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「隠せるマイノリティ」の観点から、瑞希のしんどさを理解したい【プロセカ考察】

皆さん、こんにちは
...瑞希イベ、率直にどうでしたか?

自分は、もちろん胸が締めつけられて苦しくなりましたけど、同時に「瑞希の気持ち、めっちゃ分かるな」とすごく感じましたし、むしろ瑞希って強いな、とさえ思いました。

それは自分が、性別をニーゴの皆に隠してきた瑞希と同じように、障害を隠しながらこれまで生きてきて、さらに自殺しかけて病院にお世話になったという経歴があるからでもあります(今はそれなりですよ!)

もちろん、ここでしたいのは自分の話ではなく、瑞希の話なのですが、
何らかのマイノリティ性を抱えている人とそうではない人では、今回のイベストの受け止め方に、かなりの乖離があると思ったんですね。

そう感じて私は、このnoteを書くに至りました。

もちろん、解釈に正しさなんてないし、別に自分の方が多くの情報が見えているというつもりは毛頭ないです。

ただ、マイノリティ側にいる一人の人間(私)が抱いた感想も広く知ってほしいし、あわよくばその内容を、皆さんの現実での対人関係にも活かしてほしいと思うんです
(完全な思い上がりですね、すみません)

例えばこのシーン。絵名に追いつかれた瑞希が「ごめんね」と真っ先に発言し、絵名が目を丸くして驚くんですが、皆さんはこの謝罪の意味って分かりますか?

瑞希が絵名のことを考える優しい人だから?それとも、ずっと絵名に向き合えなかった負い目があるから?
あえて言いましょう、「そうだけど、そうじゃない」と。
だって考えてください。瑞希はこれまでの人生でずっと、被害者なはずなんです。
好きなものを否定されて、自分が自分でいることすら否定され、消えたい毎日を過ごしてきたなのに、どうして瑞希がここで謝罪をしなければならないのでしょうか。

この記事では、そういった「被害者であるはずの瑞希(マイノリティ)を加害者へと追いやる構造」についても言及し、ここでの瑞希がどれだけ複雑な蟻地獄の中にいるのかを描写したいと思います。

そしてそれらの考察の後に、瑞希が守りたかったもの、どうしても得たかったものが何だったのかということについても、私なりの考えを述べたいです。

同時に、自分が感じた瑞希の「強さ」についても、皆さんに伝えたいと思います。

さて、前置きが長くなりすぎましたね。
以下、目次です!
⚠️本記事は、めちゃめちゃネタバレを含みます(今更)


1. 本記事の立場と注意点


と言いつつですが、もう少しだけ前置きというか問題の整理、また筆者(自分が)がどのような立場に立ちながら瑞希のことを書くのかについて、説明しますね。
なぜならこれからの話は、確実にセンシティブな内容だからです。

事前の注意点としてこの記事では、性的マイノリティの込み入った話はしません。

これには二つ理由があります。それは、
①自分が性的マイノリティではないから
②瑞希の苦しさを語るにあたって、実際の性自認はそこまで大きな問題ではないと考えているから です。

①についてはまあそりゃそうなのですが、これは、実際に性的マイノリティとして生きる方との接点を放棄するということではありません。
むしろ、積極的に自分と当事者の方を繋ぐ概念を提示し、それを基本の立場として論を進めていきたいと思います。

難しい言い回しをするのは自分の悪い癖ですね、端的にいいます。ここで私は、
「隠せるマイノリティ」という立場に基づいて瑞希の話を(私の経験に重ねながら)進めていくことにします。

これは、「サイレント(声を奪われた)・マイノリティ」というよりは、その前提条件を指していると思ってください。

言わなくてもなんとかなるからこそ、
話すかどうかの選択(悩み)が生まれる


例えば私には、脳性まひの友人がいるのですが、ここで私が言いたいのは、友人はどちらかというと「隠せないマイノリティ性」を持っていて、自分は「隠せるマイノリティ」であるという、マイノリティ性の区別ができるんじゃないか、ということです。

別に、どっちが辛いという話はしませんし、他者の苦しみなんて、そもそもわかり得ません。しかし個人的には、両者は少し違う問題を抱えている気がするんですよね。

個人の内面についてはマイノリティと一口にいっても様々なので、本noteでは「隠せるマイノリティ」というあくまで物理的(構造的?)な区分によって、瑞希の苦境をざっくりと掬いたいと思います。

※再三強調することですが、これ以降の内容が「隠せるマイノリティ」の総意ではありません(あくまで私個人の感想です)。下記のブログ等も参照していただけると当事者の多様性について理解が深まると思います。

この方(雁屋優さん)は、自身が性的マイノリティ(やその他マイノリティ)であることを「隠せる」と思いながらも、それに罪悪感を覚える、後ろめたく思うことについては「理解ができない」と言及しています。
このように、問題とされる特性は同じでも、それに対する態度は人によって様々です。

個人的には、この方くらい冷静に物事を考えられたらいいなと、羨ましく思います。一方で、私もこの方と同じ考えの部分があり、それは「社会の責任は大きい」ということです。

そのような経緯もあるので、瑞希の気持ちの代弁というよりは、なるべく「構造の問題」を示せるように頑張りたいと思っています!

