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『ツキュディデスの場合』(田中美知太郎 著)の註・あとがき・全集十二巻の解題など

FB:11月に投稿→続きを12月に投稿→12月の内容をnoteに転記。
(約32,600字)

1、前置き

(1)註は、先月、途中やめになっていた続きです。今回も途中までです。

(2)「あとがき」は、何も知らない時に読んで表面的な部分だけをわかったつもりになっていました。しかし多少のことを理解できた上で読むと、文章の持つ重みを改めて感じることができます。今までスルーしてしまっていたけど、実は重要なことだったのかと、気づくことができます。もちろん私はまだすべてを理解できているわけではないので、今後も驚く場面が何度も出てくるのでしょう。

(3)全集十二巻の柳沼重剛先生の「解題」(田中美知太郎先生の「文献解題」とは別)は、全集でしか読めません。しかし、「田中先生の論の進め方書き方」についてわかりやすく説明してくださっている文章は貴重です。もっと広く知られてほしいなと私は願っています。なお柳沼先生は2008年7月29日に急性骨髄性白血病のため逝去されています。1945年8月6日、広島に原爆が投下された日から数日間(3日間もしくは10日間)、爆心地で救援に当たっておられたそうです。

(4)余談ですが、全集十二巻の「月報」(昭和63年10月)に寄稿されているのは、全集の編集委員でもある山野耕治先生と、東大名誉教授で参議院議員も務められた林健太郎先生です。東大紛争時の「林健太郎監禁事件」での冷静な対応に関して、実弟の林雄二郎先生(3月カレンダー参照)の著書から引かせていただきます。

 殺気立っていた紛争学生たちも、私が弟だとわかると、案外あっさりと道をあけて中に入れてくれた。そこで中に入ってゆくと、意外なことに、兄は全く何事もないような風情で椅子に座っていた。「新聞ではいろんなこと書いてるらしいけど、どうってこともないよ。要するに団交の条件がまだ整わないから、それが整うまで待ってるだけさ」とまことにあっけらかんとしたもので、緊迫した様子は全くないので私のほうが拍子抜けしたことを思い出す。あの雰囲気は全く強がりでもやせ我慢でもなく、本当にそのとおりだったんだろうと思う。これもつまりは平常心ということであろう。

(林雄二郎「二十年後の豊かな日本へのひとつのビジョン 平常心について」『日本の繁栄とは何であったのか −私の大正昭和史』1995年. PHP研究所. p. 255. )


2、不動心と驚き

【ふどうしん】ローマの部 175
「何事にも驚かないということが,人を幸福にし,幸福に保つことができるただ一つの道だ.」
(ホラティウス『書簡誌』第一巻6.1 /柳沼重剛 訳)
( Horatius : "Ars Poetica" volume 1, 6. 1 )

 この「驚かない」というのは,ソクラテスの哲学の出発点としての驚き(ギリシアの部12「おどろき」)とは違う.むしろ後のセネカの著作の題名にもなっている「心の平静」,何かにつけて心をあたふたと動揺させることがないように努力することである.
(p. 161. )

【おどろき】ギリシアの部 12
「実にその驚異の情こそ知恵を愛し求める者の情なのだからね.つまり,求知の始まりは,これよりほかにはないのだ.」
(プラトン『テアイテトス』155D /田中美知太郎 訳)
(Plato : "Theaetetus" 155D )

 「知恵を愛し求める者」の原語は philosophos で,「求知」は philosophia である.だから,もしそう言いたければ,上の言葉は「驚きこそ哲学者の気持ちだ.哲学の始まりは,これよりほかにはないのだ」としてもよい.
(p. 18. )

(柳沼重剛『ギリシア・ローマ名言集』2003年. 岩波文庫. )

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3、田中美知太郎「附録 ツキュディデスと歴史予見 −− フィンレイ説批判 −− 」


(なお書き写しに関しましては、田中美知太郎先生の著作権継承者である田中氏より、長い引用大丈夫ですと許可をいただいております。紙德真理子)


■(田中 [1970: 370])「(3)クシュネシス− 政治における知性とは何か (122)」(註3)(附録)

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  附録 ツキュディデスと歴史予見

  −− フィンレイ説批判 −−

    一

 われわれはツキュディデスが、
  「今ここに起ったことの確実なところは何であったかを見ようとする人が将来出て来るとして、そのような場合にも、またこのようなことやこれに近いことは、それが人間の自然の性質にもとづくものならば、将来もまたいつか再度起るだろうから、そのような場合にも確実のことを見てみたいと思う人たちが、この著書を有益だと判定してくれるなら、それで充分だろう。これはその場かぎりの聴衆の喝采を求めるためではなく、むしろ永代の財産となるものとして書きつづられたのである」(第一巻二二章四節)

と言っているのを見た。しかしここで言われている「歴史のくりかえし」は、古代後半期にあらわれた歴史の循環の意味でないことは言うまでもない。「このようなことやこれに近いようなこと」という言葉は、いろいろな変容の可能性を許しているのであって、循環史観に見られるような全く同じことのくりかえしを言うのではないことは明らかだからである。この点は「内乱の一般的考察」のなかの、
  「内乱のために国家も国民も数多くの苦難に見舞われることとなった。それは人間の性情(自然的条件)が同じである限り、始終起っていることであり、これからもいつも起るだろう。ただそれといっしょにたまたま起ることが、それぞれどう変化するかによって、秩序はもっとひどいこともあるだろうし、またもっとゆるやかなこともあり、形態もいろいろに変化するだろうけれども」(第三巻八二章二節)

という言葉によっても充分たしかめられるだろう。既に見られたように(1)、ツキュディデスは「歴史のくりかえし」によって、一般に「法則」的なものを考えようとしているのではない。また従って歴史を、時代が一定の法則に従って交代し、それによって何かが成就されるような構造のものとは考えていないのである。このような考え方は、またいわゆる循環史観のうちにも見られるのであって、天体の配置が一定の周期をもって完全に同じ状態にもどるとき、地上の生成もまた −−−− 人間の生活と歴史をも含めて −−−− すべてが昔と全く同じ状態にもどるということが考えられているからである。そして宇宙論的な興味だけで考えれば、それはあるいはアナクシマンドロス(2)、エンペドクレスの考えにもさかのぼられ、プラトンの『政治家』(二六八E − 二七四E )にのべられているミュートスも、この系列に属するものと言うことができるだろう。しかしこれが主として歴史的興味において考えられ、天文学的な周期と共に全く同じ人間の歴史がくりかえされるとするのは、ローマ時代のストア派のうちにはっきりと見られるような、古代後期に特有の考えであって、アウグスティヌスもこれを同時代の思想として批判しているのである(3)。ユダヤ人やキリスト教徒の考えは、これに反して循環の円を切断し、これを直線的な一本の時の流れに直し、その始点と終点とを一つに固定するものであって、この世の歴史は絶対的な終末への歴史となる。そしてこの考えを世俗化し、終末と完結への歴史というものを、更になお法則的な段階的変化の歴史、あるいは言うところの発展段階をなす歴史と解するのが、大体においてヘーゲルとその亜流の歴史観であると言うことができるだろう。かれらは近代思想が機械的な自然のうちに見出した合法則性と同じようなものを、また歴史のうちにおいても法則的な必然性として見ようとしているのだとも考えられる。しかしツキュディデスにとっては、歴史のこのような実体化、あるいは法則的変化の必然性という考えは全く無縁である。かれが見た歴史の「くりかえし」は、二十七年戦争のうちに起ったすべての出来事が、その特殊性にもかかわらず一種のモデル的な意味をもつものであって、時代的条件その他が異なるに従って当然また変容が認められなければならないけれども、人間性が同じである限り、いつどこでも同じようなことが起るだろうというだけのことである。その「同じような」というのは、法則化されるものではなくて、形相化されるだけであり、モデルに即して理解されるようなものなのである。

(1)本書六〇 − 六一章。
(2)拙稿「アナクシマンドロスの『時』について」(『京都大学文学部五十周年記念論文集』、本全集第五巻所収)。
(3)Augustinus : De civitate Dei XII, 14. これについては別に取り扱うつもりなので、ここでは詳しい説明は省略する。

