【小説】田辺朔郎 ⑥坑道線垂下
明治初頭 遷都により京都は衰退の只中にあった。起死回生の策として琵琶湖から京都に水を通す「琵琶湖疏水」が計画された。当時の技術水準を上回る無謀な工事に挑んだのは若干21歳の青年技師「田辺朔郎」だった・・・
坑道線垂下 大型ポンプの設置後、ようやく工事は進み出したが、なおも出水は続き工事は難航した。
大川の死後、シャフト作業場の工員一同その遺志を継ぐため、一層奮励努力し約2ヶ月、明治19年4月17日 桜の咲く頃、遂に長等山トンネル掘削ラインに到達した。
なおも底部には貯