金沢旅行記2024.7.12
三島由紀夫は、『美しい星』で金沢を星の町と表現した。金閣寺の金と、金沢の、金箔の金がどのようにして三島由紀夫の美学を反映しているのかはわからないけれど、この小説が小旅行を後押ししてくれたのは間違いない。
これまでにぼくは、二回金沢を訪れたことがある。一回は大学生の頃、文芸部の合宿で。もう一回はその数年後に家族と。道端に投げ売りされていたのをなんとなく買った九谷焼は、今もうがいのコップとして色褪せ続けている。たまたま連休ができたので金沢へ行くことを何人かに告げると「地震は大丈夫?」という反応が返ってくる。これも、今回の旅の目的のひとつと言えたかもしれない。すなわち、他者を他者にしないことだ。他者であることと、他者にすることの間には果てしない距離があるように思う。いまも能登半島の奥にはアクセスが難しい。本当はそこまで行きたいのだけど、まずは石川県の、金沢の今を見ることを目的に夜行バスに乗り込んだ。
前日はあらゆる星の巡り合わせが悪く、心の調子がよくなかった。格安の夜行バスも、カーテンのような仕切りどころか隣の席とを隔てる肘置きもないような劣悪なバスに当たってしまい、ぼくは助かることができるのか不安で不穏になりつつ、「ゆる言語学ラジオ」や「霜降り明星のオールナイトニッポン」をランダムに流していると眠れないまま紫色の金沢だった。朝の七時半、傘を差す必要はぎりぎりないくらいの小雨で、ちょうど通学の時間と重なっているのか観光地、という印象からは想像できないくらいの制服が、バス停を取り囲んでいた。シャワーをろくに浴びれず家を出たこと、夜行バスで腰が割れそうになったこと、心の調子がよくないこと、のそれぞれを払拭するために、まずは隣駅、東金沢の朝からやっている銭湯に行くことにする。JRに乗り込むと、次から次へ中学生が乗ってくる。営みだ。一駅離れただけで、金沢は一気に生活圏としての表情を覗かせる。
和おんの湯はそれほど人もおらず、ひろびろと使えた。露天風呂や寝湯でゆっくりと体を伸ばし、シークヮーサー風呂には人がいたのでもじもじとして入れなかった。単純なもので、お湯に浸かると精神の不調の、垢のような部分は綺麗に取り払われる。
金沢駅へと踵を返し、荷物をコインロッカーに預けてセブンイレブンでおにぎりと「ひゃくまん穀BEER」を手にする。金沢を見る、という霧のかかった無目的的目的ではあったけれど、ひたすらお酒を飲もうという意識はあった。酩酊は世界を輝かせるので。星の見えない梅雨の金沢で星を見るには、自らの手でひかりを作らなくてはいけない。気がつけば雨も止んでいた。
まずは、ビールを飲みながら調剤薬局へ向かう。処方箋の期限が切れてしまうからで、ぼくが眠れず、また心の調子が悪かったのは、マイスリーがなかったからだ。これを入手しないことには、旅ははじまらない。地域のあおぞら薬局で、調合をしてもらう。「旅行ですか」と声をかけてもらい、「旅行です」と答える。薄橙の錠剤とともに、「楽しんでください」の言葉。
目的らしい目的がないとはいえ、ひとまずは二十一世紀美術館には行こうと思っていたので、タクシーで向かう。運転手の話によると、昨日は土砂降りだったし今日も雨の予報だったらしく、運がよさそうだった。なぜかぼくが外に出ると雨が降りがちなのに、恩寵だ。二十一世紀美術館は常設展と特別展をやっていて、せっかくなので両方見ることにする。開館まもなくだったからか、人も少なめであった。特別展の「Lines」は、二十一世紀美術館の佇まいとぴったりあった展示だったように思う。線、に対するアーティストたちのアプローチの多彩さ。大巻伸嗣の世界を模したようなインスタレーションは特に印象的だった。常設展は、後期だと舟越桂の作品も見れたらしく、ちょっと惜しかったな、と思う。