ちなみに、②については単なる僕の解釈なのですが、瑞希の願いっていうのは「ただボクでいたいだけ」なんじゃないかなと思うんですよね。
あくまで「カワイイものが好き」というくらいにしか公式で言及されていないものをこちらでラベリングするのも嫌なので、瑞希の性自認については、個人的には触れたくないです。

「ボクはボクでいたいだけ」


別に性の視点を取り入れたからといって、瑞希に対する見え方が変わる訳ではないと私は思うので、ここではあえては触れず、
「瑞希が好きだと思うもの、瑞希が自分だと思うイメージが、否定されること」
のしんどさについて、「隠せる」という視点から深掘りたいと思います。

本当に、前置きが長くなりすぎました。
少しずつ、話の核心へと向かっていきましょう。

2.瑞希が抱える二重の嘘-まふゆとの仮面性の違い-


まずは、瑞希が抱える嘘(≒秘密)について書いていきます。
具体的には、瑞希が二つの嘘を抱えているという複雑な状況とその原因を示し、さらにその苦しさについても触れます。

瑞希が絵名に、自身の性別を伝えていないこと(そのために、本当の友達になれないと思っていること)については想像しやすいと思うので割愛し、ここではもう一つの嘘について、中心的に扱いますね。

一つ目の嘘:自分の性別を隠すこと


といっても、そこまで勿体ぶるものでもないです。ここでの二つ目の嘘とはつまり、「まるで自分が平気であるかのように、オープンに振る舞う」という嘘です。

ここで、議論の種にもなった男子生徒Aの発言に注目してみましょう。といっても、この人が良いか悪いかはどうでもいいです。
大事なのは、「だって隠してねぇじゃん」という言葉の裏には、普段からマイノリティであることを何も気にしてないかのように振る舞っている、瑞希の嘘があるということです。

つまりこの男子生徒にとって瑞希は、「マイノリティであることを気にしていない人」だと認識されている


また、この点について瑞希は、驚くべきほど他人にバレないように上手くやっていると思います。途方もない労力によって、学校にいる間ずっと、自分の言動を調整している訳なんですね。

ではなぜ、そんなことをしなければならないのか?ということについては何点か答えを挙げることができますが、まず学校環境について言えば、「そうしなければ誰かから迫害されるから」です。

小さい頃から「変」だと言われ続けてきた瑞希。
その傷は、今も確実に残っている


つまり、(小・中学生時代の傷つきから、)すでに瑞希の性別は周囲の知るところとなっているため、瑞希が高校生活に適応するためには、「無邪気なマイノリティ」を演じなければならなかった、ということです。

反抗したり、泣いたりするなどして、マジョリティの機嫌を損ねることは許されなかったのです。

それこそ、自分の好きなように生きて、毎日を楽しく過ごして、大多数の生徒には何の迷惑もかけない、というように...

瑞希は、自分の抱える悩みが他の人からすると「めんどくさいもの」であることを誰よりも分かっています。だから本当の悩みを吐露することは、普段の学校生活ではほとんどありません。

自分の悩み≒ぐちゃぐちゃした考え
→他の人に話す価値のない感情


これは、いじめられている人が「いじられキャラ」にならなければいけない構造に似ています。
瑞希は、「黙っていればカワイイやつ」として、コンテンツ消費されることをずっと選択してきた訳です。

ここで指摘したいのは、「瑞希の受けた被害・傷つきが、瑞希自身の途方もない努力によって埋め合わせられていること」のおかしさです。

瑞希は何の見返りもない作業をずっと社会に強いられています。瑞希が普通の(平穏な)毎日を生きるためには、特別な努力をしなければならないんです。

まずはこの苦しさを、共有しておきたいと思います。

周りに馴染めないのが、自分の勉強不足(責任)に
なってしまっている...周りが学べよ!


