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ファクトフルネスと、ポスト・トゥルース
2016年のトランプ大統領出現、Brexitという状況下、オックスフォード英語辞典の「2016 Word Of The Year」になった「ポスト・トゥルース」。
時代を象徴するとともに、「虚偽であっても、自分に都合の良いあるいは自分の見方に迎合するならそれで良い」と言う態度を言うようです。
でもね、それって現在でもマスコミでプロパガンダが大手を振っていると言う事象を含めて、いままでもそうであったように思いませんか?
「post-truth」と言う言葉も、1992年から存在したようです。
要するに、自分が専門で無いことは「判断を保留」し、「事実」か「意見」かを明確にするまで考える。その為には、一次ソースに当たる。
一次ソースが明確で無いもしくは論拠やFACTが明確で無いものは、「意見」と判断して、多様性の中の一事象としてみる態度が重要なのだと思うのです。これも「思う」と書いている以上、私の「意見」にすぎません。
ファクトフルネスと言う本もありましたが、2020年のビジネス書大賞なのだそうです。まぁ、読んでいませんが・・・
「ポスト・トゥルース」などと大仰に構えていますが、昔からあったことで、所謂SNSなどで拡散されやすくなっただけのこと。
昔で言えば、BBCが事実を流しているように見せかけて、実はプロパガンダ機関であったことなどを想起しても、実態として実行者が意図する人間であったところから、意図しないあるいは未必の故意、全くのデマでも自分に利益になれば良いという、「特定の機関以外でもプロパガンダを流せるようになった」という時代に入ったと言うことなのかもしれないのです。
時代はそれぞれの表面で色々な表情を見せます。
しかし人間としての実相を見たとき、事実を事実としてみると、あまりにもつらいので目を背けたり、逃げたり、違うと思い込みたい人間の弱さだけが本質のように思えて仕方ないのです。
事実を見つめられる冷徹さ。
これだけが時代を超えた真実を掴むコツなのかもしれません。
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