    二

 しかしこれに対しては、「考古篇」におけるツキュディデスが、一種の社会進化論の立場にあって、ギリシア人の昔の生活と今の生活との相違は、そのまま現在におけるバルバロイ(非ギリシア人)とギリシア人の相違であり、その差は言わば先進国と後進国との差として現存しているのであって、ギリシアの昔と今の間には、野蛮から文明へというような、歴史の進歩あるいは社会の進化があったのだという考えが見られるのではないか。従って、ツキュディデスにおいても歴史の法則化は考えられ得るのではないかという指摘があるかも知れない。J. H. フィンレイはツキュディデスのさきに引用した「永代の所有」という所信表明に関して、次のような解釈を主張している。
  「この表明の意味するところは、かれツキュディデスがはっきりした自覚をもって描き出しているのは、政治的進化の一段階なのであって、その段階においては小国がより大なる、多少とも帝国の性格をもつ組織に従属することになり、その従属が物質文明に大きな進歩をもたらし、またそれによって軍事力の上にも大きな進歩をもたらすことになったということであり、かれはそのような諸段階が不可避的にくりかえされると感じており、かれは自分が観察の対象としている時代に実際にはたらいている主要な力を、自分でそこに取り出して規定しようとしているのだということである。また従って将来これと同じような時代にかれの書物を読む者は、その時代に起りつつあることがらを理解し、更になお極く(※1)大体のところをではあるが、間もなく何が起るだろうかということを予言するのにも、かれの著作が有用であることを発見するだろうということである」(1)(二九二 − 二九三頁)

 この主張のうち、ツキュディデスがペロポンネソス戦争当時のギリシアを、社会進化の一頂点をなす文明社会と見なしていたということと、将来の読者が自分自身の時代を理解するのに、この書物を有益と見てくれれば満足だとしていることの二点においては、われわれも既に見たことなので、見解の相違はないと言ってよいだろう。しかしツキュディデスが明確な自覚をもって、自己の時代をポリスが帝国へと統合されつつある時代と規定し、これを将来においてもくりかえされる主要な点と考えていたかどうかについては、直接ツキュディデスのテクストから明確なことを知ることは困難に思われる(2)。
  「かれは自分の時代のギリシアが、独立の小国家の立場からより大きく、より包括的な統一体(ペロポンネソス同盟とデロス同盟)へと推移してしまっていることを実感し、自分がいま観察しているのは、このより大きな統一体の一方が他方を圧しつぶし、更に大きな勢力となって行くかどうかのテストなのだということを了解していたのである。従って、この著作は歴史の予知に役立つことを目的としているという、かれの所信表明はこのようなコンテクストのなかで理解さるべきものなのである。ということは、かれはこのような争いが将来においてもくりかえされるだろうという期待をもっていたということであり、その理由は、人がより高度の物質的生活標準を目ざして努力するとき、それはより広汎な政治的統合によるのでなければ、達成不可能であることを発見するだろう。そしてそのようなより広汎な政治的統一を達成しようとすれば、戦争をひき起すことになるだろうということである」(二九一 − 二九二頁)

という主張がなされるとき、わたしもまたツキュディデスの時代において、従来の小規模なポリスだけでは、高水準の生活を維持するための経済的基盤は得られないから、何らかの形でより大きな政治的統合が求められていたけれども、それは暗中模索の状態であって、昔からのポリスの自由独立という考えが邪魔をして、ギリシア人はこの困難を解決できなかったと考えているので、現代のわれわれの解釈としては、それが大体正しい見方であろうと考える。しかしこのような見方がツキュディデス自身の自覚した見方であったかどうかについては、それを肯定する材料は不充分であり、あるいは全くないと考えている。われわれはわれわれの見ているペロポンネソス戦争の意味を、そのままツキュディデスに押しつけて、それをツキュディデスの認識であるとすることはできないのである。更にツキュディデスの考えている「くりかえし」が、将来においても同じ原因で戦争が起るだろうというような、一般的な戦争原因論に属するものであるというような主張については、全く同意できないのである。そのような簡単な戦争の原因を教えるために、ツキュディデスが全八巻の『歴史』を書いたなどとは信じられないからである。ツキュディデスは第一巻において、ペロポンネソス戦争の原因と見られるものを、かれ自身の判断で充分と考え、後世の人が別に原因の詮索をする必要がないように、すべてを究明したと信じているのであって、それ以外の戦争原因を自覚的に知っていながら、それについては一言半句も言わなかったなどとは考えられないからである。しかも戦争原因論はかれの『歴史』の主題ではないのである。かれは人びとがより大きな政治的統合を求めるとき、将来も同じように戦争が起るだろうというようなことを言っているのではなくて、この戦争のなかで起ったいろいろな出来事、例えば内乱について、
  「内乱の経過はこのような残酷なものになった。(中略)(※2)どの国にも分裂的な不和が存在していて、……(※3)これが平和のときなら、外国軍隊を呼びよせる口実もなかったし、かれらにしてもすぐその気にはならなかったろうが、既に(※4)戦争になっていて、同盟条約も出来ていたから、反対党を痛めつけると同時に、同じ手で自分たち自身の立場を有利にしようとして、外国軍隊の導入が簡単に行われたのである」(第三巻八二章一節)

というような説明と共に、それの結果として、
  「このようにしてギリシア人社会は内乱のおかげで、あらゆる形の悪徳悪行にとりつかれることになった」(八三章一節)

次第を具体例によって示しながら、
  「内乱のために国家も国民も数多くの苦難に見舞われることとなった。それは人間の性情が同じである限り、始終起っていることであり、これからもいつも起るだろう」(八二章二節)

と言っているだけなのである。つまりツキュディデスの考えている「歴史のくりかえし」は、戦争というような暴力教室において、最も露骨にあらわれてくる人間の性情、あるいはそれにもとづく一般の行動形式を指すのであって、将来も起るかも知れない戦争の原因となる一般条件を、歴史法則として考えるようなもの(3)ではないのである。

(1)J, H, Finley : Thucydides ( Ann Arbor Paperbacks ), pp. 292-293. 
(2)多少この主張の裏づけになるかと思われるのは、「考古篇」のなかの、
  「海岸の人たちも以前よりは既に財貨の所有が増加し、しっかりと根を下して定住するようになって行った。(中略)(※5)かれらの定住は、それをかれらが有利であると判断したからであって、まさにその同じ理由によって、弱者は強者に隷属することをいとわず、強国民は剰余の財力をもつが故に、弱小の諸国民をその配下に手なづけるようになったのである。そしてそのようなやり方をつづけながら、それが既にますます高度のものになったとき、時代は後になるが、トロイア遠征が行われたのである」(第一巻八章二 − 四節)
があげられるかも知れない。ミノスの時代からトロイア戦争の時代までの間に、弱者の強者への隷属という形で一種の政治統合が行われ、その経済力と軍事力の増大を背景にして、アガメムノンの指揮の下にギリシア軍のトロイア遠征が行われるようになったというわけである。しかしここでは政治的統合は、ギリシア人諸国の間の争いの原因となるのではなくて、海外遠征を可能にした条件として考えられているのであって、フィンレイが求めている「歴史のくりかえし」とは、ちがったものになっている。だから、かえってフィンレイ説の反証となるかも知れない。
(3)フィンレイ前掲書、二九一 − 二九二頁。

(※1)(※4)引用者註:1970年の単行本では「ごく」および「すでに」と表記されていますが、全集では「極く」および「既に」となっており、今回は全集に従いました。
(※2)(※3)(※5)引用者註:1970年版では、(中略)や …… は表記されていませんが、全集に表記してあるのでそれに従いました。

    三

 われわれは「考古篇」の歴史叙述が、二十七年史のそれと別のものであることを見た。従って、そこに見られている歴史も同じではないとしなければならない。また従って、「考古篇」における歴史の見方が、そのまま二十七年史にうつされていると言うことはできない。事実また二十七年史は、「考古篇」の経済を主とした見方では書かれていないということが、一部の学者を失望させたのである。ところがフィンレイ説は、「考古篇」と二十七年史の根本的な区別を全く無視して、ツキュディデスの『歴史』全体を、「考古篇」の歴史認識のレベルで解釈しようとするものではないかと疑われる。それでは「考古篇」の意味をよく理解したとしても、二十七年史を正しく理解することはできないという結果になるのである。
  「ツキュディデスは戦争を、人間の反応を支配する一般法則が適用され、その真なることが、一応それによって確証され得るような、実験の場として用いたのである」(二九四頁)

