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補助線としての易経

中国の古典の中には、四書五経と言われる書物があります。
苛烈で500年も続いた春秋戦国時代に、多くの思想家や戦略家が現れては消えて行きました。
その中でも儒家と言われる人達は大きな勢力を持っており、四書五経と言われる書物が重要とされています。

春秋戦国時代は秦による最初の中央集権国家=帝国成立で終了しますが、秦は韓非子が唱えた政策や方針を徹底的に実行します。特に儒教は目の敵にされ、「易経」を除く全てに弾圧がかかります。秦の始皇帝が亡くなった後、秦は混乱に陥り、漢が成立します。

この儒家が弾圧を受けた秦の時代でも、「易経」は弾圧を免れました。「易経」は古いルーツを持っており、少なくとも現在残っている周の時代に由来する漢の時代に確立した「易経(周易)」以外にも、殷の時代の物や他の地方のものもあったようです。
しかし秦の始皇帝が徹底的に嫌った「儒家」の担いでいた「易経」でも、秦の始皇帝はお構い無しだったというのは面白いですね。
恐らく始皇帝は、易経を使っていたのですよ。
そんなこんながあったので、「易経」の中には、「儒家の思想」がたくさん混ぜ込まれるようになっています。
「象に曰く」の所にある「君子は・・・」というのは、ほとんど秦の時代に行われた付け足しなんじゃないかなと、私は思っています。

さてこの儒家大弾圧の秦の時代にも生き残った「易経」は占いとされますが、実は世の中の人間の生き様をモデル化したものです。上経三十で地球創世から世の中の森羅万象を表し、下経三十四で人間の成長から死んでいくまでを表すとされます。
ですからこの「易経」そのものが、人生の構造をモデル化したものなのです。そのように使う限り、「易経」は非常に有用な「補助線」となり得ます。単なる占いと思っていたら、大間違いなのです。

針、お灸などの東洋医学は、この易経の知識がなければ完全な理解には程遠いと伺ったことがあります。これも「補助線」としての「易経」の使い方の一つです。

ただし、注意点もあります。
無条件に頼ったりやたらと使いすぎたりすると、「易経」はすぐにそれを見抜いて本当のことを教えなくなります。
また同じ事を何回も占おうとすると、その事について教えないと言われています。“初噬には告ぐ、再三すれば穢る、穢れれば告げず“とちゃんと“山水蒙“に警告があるくらいです。

基本的には自分が知っているけど見たくない現実を目の前に表出させるのが「易経」の真骨頂なので、中途半端な理解で使うと生兵法となり、怪我をします。それでも、世の中にはそんなものもあるということは知っておいても損はないかもしれません。

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龍飛 銀郎(かみたか かねお)
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