場の工員一同その遺志を継ぐため、一層奮励努力し約2ヶ月、明治19年4月17日 桜の咲く頃、遂に長等山トンネル掘削ラインに到達した。  なおも底部には貯

最終回【小説】田辺朔郎 ⑦琵琶湖疏水

明治初頭 遷都により京都は衰退の只中にあった。起死回生の策として琵琶湖から京都に水を通す…

鴨東
2か月前
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⑧ あとがき というか まえがき

昨年末 京都国道事務所が保管している「国道改築史写真帳」というアルバムを見せていただく機…

鴨東
2か月前
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⑨参考文献 と史料からの変更点

小説を書く上で使用した主な文献を記載します。 「琵琶湖疏水及水力使用事業」「琵琶湖疏水の…

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鴨東
1か月前
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