というように、フィンレイ説ではツキュディデスの歴史研究は、「一定の条件に対しての人間の反応は一様である」というような基本の考えにもとづいて、その一般法則を明らかにし、われわれに歴史を予知させるためのものであると考えられている。つまりツキュディデスの『歴史』に書かれた歴史事実は、人間の行動様式についての法則を発見するという主要目的に対して、単に材料的な意味をもつにすぎないということになる。そしてこのような考え方から、本史に使用されている「演説」についても、一種独特の解釈を主張することになる。すなわちツキュディデスは、人びとが「言葉に出してのべたこと」について、
  「それぞれの立場の人がその場その場のことで、当然どうしても言わなければならなかったであろうと思ったこと」(第一巻二二章一節)

を「演説」のなかに取りいれたとしているのを、
  「もしもツキュディデスの『歴史』が読者をして、戦争の自然の帰趨であり、従って常にくりかえされることになる帰趨を理解させるためのものであるならば、そしてまた演説が事件の相つぐ段階のそれぞれにおいて、おのずから現われて来る主要な思想の大筋をのべるためのものであるならば、そこから帰結することは、この演説に言われている思想の大筋というのは、歴史のうちにくりかえされる帰趨をあらわしているはずだということである」(二九三 − 二九四頁)

というような推論のなかに組みこんで、ツキュディデスの『歴史』のなかの「演説」は「歴史のくりかえし」と見られるものを、読者に教えるためのものであると主張することになるからである。そのことは、
  「一定の条件に対する反応の一様性という考えにもとづいて −− この反応の一様性という考えは、演説に用いられる論証のうちに具体化されることになるから −− ツキュディデスにとっては、演説は歴史の予知的な教えを知らせるための理想的な媒材となったのである」(二九四頁)

という風にはっきり言われている。しかしツキュディデスが『歴史』のなかの「演説」を通して、読者に教訓を垂れているのであり、読者に歴史的予言の智慧を授けようとしているのであるというようなことは、ただこれだけの議論では、とうてい納得できないのである。ツキュディデスの歴史記述の目的が、歴史法則を発見し、予言をすることにあり、歴史記述そのものは二の次であるというような主張は、かれの所信表明の文章をそのまま読む限り、すぐには納得されない解釈である。そもそも歴史法則の発見などということは、歴史家の主要任務ではないことは、既に見られた通りなのである(1)。ツキュディデスの言葉は、「起ったことの確実なところを見る」ことが、将来もまたこれに似たことが起るかも知れないので、その場合にも「確実なところを見る」のに役立てば満足だと言っているだけのことであって、将来似たようなことが起るだろうということを、人間性の不変性という考えにもとづいて一応推測しているが、それ以上のことは何も言っていないのである。人間の性情が同じければ、同じようなことが起るだろうと言うだけで、なぜ同じことが起るのか、またその同じようなこととは何であるかということについて、何もはっきりしたことを言っているわけではなく、ただ同じようなことが起るだろうと考えているだけのことである。フィンレイは、
  「もしツキュディデスがその心のなかに、かれが事件のうちでまた将来くりかえされるだろうと考えたものを評定し、開陳する何か特別の手段となるものをもっていなかったとしたら、かれの著作の全体としての目的と将来性を、くりかえしという考えの上に建てることはしなかっただろう」(二九四頁)

 と言っているが、そのような必然性があるかどうかは疑問である。ツキュディデスは自著が将来の読者にも役立つことを希望してはいるが、しかしそれを第一の目的にして『歴史』を書いたとは言われないだろう。ただペロポンネソス戦争の真実を明らかにすることが、かれの第一目的なのであって、それがまた結果的に将来の読者が自己の時代を知るのに役立つことができれば仕合わせだとしているだけであろう。将来の読者にしても、まず第一に考えられているのは、このペロポンネソス戦争の真実を知ろうとする読者の方であると言わなければならない。フィンレイはツキュディデスの歴史書をあまりにも実用的に考えすぎているのではないか。

(1)本書六〇 − 六一章、六三 − 六四章。

    四

 われわれはここでもう一度「演説」の問題を取り上げなければならないようである。といっても、既に言われたことに新しく加えなければならないようなことは、それほどはないように思う。「演説」は「行われたこと」に前後して、それが一つの選択された行為であるとすれば、それはいかなる状況において選択されたのかということを、他の選択可能性と共に明らかにするものであると言われた(1)。また現実としての可能性を記述するためのものであるとも言われた。また「演説」は、われわれが計画し、予想したことが挫折し、修正されなければならなくなる場合、これを対照的に示すための「プロロゴス」の意味をもつものとも言われた。これについては改めて再論する必要はないだろう。ただフィンレイ説とのかかわり合いにおいて、「演説」は「人間の性情」あるいは「人間の自然的条件」と呼ばれたものと、どう関係するかが問題となって浮び上って来るように思われる。それはフィンレイ説におけるが如く、直ちに両者が重なり合い、「演説」においては人間の一般の行動様式が明らかにされ、歴史のくりかえしと見られるものが、一つの歴史法則の認識にまで高められているという風に解されるのかどうかということが、あらたに問われねばならなくなるとも考えられるだろう。

 しかしながら、問題はフィンレイがしているように、三段論法の推理式のなかで一般的に解かれてしまうものではないだろう。ツキュディデスの取り扱っている二十七年戦争の歴史は、いずれも「人間のしでかしたこと」(タ・ゲノメナ・エクス・アントローポーン)なのであるから、人間の自然的条件が同じである限り、いつの世にもくりかえされるようなものばかりであると言えるかも知れない。そして「演説」が、それぞれの状況にあって人間が言わねばならなかったことであり、人間の選択と行動との目ろみや理由をのべたものであるとすれば、同様にまた人間的なくりかえしの範囲に属すると言わなければならない。しかし問題は、そのようにすべては人間のすることであり、人間がくりかえし行うことであるというような一般論によって処理されるのではなくて、ツキュディデスにおける「演説」あるいはもっとひろく「ロゴス」と呼ばれるものが、何か特別の関係において歴史のくりかえし、あるいは人間性一般に結びつくものなのかどうかということであろう。これも人間性についての言及が、例えば第一回ペロポンネソス会議におけるアテナイ人使節の演説(第一巻七六章二節)とか、ミュティレネ問題についてのアテナイ議会の討議におけるディオドトスの演説(第三巻四五章三 − 七節)とか、メロス島要人とアテナイ側使節との問答におけるアテナイ側発言(第五巻一〇五章一 − 二節)などでなされているのを取り上げて、「演説」のうちに人間性についての反省を見るというようなやり方では充分とは言われないだろう。なぜなら、既に見られたように、このような反省は「演説」だけに限られるものではなく、例の「内乱についての一般的考察」(第三巻八二章二節、八節、八四章二節)というような、「演説」によらぬ取扱い方も存在するのであるから、「演説」と人間性一般についての反省との関係を特別なものとすることはできないのである。また「演説」のすべてが、そのような反省を明らかにしているとも言えないだろう。われわれは漠然とした一般論の形でしか、両者を結びつけることはできないのではないか。

 われわれが考えなければならない他の可能性は、むしろ「演説」と「人間的なるもの」(人間の性情)とが矛盾し、対立することがあるのではないかということである。それは「演説」のプロロゴス的な役割において、既に考えられたことであるとも言える。ペリクレスの「演説」は、ペロポンネソス軍に対するアテナイ側の戦略をのべ、勝利の確実な計算をするものであった。しかし二十七年戦争の結果は、それと逆になってしまったのである。それには疫病の流行その他、ペリクレスが「偶然」として規定したもののためであるとも考えられる。しかしツキュディデスは、それは主としてペリクレス以後の政治指導者の過誤によるものであるとした。そしてこの「あやまり」こそ人間的なものなのであった。すなわち人びとがロゴスによって、演説を通じて考えた計画は、人間的な利欲や功名心、あるいは恐怖などの弱点によって、その実現をさまたげられ、画餅に帰してしまうことが常なのではないか。いつの世にもくりかえされる悲喜劇なのではないか。人間的な弱点は、それぞれの場合において一種の必然性をもった支配力をもち、人間の理性、人間の合理的計画を圧倒し、これを無にしてしまうことが、日常あまりにも多いのではないか。

