【連載エッセー第25回】開墾の日々を送る
丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日をめやすに更新予定)
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畑のある暮らしを求めて移住したのだけれど、すぐに野菜の種をまけるわけではなかった。前は畑だった土地が家の隣にあるものの、何年も放置されていた間に、笹が一面に茂ってしまっていた。
私たちの移住は、土地を覆っていた笹を刈るところから始まった。家や土地の売買の手続が一段落すると、前に住んでいた家から通って、何日もかけて鋸(のこぎり)で笹を刈った。茂みの中からは、いくつかの倒木が見つかったり、ドラム缶が出てきたりした。
笹を刈って地面がすっきりしても、それで終わりではない。むしろ、本当の仕事はそこからだ。地面の下には、かなり深いところまで、笹が根を張り巡らしている。それを取り除かないといけない。
引っ越してから1年間は、家の壁づくり(漆喰を塗る)、薪づくり、薪棚づくりなど、あれこれのことがあり、笹の根まで手が回らなかった。2年目になって、やっと本格的に笹に挑むことになった。
機械を使うと早いという助言もあったものの、なるべく機械は使いたくない。それに、土を見てみると、石やゴミが散らばっている。機械で混ぜ返せばすむという感じでもない。タケノコを掘るのに使うような鍬(くわ)を手に入れて、手作業でやることにした。
やり始めると、驚くほどいろいろなものが土の中から出てくる。黒いプラスチックの育苗ポット、野菜の「名札」、ビニールマルチの切れ端、ビニールひも、プラスチック製の網の断片などが埋まっているのは、よくないことだけれど、まあ理解できる。ビンや陶器の破片が落ちているのも、ありそうなことだ(量が多すぎる気はする)。でも、発掘されるのは、そういうものだけではない。タイルが貼られた壁の一部分、割れた洗面台、レトロな見た目のコーヒー缶、スパナ、古びたツナ缶、お菓子の箱、謎の金具たち、しましまの靴下、個包装の飴の袋、包丁の刃、プラスチックのシャボン玉セット、金属の配管パイプ、プラスチックのアヒル、ハサミ…などなど。数としては、各種プラスチックの破片が多い。分解されない人工物の罪深さをひしひしと感じる。
開墾には、いつもゴミ入れをもっていく。土の中から出てくるものを、ゴミと、笹の根と、大きめの石に分けて、取り除いていく。そう広くない土地なのに、笹の根も、石も、けっこう積み上がる。
倒れていた栗の木を何とかするのも、大仕事だった。押しても、びくともしなかった。根のほうと、上のほうとに、がんばって鋸で切り分けた。それでも、両方とも持ち上げられるような重さではなく、幹のほうは家族4人で力を合わせてズリズリと動かした。
根のほうも、手強かった。根こそぎ倒れていた木なので、根はすぐに転がせそうな気がしていたけれど、やってみると、まるで動かない。まだまだ深く土の中に刺さっていた。まわりの土をせっせと掘り、長くて厚い板をテコのように使って、どうにか転がした。
土地を畑にするというのは、なかなか大変なことだ。田畑を広げるのが良いことかどうかは別にして、「北海道、すごいな」などと思ったりしている。