ブランドが安心感を提供できなくなったのは、いつからなのだろう?
ブランドではなく、物そのものを見るしか無くなってしまった。
ブランドが安心感を提供できなくなったのは、いつからなのだろう?
儲けに走ったブランドの自己崩壊を憂えている。
多分に日本のバブル期が端緒であるようにも思うが、とにかく購入しやすい価格帯のものを乱造して、バブル期の日本人に売りまくった事で味をしめたヨーロッパのブランドは、中国の消費に取り込まれてしまった。
心ある革の専門店に、古いブランドバッグを持っていくたびに言われることがある。
「もうこのブランドもこんな良い革は使ってないので、大事に使用してください。」
いつからブランドは庶民が持っても良いものになったのか?
本来は王侯貴族が長期間にわたって使用する馬具や、馬車(コーチビルダ)、皮革製品、宝飾品、時計などの装飾品だったはずなのだ。
それがいつしか、ブランド自身が儲けに目が眩んでしまった。
価格帯の手頃なものを粗製濫造。
確かに儲けたかもしれないが、一つ一つの製品の価値やブランドの価値を毀損しなかっただろうか?
本当に良いものを守るには、貴族制度は必要悪であった。
これからも色々な物が出てくるだろうが、本来の意味でのブランドはもう存在が難しいのかもしれない。
翻って、私たちも粗製濫造に走ってはいないだろうか?
私という存在は、関係者やお客様に安心感を提供できる存在か?
そんなことも振り返る必要がありそうなのだ。
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