また、以上の「性別に対してオープンな自己像」を作り上げている理由については、もう一つ挙げることができます。それは、端的にいって自己防衛のため、悩んでいる自分をなるべく見せないようにするためです。

もう少し具体的に言い換えるなら、この人格は、自身の抱える傷に触れられそうになった時に、ある程度の自己開示を見せることでそれ以上の相手の踏み込みを避けるブレーキでもある、ということです(...伝わりますかね?)。

つまり、自身の苦しみについて「自己開示をしたふり」をするために、あらかじめ話せる悩み・キャラを用意しておくということですね。

いうなれば、瑞希の秘密には二重ロックがかかっているようなものです。

①性別を隠している瑞希(絵名への顔)
②男だけど好きに生きている瑞希(学校での顔)

を突破して初めて、
③1・2の自分を演じ続けている、楽しいはずなのに、ふと消えたくなる瑞希に会えるということです。

その点で、瑞希が抱える秘密は、まふゆのものより複雑です(図にしてみました)。
そしてこの複雑さゆえに瑞希は、絵名に打ち明けることも、隠し通すこともできないという蟻地獄に巻き込まれて行く訳です。

瑞希とまふゆの仮面性の違い


ちなみに、そのような観点からいえば、今回のイベストに関して瑞希の口から秘密を告白することにも、実はリスクがあった気がするんですよね。

つまり、男子生徒からの邪魔が入らなかった世界線においては、瑞希が自分の性別を伝えることはできても、「皆の中に優しさを生んでしまうことが、どうしても嫌なんだ」とまでは言えなかった可能性が高いだろうということです。

絵名から受け入れてもらった後に、
「絵名は優しいね。...いつもありがとう」
なんて、本心だけど本音ではないことを喋り、②の仮面に閉じこもってしまう可能性も、充分にあったかと思います。

めちゃめちゃ結果論にはなりますが、そう考えると、今回このような形で瑞希の秘密を暴露されてしまったことは、「本当の友達になる」という意味でいえば、決して遠回りではなかったと私は思います。
※この話については大事なので、詳しくは後述します。

ちなみに皆さんは、瑞希のこのような態度を「嘘」だと思いますか?
私は全く思いませんが(だってそうしないと生きていけないんですから)、
他でもない瑞希自身は、絵名に向き合えなかったことを悔やみ、謝っているように、自分のことを嘘つきだと思っている訳ですね。

この気持ち(罪悪感?)は、マイノリティ性を持つ一個人として、すごく共感するところです。
私の体験にはなりますが、健常者でも、障害者でもない狭間で、自分の感情を抑圧しながら生きていると、
「なんか、人のふりをしているだけで、自分は『人間もどき』の化け物だな」なんて思えて来るんですよね。

自分のことを人間だと思えないなんて、簡単に言ってしまってますが、昔は本当にそう思っていました。
そしてそんな毎日は、もちろん死んでしまいたい(というより殺してくれ?)と思うくらいに苦しいです。

以上の「嘘を吐かなければ生きられない」状況の辛さについて、まずは知ってもらえたらと思います。

瑞希に話を戻してまとめると、つまり瑞希は自身の悩み、マイノリティ性を「隠せる」がために、二つの嘘を使い分けなければならないし、その点でまふゆと比べて屈折した悩みを抱えているという訳です。
(もちろん、どっちが重いとかではないです)

そして、この二重の嘘を抱えていたこと(違う自分を演じ分けていたこと)が、男子生徒から自身の秘密をバラされる、直接の原因になっていたのです。

3.本当だった楽しい思い出までもが、嘘になっていく地獄


ここまで、瑞希が生きていくために必要な「嘘」が、どうしようもなく自分の首を絞めている状況についてまとめてきました。

ではこの「嘘」が露見してしまった時には、いったい何が起こってしまうのでしょうか。

ただそれについては、答えを探すこと自体は難しくないです。瑞希は、「関係が変わってしまうこと」を何よりも恐れていたのでした。

またこの言葉は、
①受け入れられないこと だけではなく
②皆の中に優しさを生んでしまう(と瑞希が感じてしまう)こと もまた含んでいたということについては、もう指摘する必要はないかと思います。

その上で個人的な付け足しをするなら、自身のことを打ち明けることで、「過去の楽しい経験までもが、嘘になってしまう」というリスクもまた、相当に苦しさの要因なんだと思います。

まず前提として(個人的には疑う余地はないかと思いますが)、これまでに瑞希が見せていた笑顔や、仲間との楽しい時間は、紛れもなく本当のものなはずです。
むしろ、「変わらないものなんて何もない」という諦めがあったからこそ、誰よりも今この一瞬を大切に過ごしていたんだともいえます。

