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プロの魔窟はひと味違う

(2011/05/31記)

 ひょんなことから石田憲先生のご自宅をお訪ねする機会を得た。

 たまたまご相談したい企画があって、突然先生と私のタイミングが合って、待ち合わせが南北線の東大前で、打ち合わせに使おうと思っていた喫茶店が休みで、と、いくつもの偶然が重なった結果、「じゃあ、近くですからちょっと寄っていってください」という流れに。

 緑の多い住宅街や寺町っぽい小道に商店街と、わざとやってるんじゃないかというくらい細かな路地を歩いて、いくつも角を曲がって、気がつくと白い壁に小窓のついた二階建ての前に立っていた。

「窓が小さくてパルチザンのアジトみたいでしょう。銃眼から銃口だけ出してね(笑)」

 笑いながら先生は鍵を開ける。途端に不思議な感覚に襲われる。何角形の玄関と表現したらいいのだろう。すぐ左手には奥へ向かう扉があって明かりが付いている。人の気配もある。

 右手にも奥へ向かう廊下。部屋がいくつかある。そして左少し奥に階段、上部階は……真っ暗だ。

 左手の扉を開けた石田先生が何事か声をかけた。奥から返事が……どうやら石田雄先生のようだ!

 こちらへ、と先導する石田(憲)先生が階段の明かりをつけ、右へ右へと回り込むように登っていくと、なんかもう魔窟としか表現のしようがない穴蔵にたどり着いた。

 秘密のアジトは、まだその先なのだが、途中の部屋とも廊下ともつかないスペースが気になってなかなか前へ進めない。スチール製の本棚が狭い間隔で並べられ、そのいずれにもみっちり資料と本が詰め込まれている。

 そのジャンルの多岐にわたること、すぐには連関の鎖が思い浮かばないほどだ。もしかしたら石田馨(宮内省御用掛)、石田雄(東京大学社会科学研究所所長)と続く累代の書物も収められているのかも知れない。

「こっちですよ、ココは元、物干し台でね(苦笑)」

 どうやら物干し台に屋根をつけたスペースがアジトらしい(笑)。だから、その部屋に入るには三〇センチ近い段差を登ってドアを開けなければならない。

 石田先生の執筆部屋たるアジト(旧物干し台)は、そこだけで八畳近くあったが、ここも全面書棚に埋め尽くされ、さらに奥にむかう扉があるではないか。このウチはどれほどの増殖を重ねてきたのだろう。

 東日本大震災直後、FBに崩落した書斎の写真をアップしたせいもあって、まるで私が蔵書家であるかのように思っている院生さんなどもいるのだが、これは大いなる誤りであり、あれはむしろものすごく本がたくさんあるような画像を撮ったカメラマンとしての私を褒めていただきたい(笑)。

 ホンモノ、プロというのは、そこらの素人が及ぶところではないのである。本棚を見ればわかる。一生のうちに絶対一度しか自分の前に現れない本を余さず買っている人の書斎には、そのことが醸し出す曰く言い難い迫力があるのだ。

 それにしてもご専門とも言うべきイタリアファシズム研究の資料は凄い。原書刊行物から一次史料に至るまで由来を聞いているだけで卒倒しそうな重厚さである。面白いのは、石田先生が写真集の収集にも力を入れていることだ。人物像を描く際に、折々、写真資料をひもとくのだそうだ。

 こうした作業が、単純に文献を読んで頭で理解できる範囲を超えた生々しさや、リアリティ、時代の空気を文章の中に込めることになるのかも知れないと感じた。

 参ったのは、ファシズム研究の関連で書棚の一角を占める近衛文麿と新体制運動にまつわる資料である。

 私が昭和研究会に関心を持って、二十年以上近衛関係の資料を集めていることは何度か書いたが、いやぁ、こんな私でも素人にしてはかなりがんばっている方だと思うのだ。

 当時の雑誌の付録や研究会の内部検討資料など、なかには石田先生がお持ちでないものもある(それは先生が欲していないだけの話であって私のほうが勝っているなどという意味では断じてない)。しかし、それ以前の基礎的文献が全然違う。正直、お話しにならないレベルである。恥ずかしいが読み落としている文献を必死でメモしてしまった(苦笑)。

 いろいろな先生方の魔窟(自宅書庫)を覗いてきたが、そのあり方には部屋の主の性格が色濃く反映される。ちょっと太ったら部屋の中に入れないほど間隔を詰めて本棚を置いている人がいるかと思えば、自宅にはいっさい資料を置かないというポリシーの方だっている。

 今回お邪魔した石田先生のお部屋は、大相撲で言えば量・質共に三役以上が確定である。アジト以外のスペースも見せていただきたかったのだが、夕食時にさしかかった上、当日中に答え合わせを済ませなければならない試験の答案用紙を抱えていらしたので、泣く泣く辞去した。ぜひとも改めて探訪の機会を得たいものである。

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