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終わりを思い描いて生きるということ 金曜日の幸せなイーリスp.5

『100日後に死ぬワニ』が話題ですね。

作者のきくちゆうきさんがYahooニュースはじめしゃちょーのYouTubeでも『自分の「終わり」を意識すると、今やるべきことが見えてくるのではないか』と語っていらっしゃいます。

どれだけの人が、自分の終わりを意識しながら生きているんでしょう。

祖父母、両親、親戚、ペット、友達、顔見知りの知人、芸能人、、、

他人の終わりを知ったときには「終わり」が心に響くけれど、時間が経てば「終わりそのもの」を意識することはなく生きている気がします。

自分のこととなると、今日が元気なら「明日ではない」ような気がして。


『7つの習慣』の作者であるコヴィー先生も本の中で、終わりを思い描いて生きること、自分の葬式の弔辞になんと言われたら嬉しいのか?なにが大事かをきちんと考えて生きるようにとおっしゃっています。

・自分が出来ることにフォーカスすること

・自分と向き合うこと

そうしていれば、他人のことを気にしている暇がないというのも共通です。


自分の死を考えることは、自分と向き合うこと

例え自分のことでも、いつ起こるかわからないことに向き合うのは、正直おっくうじゃありませんか?日々の生活に流されていたほうが、難しことを考えるよりラクですよね。

どうせ死ぬなら楽しくラクして生きたい。ムダに疲れたくない。

人間の生存本能なんて、そんなもんです。向上心のある人が文明を作ってくれたらいいや〜、自分はそのいいとこ取りが出来たらいいや〜って思いがち。

自分の人生なのに、なぜか必死になれないもんです。

動物としてのホメオスタシス(恒常性)がしっかり働いてる証拠なんだけど。笑


それでも、「終わり」が明日ではなく何十年後だとして、自分が棺で横になっているのを想像すると、はたして今の生き方でいいんだろうか?と考えるし、死んでいるわたしに向かって皆んなはどんな声をかけてくれるのだろうと思うと、不快な言葉は絶対に聞きたくはない。最期は最高の言葉で送られたいなと思うのです。

『ほのさんのお陰で人生が変わりました。』とか『ほのさんがいてくれたから自分も生きてこれました。』くらいのことを言われたいわけです。厚かましいけど。

わたしだって、「なんだかんだあったけど、総じて幸せな人生だったなぁ」と思いながら死にたい。何年も前から、最後の場面を妄想することがあるんです。


ならば、それが現実になるような、本当にこの言葉をかけてもらえるような人生をおくろう!それしか方法はありません。

今やるべきことは、欲望に負けて食っちゃ寝することではなく、自分の理想の終わりに向けてできることを、一つずつやっていくこと。

わたしは幸せな生きかたを研究している身として、幸せメンタルコーチというか、ハピネスライフコーチ(なかなか良い単語が浮かばず思案中)という役割をまっとうしていけたらいいなと思っています。


みなさんが、終わりを意識したとき、頭の中にどんな映像が浮かびますか?そして、今やるべきことはなんでしょうか?


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このテーマでセミナーを作ってみようかな〜。





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神谷虹色(かみや ほの)
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