さらに、瑞希が仲間と楽しく過ごした時間というものは、瑞希の生きる苦しみとは、本当は切り離して考えるべきものです。

この笑顔、嘘とは言わせないよ


しかし、瑞希が自身の悩みを打ち明けることで、皆の過去に対する意味づけさえもが変わってしまうかもしれないのです。つまり、「あの時の瑞希は、本当は辛かったんじゃない?」なんて疑念をニーゴの皆に生んでしまう訳です。

自分が瑞希の立場なら、そのことが何よりも耐え難い苦しみになると思います。
イベスト内で瑞希が屋上に戻った時、走馬灯のように今までの場面が現れましたが、それは「楽しかった過去さえもが、崩壊していく」ことの表現だったような気もしてしまいます。

そして、瑞希がずっと皆の前で本心で楽しんでいたこと、すなわち傷ついて「いなかった」ことを証明するのは、悪魔の証明であり至難の業です。
※このことは絵名の「優しさ」に対してもいえます。変わらないままの関係でいるということは、本当に難しい証明作業なんだと思います。

と考えるとイベストが終わって残った重苦しい現実は、やっぱり瑞希の決断の問題、絵名のリアクションの問題、男子生徒の発言の問題という次元では説明されない気がします。
瑞希を取り巻く構造が、はっきりいって詰みゲーです。

それは、瑞希が二重の秘密(嘘)を抱えなきゃいけないからでもありますし、「変わらないでいる」という目標設定が難しすぎるからでもあります。

とはいえこの点については、そのまま終わると救いがなさすぎるので、後半でもう少し深めます。具体的には、「瑞希は結局何を望んでいたのか?」という話をしていきます。

※章の最後にまた自分の話を少ししますが、皆さんに知っておいて欲しいのは、「死にたい気持ち」と「今日が楽しい気持ち」は両立するということです。
だから、楽しいことを日々追いかけながらも、深夜アニメが終わったタイミングなどで「疲れた」と感じる瑞希には、かなり共感をしてしまいます。

私は、死にたいと思いながらでも朝ごはんは全然食べれますし、笑うこともできます。そんな日常の中で突然「あ、終わったな」って崩壊の瞬間が来るという感じです。
この自分語りが、どれだけの共感をもって受け止められるかは全く分かりませんが、おそらく自分の生活は、「いつでも死ねること」を前提に組織化されているんだと思います。

あえて再び瑞希に例えるとそれは、いつ関係が切れてもいいやと思いながら、クラスメイトに接するのと似たようなものでしょうか
(いや、似てないかもしれない)
とにかく、このようゆらぎが「消えたい」気持ちにはあるということです。
人生(生命維持活動)が、非正規雇用って感じですね。お気に入りのアニメがある、3ヶ月更新!って感じです。

ちなみにですが、関係を切るという視点から考えるならば瑞希は今、ニーゴの皆が大切になりすぎてしまったからこそ、どうしようもない苦しみを抱えているといえます(当たり前ですが)。

人生で初めて、「この先もいたい」と思えた


皆が大切だから嘘をついていたくないけど、関係が変わるのも耐えられない。
今が楽しいだけじゃ満足できなくて、ずっと一緒にいたい。

このような、瑞希がこれまでの人生で当たり前に諦めてきたような関係性を初めて、ニーゴの皆に対して望んでしまったからこそ、瑞希はこの先どうしていいかが全く分からない訳です。

私は、「瑞希頑張れ」って、ただただ思います。

少し話が脱線しましたが、とにかくここでは、瑞希のこれまでの笑顔は嘘ではなかったということだけは、強調しておきたいと思います。

4.「優しさ」がつくる非対称的な関係


今回のイベストで特に強調されていたのは、「優しさ」という概念でした。これらはおおよそ、「気を遣われること」として言い換え可能だと思いますが、それでも私は、瑞希の苦しさを表現するためにはこの「優しさ」という表現がぴったりだと思います。

このことについても、少々補足をしたいと思います。まずは、このシーンを思い出してください。

まずここで、皆の「優しさ」と表現されているものは、「瑞希の秘密について、気にしていないかのように振る舞うこと」でした。

そしてその「優しさ」に対して、「ただの」という言葉がくっついています。それは、自分が本当に望んでいるものに対して、価値が限定的だという意味でしょうか。

そしてそれを「本当はいいもの」だと頭では分かっているのですが、どうしても瑞希はその「優しさ」を受け取ることができない訳です。

それでは順番に書いていきますが、まずどうして瑞希は、こんなにも「優しさ」が嫌なんでしょうか?
ちなみに、皆に気を遣わせてしまうのはもちろん理由の一つですが、その話は今回は置いておきます(当たり前なので)。

