誰何 すいか
助教や先輩自衛官が、教育中の隊員や後輩を驚かすドスの利いた掛け声。か弱い隊員が掛ける誰何は、無視されて、あっけなく戦死判定される。
誰何を説明するためには、まず「歩哨」というものを、ご紹介する必要があります。
「歩哨」とは、軍隊などにおいて、駐屯地や部隊、装備などを、敵の攻撃から守るために警戒任務に就く者の呼称です。
要は見張りのことです。皆さんが一般的に目にしたり想像したりするのは、駐屯地や基地などの正門で、小銃を装備して立っている自衛官のことと思います(下の写真は習志野駐屯地です)。
自衛隊用語では警衛勤務と言います。24時間、365日途切れることなく、陸上自衛隊では駐屯地内の部隊の自衛隊員が、交代で任務に就きます。
それら駐屯地の警衛勤務ではなく、戦闘中(現実的には訓練中ですね)、部隊行動をしている最中、宿営や陣地構築などで拠点を作成する場合があります。
その場合、拠点の周囲、敵の接近が想定される箇所に、たこつぼと呼ばれる掩体(穴を掘って作った簡易な陣地)を複数構築して、1箇所に基本、2名以上の歩哨を配置し、数時間ごとの交代で警戒任務を実施します。
この際は駐屯地のようにある程度決まった人間が来るわけではなく、接近してくるのは敵か味方だけです。下の写真のように偽装して、小銃はいつでも撃てるように水平に構えて、定められた範囲を目視などで警戒します。
もし敵の接近を許した場合、自分のみではなく、後方で休息などをしている仲間を危機に晒してしまいます。集中力と根気のいる非常に大切で過酷な任務です。
この歩哨任務の際、敵か味方か識別不可能な接近してくる者がいた時に掛ける言葉が「誰何」です。ようやく「誰何」の説明になりました。
「だれかっ!」と低く威圧感のあるドスの利いた声で確認します。
味方であれば、所属や任務名を告げてきますので、定められた合言葉で確認します。
歩哨 「だれかっ!」
斥候員 「第一斥候」
歩哨 「機甲」(合言葉)
斥候員 「生徒」(合言葉)
歩哨 「通ってよし!」
※斥候 敵情を偵察する任務のことです。
返事がなく、3度誰何しても答えない場合は「捕獲するか、刺・射殺」します。
「歩哨の一般守則」というものが定められており、暗記させられます。
1 絶えず敵方を監視し、併せて四周を警戒し、すべての兆候に注意する。敵に関し発見したならば、速やかに前哨長に報告する。
2 出入りを許す者は、味方の部隊、幹部、斥候、巡察、伝令として、その他の者については前哨長の指示を受ける。近づく者には銃を構えて確かめ、彼我不明の時は誰何する。3度誰何しても答えない者は、捕獲するか、刺・射殺する。車両は停止させて取り調べる。
3 出発する斥候からは、任務、経路、帰来地点、時刻等の概要を聞き、自己の見聞した状況を知らせ、帰来する斥候からはその見聞した状況を聞く。
4 銃を手から離してはならない。夜間は着剣する。歩哨は喫煙せず、また、命令なく坐臥してはならない。
「捕獲するか、刺・射殺」という文言が自衛隊らしいです。
演習中には何度も訓練をします。助教や教官が敵役として接近してきたり、襲いかかってきたりします。適切な対応ができないと、かみなりが落ちます。実際の戦争中、歩哨がやられて、部隊が全滅したなどの例は、腐るほどあります。非常に重要な任務なのです。
私が北海道の部隊にいた時も、よく訓練で歩哨任務に立ちました。任務に就く前にトイレや食事などは済ませ、1時間や2時間、集中して任務に就きます。2人で任務に就きますが、私語などは当然厳禁です。お互い、この方向から敵が来た場合はどちらかが対応する。何名以上の場合は前哨長に連絡するなど決めます。
まあ、もっとも訓練だと割り切っているベテランの陸曹などは、たこつぼに隠れてタバコを吸ったりコーヒーを飲んだりもしますが。
昼よりも夜の任務の方が過酷です。視界が狭くなるので、夜間は鳴子を設置することもありました。
私は第7師団にいたので、訓練する演習場は、北海道大演習場でした。9600ヘクタールもある広大で自然豊かな演習場です。歩哨中、何度も動物を人と間違え、どきりとする場面がありました。
「だれかっ!」の掛け声に驚いたエゾシカが迫ってきた時には、焦ったものです。
夜には、比喩ではなく手を伸ばせば届くような星空が広がっていました。歩哨任務も数をこなし、慣れてくると力の抜き加減が分かるようになります。そんな時、頬に冷たい晩秋の風を受けながら見上げた星空は、ため息が零れるほど美しいものでした。歩哨任務を思い出すと、北海道の満天の星が、思い浮かびます。
想い出深い歩哨任務です。ショートショートでそのものずばり『誰何と星』という題名で一本書きました。『10分間ミステリー THE BEST』(宝島社文庫、2016/9/6発売)に収録されています。
今日の夜も、どこかの演習場で美しい星空を、名も知らぬ自衛官が眺めているのでしょうか。音もなく迫りくる助教に気付きますように……。