見つからない答え
お久しぶりです。
鬱病休職→退職→無職ですが、今日も何とか生きてる私です。
あらゆる物事に答えがあるとは限らないわけですが、私はどうも答えを探しながら生きている感じがします。
何者かになりたいという欲があるのに、
何者にもなれないと嘆いている。
けれど同時に、何者にもなりたくないとも思っている。
今日はこの矛盾について、考えたことを書きます。
思考がムーミンパパに似ているという衝撃
トーベ・ヤンソン作『ムーミンパパの思い出』の中では、ムーミンパパの若かりし頃の冒険譚が語られています。
この本を読んでいて気がついたのですが、どうも私は、何者かになりたいムーミンパパに感覚が似ているようです。
けれど理想は、スナフキンのパパで、気ままに生きるヨクサル。この話の中ではあまり出てきませんが、スナフキンの生き方も好きです。
何者かになりたいけれどなりたくない、という矛盾した感情の出どころが、何となく分かった気がしました。
目指していたのは「冒険家」だったのかも
「何者かになりたい」は
「何か新しいことを経験したい」で
「何者にもなりたくない」は
「決めつけられたくない」
「ただ一人の変な人間でいたい」
「自分がこの物語の主人公だと実感したい」
そういうことなのかもしれません。
だとしたら、何だか不思議な気もしますが「私がなりたい何か」っていうのは、好奇心の海を航海するような「冒険家」であって、「見つからない答え」を探しに、今まさに旅をしている最中なのかもしれません。
意味があってもなくても
多分きっと、この旅でちょこちょこ邪魔をしてくるのは、「自己否定」とか「得体の知れない不安」とかが、もちゃもちゃ集まって、生物化したようなものでしょう。
物語というのは、大抵、出てくる登場人物全てに意味があります。鬱々とした気持ちにも、それなりに役割があったりします。
私がうつ病で退職したことに、何か意味があってもなくても、
今はただ、好奇心の赴くままに旅をしてみたい。
その先に何があるかは分からないけれど、分からないから進んでみたい。
厄介な性格だなと思うのですが、こういう自分でいる時、一番自分らしいと感じるんですよね。
何かになりたいけれど、何にもなれない・なりたくない人へ
自分が何者でもないことに葛藤したっていい。
けれどもし、葛藤することに疲れたら、
「冒険家」として生きたっていいんだと思います。
その方がちょっと楽に生きられる気がするから。
あなたが旅をしているところは、どんな世界でしょうか。
ではまた。
皆様も、どうかご無事で。