生きづら翁の去年振り返り
※推敲していないめ、このnoteはクソつまらないです
自分ってもしかして発達持ちなのでは?
という疑念を持ち始めたのは大学生活をしばらく送っている過程で生まれたものだった。
地元から上京し、東京という場所で、周りの人も環境も何もかもが新しい。
そんな状況を過ごす中で徐々に生きづらさを感じていった。
そう思った理由は色々あるが、いくつか挙げるとすると
「課題を提出できない」
「対人コミュニケーションが難しい」
「忘れ物が多い」
上記のことが原因で去年はとても苦しんだ。成績もうんこだった。
自分と同じような悪い成績のやつはいないのかと周りを探してみたものの、そんな人はいなかった。
何も出来ない人間は自分だけなんだと、軽い絶望を味わった。
友達に相談しても「次は頑張ろ」としか言われず、自分の持ってる感覚は相手には無いんだと気づいた。
そんな状態で、大学生活における充実感は得られるはずもなく、自己嫌悪する毎日。
夏休み前になるとテスト期間に入り、色んな授業のテストやレポートが重なった。
その時期は特に病みに病みまくっていた。
その大きな原因は、レポートだった。
僕はレポートが書けなかった。
ものすごく書けなかった。
自分の考えを数千字にまとめることはものすごく困難な事だった。
友達は少なく、その友達もとても忙しそうなので、「レポートの書き方教えて」なんてとても聞けなかった。
パソコンに向かっても序論から全く書けず、何か考えを思いついたとしても、上手く言語化できずに頭を抱える日々を送っていた。
徐々に迫ってくる提出期限。期限が迫ってくるにつれて、嫌悪の念も強まっていった。
どうして書けないんだ、どうして自分だけこんなに出来ないだと。
いつの間にか、レポートをやらない理由を探して、現実逃避をするようになった。
ゲームをしたりSNSに没頭した。
現実逃避をしてても、ずっと頭の隅に課題の存在がいて、とても頭が痒かった。まるで頭の中でクモが這いずり回ってる感覚で心底気持ち悪かった。そうした日々を送り、ストレスも限界を迎えようとしていた。
そして、ある木曜日の1限の授業中に、いつの間にか涙を流していた。
バレないようにすぐ涙を拭った。ストレスの限界を迎えていたのかもしれない。
しかしこれは、自分がレポートに取り組まず、怠惰を貪り続けた自分で招いた結果なのに被害者ヅラして泣くなんて、なんて甘い人間なんだろう。という自責をしてまた泣いてしまった。
努力のしようなんて他にもあったはずなのに、と今では思う。でも、ストレスも溜まってたせいか視野がとても狭まっていたんだろう。
泣いたあと、レポートを諦めた。
レポートのある授業はほぼ落単。
結果大学辞めたいbotが誕生したのでした。おわり
その後は、サークル入ったり新しい友達が出来たりと色々あって持ち直すことができたけど、それ今度。
そういえば最初に述べた、自分は発達持ちなのではという疑問についてだけど、
結論から言うと、発達障害では無かった。
でも健常者とも言えない。おそらく発達障害と健常者の間だと思う。
発達認定されるには、いくつかある項目全部に該当しないといけない。
自分はいくつか該当するものはあるけど、全部に該当するまでではない、グレーゾーンという結論に至った。
どうせなら発達認定されて、自分がなんにも出来ないのは発達持ちだからしょうがないよねって安心したかった。
間の存在なんて、普通の人より出来ないことが多い、ただの不良品でしかない。
これからこの不良品で生きていかないといけないと思うととても不安しかない。てか卒業できるのかな
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