6月14日のお話
これは私たちが暮らす世界とは少し違う世界のお話です。風景や生き物、人間と呼ばれる種族がいることなど、その世界は私たちの世界ととてもよく似ていますが、彼らは何度かの突然変異と文明の入れ替えを経た長い歴史を持っています。
今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界のお話です。
4203年6月14日
カリノはこの日、朝早くから、自宅兼会社のある新都心エリアを出て、旧都心エリアとの狭間にある山岳地帯を目指していました。この山岳地帯は、以前大変高い活火山があった場所で、その山の形はもう100も変わったと言われるほど、噴火を繰り返していたという記録があります。今は火口も役割を終えていますが、噴火の度に街を破壊されてきたその土地に産業は育たず、今は自然エリアとして放置されています。
この世界には、こうして「放置」された自然エリアが点在しています。それが、過去の大戦の影響だという学者もいれば、この山岳地帯の様に自然災害を避けた結果だという学者もいました。カリノはどちらも正しいのだろうと思っています。世界にどちらかが正しいということは、そうそうない、というのが彼女の持論です。それは、大学の頃に比較人類学という学問に触れた際に感じ取ったものでした。彼女の専攻は「科学と魔法の比較による人類の進化」というものです。過去に勢力争いにまで発展した科学と魔法は、いまではすっかり共存しています。カリノはその「共存に至る過程」に興味を持ったのです。
歴史的には、科学の方が先に市民権を得、そこを補うように魔法の力が現れました。そして力が均衡に近づくにつれ、それぞれの使い手たちが、自分の権力を守りたいが故にお互いを攻撃するようになったのです。しかしその争いは長くは続きません。「どちらかがなくなってしまうと、今の生活が色々不便になる」と、使い手ではない一般の市民たちが感じ始めたのです。
科学や魔法に関わらず、人類の歴史において、利益を得るものが大きい方向に「発展」という力学が働いてきました。今回の場合は、科学も魔法も両方あることで利益を得ていた人々の「数」が多かったのでしょう。いずれの世も、求められる能力が残るのであって、どちらかが正しかったから残るわけではないというようにカリノは考えているのです。
さて、そんなカリノが今一番「求められている能力」を持っているのが、コトダマ派の魔法使いです。そして中でも彼女が個人的に求めているのが、仕立て屋をしながらコトダマ派の魔法を使う青年、ヒイズでした。彼は他とは違い、独自の観点で助けるべき人を助けている魔法使いです。
ヒイズの力を借りたい案件が出てきたので、カリノは二日ほど前からヒイズに連絡を取ろうとしていました。しかし、一日経っても二日経っても、全く返信がありません。こういう時は、彼は山岳地帯のエリアの隠れ家にいることを知っていたので、カリノは自分の仕事が休みになる今日を待って、直接案件の依頼をしにいくことにしたのでした。
隠れ家とされているのは、何度かの溶岩の襲撃をまぬがれ、今も草木を保ち続けている小さな森の中の一角です。空間把握能力にたけているカリノを、一度だけそこに連れてきたのが、ヒイズの失敗でした。彼女は地図に無いその場所を正確に記憶しており、カリノの手にかかると、そこはすっかり「隠れ家」ではなくなってしまったのです。
太陽がちょうど真上にさしかかったころ。隠れ家の敷地内に現れたカリノを見て、ヒイズは驚きもせず、迎え入れました。連絡に返事をしていないことは認識していたので、そろそろ来るだろうと思っていたのです。
悪びれもしない彼の態度に、カリノは腹が立つのも通り越し、まぁ元気そうでなによりだと思う他ありませんでした。
せっかく来てもらったけど、あともう少し、かかりそうなんだ。
ヒイズはカリノと一緒に食べるための昼食を用意しながら、そういいました。もう少しかかる、というのはコトダマ派の魔法使いが定期的に行う「返しの儀式」です。