私は、さらに大きく2つの理由があると思います。

まずは、少し上の表現からすでに勘づかれた方もいるかもしれませんが、「他でもない瑞希が、自身の問題を気にしていないかのように、ずっと振る舞ってきた」ということが、この態度の大前提にあると思われます(二章が伏線ですね)。
つまり、瑞希は誰よりも敏感に、「誰かが気にしないでいようとしていること」に気づいてしまう、そんな生活をしてきたという訳です。

小さい頃から、「自分のせいで誰かを傷つけること」を
めちゃめちゃ気にして生きてきた瑞希
だからこそ、自分の悩みを隠すように振る舞う


さらに、そんな「嘘」を前提とした努力は、瑞希にとっては「消えたくなるほど苦しいもの」でした。とすれば、そんなことをニーゴの皆にさせることは、当然、瑞希自身が一番許せないはずです。

自身の体験から学習した価値観(内的作業モデル)が、絵名たちの気持ちを推測するために使われており、だからこそニーゴの皆から優しさをもらうことは、瑞希にとって身が張り裂けるような苦しみなのです。

まずはその点について、伝えられたらと思います。

二つ目の理由は、少なくとも今の瑞希は、「優しさは、対等な関係では成り立たない」と思っているだろう、ということです。

つまり瑞希は、ここで皆から受ける「優しさ」を施しのようなもの、つまり自分が弱者だからこそ向けられるものとして捉えており、
それは、これまで秘密を打ち明けずに(楽しく)過ごしてきた毎日を考えると、ひどく惨めで苦しく、申し訳ない状況であるということです。

もっと強い言葉を使うと、このような優しさを受け取った瞬間に瑞希は「障害者」になってしまうのです。絵名の「救済対象」に成り下がってしまうのです。

それは、絵名から親友だと思ってもらえていることに応えたい瑞希からすれば、もっとも望まない結末です。
逆にいえば、絵名たちと対等な関係でいるためには、「変わらないままで居続けなければならなかった」ということも指摘できます。

「変わらない」ために、話さなかった瑞希


そう考えると、瑞希が自身の秘密を打ち明けなかったことは、ただの臆病とか、過去のトラウマとして片付けられるべきものではないだろうという話にもなりそうです。

対等なままでいたかったから、話せなかったということも、改めて確認しておきますね。

5. 小まとめ:他でもない瑞希自身が、自分のことを「おかしい」と思っている虚しさ


さて、ここまでかなり長い道のりにはなりましたが、瑞希の現状については、かなり詳細に伝えられたかと思います。
ここでは、前半部分のまとめも兼ねて、「どうして瑞希は、自分のことを責めてしまうのか?」という話に踏み込んでいきます。

結局はこの点が、一番瑞希を「消えたく」させているような気がします。
ちなみに、自分を責めていることについては、何度も「ごめんね」と言っていること(ロウワーイベもごめんねエンドですしね)、また本イベストの最後に、「自業自得だな」と言っていることからも分かると思います。

しかし、ここまで私の文章を読んでくれた物好きなら分かってくれるかと思いますが、瑞希が置かれている現状は、決して自業自得なんかじゃありません。
むしろ瑞希を取り巻く構造、そしてその構造を作り出してきた社会にこそ、問題があるはずです。

にもかかわらず、なぜ瑞希は自分のことを責めるのか?ということです。

まずは、瑞希が自分を嫌いだと思っているポイントを本文の内容からざっとまとめると、

①弱虫なところ(向き合えないところ)
②皆に嘘をついているところ
③皆の優しささえ、素直に受け取れないところ

に加えて、
④なのに皆の友達では居たいという、自己矛盾を起こしている(都合のいい人間である)ところ

となるでしょうか。これらを総合して瑞希は、自分のことを「最低な人間だ」と思っている訳ですが、まず指摘すべきは、(繰り返しにはなりますが)現在の状況がすべて「瑞希の意思の問題に貶められている」ことが、このような自責の原因だということです。

ここで話を「隠せるマイノリティ」として再び一般化するとつまり、
身体障害や重度の知的障害などは「隠せないマイノリティ」であるために、理解を得るためのステップを省略しやすいが、
瑞希のような「隠せるマイノリティ」については、今回のイベストの冒頭のように、本人の心の問題として処理されてしまいやすい、ということです。

ボクでいるだけなのに、「思い込み」と言われてしまう
「ボクの気にしすぎ」として処理されてしまう


おさらいですが「隠せるマイノリティ」は、その「隠せる」という特性があるからこそ、「打ち明けるかどうか」という選択が生まれるのでした。そしてその選択は、一見すると個人の勇気、すなわち気の持ちようの問題にも思えてしまうのです。

