自分にとってのPerfumeは信仰なんじゃなかろうか、ということについての覚え書き

この文章は、Twitterでつらつらと書いた、自分にとってのPerfumeは信仰なんじゃなかろうか、ということについての覚え書きです。

正直、自分で読み返してみても「何言ってんだこれ」感、若干ある。

私はもともと、自分の「めっちゃ好き!!!」という気持ちを「もしかしてこれは少し気持ち悪いのでは?」などと思いがち。この「好き」という気持ちが高まりすぎると、好きな対象そのものが無くても好きという気持ちが持続するので、「これは一体何なんだ?」と単純に疑問だったからなんですけど。たぶんそうなんですけれど。オタクの人がよくいう「供給」ってやつですわ。供給がなくても好きなもんはずっととにかくひたすら好きなんですわ。展開無くなって、公式がもう一切音沙汰なくなっても、好きなもんは好き!みたいな。そして私の場合、公式が動いてて展開があっても、その情報を仕入れなくても割と平気。それが不思議だったんですわ。あくまで自分自身のそういう気持ちが不思議、という話し。

で、Perfumeですよ。Perfumeに関してもだいぶそんな感じなんですよ。めちゃくちゃ好きなんですよ。CD出れば買うし聴くしライブ行くしグッズ買うしファンクラブだって入るけど、でも、それだけといえばそれだけなんですよ。世のPerfumeファンの多数の人がやってて、「Perfume好きなんですよ」って言ったら多数の人が「あーじゃあこういうこともやってるの?」って想像するであろう、出演番組を観たり、雑誌のインタビュー読んだり、CMキャラクター務めた商品をチェックしたり、レギュラーでやってるラジオ聴いたり、あとは何だ、FC内ブログをまめにチェックしたりとか?

気が向いたり、たまたま自分の目に入ったら手を出すこともあるんですけど、だいたいやらなくても全然平気なのよね。でも自分の中での「あ~~~~Perfume好き~~~~~」ってもんにあんまり揺らぎがない。これが自分で不思議だったわけよ。

それで辿り着いたのが「私にとってのPerfumeは信仰なのでは?」というあれです。そうなるとアイマスとかエタメロとか他にも好きなものがだいたい信仰なのでは?みたいに思わなくもないんですけど、テクノ法要のあたりでぶつぶつ言ってるように、特にPerfumeは、個人的に「人間のはずなのに人間ではない何か(しかも神々しい)」に見えてしまっているのでね。しかも私は、だいぶインドア派な割りにその何かっていうかPerfumeのために出掛けるのは苦ではなくて、ライブ参加すれば存在を目の当たりにした感動で涙して、そのためにも日々を頑張ろうなどと「私の起源と言ったらおそらく”怠惰”にちげえねぇ」というような面倒くさがりの私が!思うなど!!

そりゃPerfumeは信仰なのでは…とか思うわな、などと、自分で改めて文章にしてみて思うのであった。

ここからはこれからのPerfumeと私の話ですけれど、とりあえず今度やる北米ツアーに参加することにしました。単独海外行き、一応悩まなくはなかったけど、「PerfumeがいつまでPerfumeをやってくれるのか」ということについて、ご本人たちがやる気満々な姿を見せてくれているのでそんなに心配はしていないものの、Perfumeいくら神々しくても人間のはずだし…。人生に何が起きるかなんてわからないし、それはPerfumeを構成している皆々様だってそうだし、私自身もそう。ある日ぽっくり事故ったり病気やらかして死んじゃうかもしれないし。Perfumeや私自身には何事もなくとも、もしかしたら例えば身内に何事か起きてライブ参加するどころじゃなくなることだってあるかもしれないし。ということを、日々色々な出来事から、やはり強く思いましたので。やれる範囲でやりたい範囲で、これからも信仰を抱いて生きていこうということを思いました。

終わり。


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