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此れからの楽しみより、ずっとずっと重たい【愛されなかった過去】


母方の祖母が、緊急入院していたという事を先日知った。
祖母は7年前に夫である私の祖父を亡くしてからといもの、他の誰にも言うことはなかったが、
ぽつりと
「皆に迷惑かけてまで長生きはしたかねぇなぁ……」

よく私につぶやいていた。
私は静かに聞く事しかできなかった。
そして
「私にとってばあちゃんはたった一人のばあちゃんだから…そんな事は言わないで…」
と、ありきたりな言葉しか返せなかった。

そんな祖母も90近い……

誰にも迷惑をかけずに……という祖母の願い叶っていない。

何があったかは分らないが大量の輸血をしたそうだ。
そして、祖母は食べ物を食べたくないとかたくなに拒絶しているそうだ。
喉や、胃に穴をあける手術をした場合……輸血の意味がなくなる……
という話らしい。
……祖母は、覚悟を決めているのかもしれない。

それでもその話を聞いた日、私はなんとなくどうしようか迷っていたが、
地元の総鎮守様に参杯をし、祖母の無事・長寿を願った。

その日の夜に疎遠にしていた叔母に祖母の状態を聞くために通話した。
病院でできる事はやりつくした。と……
どういう意味なのかは分かっている。
そして母は言語の障害があるし、祖母のいる場所から遠く離れた場所で暮らしている為
祖母の子供たち全員一致で、病院から介護施設への移動を決めたそうだ。
……食事も祖母がとりたくなったら取らせる。
という条件を飲んで。

多分全員が覚悟しているのだと思う。

叔母は、施設に移れば面会ができる
と言ってくれたので施設に移る日が決まったら連絡をよこしてくれることになっている。

それだとしても……一週間が経とうとしているのに退院のめども何も経っていない。

不安は募る一方だ

そして何より、12月の車上荒らしの件で、私に対し
被害者は私であるのに突き放す言葉を放った叔母をわたしはまだ許せていない。
そんな事も忘れているのか、叔母は
「施設に行く前日の夕方にこっちに来て一泊して次の日施設に一緒に行こう」
と、簡単に言ってきたのだった。
……罵詈雑言を放った叔母と一対一で対話などできるはずがない。
なんなら親は私が精神障碍者であり、手帳を所持している事も、うつ病でうる事も何もしらないのだから……
もし身に覚えがあったとしても
「あの時はついごめんねー」
などと笑い話にされたら私の精神がたまったもんじゃない……
祖母の顔を見たい
会いたい
……実家の祖父に会えないままお別れをして悔いているからだ。

だけどこの事を考えるようになってからずっとずっと私の中で何かが壊れはじめたのだ。
眠剤を飲めば眠りにはつける。
しかし【悪夢しか】見ないのだ。
最悪なことに身内全員から自分がした事、自分の存在を否定しかされない夢を……

油汗をかいて毎朝、薬がきいているはずなのに2~3時間しか眠れない……
こんな状態が一週間近く……

連絡先を知っているのは叔母だけだが
どうして私が祖母が入院する前に祖母宅に電話をかけた際に母の兄の奥さんは
「hanaeちゃん、遠くで仕事してんでしょ?どう?」
などと言われた。
……きっと、実家の祖父が亡くなった際にあの実のクソったれ親父は私が除籍した事を隠し、
「遠くで仕事をしていて忙しいから帰ってこれない」
とでも言ったのだろう……
だとしてもそれをうのみにする親類もどうなのだろうか?????

偶然SNSで見た、父親が娘にiPhone最新機種と高い腕時計をプレゼントしているものを見た。
私は、実の父親から高校入学祝いや専門学校入学祝い……誕生日・クリスマスすら記念日にプレゼントをもらった事がない。
逆に私が父の日・父の誕生日に贈り物をしないとなじられた……
親というものは子どもに対し「無償の愛」というものをもって接するものではないのか?

そして結局私は
「自分は実の親にすら愛されることはなかったしこれからもない。だから誰からも愛されない……」
そう思っている。

でも、愛を知らないまま、誰にでも遠慮し、結果いろんな悪意を持った人や言葉に傷つき、でもそれを相手のせいにできないまま
自分を責め続けるだけの人生もついに39年目だ……

自分は長子だが田舎の農家だ。
長男だったら私はまだ幸せだったのか?

妹が小さいときに私と喧嘩して薄いガラス窓を割ってしまった。
妹はワンワン泣いてそのまま流血していたので病院にすぐに母親は連れて行った。
……私も未だにのこっているぐらいには右手のひらにキズがある。
妹がガラスを割った時にできた傷だ。
私もタオルで抑えてもスポーツタオルが真っ赤になるぐらいの出血をしていた。
なのに私のことは見ていなかったかように家に置き去りにされ、小学生中学年だった自分はどうやって止血したのかはわからないが
大きくなって整形の先生にみつかったときに
「縫わなかったの?」
と言われたぐらいだった。

妹が小学生の時に同級生の髪の毛をカッとなってハサミで切ってしまった事があった。
担任の先生から電話で聞いて青ざめた母は、なぜか中学1年の私を連れて被害にあった子の家に行き、
危害を加えた妹ではなく、私が同伴し頭を下げ続けた。
どうして何もしていない私が妹の代わりをしなければなかったのか??
……妹は軽度ではあるが知的障害だからね

理不尽な理由だった。

うつ病が酷かった冬に、病院に行くためにその時は薬が全部強くてフラフラしていた。
玄関に腰を掛けてブーツを履こうとしてそのまま脳震盪を起こして後ろにあった灯油のポリタンクにぶつかって自分も頭から灯油をかぶり
満タンだったタンクの半分以上が自分自身と床に流れていった。
丁度父親が休みで家にいたので音とにおいに気付いた父親が走ってきて私を叱った。
「お前はいいからとにかく床とタンクをどうにかしろ!!!!!なにやってんだ!?バカ野郎!!!!」
……少しでも私がライターでも持っていたら私は焼身してしまうのに、私の長い髪に、コートに顔に手についた灯油は後回しにしてでも
床に散らばった灯油を片付けろというのですね……
今思えば、自分事火を放ってしまえばよかった。

こんな生きてても全く褒められないどころか
存在・行動・やることなすことを否定されて生きてきた人間はどうやったらこの先の人生に光を見いだせるのですか?
ゆがまされた私の心は一生ゆがんだままのに……

私が除籍して、今までつかっことがなかった生協の通販を頼んだり、行ったことがない場所にいったり、私には受けさせてくれなかった
市の健康診断を妹には受けさせたり……

私の存在は、そんなにあなたたちにとって害だったのですか???

だったらいっそ本当、その手にかけて、私の存在を消し去ってほしかった。

まとまらないですが一旦起用は終わり。

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