(1)本書一〇七章。
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(『田中美知太郎全集第十二巻』昭和63年. 筑摩書房. pp. 424-435. )
(田中美知太郎「附録 ツキュディデスと歴史予見 −− フィンレイ説批判 −− 」『ツキュディデスの場合 -歴史記述と歴史認識-』昭和45(1970)年. 筑摩書房. pp. 413-424. )
(Michitaro Tanaka  : "appendix Thucydides and historical foresight  -- Criticism of Finley theory --" , "In the case of Thucydides -Historical description and historical recognition -" 1970. Chikumashobo. pp. 413-424. )
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4、田中美知太郎「あとがき」『ツキュディデスの場合』

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 この書物は雑誌『展望』に、昭和四十三年六月から同四十四年十二月までの間、十四回にわたって連載されたものを、あらためて一つにまとめた結果出来上ったものである。はじめは他に計画していた書物の一部をなすものとして、二、三回の連載で終るつもりでいたのであるが、問題そのものの発展にいわば強制された形で、長期の連載になってしまった。わたしの問題というのは、比較的単純なものであって、ツキュディデスはかれの『歴史』において、何をわれわれに伝えようとしているのか、そしてそのために、かれが見たのはそもそも何であったのか、というようなことを、ツキュディデス解釈の問題として追及しようとするものなのである。それは一方においては歴史認識に関する哲学的な問題と深いつながりをもつものであって、わたしの本来の興味はそこにあったのであるが、しかし取扱いはあくまでも、古典研究の領域におけるツキュディデス解釈を主とするものなのである。ということは、ツキュディデス自身が書いている言葉そのものに即して、かれの見た二十七年にわたるアテナイ人とペロポンネソス人の戦争が、どのようなものであったかを出来るだけ正確に、また精密に捉えることである。つまりツキュディデスの見たままの世界を、直接かれ自身の言葉を通して、またわれわれにも見えるようにしようとすることである。そしてそれ以上のこと、たとえば他の史料にもとづいて、ツキュディデスが取り扱っている同じ事件を、他の側面から解明し、それにもとづいて「ツキュディデスの言っている」ことを補足したり、修正したり、あるいは批判したりすることは、わたしの企図しないことなのである。専門的なギリシア史研究の立場では、ツキュディデスの書物は究極的な意味をもつものではなくて、ただ史料の比較的重要なものとして、吟味を加えて批判的に利用すべきものにとどまるだろう。しかしそういう種類の歴史学的研究は、わたしがこの書物で試みようとすることではなくて、もし多少とも歴史学の研究に寄与すべきものがあるとすれば、史料としてのツキュディデスを正確に把握する上に何らか役立ち得るならばという、わずかな希望に属することだけなのである。またツキュディデス自身よりもツキュディデスの時代についてより多くを知っていると自負する現代の歴史学者が、実際にツキュディデスはどういうことを言っていたのかということを全く知らず、満足にツキュディデスのテクストを読むこともできないというのでは、困ったことになるだろうから、わたしのこの拙い仕事でも、いくらか補正や匡正の役に立てばとも考えている。

 わたしがこの書物で試みているのは、古典研究の領域におけるツキュディデス解釈の徹底というようなもので、最初は出来上った計画にもとづく組織的な仕事というようなものは考えなかったのであるが、出来上った結果は、自然に一つの組織的あるいは体系的なものになってしまったようである。わたしはこの書物で、ツキュディデスについて問題となっている諸点の、ほとんどすべてに触れ、それぞれにわたしなりの見解を示さねばならないことになった。本書の文献解題にあげられてある諸家の論文テーマを見るならば、そのどれもがわたしのこの書物のなかで取り扱わねばならなかった問題であることが知られるだろう。ただわたしのやり方は、いろいろな文献を読んで、その間で自分の考えをまとめるというようなものではなくて、ツキュディデス自身の書いたものの中へ深く入って行くうちに、いろいろな問題にぶつかったので、それらに取り組みながら、言わば自分自身の途を切り拓いて行ったわけである。諸家の論文はむしろ後から読むようなことになった場合も少なくない。それはわたしの解釈が必ずしも孤独ではないことを教えてくれる。また反対の解釈であっても、ツキュディデスのテクストにもとづいて、相違する点がどこにあるかを知ることができるので、大へん有益であった。

 この書物はツキュディデスの全体を取り扱っているのであるが、しかし普通の解説書や入門書のように、ツキュディデスの書物をその第一巻から始めて、順次に説明して行くようなことはしなかった。むしろわたし自身の問題にもとづいて、ツキュディデスの書物全体の内部に、自由に出入りしながら、そのなかにあるものを取り出して見るような形になってしまった。巻末に引用索引をつくり、これをツキュディデスの原書の順序に配列し、重要個所を示したのは、読者がこの書物をツキュディデス解説としても利用されるようにと配慮した結果である。

 本書の成立については、カナダのニュー・ブランスウィック大学古典学科准教授小西晴雄氏に負うところが多大である。わたしは同君がイギリスでPh. D. の学位を取られたときのツキュディデス論文を読み、それに刺戟されてこの論文を書くことになったからである。もし同君の論文を読まなかったら、わたしは自分のツキュディデスをまとめる気は起さなかったかも知れない。ただし同君の論文は分析派の立場で、主として『歴史』の各部分のクロノロジーを決定しようとするものであったから、わたしは大へん興味深くこれを読んだのではあるが、わたし自身のツキュディデスについての関心は全く別のところにあったので、出来上ったこの書物もまた別方面のものになってしまった。またもう一つツキュディデス関係の雑誌論文について、同君が集められた文献資料をわたし自身のために使用することを許され、しばしばコピーを送ってもらったので、これによって裨益されること甚大であった。ここに心からの謝意を表する次第である。

 また京大文学部史学科(西洋史)助教授藤縄謙三君には、校正刷に目を通してもらい、二、三の不正確な表現を直すことができた。また雑誌『展望』の編集長としての中島岑夫君にも、長期連載で一通りならぬ迷惑をかけたが、これを終りまでやりとげることが出来たのは同君の助力に負うところが少なくなかった。更にまた本書全体の校正と人名地名索引の作成には、京大文学部大学院(西洋哲学史博士課程)学生今林万里子君の手をわずらわした。いずれも感謝に堪えない次第である。

昭和四十五年十月十七日
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(『田中美知太郎全集第十二巻』昭和63年. 筑摩書房. pp. 448-451. )
(田中美知太郎「あとがき 」『ツキュディデスの場合 -歴史記述と歴史認識-』昭和45(1970)年. 筑摩書房. pp. 435-438. )
(Michitaro Tanaka  : "afterword" , "In the case of Thucydides -Historical description and historical recognition -" 1970. Chikumashobo. pp. 435-438. )
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5、柳沼重剛「解題」…田中先生の論の進め方書き方(全集十二巻)

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 本書ははじめ雑誌『展望』の、昭和四十三年六月号から翌年の十二月号まで、途中五回の休載を含み、前後十九ヶ月間にわたって連載され、連載終了後ちょうど一年を経た時単行本として筑摩書房から刊行されたものである。田中先生の年齢から言うと、六十六歳から六十八歳にかけて、すなわち京都大学退官後の最初の大著ということになる。先生はこれより後に、『文藝春秋』誌上にかなり長期にわたって「巻頭随筆」を連載したことはあるが、あれは一回ごとの読み切りで、内容も時事問題や身辺のことに関わっている。しかしひとつの問題をこれだけ長期にわたって連載という形で追及されたというのは、田中先生の御仕事としては異例のことに属する。そしてこの異例のことについて、筆者はひとつの思い出を持っている。ちょうど連載が半ばを過ぎたころ、高津春繁先生にお会いしたのだが、その時高津先生は、「あなた、田中さんのあのツキュディデス読んでますか、あの『展望』の。田中さん何が言いたいんだろうな、よく分からないや」とおっしゃったのである。しかし本書が単行本として出版されてまもないころ、また高津先生にお会いしたら、「やっぱり一冊の本にするといいな、今度はとてもよく分かるもの。なかなかの力作だな」とおっしゃったのも覚えている。そしてこの高津先生の感想は、単にこの本の成り立ちだけでなく、田中先生の論の進め方書き方の本質に触れるところがあると筆者には思えるのである。

