連載最終回 ハンセン病療養所の今とこれから(2)
今年5月、江連 恭弘・佐久間 建/監修『13歳から考えるハンセン病問題 ―― 差別のない社会をつくる』を刊行しました。(以下の本文では『13歳…』と略します。)
編集を担当した八木 絹(フリー編集者、戸倉書院代表)さんに、本に寄せる思いを書いていただきました。今回で最終回です。
重監房資料館を知ろう―― 極寒の地に置かれた懲罰施設
今年9月、私は栗生楽泉園(くりうらくせんえん)(群馬県吾妻郡草津町)の重監房資料館を5年ぶりに訪ねました(重監房については『13歳…』のコラムで紹介しました)。草津温泉の中心地から東へ車で約15分、冬は零下17度にもなる極寒の地です。ここに1938年から9年間、「特別病室」という名の懲罰施設・重監房(じゅうかんぼう)がありました。建物は証拠隠滅のためか取り壊されましたが、発掘調査をへて跡地が保存、公開されています(写真)。
全国全ての療養所は、療養所長に与えられた懲戒検束権を根拠に監房を持っていましたが、とくに反抗的とされた者を全国から送り、長期監禁したのが重監房です。全生病院で、作業用の長靴を支給するよう要求したところ、反抗的態度とみなされ、ここに送られて亡くなった人もいます(全生病院洗濯場事件)。93人が収監され23人が死亡、その過酷さは患者たちから「草津送り」と恐れられました。遺体は冬は寒さで床に凍りつき、外に出すには布団を床から剥がし、布団ごと運び出さなければなりませんでした。その作業はもちろん患者がやらされました。
戦後すぐの1947年、参議院選挙のために栗生楽泉園に入った日本共産党の遊説隊に対し、患者たちが重監房の存在を訴えたのがきっかけとなり、国会でも取り上げられ、調査団が派遣されるなど、大きな問題になりました。
入所者らによる10万人署名の結果、2014年に開設した重監房資料館では、重監房を原寸大で再現、発掘調査で出土した遺物なども展示しています。今、同館では、「蘇るハンセン病患者とその家族」という企画展が行われています。本連載⑧で紹介した、木村仙太郎さんの解剖記録に関する展示です。
◇企画展「蘇るハンセン病患者とその家族 ―― 木村仙太郎の生存記録:長島愛生園 1939−1941」
◇と き 2023年7月25日〜12月26日
◇ところ 重監房資料館(栗生楽泉園内、群馬県吾妻郡草津町草津白根464-1533)
◇入場無料 月曜休館
湯ノ沢部落跡を訪ねる―― 解体された自由療養地
『13歳…』には書く機会がなかったのですが、草津には湯ノ沢部落という、戦前の日本に唯一存在したハンセン病の自由療養地がありました。今回、初めてその跡地を訪ねました。
皮膚に斑紋などの症状が現れることの多いハンセン病には、温泉と灸が効くとされ、名湯草津温泉の中心街の下方に、行政区として湯ノ沢部落ができたのは1887年。共同温泉、飲食店などの商店、郵便局もあり、ハンセン病以外の湯治(とうじ)客も来ました。納税や兵役の義務を果たし、町議会議員も輩出、最盛時には803人が住む自治の村でした。国による救済はなく、宣教師コンウォール・リーが1915年に布教に訪れ、翌年同地に移住し開設したバルナバ・ミッションなどの救済団体が活動しました。31年、癩予防法で隔離政策が強まり、患者は栗生楽泉園へ収容され、部落は41年に解体されました。
現地に行ってみて、観光客で賑わう湯畑(ゆばたけ)から徒歩数分という近さに驚きました。ハンセン病の部落がここにあると「じゃま」だったのです。湯川の谷筋に発達した部落の痕跡は、今はまったくありません。「リーかあさま記念館」を併設する聖公会バルナバ教会(写真)だけが、湯ノ沢部落が存在したことを伝えていました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。この連載をきっかけに、ハンセン病問題に関心を持っていただければ幸いです。(おわり)
*本稿は、多摩住民自治研究所『緑の風』2023年12月号(vol.281)にも掲載されます。
◉『13歳から考えるハンセン病問題―差別のない社会をつくる』目次から
第1章 なぜハンセン病差別の歴史から学ぶのか
ハンセン病患者・家族が受けた激しい差別/ハンセン病とはどんな病気?/新型コロナ差別にハンセン病回復者からの懸念/過去に学び、今に生かす
第2章 ハンセン病の歴史と日本の隔離政策
日本史の中のハンセン病/世界史の中のハンセン病/日本のハンセン病政策/日本国憲法ができた後も
第3章 ハンセン病療養所はどんな場所か
ハンセン病療養所とは?/療養所内での生活/生きるよろこびを求めて/社会復帰と再入所
第4章 子どもたちとハンセン病
患者としての子どもたち/家族が療養所に入り、差別された子どもたち/生まれてくることができなかった子どもたち
第5章 2つの裁判と国の約束
あまりに遅かったらい予防法の廃止/人間回復を求める裁判/家族の被害を問う裁判
第6章 差別をなくすために何ができるか
裁判の後にも残る差別/菊池事件 裁判のやり直しを求めて/これからの療養所/ともに生きる主体者として学ぶ
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