儀式の場所ややり方は、それぞれのようですが、他の流派の魔法使いと違い、コトダマ派の魔法使いは返しの儀式を怠ると魔法が使えなくなってしまいます。ヒイズの場合は、この山岳地帯でその儀式を行っていました。
今回もまた、長くかかるのね。
カリノがヒイズと出会った頃は、確か返しの儀式に必要な時間は一日程度でした。それがあの一件以来、二日、三日、とかかる時間が長くなっています。それもそのはずで、返しの儀式は、魔法を使った頻度が多ければ多いほど長い期間が必要になります。こまめにできればよいのですが、カリノとヒイズのように、都心から辺境まで駆け回るような仕事スタイルだと、どうしてもため込んでしまいます。今回も、辺境の農場からの帰り道、複数のクライアントのところに立ち寄ったことがきいているようでした。
昼食をとったあと、カリノは、邪魔をしないという約束でヒイズの返しの儀式に付き合うことにしました。遠路はるばるきて、食事をして帰るだけでは休日がもったいないと思ったこともあります。
しかし彼女の本音は、ヒイズの返しの儀式を見たいというところにありました。彼の返しの儀式は、とても美しかったのです。
彼はまず、返しの儀式を行う場所を、その都度あるいて探します。付近で拓けた草原を選ぶことが多いと、カリノは訊いていました。今回の場所も、背丈の低い草が大地を覆いつくした草原で、少し先に深い森に続く木々が見えています。
ここで、ヒイズは針のように先端のとがった剣をとりだし、片手で構えると、まるで目の前に相手がいるかのように動き出しました。剣舞です。もともと幼いころから様々な剣術を習得していたという彼が、返しの儀式にこのスタイルをとっているのはうなづけます。カリノは少し離れたところから、これから小一時間つづく、剣舞の野外ステージを独占していました。
剣が空を裂くごとに、ヒイズの体から不思議な火花のような光が放出され、剣に絡みつき剣の輝きが増していきます。以前ヒイズから聞いたところによると、この光は、魔法で聞き取った「人々の心の言葉」なのだそうです。不登光症候群の治療を行うようになり、魔法で引き出す人々の心の言葉には、不安や不満の毒気を持ったものが多くなりました。そういうものを体内に取り込むことが魔法を効果的に使う過程にあるため、いつのまにか、魔法使いの体内にそれらが蓄積してしまいます。
剣の輝きが太陽のそれと同じくらいになると、ヒイズはくるりと体を反転させ、その剣を草原の大地につきたてました。ドンッという音と共に、突き立てたところを中心に大地がクレーターを作ります。遅れて届く風圧にカリノの髪は後ろに大きくなびきます。剣の光はそれとともに大地に吸い込まれ、ヒイズは軽やかにクレーターのふちまで跳躍して降り立ちました。
次の瞬間、剣を引き抜いた先からは、湧き水がポコポコとあふれ出します。瞬く間にクレーターの中に透き通った水が満たされ、カリノの目の前に、小さな池が誕生しました。
相変わらず、いつ見てもすごいわね。
カリノは感心して、出来たばかりの池の水を覗き込みました。ヒイズによると、この水は地中に眠っていた数百年前の「吐き出された言葉たち」なのだといいます。。言葉は土の中で長い年月をかけて、周囲の微生物や鉱物と反応したり、岩や溶岩に濾過されたりしていくうちに、水に還る性質があるのです。ヒイズによって新しく送り込まれた言葉に押し出されるようにして、綺麗になった昔々の言葉が地上に現れる。その不思議な循環に、カリノはいつも考えさせられてしまいます。
人類が吐き出した言葉の毒気を、人類が持ったままだと体を悪くするのに、それを大地に抱かされるとこうして綺麗に濾過されていく。そして最後には人類を育む水になるなんて、この世界のなんと優しいことでしょうか。
湧き水が地上に出てくるポコポコという音を聞きながら、次の舞の場所へ移動するヒイズを見送り、カリノはもう少しこの場所にいよう、と思ったのでした。