以上の考えが根底にあるために、瑞希はずっと、嘘つきで逃げ続け、皆を傷つけた「加害者としての人生」を余儀なくされています。

しかし、瑞希が過去に不当に傷つけられた経験がなければ、秘密を打ち明けるのにここまで怯える必要はなかったですし、
そもそも社会が瑞希のような存在を初めから受け入れていたなら、瑞希の秘密、すなわち「嘘」すら作られなかったはずなのです。

瑞希は、これまでの人生を生き抜くために、「二種類の嘘を使い分けて、上手く逃げる」という生き方を選択せざるを得ませんでした。

さらにその結果、大切な仲間、友達ができただけなのに、何もできない無理ゲーへと放り込まれてしまいました。

それを瑞希の人格の話にするのは、まさしく問題のすり替えです
ファン(読者)である私たちの間だけでも、その事実は共有しておきたい、その上で瑞希のことを見守っていきたいと私は思います(身勝手な考えですけど)。

また、もう少し補足しておくと、瑞希自身がマジョリティの持つ「優しさ」について、「本当は良いもの」なんだと認識していることは、重要な視点だと思います。

つまり、ここで瑞希が「優しさ」を受け入れられないことは、
「皆のあたたかさすら捨ててしまう、ゴミクズな自分」として経験されてしまう恐れがあるということです。

ここでもやはり自責が出てくるのですが、それでも瑞希は、「どうしても嫌なんだ」と絵名に言うことをやめられなかったんだと思います。
※その理由については後述します。

また優しさに関わってですが、まふゆとの問題の質の違いについても、改めて指摘できますね。
※まふゆの仮面は一つなのに対し、瑞希の仮面は二つなのでした。

つまり、まふゆは「話せて、受け入れられた」ことでひと段落がつきましたが、瑞希の問題はもう少し屈折していて、だからこそ、むしろ「受け入れられる(優しさをもらう)」ことが許せないという、一見すると逆の結果になったんだと思います。

そう考えると私は、(これも繰り返しになりますが)話すとか受け入れるとか、男子生徒Aとか、そういう問題じゃない気がするんですよね。
だから個人的には、今回のイベストについてはあまり絶望しなくてもいいような気もしてますね

6. 瑞希がなりたかった「友達」とは?-杏・類たちと、絵名・奏・まふゆの違い-


ここまでのストーリーのおさらいですが瑞希の望みは、「絵名の気持ちに応えること」、すなわち対等な親友になって、ずっと一緒にいることなのでした。
そして、だからこそ自ら秘密を打ち明けることが最後までできなかったし、絵名から「優しさ」をもらうことも、どうしても許せないのでした。

一方で皆さんは、このように思うかもしれません。「類とか杏からは、優しさを受け取ってるんじゃないの? 二人は本当の親友ではないの?」って。
正直、うるせえという感じなのですが(自分で言っておいてすみません笑)、ここは大事な視点だと思います。ここをクリアにすることで、「絵名とどのような関係でいたいのか」という瑞希の願いが見えてくるからです。

そこで、私が本noteの最初に仕込んでおいた伏線が効いてきます。それは、
「隠せるマイノリティ」という概念です。
つまり、類・杏に対する気持ちとニーゴの皆に抱く想いの違いは、「隠せるマイノリティ」と「隠せないマイノリティ」という対立軸によって説明可能なのです。

もう少し具体的に話すと、類や杏は、「隠せないマイノリティ」の文脈においてできた友達や仲間、つまり、瑞希がマイノリティの立場に置かれていることを知った上であえて関係が始まっており、さらには、彼らの「瑞希のことをただ願う気持ち」を本人が感じ取ることで、徐々に構築されてきた人間関係なのです。

という訳で、「隠せるマイノリティ」として友達になった絵名とは、全く前提が異なります。だからこそ、類や杏からは「気遣い(≒優しさ)」を受け取ることができるのに、絵名から「優しさ」をもらうことは耐えられないのです。

類からだからこそ、受け取れた気持ち


といってもこのような気持ちは、どちらかというと普遍的なものなんじゃないかと思います。

言い換えるなら、「あなたは、家族や幼馴染に受け入れられているからといって、友達や恋人を作ることを諦められるのか?」ということですね。

それくらい、類・杏と絵名は別物です。だからこそ、絵名が「優しさ」を瑞希に受け取らせようとするのも不可能です(絵名は、瑞希の家族にはなれません)。
全員が、代替不可能かつ瑞希にとって必要な存在なのです。