 先生の本や論文を読んでいると、「こんなことを言うためにこの話を引き合いに出したのではなかった」とか、「いざ書いてみると、わたし自身が考えていたものとは大変違ったものになってしまった」とかいう言葉にしばしば出会う。本書一七四頁では、それまで、つまり一七〇頁にわたってつづけられて来た論考を振り返って、「われわれのやり方は全く間違っていたのだろうか。われわれは無駄骨を折っていたのだろうか。一面においては、その通りだと言わなければならないだろう」などと言われている。これは田中先生のレトリックのひとつでもあるが、単なるレトリックだけではなく、先生の論の進め方書き方の一面をよく示してもいる。本書の「あとがき」の冒頭では、「はじめは他に計画していた書物の一部をなすものとして、二、三回の連載で終るつもりでいたのであるが、問題そのものの発展に言わば強制された形で、長期の連載になってしまった」と言われている(ここに言われている「他に計画していた書物」というのが何を指しているのか筆者は知らないが、『展望』にこの連載が始まった時、それより少し前に出た岩波新書『古典への案内』の中ではヘロドトスが取り上げられていたので、今度はツキュディデスの番なのだなと思った。今度はツキュディデス論を含む何かの本が書かれるのだろうと思っていた。ところが連載が延々と長くなって行くので驚いた記憶がある)。つまりこういうことである。論文を書く以上、あらかじめ何らかのもくろみは必ずあるわけだが、田中先生の場合、そのもくろみは「問題そのものの発展に」しばしば裏切られたり、あるいは「強制され」たりして論が予定を越えて先の方へ、あるいは予定していなかった方へと発展して行くことがある。しかし、はじめのもくろみにいたずらに固執することなく、論理や事実の導くままに柔軟に処して行くのである。考えたり調べたりして行く過程で、思わぬ脇道がそこにあることを発見したり、予想もしなかった眺望が開けて来たりする。そういう場合先生は、予定された目的地に向かって急ぐことはなく、その脇道がどんな道か、どこへ行けそうか、それとも行き止まりになるかをいちいち調べる、あるいは、新しい眺望が開けて来た場合なら、なぜはじめにそれが見えなかったのかを地図を参照しながら確かめる、そんなことをやりながら歩みを進めて行く。出発点から結論までは一本の直線ではなく、枝分かれや曲折を繰り返して結論に近づいて行くのである。このことは、先生の文章がいわゆる論文用語や論文口調を排し、むしろ談話調、先生御自身の言葉を借りれば「対話者の登場しない対話篇」(『ロゴスとイデア』の「あとがき」)であることとあいまって、読者に、先生の思考の現場に立ち会っているような感を抱かせることになり、これが先生の文章の大きな魅力となっているのだが、さてこれが連載となると問題が出て来る。まず途中で切れる。しかも月刊雑誌だから間にひと月という時間がおかれる。もちろん切ると言ってもきりのいいところで切るのではあるが、田中先生のような論の進め方の場合は、切るとつながりが悪くなるのは避けがたい(ちなみに、連載中は概ねきりのいいところで切ってあったが、第三回と第四回、つまり昭和四十三年九月号と十月号の掲載分は、非常にきりの悪いところで切れている)。さらにまた、こういう論考の進め方の必然の結果として、先生の本や論文には「第一章 これこれ」「第二章 しかじか」というような表題がつけられることなく、つねに、二、三頁ごとに付けられている 一、二、三 … という章番号が、思考の区切りを示しているだけである。例えば本書では一から一三五までの区切りがあるが、これは思考の小休止にすぎず、全体はひとつながりの思考の営みなのである。ただ、思考法としてはこれでよく、発表法としても、せいぜい五、六〇頁の論文ならばこれで何の支障もないが(そして先生の論文の大半はそのくらいの長さのものである)、本書のように四百頁を越す書物には、この発表法が向いていないことは確かだろう。本書には丁寧な目次が付けられているが、これは連載中にはなかったもので、単行本として出版する時、当時大学院生だった今林(金山)万里子さんが、田中先生と相談しいしい作成したものと聞いている。しかし、この目次のおかげで読者は、今自分が読んでいるのは、この本で展開される議論全体のなかのどういう部分なのかをはっきり承知した上で読むことができるようになった。つまり、読者にしてみれば格段に読みやすくなったのである。総じて、先生の論じ方、その論じ方そのままの発表の仕方は、連載には向いていないのである。しかし先生にとっては、論じるとはこうする以外のことではなかったわけで、こういう論じ方が連載に向いているとかいないとか、そういうことを意識なさったことはないだろう。

 そこで『ツキュディデスの場合』だが、何が書いてあるかは目次を見れば分かるし、どう書いてあるかは読めば分かるので、そのようなことについて「解説」するのは無用であろう。しかしそれにしても、この題名の「ツキュディデスの場合」とはどういうことであろうか。「ツキュディデスについて」でもなく、「ツキュディデス研究」でもなく、ことさらに「ツキュディデスの場合」とはどういう命名方法なのだろうかと、多くの人はいぶかしむに違いない。しかし「ツキュディデスの場合」とは、ツキュディデスの場合以外に誰某の場合、例えばヘロドトスの場合などが考えられた上での題名であろうという見当はつく。古代ギリシアに歴史家として名を挙げた人が何人かいて、少なくともヘロドトス、ツキュディデス、クセノポン、ポリュビオスぐらいの名前がたいていの人の頭には思い浮かべられるだろう。これらの人々はそれぞれの時代にそれぞれの仕方で歴史を書いた。では「ツキュディデスの場合」は他の歴史家と比べて何をどう書いたのか、どういう視点に立って書いたのか。そういうことが考えられての命名法だろうと思われる。すると思い出されるのが、さっきも引用した本書の「あとがき」の冒頭の田中先生御自身の言葉で、「はじめは他に計画していた書物の一部」として本書がもくろまれたということである。恐らく、上に挙げた何人かの人々の場合を並べて一書を編み、それぞれの歴史家がそれぞれの視点に立ち、それぞれの方法によって歴史を編んだ跡をつぶさにたどって、古代において歴史を書くとは事実をいかに見、いかに記すことであったかを述べる、そんな計画が考えられていたのではないかと筆者は推測している。私がこの本の解題をお引き受けすることが分かっていたら、先生が御健在なうちにこういうこともお尋ねしておくのだったと、今になって悔やまれるのだが、さて、もしそうだとすると、「二、三回の連載で終るつもりでいた」というのは、出来上がった本書のどの辺りまでで打ち切るおつもりだったのだろうかとまた考える。そして、これも今となっては推測するほかないのであるが、筆者の臆測では、恐らく本論の最初の章まで、つまり六一章まで(ただしもっと簡潔な形で)ではなかったかと思える。ところが序論の第二部の最初の部分、つまり連載第二回の、ツキュディデスの歴史は「アテナイ帝国衰亡史」として書かれたのか、という部分(一一 − 二二章)が、「衰亡史」ということからギボンに言及し、ギボンへの言及がトインビーへの言及を必要とするに至って、ここですでに先生のもくろみをはるかに越えて長くなってしまったに違いない。そしてこのために、これにつづく部分、ツキュディデスの歴史は「解放戦争史」か(二三 − 四一章)、あるいは「体制間戦争の歴史」かという問い(四二 − 五三章)も、それとの均衡のためにやはり長くならざるを得なくなり、これらの問いにそれぞれ否定的な答え(必ずしも全面的な否定ではないが、少なくとも、「帝国衰亡史」にせよ「解放戦争史」にせよ「体制間戦争史」にせよ、これらのいずれか一つの視点だけでツキュディデスを覆いつくすことはできない、という)を出した後、先生自身の視点が本論の最初の章(五四 − 六一章)で提出されるのだが、ここまでですでに一九五頁を費やしていて、とても「他に計画していた書物の一部」などではあり得なくなった、というのが実情ではなかったのかと私は思っている。しかしここでも止まれなかった。六一章で一応提出された結論に対して、先生は御自分で、「しかしここでも、われわれはあまり簡単に考えてしまってはいけないだろう」というように、六一章を結論として確定するためには、まだほかに確かめておかなければならないことがいくつかあることを示し、こうして、「それを言うならこのことを確かめた上でなければならない」というようなことが次々に示されることになる。その結果ここには、「他に計画していた書物の一部」どころか、今日ツキュディデスについて学界で問題にされているほとんどすべての事柄について言及がなされることになった。本書でまったく触れられていないツキュディデスに関する重要な点と言ったら、恐らく文体に関することぐらいであろう。

