メイが旅立った日
2021年6月4日 9時55分、メイが旅立ちました。
春頃から体調を崩し、眼の病気になってから
ずっと痛みや苦しみと戦っていました。
お昼頃に家畜保健所にメイを送り届け、
最後のお別れをしてきました。
検査解剖で詳しい死因が分かると思います。
メイはその一生で沢山のミルクを出してくれて
それは世界一美味しいヤギミルクだったと
親バカでなく本気で思います。
これからメイが行く場所は、自由に草を食み、
自由に恋をして、自由に子どもが産める
人間のいないヤギの楽園と信じたいです。
メイが亡くなった日、徳島では大きな虹がかかったそうです。動物たちが渡るという虹の橋は本当にあったのですね。また前日の夜にはヤギ小屋の中にホタルが現れました。メイを向こうの世界に誘ったのかも知れません。
以下、長文になりますが、メイが亡くなるまでの経過です。
今年の春くらいから脱毛や痩せてきたりなど異常の兆候がありました。
5月25日に所用から帰ってくると、メイの右目の瞼が露出して異常に膨れ上がっていました。静岡の獣医さんにオンラインで診てもらったら、それは家畜に見られる結膜炎ではないかということでした。徳島の家畜獣医さんに往診をお願いしましたが断られ、犬猫専門の獣医さん(お父さんが家畜獣医)に薬を処方していただいて、毎日点眼しました。1日に5回の点眼と3回の軟膏はメイにとって大変な苦痛だったと思います。薬の効果で段々と腫れは引いてきましたが、今度は食欲が減退、反芻が弱くなりフンも少量になりました。
6月3日の夜。9時半くらいまでヤギ小屋の中でメイの様子を見ていました。ずっと立ったままで動かないので不安でしたが、食事でいったん私は家の中に戻りました。深夜12時過ぎ頃、物凄い唸り声がするので出てみると、メイが小屋の外で雨の中うずくまっていました。時折頭を上げて苦しそうに叫び声を上げます。雨に濡れるのでとにかく小屋に入れるため立ち上がらせようとしますが動かすと悲鳴を上げます。仕方なくビニールシートを被せ、背中をマッサージしてやりました。深夜なのでさすってやる以外何もしてやる事ができません。明け方までメイは大きな声を上げ続け、やがて弱々しくなりました。
朝、7時頃にメイが口を大きく開いて鳴き叫びました。舌が青くなっています。抱きしめてなだめてやりましたが苦しそうに暴れます。
8時にはメイの顔がだんだん安らかな表情になってきました。呼吸も弱々しい。ずっとそばにいて体をさすりつつ経過を見ましたが、そこで大雨が降ってきました。冷えるといけないので何とか小屋に入れようと体を持ち上げましたが、これが仇となりました。メイは再び絶叫し、たちまち息がなくなり、瞳孔が開いて魂が抜けていくのを感じました。そのままにしておけば安らかなまま眠れたのかも知れません。9時55分、メイの体は完全に冷たくなり、静かに旅立っていきました。
以下は家畜保健所での検査解剖の結果です。口頭での聞き取りなので違っている部分もあるかもしれません。
異物をかなり食べており、胃の中で長さ20センチのロープやビニールシートが固まっていた。こ第一、第二胃には食物が入っていたが、異物が詰まって第三第四には殆ど入っていなかった。
叫んで苦しんでいたのは胃にガスが溜まって鼓腸症を起こしていたためではないか。
胸にかなりの量の水腫が溜まっていた。
心臓等の臓器を見ると思っていたよりも高齢であった可能性が高い。
右目は打撲のような損傷があり、目の異常の原因と思われる。
メイには以前から異物を食べる癖があり、何が異常が起こるのではないかと心配していました。最後の1週間は目の治療に気を取られて、内臓の異常は後回しにしてしまっていました。ヤギは我慢強い動物で、多少の苦痛は外に見せません。そんなメイが絶叫するほど鳴いたのだから相当の痛みだったのだと思います。
苦しみ抜いた死は決して美しいものではありませんでした。しかし苦痛から解放されたメイを見て、悲しさと共に晴れやかというか、不思議な感情がありました。
最後まで親身になって相談に乗ってくださった2人の獣医さん、ヤギ飼い仲間さんに心から感謝いたします。
メイが亡くなってひと月。徳島家畜保健衛生所の方が解剖検査の詳しい結果を報告に来てくださいました。直接の大きな死因として誤食で胃に異物が詰まっていた事に加え、全身に水腫が出来ていたとの事でした。ヤギは痛みには我慢強い動物と言われますが、亡くなるまで何時間も絶叫して苦しんだので、それはよほど耐え難い痛みだったのでしょう。
ヤギ飼育をされている方の今後の参考になるかも知れませんので、見るのがつらい写真ではありますが報告書類をアップします。ちなみに解剖、遺体焼却にかかった費用は5,200円でした。
(※ 馬、ヤギなど家畜動物が死亡した場合は届け出が必要です。また保健所の許可のない埋却は禁止されています)