逆に、絵名にしか届けられないものも絶対にある


ここまでの話で、それぞれの関係が違う、ということについては理解してもらえたかと思います。
ではここから瑞希が絵名に望むことを考えるために、「絵名の気持ちに応える」とは何を指すのかを考えてみましょう。

まず大前提にあるのは、「隠し事をしない」ということだと思います。でも、それが「絵名に応える」ことになるという事実に対して、少し立ち止まって考えてみましょう。
つまり、絵名はこのような隠し事をほとんどしない(むしろ、できない?)、ということについてです。

絵名は、画家という職業に向き合う過程で辛いことがあれば涙を「普通に」流しますし、ナイトコードで愚痴だって当たり前にいう訳です。
ちなみに、それに対して瑞希は、「陰険自撮り女」なんて茶化してしまうのですが、絵名はそんなこと等は気にもせずに、「瑞希は友達だ」と言い切ります

瑞希にとって絵名の姿は、はっきり言って眩しいんだと思います。だからこそ瑞希は絵名に追いつきたい、すなわち「絵名の気持ちに応えたい」と思うのです。
そしてその先に、対等な関係があるのだと、私は思います。

ここまで来ると、絵名の気持ちに応えるためには、瑞希が本当の気持ちを話す「しかない」ことに気づきますね。

つまり瑞希は、絵名と「嫌なことまで言い合える」関係になりたいのです。

と考えると、「皆の優しさが、どうしても嫌なんだ」という瑞希の言葉って、とっても良い発言だと思いませんか?

だってその言葉は、絵名と友達になりたいと本気で瑞希が思っていなければ、出ようがないからです。

その意味で瑞希は、絵名と一緒にいたい気持ちを捨ててはいないし、すごく勇気を出して気持ちを声にしたな、強いなと、私は思います。
(もちろん意図して告白したというよりは、無我夢中の内にでた気持ちだと思いますが...)

二章の仮面の話について再び触れると、瑞希は初めて、「隠せる関係」として出会った他者である絵名に、二つの嘘を取り払った本当の自分を見せたのです。

相手が絵名(ニーゴの皆)以外だったなら、こうではなかったと思います。瑞希の顔には、作り笑いが張り付いていたはずです。

この点について、皆さんがどう思うかは分かりません。間違いなく絵名は傷ついたと思いますし、そうした瑞希のことを快く思わないかもしれないです。
ただ、瑞希がこのような発言をしたのは、他でもない絵名と親友に、すなわち「傷つけてもいい関係」になりたかったからなのです。

ちなみに瑞希は、自分が秘密を話さないことが、絵名を傷つける可能性を高めることも、誰よりも理解していたと思います。

そんな、言わなくても傷つける、言っても傷つける(自分が加害者になってしまう)という無理ゲーの中で、
瑞希が最後に振り絞った言葉は、間違いなく真実だと思いますし、少なくとも私は、とても心を動かされました。

あとは、行く末を見届けるだけですね。ただ私は、全く心配していません。ニーゴの皆なら再び一緒になれると、心から信じています。

7. じゃあ絵名は、いったいどうすれば良かったのか?


正直いって、この章はおまけです。私が瑞希に関して伝えたかったことは、書き切りました。
しかし一方で、「瑞希が辛いのはわかったけど、じゃあどうすれば良いんだよ!」と思う方も、確実にいるかと思います。

初めに、「皆さんの現実の対人関係にも役立ててほしい」と書いた手前、この問題から逃げることはできないと思いますので、ここからは今まで以上に私見となってしまいますが、思ったことを書いていきます。

まず、早速矛盾するような話にはなりますが、正直絵名は、どうしようもなかったと思います。なぜならこれは、構造の問題だからです。

原因を瑞希に求めるのは問題のすり替えだと五章で述べましたが、それと同様に、この原因や解決を絵名個人に押し付けてしまうのは、やはり問題のすり替え以外の何者でもないと思います。

なので、難しいことだと分かりながらも書いていますが、まずは瑞希も絵名も、安易に責任を背負いすぎないことが大事です。

ただ、それだけだと無責任に話が終わってしまうので、もう少し深めますね。
結局は、瑞希とニーゴの皆が一緒にいられれば良い訳で、そのために何ができるのか?ということを考えれば良い訳です。

そのように考えた時に、SNS上で散見されるのは、「うるさい! 私は瑞希のことが好きだから一緒にいるの!」と絵名がエゴを通す、という解決策です。

個人的には、それも一つの正解だと思います。それは、瑞希が「傷つけ合える関係を望んでいた」という意味で、絵名にも権利が充分に認められた行動ですし、
また、どうしても同性愛とか異性愛がチラついてしまう場面において、それでも「あんたが好きなの」と言えることは、それだけで親友という関係が崩れないことを、瑞希に予感させると思います。