 こうして本書はツキュディデスについて論ずべきほとんどすべての点について著者の見解を開陳するものとなったが、それなら、おびただしくあるツキュディデス研究書とどこが違うのか、本書はツキュディデス研究に何を新しく加えようとするものであるのか、などについて安直な解説を提供することもやめようと思う。それよりは、私としては、ツキュディデス第一巻二二章四節の「今ここに起ったことの確実なところは何であったかを見ようとする人が将来出て来るとして、そのような場合にも、またこのようなことやこれに近いことは、それが人間の自然の性質にもとづくものならば、将来もまたいつか再度起るだろうから、そのような場合にも確実のことを見てみたいと思う人たちが、この著書を有益だと判定してくれるなら、それで充分だろう」という有名な文句が、一八一頁以後何度も引用されるのだが、それがその都度どういう扱いを受けることになるか(それと、ツキュディデス第三巻八二章二節の内乱について一般的考察を述べた文章が、やはり引用されるたびにどのように扱われているかも)を注目することをお薦めしたい。ペロポンネソス戦争二十七年間の歴史を書こうとしたツキュディデスが、そこに何を見、何をわれわれに伝えようとしたのかを追求する、という著者の意図が、そこに最も端的に現れていると思えるからであり、また、一二二章の(註3)と、それだけでは足りず、単行本になる時「附録 ツキュディデスと歴史予見」まで書き足さずにはいられなかったのも、この点のツキュディデスの読み方をめぐって、歴史家 J. H. フィンレイと見解を異にしているからである。
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(柳沼重剛「解題」『田中美知太郎全集第十二巻』昭和63年. 筑摩書房. pp. 453-459. )
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6、一二四章の冒頭

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  一二四

 ツキュディデスの『歴史』は戦争の歴史である。それは何よりも行為の歴史である。しかし人びとは行為だけで戦ったのではなくて、言論によっても戦い、知力によっても戦った。それは人間の総力のぶつかり合いとして、一種の壮大さをもち、われわれに一種の感動をあたえる。しかしまたこれには内乱や疫病などの不幸が加わり、人間の諸悪が暴露されて、われわれの心を痛めるものも決して少なくなかったのである。
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(『田中美知太郎全集第十二巻』昭和63年. 筑摩書房. p. 387. )
(田中美知太郎「III エピローグ 九 歴史の明暗(1)不幸の歴史」『ツキュディデスの場合 -歴史記述と歴史認識-』昭和45(1970)年. 筑摩書房. p. 377. )
(Michitaro Tanaka  : "III epilogue, 9 The Light and Dark of History (1)History of Misfortune" , "In the case of Thucydides -Historical description and historical recognition -" 1970. Chikumashobo. p. 377. )
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7、次回に持ち越しの註・フェレット・勇気


 書き写しは以上です。

 途中で止めた「III エピローグ 九 歴史の明暗」の続きも書きたかったのですが、いったんここで終了です。

 今回書けなかった以下の註も、また後日です。いつになるかわかりませんが…。
■(田中 [1970: 415])(附録1)註(1)本書六〇 − 六一章。
■(田中 [1970: 415])(附録1)註(2)拙稿「アナクシマンドロスの『時』について」(『京都大学文学部五十周年記念論文集』、本全集第五巻所収)。
■(田中 [1970: 422])(附録3)註(1)本書六〇 − 六一章、六三 − 六四章。
■(田中 [1970: 424])(附録4)註(1)本書一〇七章。

 私は今、フェレットの栄養に関して必死に勉強しています。動物病院では、病気のことは教えてもらえますが、栄養に関しては自己責任です。

 良かれと思ってやったことが悪い方向に作用したり、理論上はうまくいくはずなのに実践で効果が出ないことがあります。条件が違えば結果も違うと頭ではわかっているのですが、内心穏やかではいられません。しかし、今までの記録を読み返してみたら、少し落ち着きました。里子でうちに来てくれて私と娘の心の支えになってくれたもみちゃんの闘病記録や、闘病とは無縁のまま月蝕の翌日お月様のところに遊びに行ったかんちゃんの体調管理記録は、目の前の我が子と向き合える時間がどれほど貴重かということを私に思い出させてくれました。そして、相手を信じ、自分自身も信じて行動できる環境は、当たり前に用意されているわけではないのだと、改めて感じました。

 先代の子の主治医はフェレットの扱いに定評がありました。注射も一瞬で終わるし、こちらのお話もよく聞いてくださるし、頼りになる先生でしたので、我が家が引っ越しした後もしばらくお世話になっていました。しかし、フェレットの副腎腫瘍の治療に必要な「酢酸リュープロレリン」という成分のお薬(商品名リュープリン…人間では不妊治療の時などによく登場します)が、某メーカーの某事情により供給が不安定になったので、在庫のあるところを探して転院しました。今お世話になっている病院は自宅から近いことと、うちの子たちも気に入っている先生なので、私はとても助かっています。

 なおフェレットの三大疾病は、インスリノーマ(膵臓腫瘍が低血糖を招く)・副腎疾患・リンパ腫(血液の癌)だと言われています。高齢になるとどれかに罹患することが多く、併発も珍しくないそうです。そしてどうやら、副腎・膵臓・肝臓は相互に関係しているようです。完治が難しいことに加え寿命が短いので、どこまで積極的に治療するか悩む飼い主さんは少なくない印象です。うちは、時間とお金が許す限りは、なるべく本人たちがしんどくないような選択ができればいいなと思っています。でも、目標をどこに設定するかというのは本当に難しいですね…。

 そしてちっちゃい子たちと過ごす私自身の静かな生活の中で、「歴史の明暗」についての考察が進めば良いのですが。「ビアー(暴力的強制)」や「余儀なくされた必然」という問題は、2,500年前で解決されているわけではなく、今もずっと続いています。歴史のほとんどは時の政権に都合よく書かれているのではないでしょうか。自分が見聞きする情報は、誰にとって有利なものなのか、精査する能力が今後ますます必要になってくると思われます。

 ところでトゥキュディデスの方法に対するハリカルナッソスのディオニュシオスの批判は、現代の歴史学者にも受け継がれている一面を持っているようです。しかしトゥキュディデスが残してくれたものは、今もなお現代の私たちに恩恵を与えてくれています。

  However criticism of Dionysius of Halicarnassus for Thucydides way, seems to have the one side, which is also passed down to modern historians. But what Thucydides has left behind is still a boon to us today.

 すぐには人に理解されにくい方法であっても、実はそれが一番効果的で、人の役に立つということもあるのかもしれません。トゥキュディデスはおそらく「勇気」( courageというよりbraveに近い? )のある人だったのでしょう。

  Even if it is a method that is difficult for people to understand immediately, it may actually be the most effective and useful for people. Thucydides was probably someone with "brave" ( more like brave than courage ?) .