少し歩いたところに鈴木大拙館があるようだったので、そこへ向かう。谷口吉生による、鈴木大拙のイメージよりはもう少し近代的な建築。泉鏡花記念館や徳田秋聲記念館はかつて入ったことがあったけれど、鈴木大拙館ははじめてだ。九段理江さんやマメピーさんの紹介がなかったら、今回も行かなかったかもしれない。入口に芙蓉やピンクのサルスベリが咲いていた。ほとんど人もいなく、「水鏡の庭」に臨む畳の「思索空間」でしばらくぼんやりする。
東京に比べると涼しく、風が心地いい。ときどき何かの跳ねる音がする。何人かが近くに座ったけれど、みんな一言も発することなく水を眺め音を聴き、知らず知らず去っていく。ニーチェの『喜ばしき知恵』を読み進める。今回、ニーチェの『喜ばしき知恵』とキルケゴールの『不安の概念』の二冊をもってきた。『不安の概念』はある種言葉遊びのようなものだし、バランスのためだったけれど、『喜ばしき知恵』は「星の友情」のためにもってきた。ニーチェはワーグナーとの友情を、そのように表現する。
最近フィナンシェで書いた連載も、スペースでの言及も、自然と星という概念に引き寄せられた。もちろん、『美しい星』もそうだ。七月は星の概念の滲み出す季節。かがやく水面を見つめながら、ときどき昼の空を見上げる。
ニーチェは苦しみを少なくする道と、苦しみを強くする道の二つを提示する。後者こそが、同じほどの喜びを受くる道だ。感情を負うこと。その苦難がないと喜びもない。何度読んでも、ぼくはニーチェを肯定する。鈴木大拙の手記で、ハイデッガーが「ハ氏」と呼ばれていたのが、なんとなく面白かった。
そろそろお腹も減ってきたので、犀川をなぞりながら、北上することにした。途中、前々から気になっていたオヨヨ書林があったので、立ち寄ってみる。敷き詰められ、積み上げられた本の山の中から、ユリイカのバックナンバーに心奪われつつも、短歌新聞社、山崎方代の『右左口』を購入した。『こおろぎ』も相場より安価で売られていて、石畳の上をるんるんとした気分で歩く。
百万石通りからやや路地に入った場所に、目当てのグリルオーツカがあった。ローカルフードのハントンライスが提供されているお店で、BUMP OF CHICKENも訪れていたらしい。普段は列ができるような店らしいけれど、お昼時を運良く外れたのもあってすぐに入れた。観光客ではなく、地元の中学生や大学生がたくさんいた。「三十年ぶりに来た」と言っている人もいた。一九五七年から営業しているらしく、カウンター席で厨房を眺めていると、ところどころにその歴史を感じることができる。オムライスに小エビのフライとタルタルソースの乗った、如何にもソウルフードという風貌の食べ物。これ以上おいしいものってありますか、という味わいだった。
胃も回復したので、近くの東急スクエアを覗いてみると、古本市が行われていた。荷物が倍増する予感がする。それでもなんとか堪えて、同じ建物のミニシアター、シネモンドや異様に安いABCマートを歩き回り、購入の欲求を発散させた。それでも、地元の版元「龜鳴屋」の『徳田秋聲俳句集』は限定五四九部の希少性もさることながら、装幀も六種類あるというこだわりぶりに、買わずにはいられなかった。
とにかく本を読もう、と思っていたし、歩き回って疲れてはいたのだけど、兼六園は行かないといけない気がしたので、金沢城公園からふらっと歩いてみた。気温も、東京よりはずいぶんましだけれど、夏相応に暑くなってきており、汗まみれになりながら高台で市内を見下ろしたり、積み方の異なる石垣を眺めたりしていた。能登半島の地震で、一部石垣が崩落しており、立ち入り禁止区域もできていた。
街を歩くと、そこかしこに避難者支援の職業紹介所や、食料の相談所ができている。観光客はいないわけではないし、東京と変わらないような生活が行われているけれど、傷は残る。
兼六園はさすがにインバウンドも多く、賑わっていた。
