セレンディピティ
セレンディピティという言葉はご存知のことと思う。
所謂、偶察力とか、偶然の必然性というやつだ。
元々は「セレンディップの3人の王子」というお話から来ているらしい。
これをホレス・ウォルポールという小説家であり、政治家でもある人が1754年に知人宛に書いた書簡で使われている。
だが、セレンディピティが誰にでもいつでも来るわけではない。
現象はいつでもそこにあり、発見されるのを待っている。
それに気がつくのは、やはりそれなりに修練と集中が必要なのだ。
所謂ニュートンのリンゴも似た様な話だろうと思う。
結局、人間はただでは何も手に入らないことを知るべきだ。
学習するにしても自分の時間をかけて本を読破するか、詳しい人にお金を払って教えてもらうか、詳しい人をコンサルタントに雇って、判断してもらうかしかない。
偶然では僥倖は訪れない。
「もうこれまで」と思ったその一寸先に、結果が待っていることがある。
これは私の実感だ。
なんでもただでは手に入らないのだ。
ただで手に入ったものは毒林檎か、祖先の陰徳のおかげと思っていて良い。いずれにしても、ただで手に入ることはない。
実は、セレンディピティという言葉はその事を教えるためにあるのではないかと思う。
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