 「ツキュディデスは自著が将来の読者にも役立つことを希望してはいるが、しかしそれを第一の目的にして『歴史』を書いたとは言われないだろう。ただペロポンネソス戦争の真実を明らかにすることが、かれの第一目的なのであって、それがまた結果的に将来の読者が自己の時代を知るのに役立つことができれば仕合わせだとしているだけであろう。将来の読者にしても、まず第一に考えられているのは、このペロポンネソス戦争の真実を知ろうとする読者の方であると言わなければならない。フィンレイはツキュディデスの歴史書をあまりにも実用的に考えすぎているのではないか。」
(田中 [1970: 421-422])(附録3節)

 "Thucydides hopes that his book will be useful to future readers, but it cannot be said that he wrote 'History' with that as his primary purpose. It just reveals the truth of the Peloponnesian War. Is his primary purpose, and only if it can eventually help future readers to know their time, even future readers. First and foremost, I must say that it is the reader who wants to know the truth of this Peloponnesian War. Isn't Finlay thinking too practically about the history books of Thucydides?"
(Tanaka [1970: 421-422]) (Appendix Section 3)

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8、支配・権力・CRT・教育・自由・寡頭制


 〈二重思考〉はオセアニアを統治する各省の名称の背後でも作用している。平和省は戦争を遂行し、真理省は嘘を吐き、愛情省は党の脅威になりそうな人物を片っ端から拷問し殺していく。もしこれが馬鹿馬鹿しいほど異常に思われるなら、現在のアメリカ合衆国に目を向けて欲しい。戦争を造りだす装置が "国防省” と呼ばれていることを疑問に思っている人はほとんどいない。同様に、司法省がその恐るべき直轄部門であるFBI を用いて、基本的人権を含む憲法の保障する権利を踏みにじっていることは、十分な証拠が書類として提出されているにもかかわらず、我々はその省を真顔で ”正義(ジャスティス)の省” と呼んで平気でいる。表向きは自由とされている報道機関も、常に ”バランスの取れた” 報道をすることが求められ、あらゆる ”真実” は、同等の価値を持つ正反対の情報によって即座に去勢される。世論は日々、修正された歴史、公式的な記憶喪失、明白な嘘を与えられているのだが、そうした情報操作はすべて好意的に ”ひねった解釈(スピン)” などと呼ばれ、楽しげにスピンするメリーゴーラウンドと同様、何の危険もないと考えられている。我々は伝えられることが真実でないと知りながら、それが真実であって欲しいとも思っている。信じると同時に疑っているのだ。結局、多くの問題に対して簡単に態度を決めずに少なくとも二つの見解を持つことが、現在の超大国における政治思想の状況ではないだろうか。言うまでもなく、その地位に、可能であれば永久に、留まりたいと望む権力者にとって、これは計り知れないメリットがある。
(2003年)

(Thomas Pynchon「解説」George Orwell『1984』/高橋和久 訳. 2009年1刷, 2017年31刷. 早川書房. pp. 490-491. )

FBI and Southern District of New York Raid Project Veritas Journalists’ Homes | Project Veritas/NOVEMBER 05, 2021
https://www.projectveritas.com/news/fbi-and-southern-district-of-new-york-raid-project-veritas-journalists-homes/ 

 関連する記事は、11月カレンダーのコメント欄を参照ください。

 司法省( Department of Justice )とFBI に関しては昔から問題があると言われてきました。最近では下院司法委員会で、教育委員会絡みの問題を、Jim Jordan (R-OH) 議員に追及されています。内部告発の内容もかなり衝撃的なものです。また、2021年1月6日のいわゆる議事堂襲撃事件に関しても、FBI が関与している証拠があることは、保守系メディアのみならず、リベラル系メディアでも報道されています。

 11月初旬の、いわゆる右派の Project Veritas に対する FBI の「襲撃」に関しては、いわゆる左派のメディアジャーナリストからPVを擁護する声があがっています。主に、PVは気に食わないけど司法省のやり方はおかしいというような内容です。そしていわゆる右派からは、この事件とNYT との関係を問題視する声が上がっています。

 合衆国憲法修正1条の問題は、近代憲法を設置している国家には共通の問題といえます。もちろん日本も例外ではありません。もし日本で話題になることがあれば、その時にはぜひ、トマス・ピンチョンの言葉を思い出してもらえたらいいなと願っています。私が古代ギリシアのことをオタクのように勉強している理由の一つはここにあります。キーワードは「自由」です。

House GOP ranking members launch inquiry into FBI raid of Project Veritas | Fox News
https://www.foxnews.com/politics/gop-ranking-members-launch-congressional-inquiry-into-fbi-raid-of-project-veritas 
(共和党下院メンバーが調査を開始したよっていう記事)

House Judiciary GOP
@JudiciaryGOP
https://twitter.com/JudiciaryGOP/status/1461431354441281536
"Merrick Garland assured us that federal law enforcement wouldn’t seize the records of journalists. 
But the FBI’s raid on Project Veritas journalists prove otherwise. 
The latest from @Jim_Jordan@RepJamesComer, and @SenRonJohnson:"

VICTOR DAVIS HANSON: Can The FBI Be Salvaged? | The Daily Caller/November 18, 2021 10:20 AM ET
https://dailycaller.com/2021/11/18/victor-davis-hanson-can-the-fbi-be-salvaged/
In truth, since 2015, the FBI has been constantly in the news – and mostly in a negative and constitutionally disturbing light.
(FBI 昔からおかしいよねっていう記事)


CLICK HERE to read what Project Veritas filed in court today.
Project Veritas will not be bullied by the DOJ and FBI, and we will not back down.
James(November 22, 2021)
https://assets.ctfassets.net/syq3snmxclc9/zZuz9zAPx3RLxOOExY07j/0b1e21f5100edb56e34f2c1812669cc9/2021_11_22_DE_38_PV_Parties-_Reply_to_Response_regarding_Motion.pdf 

O’Keefe Dissects NYT Inadvertent Error Excuse for Publishing of Veritas Attorney Privileged Docs - YouTube/2021/11/24
https://www.youtube.com/watch?v=-8OqH1E6ohU 

New York Times faces extended ban on Project Veritas... | Daily Mail Online/UPDATED: 00:39 GMT, 24 November 2021
https://www.dailymail.co.uk/news/article-10235207/Judge-extends-New-York-Times-ban-Project-Veritas-coverage.html 
(Westchester 郡最高裁判所のCharles Wood 判事は、New York Times がProject Veritas に関する特定の資料を公開または検索することを禁止した。11月18日から12月1日までの措置)

We have the freedom to give our opinions about anything.
But, In many countries, many people have had to fight to receive liberty in past eras.

 米国の独立宣言の冒頭には、liberty が使われています。勝ち取ってきた自由、という意味でしょうか。

cf. The Declaration of Independence
  "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness."


 日本国憲法の英訳では、13条にliberty が使われています。12条・19条・20条・21条・22条・23条には freedom が使われていますが、これは天賦人権説に従ったものと思われます。本来、ひとは生まれながらにして平等であり、生命、自由、そして幸福追及を含む不可侵の権利が、天から授けられています。幸福を「追及する」というのが大事です。何が幸福なのかというのは人によって違うからです。


The Constitution | The National Constitution Center
https://constitutioncenter.org/interactive-constitution/the-constitution
(米国合衆国憲法)

First Amendment - Freedom of Religion, Speech, Press, Assembly, and Petition | The National Constitution Center
https://constitutioncenter.org/interactive-constitution/amendment/amendment-i 
(修正1条:信教、言論、報道、集会、請願の自由)
(1789年9月25日に議会で可決。1791年12月15日に批准。最初の10の修正は権利章典を形成する。)

独立宣言(1776 年)|About THE USA|アメリカンセンターJAPAN
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2547/ 

日本法令外国語訳データベースシステム - [法令本文表示] - 日本国憲法
http://www.japaneselawtranslation.go.jp/law/detail/?id=174 

Constitution and Government of Japan
https://japan.kantei.go.jp/constitution_and_government/frame_01.html 

日本国憲法 | e-Gov法令検索
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION 

日本国憲法(衆議院)https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm 
(日本の法律には条文ごとにタイトルが付けられていることが多いのですが、もともとの日本国憲法にはタイトルが付けられていません。そのため衆議院でつけられたタイトルと、六法でつけられたタイトルとは微妙に違っているようです)

