ぼくの考えた最強の真理
真理って追及してたらなんか全部の物事に当てはめちゃってる時ってぜんぜん楽しくないよ、
なんだっけあのさ、こっちのグループにはこれはあてはまって、あっちのグループにはこれがないよみたいなゲーム あるじゃんなぞなぞ的なよ あれをしている気分になります
なんか大体のことはそうだ って思って生きてたらさ、それ全然深くないよって自分にツッコミが入るよね めちゃくちゃ浅瀬にいるじゃん
なにが深淵じゃ、足湯でバタついてるくらいで!
でも足湯ぐらいでも人は窒息死しますからね。
これって真理かもってひらめいた時しか楽しくないし、その一瞬だけ世界が広くなった気がする、でもそれって全然錯覚なんだよね。
深ければいいってものでもないのはそうなんだし、だから深みにはまるというんだし。
そんなことを考えてる時って本当に不毛じゃないかな 、って思うけどこのエンドレス連想ゲームを止めるには物理的に脳を破壊する必要がある
私だけのオリジナルの真理は本当に私だけのオリジナルの真理である以上
生きている中はつき通せない、なぜなら他者が介入してくるから。
人がいるビーチサイドで、綺麗な貝殻を見つけていちいち感動している方がなんとも健全でしょう。
わざわざ深海にいかなくても、、、人がいける深度には限界がありますからね。でもそれでいいのかな。なんて思うよね、それでいいなんてことは、何にもないけど、それでいい及第点は世の中にいっぱいあるのです。
私が好きな寺山修司の歌
人生は ただ一問の 質問に
過ぎぬと書けば 2月のかもめ
というのがありますが、
人生の答えなんてのはいくらでもありますし、そのへんにゴロゴロ転がっていますが、こちら側からの質問は1度しか受け付けられていません。
他人の質問の結果のみが無数に転がり落ちているばかりで、自分が何をしたらいいかなんて誰かが教えてくれるはずもない。
私は質問をするのがすごく苦手です、相手がなんの質問を求めているのかを考えてしまうからです。
感想ならまだマシですが、質問ってやっぱり相手のレスポンスを期待するものだし、それを軽んじたようなことを尋ねたばかりには相手から絶対に見抜かれるはずだと思います。
だから、授業終わりとかになにか質問はありませんか?と聞かれるとすごく動悸がする。
こういうのって1人ぐらいなにか聞かなきゃ……でも何を?みたいな。
そういう時になんか言うとトンチンカンなことを言ってしまうので何も発さないに徹したい。
ってか話すごく変わりますが、あとから見返した文章がすごく冷たいかもって思うんだよね。
マルハラにすげえ該当してるかもしれないが、全然点と丸で区切っていきますよっと
なぜなら事務的な伝言をしている時は急いでいて余裕がないからです。