「幸運が3度姿を現す様に、不運もまた3度兆候を示す。見たくないから見ない。気がついても言わない。言っても聞かない。そして破局を迎える。」
「幸運が3度姿を現す様に、不運もまた3度兆候を示す。見たくないから見ない。気がついても言わない。言っても聞かない。そして破局を迎える。」
<イノセンスから、バトーの発言の一部>
見たくないものは見ない。
気が付いても言わない。
言っても聞かない。
聞きたくないもの、認識したくないものの筆頭はリスクです。
リスクには自分の性格や思考の偏向も含みます。
行っては行けない方角だと教えても、行事や相手の都合で行ってしまう。
その挙句に、当然引き受けるべきものを引き受けて絶叫してのたうちまわる。
私は呪術師でもマジシャンでもありません。
ましてや神でも仏でもありません。
「それはあなたの選択の結果です。」
「どうしようもない事実なのです。」
と申し上げるしかありません。
先日、二つのアドバイス先からお知らせをもらいました。
一つは当方のアドバイスを補助線として、自ら動いてご自身の次の扉を開かれたとのこと。
もう一つは当方のアドバイスを聞きながら、あまり望ましくないと当方が考える方向に行っているということ。
コンサルタントやアドバイザーの矜持として、その相手の領域に過度に踏み込まないというものがあります。
実際のハンドルを握っているのはアドバイスを受ける側であり、実行者はアドバイザーではないということです。
昔コンサル先に営業部長として赴任した知り合いもいましたが、寡聞にしてその後を聞きません。
私は良いとは思いません。
うまく行った例も知らないわけではありません。
USJの例は、うまくいった例でしょう。
それでもアドバイザーは、相手の行為者としての領域に踏み込むべきではないと考えます。
あくまでも第三者の視点を維持するために、当事者になってはいけないのです。
もう一つあります。
最初に書いたことです。
一つ一つの事象に一喜一憂してはいけないという事。
全てはアドバイスを受ける行為者のために行うのですが、その果実は100%行為者のものです。
そこにアドバイザーの取り分はありません。
心理的にも切り離していくべき事なのです。
部外者であることを忘れたときには、悲劇しか待っていないことを知っているからです。