Future of Schools and Critical Race Theory After Youngkin’s Victory | The Heritage Foundation/Nov 9th, 2021 
https://www.heritage.org/education/commentary/future-schools-and-critical-race-theory-after-youngkins-victory

 米国バージニア州は大統領選挙において2008年から4回連続で民主党候補が勝利しており、「青い州」になりつつありました。しかし先日の「州知事選挙」では共和党のGlenn Youngkin 氏、「副知事選挙」では同じく共和党の Winsome Sears 氏(元海兵隊員の黒人女性で Trumpist )が勝利しました。

 この動きは、来年の中間選挙に向けてどのような影響を及ぼすでしょうか。Trumpが嫌いだからBidenに投票したという人でも、現在の民主党のやり方にうんざりしているという声は少なくないようです。私は昨年末から今年にかけて、様々な公開情報を皆様と共有してきました。米国への不安を口にする私に対し、「米国には底力があるから大丈夫」と言った人の予想は、最近の世論調査の結果を見る限り、当たっているようにも見えます。けれども共和党も一枚岩ではなく、いわゆるRINO(Republican In Name Only 名ばかり共和党)と呼ばれる人たちも大勢いますし、共和党の政策の方がいつも優れているとは限りません。

 しかし政策云々の前に大事なことは、 CRT ( Critical Race Theory 直訳すると批判的人種理論)を推進しようとする動き、つまり教育の問題です。バージニア州の選挙では主に教育問題が争点になっていたようです。もし、自分の子どもが学校でCRT を教えられていたら、私も抗議すると思います。CRT に関しては私の過去のカレンダーのコメント欄や他の投稿でも少しだけ触れています。またジョージ・オーウェルの『1984』は、『動物農場』に比べて作品自体の評価は低いようですが、教育の問題を考える時には有用かと思います。

 CRT 自体は新しい理論と言えます。ただ、なぜこのような発想になるのかというと、まさにトゥキュディデスが追及した「人間性」や「人間の性情、あるいはそれにもとづく一般の行動形式」から考えることができそうです。人の心理は古代からそう変わっていません。つまり私を含め、ほとんどの人間は、多かれ少なかれCRT の理想とするところに惹かれる部分があることを自覚したほうが良いのかもしれません。

 ひとが自分のためを計ることは人間の自然といえます。問題は、自分の利己心を隠して他人の利己心を摘発し、これに非難を浴びせようとすることです。たとえば共産主義はもともと共同の幸福を願っていたはずですが(プラトンの『国家』『法律』参照)、社会主義国や共産主義国のトップの権力の集中化(そして管理社会)や人権侵害、BLMの共同代表の豪華すぎる複数の邸宅などはどうしたことでしょうか。

(余談:K. R. Popper の、Plato に対する有名な攻撃に関して、あれっ?と思うご意見を拝見することが少なくありません。もちろん素人の私が口出しできる問題ではないので黙っていますが。
私のFBの11月、〜11月カレンダーの、『ツキュディデスの場合』の註〜の、
■(田中[1970: 366])(121)註(4) 
主題の二重性……正義に関する思考実験
には、興味深いことが書いてあります。もしよろしければご確認ください。R. M. MacIver のお話の次に出てきます。余談終わり)

 さて、富と権力の再分配が焦点となっているCRT の主張することは…、肌の色が白い人は悪である。白人が建国した米国は、根本的に人種差別的な国である。そのため、現在の法制度や資本主義は否定されなければならないし、今までの文化をキャンセルすることは正義である。そして暴力的な解決方法は正当化される。…どうでしょうか、これだけ読むと違和感を感じますよね。しかしここまで極端ではなくとも、共産主義がもともと目指していた理念に共感する気持ちや、自分とは違う人種の人間を遠ざけたい気持ちなどは、誰もが本来持っているものなのではないでしょうか。

 けれども私たちは、古典から学んできました。倫理に背くとどのような結果になるかということを。そして長い歴史のなかで人類は、「権力」に対し、どのように対処すれば、なるべく多くの人々の幸福につながるのかということを考えてきました。その結晶と言えるのが、前述した近代憲法であり、権力の分立と相互抑制のシステムだということもできそうです。私は、社会主義や共産主義の理念には共感しますが、処方箋は間違っていると考えています。そして、社会主義や共産主義に好意的な人でも、全体主義を肯定する人はおそらく少数派です。米国の司法省 (DOJ) やFBI の問題、また不正選挙の問題も、権力の濫用という面があります。

 しかし民主主義が最良の選択かというと、それが難しいことは、ソクラテスの考えやプラトンの言葉を借りるまでもありません。また、現代の間接民主制においては、選ばれた人が代表権を持つことになりますが、主権者は私たちです。つまり、選ぶ側の私たちの方が、優位であるということができます。

 とはいえ私たちは、本当に自分自身の曇りのない目で自分たちの代表者を選んでいると言えるのでしょうか。私たちは多かれ少なかれ、「選ばれる必要のない、特権階級の、大きな力を持っている人たち」の影響を受けています。そうなると、権力を握っている人は、本当は、誰なのでしょうか。

 「支配」は原則として、少数者によるものと言えるでしょう。ペリクレスの治世についてトゥキュディデスは、「名前の上では民主制だけれども、実質的には一人の第一人者による支配となって行った」(『歴史』2巻65章9節)(田中美知太郎  訳)と書いています。

 ところで、寡頭制 ( oligarchy ) を成立させる原理は、「少数者の支配」ではなく、「富」によるものだと、アリストテレスは『政治学』(4巻8章)で指摘しています。そして、「アリストテレスは『政治学』4巻4章(1290a 以下)において、国政を支配している者が多数であるか、少数であるかによって、民主制(デーモクラティアー)とオリガルキアー(寡頭制)を区別するというような単純な規定をしりぞけ、オリガルキアーについても多数者が国政を支配している事実を注意して」(田中 [1970: 134-135])います。

 この辺りは田中美知太郎先生の『ツキュディデスの場合』の43章と44章で説明されています。「富」による支配について、もう少し書こうかなと思いました。しかし、facebook(旧:Facebook 社・新:Meta 社 )からまたアカウントの制限を受けることになりそうです。それに、そろそろちっちゃい子たちが起きてくる時間です。

 なおヘリテージ財団やデイリーシグナルのサイトでも、CRT がなぜ危険なのか詳しい説明を読むことができます。

Critical Race Theory Would Not Solve Racial Inequality: It Would Deepen It | The Heritage Foundation/March 23, 2021
https://www.heritage.org/progressivism/report/critical-race-theory-would-not-solve-racial-inequality-it-would-deepen-it 

Seven Steps to Combatting “Critical Theory” in the Classroom | The Heritage Foundation/March 22, 2021 
https://www.heritage.org/education/report/seven-steps-combatting-critical-theory-the-classroom

CRITICAL RACE THEORY 
Knowing It When You See It and Fighting It When You Can 
https://www9.heritage.org/rs/824-MHT-304/images/2021_CRT_eBook.pdf

https://www.heritage.org/crt 

https://www.dailysignal.com
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 「すなわち人びとがロゴスによって、演説を通じて考えた計画は、人間的な利欲や功名心、あるいは恐怖などの弱点によって、その実現をさまたげられ、画餅に帰してしまうことが常なのではないか。いつの世にもくりかえされる悲喜劇なのではないか。人間的な弱点は、それぞれの場合において一種の必然性をもった支配力をもち、人間の理性、人間の合理的計画を圧倒し、これを無にしてしまうことが、日常あまりにも多いのではないか。」
(田中 [1970: 424])(附録4節)


  "In other words, the plans that people have come up with through their speeches by Logos are usually hindered from being realized by weaknesses such as human desire, merits, or fear, and are usually attributed to paintings. Isn't it a tragicomedy that can be repeated through in all ages? Human weaknesses have a kind of inevitable dominance in each case, overwhelming human reason, human rational planning, and too often to nullify it?"
(Tanaka [1970: 424]) (Appendix Section 4)

Sincerely,

紙:χαρτί,  charta, paper
徳:ἀρετή,  virtūs, virtue 
真理:ἀλήθεια,  veritas, truth
子:παιδί,   一 + 了 = from beginning to end

紙徳 真理子
Mariko Kamitoku

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