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スコットランド日和⑭ 親たちによる学校の資金づくり~(1)色とりどりのベイキング

 スコットランドのエジンバラで研究生活を送っている阿比留久美さん(早稲田大学、「子どものための居場所論」)の現地レポートを連載します(月2回程度の更新予定)。
 ★「子どものための居場所論」note はこちらから読めます。
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 スコットランドの学校では、学校の活動資金をつくるために保護者がかかわる場面が比較的あります。前回ご紹介したように不要になった制服を寄付して学校のバザーで販売したりしていますし、その他にもいろんな機会を利用して、小さなかたちでも、大きなかたちでもちょっとしたイベントが催されています。

 たとえば、学校のお祭りでは、家庭から寄付品を募って、くじ(Raffle)が販売されます。時には子ども向けのくじと大人向けのくじが用意されて、子ども向けのくじでは、おもちゃやお菓子が、大人向けのくじではワインやサイダー(シードルのようなものでアルコールです)も。クリスマス時期のバザーでは、1週間くらい前に透明の小さな袋が学校で配られ、お菓子や細々としたもの(消しゴムとか鉛筆とかそんなものです)を入れて、学校に持っていくとそれが回収されてくじの景品になります。

 お祭りで出される特別な商品については、オークション方式になっているものもあって、めいめい自分が払える金額を順に記入していき、お祭りの最後に最高額を示した人の落札が発表されました。

 学校のお祭りやバザーのような大きなイベントだけでなく、2か月に1度くらいベイキング(焼き菓子)の日があって、この日はつくれる家庭はケーキやマフィン、ブラウニーなどを焼いてもちより、それが商品になります。ずらっと並んだかたちも種類も違うベイキングの様子は壮観で、買う人は好きなものを選んで自分で値段を決めてお金を支払います。ベイキングの日は午前中で授業が終わる金曜日におこなわれます。おおがかりなイベントとしてではなく、朝登校する時にベイキングを持っていき、帰りの時間に合わせてベイキングが販売され、それを買って家に帰る、という風な流れになっていて、一日のルーティンの中にちょっとしたイベントが組み込まれる、くらいの感じです。これは、基本的に親が学校の送迎をすることになっているから成立する部分があるでしょう。

クリスマスの時のベイキング。
それぞれの人ができる範囲でできるお菓子をつくってもちよります

 子どもたちにとってはベイキングもくじもとっても楽しみなイベントですが、大人にとっても同様になんだか胸躍るイベントになっています。バザーやお祭り、ベイキングをしている場の雰囲気は楽し気でいいのですが、それだけでなくベイキングの日の登校時に嬉しそうに、誇らしげに自分の家で作ったベイキングをもって登校してくる子どもと大人の楽し気な様子もなんとも微笑ましいものです。

 ですが、私は最初にこれらを見た時、びっくりしました。なぜなら、今の日本では各家庭が作ったものをそのまま販売するということは、衛生上の不安があるということが問題になりまずないだろうなあと感じたからです。また、ベイキングを作ってもってくるというのは、各家庭の時間的・金銭的負担を前提にするものなので、その点もなかなか受け入れられづらい気がします。

かなり手の込んだものも持ち寄られます

 くじの景品として、家庭で袋になにか入れて学校に出す、というのも、なにか問題があった時のリスクを考えて口に入るものではないものが指定されるだろうと思います。

 清潔志向の強い日本では近年では、知らない人や親しくない人のにぎったおにぎりは食べられなくて、コンビニエンスストアで売っているおにぎりのほうが安心して食べられるという人もある程度一般的になっています。そういう点でも、いつ、どんな環境で作ったのかよくわからない素人が作った食べ物がたくさん集められて売られる、ということもあまり魅力的なものとしてうつらなそうです。

 日本でやるとするならば、個人の裁量にまかせるとなにが提供されるかわからないので寄付してよいものがリストになって提示されそうですし、学校でやるイベントの景品にアルコールが含まれるということもなさそうです。
全体として、スコットランドでは日本よりもだいぶ「注意事項」が少なく、細かいことに神経質にならずにできる感じがします。

飾りつけにも遊び心があるものも

 でも、この雰囲気、どこかで見たことがあるような……。私が子どもだった1980年代には、ベイキングを焼いて販売する、ということはないものの、似たようなことはしていたことを思い出しました。幼稚園や学校で資金づくりのために保護者に寄付を募ってバザーをしたりしていて、当時私の母は某お菓子メーカーに勤めていて、私自身も普段は買ってもらえないし食べさせてもらえなかったような、ちょっとかわいかったり、おまけがついたりしているお菓子を母が寄付していました。それがバザーで売られているのをみて、「これ、ママが寄付したお菓子!」と内心誇らしかったような記憶があります。

 細かい部分では違いがあるものの、30~40年くらい前の日本では同じような光景があったなあと思います。10歳くらい年の離れた子どもを育てている知人は、一番上の子と下の子とでは親同士の関係も学校や地域の子ども組織の雰囲気が全然違うと話していました。都市部と地方部でも違いがあるでしょうが、年を追うごとに、親が子どもを通じて学校や地域の活動にかかわることの密度や形態が薄いものになっているように感じます。PTAにせよ地域の活動にせよ、負担として語られる部分が多い現在ですが、学校での資金づくりが楽しいイベントとなっているこちらの風景を見ていて、「ああ、そうだった。こういうのって、家で景品を袋詰めしたりする準備の時間も含めて楽しい時間だったなあ」と思い出しました(もちろん親の立場と子どもの立場では感じ方は大きく異なるでしょうが)。私がスコットランドで経験しているこの雰囲気は決して、スコットランドだからできること、ではなく、日本でも少し前まであったことで、現代の日本ではもうできないこと、というわけではないのではないでしょうか。

 過去には日本でもあったものが、雰囲気もかたちもだいぶ変わってしまい、失われてしまったのは、なぜなのでしょうか。専業主婦が減って、親が多忙化した、と言われますが、学校や地域の活動が停滞しているのはそれだけが理由ではないでしょう。日本に帰ったら、元気に活動している学校や地域の活動を見に行って、学校や地域の活動が日本でも楽しい活動として感じられるための工夫やコツを探りたいと思います。

阿比留久美『子どものための居場所論』
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