私たちも、そんな瑞希が好き

一方で、この対応をするのには少し、時間が経ちすぎてしまったような気もしますね。もちろん、絵名が悪い訳では全くないのですが、絵名は一度瑞希を取り逃してしまっている訳なので、このような行動を通す機会はもうあまりないのかな、とも思います。
また、それが「優しさ」ではない証明の問題も残っていますしね。

個人的には、「瑞希が好き」よりももう少しゆとりを含んだ言葉でも良いのかなと思います。
あくまで自分の感覚ですが、「こういう所が好き」と言われると、それに従わなきゃいけない気がしてくるのです。
つまり、「ありのままの自分」を演じる仮面を被らなければいけなくなるということです。

以下は、私が大好きな漫画の一部抜粋なのですが、この「失望しない」という表現が、最高にぴったりだなと私は思います。

逆にいえば、瑞希やここでの弘中さんにとって、「失望されないこと」は全く当たり前ではなく、むしろ「ありのままの自分を見せたら相手を傷つけてしまうのではないか、失望させてしまうのではないか」とさえ思ってしまう訳ですね。

よって、こんな「優しさ」ならあってもいいのかなと、個人的には思いますね。

蟹田「無田さんは生きづらい」63話より引用
※ニコニコ漫画やXで読めます


また、最後の選択肢としては(私としてはこれが本命なのですが)、「再び待ち続ける」という対応も絵名の頭の中にあっていいと思います。

もちろん、二人にとってすぐに解決するのは難しすぎるという理由もありますが、もっと重要なこの行動のメリットがあります。
それは、「絵名がこれからも変わらないと示せる」ということです。

このまま「ずっと」待つという選択肢


つまり、親友の瑞希が話してくれるまで、自分はまだまだ待つよ、ということですね。
もっと言えば、「瑞希の悩みは男子生徒Aに代弁されていいものじゃないでしょ? 瑞希がこれまでに辛かったことを、全部教えてよ」という方向性に持っていくということです。

今の状況において、「待つ」という選択肢を取ることは、とても怖いことだと思います。
しかし、無理に近づくことが正しいとも限らないと、私は思います。羽化したての昆虫をベタベタ触ると、死んでしまうのもまた事実だからです。

かつて瑞希が、「逃げてもいい」とまふゆにいったように私は、絵名に「待ってもいい」と伝えたいですね。

ちなみに自分は、その意味でまだ瑞希は、絵名に話すべきことが残ってると思います。文化祭でのことに囚われずにリベンジしてほしい、いつかまた、ニーゴの皆の前に「自分から」現れてほしいと願います。

と、何個か書きましたが、私自身も、全く自信はないですね。それくらい今回のイベストの問題は、誰にとっても難しいものだと私は思います。
でもだからこそ、皆さんに考えてほしい、瑞希の話を今後の対人関係に活かしてほしいと思う訳ですね。

そんなエゴを言ったところで、私の伝えたいことは以上です。

8. 全体のまとめと感謝


まずは皆さん、私の拙い文章に目を通していただき、誠にありがとうございます(いつの間にか、14000字を超えてしまっていました...)。

正直に言って私の意見は、かなり偏ったものだと思います。特に、絵名や男子生徒側の立場の人にとっては、あまり気分の良くない記述もあったかと思います。

にもかかわらず、最後まで読んでくださったこと、改めて感謝申し上げます。

まず私が伝えたかったのは、原因は誰のところにもないということです。そうではなく、瑞希が置かれている構造が無理ゲーであるということを伝えるのが、このnoteの第一の目標でした。より正確に言うなら、責任はどの個人にもなく、「私たち」にあります

また、もう一つ伝えたかったのは、決して瑞希は異常者なんかじゃないということです。どっちかというと、皆の中にいることが好きだし、楽しいことが好きだし、カワイイものも好きな、そんな一人の人間なんです。

さらに、このnoteでは構成の都合上、瑞希を「被害者」として描きすぎたきらいがありますが、瑞希は決してそれだけの内容で説明されないと、他でもない私自身が思っているということは改めて強調しておきます。

瑞希に、絵名に、ニーゴの皆に、このイベストを読んだ皆さんに、そして私自身にも、幸せがあることを祈っています。

また、このような緻密なストーリーを作ってくださったプロセカの製作陣の方々には、感謝してもしきれません。
本当に、ありがとうございます。

では、全員の輝かしい未来を信じて。
また会いましょう!

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