せっかく日傘をもってきたのにコインロッカーに預けてしまい、体中が熱になってしまったので兼六園は早々に退散して、金沢蓄音機館へ蓄音機を聴きに行く。一日に三回、視聴が行われているこの場所は、金沢でも特に好きな博物館だ。死んだ人の声を聴く。かつては「蘇声機」とも呼ばれた蓄音機も、今ではなかなか目にする機会はない。音楽には物理的な深さ、というy軸のあることを、この場所は教えてくれる。エジソンやベルリナーの発明した蓄音機の実物を、椅子に座って聴いていると夢へと誘われそうになる。涼しくて、三百円で音楽を聴ける場所。小規模なコンサート。
曇天のなかを金沢駅まで歩く。もう歩数は二万歩を越えている。数日前に、精神の不調から足の爪を千切ってしまっていたので、親指の爪の付け根から血が出ていた。過去の自分に罰されている。途中、「corpus minor#1」を見つけた。『匿名ラジオ』や星野源の対談でも言及されていた、とうとつに街中に現れる異質な球体。「結ばれた足」もそうだけど、意味のわからないものがとつぜん世界にあらわれるのはうれしい。
十九時に居酒屋の予約を入れていたけれど、それまでは時間があったので構内のお土産屋さん、百番街の中にある「金沢地酒蔵」の百円試飲機で飲酒をしたり、これも構内にある立ち飲み屋で農口尚彦研究所の飲み比べをしたりする。農口尚彦は、酒造りの神様とも呼ばれている杜氏らしい。ラベルもMoMAみたいなデザインで、日本酒らしくなくて面白い。「夏の生酒」が特に美味だった。
予約を入れていたのは「はす家」で、カウンター席に通されたけれど一人で飲んでいるのはぼくだけだった。おかげで店主や店員ともたくさん話せて、三種盛りだったところを七種盛りにしてもらったり、いくつもお酒を試飲させてもらったり、バーや金沢のゴールデン街と呼ばれる場所を教えてもらったり、何かと金の時間を過ごさせてもらった。治部煮も、ハモの天ぷらも、すべて美味しかった。お酒は「五凛」のやっぱり生酒、「手取川」のあらばしりが好みだった。フルーツっぼいものが好みなのかもしれない。でもフルーツっぽいもので苦手な日本酒も多いので難しい。
なんとなくまだ飲みたかったので、教えてもらったバーまで歩いてみたけれど休日だったようで、ちょっと気になっていたBentyに入ってみることにした。ビルの二階、知らなかったら絶対入らない扉の奥の空間で、静かに二杯くらいカクテルを飲んだ。マンゴーのフルーツカクテル。
だいぶ心地よくなったので、大人しく宿へ向かった。金沢ゆめのゆは健康ランドだけれど、カプセルホテルも併設されている。お風呂も入れるし、泊まれるしお得だからカプセルホテルでも問題ない、と思っていたら、想像していたカプセルホテルとは違って驚いた。説明が難しい。一般的なネカフェの、もうちょっと広いタイプと言えばいいのか、天井だけ空いている半個室だった。空調も自在だし、しっかりとしたベッド。どろどろの体を戦闘で流したらもう眠くなってしまった。
嘘みたいだけど、満点の星空を見る夢だった。
朝、案の定筋肉痛だったし指も痛んだし、どうやら和おんの湯にヘアアイロンを忘れてきてしまったようで、二連続リンスインシャンプーだったこともあり髪の毛はごわごわになった。それでも無料シャトルバスで金沢駅へ出て、ひとまず荷物を預けた。今日は海に行こう、とだけ考えていた。金沢市から日本海へは、徒歩だと一時間かかる。爪を剥がしていなければ歩いたのだけど、大人しくバスを利用することにした。お腹も空いていたので、なんとなく駅弁を買ってみた。のどぐろが欲しかった。
観光客で金沢港へ行く人はいないらしく、ほとんどが経由地の病院か市役所へ行く人だけだった。噂には聞いていたけれど、「ICa」という北陸限定のICしか使えなくて、このあたりはちょっと不便だな、と思ってしまった。
金沢港クルーズターミナルが終着駅だったからそこで降りた。日本海へと繋がる港で、客船や護衛艦が停泊していた。何がしかのイベントも行われていたけれど、目的は近くの金沢港いきいき魚市だったので、太陽に突き刺されながら歩く。金沢では「近江町市場」が有名だけど、観光客商売をしているとのことで評判が悪い。アクセスは悪いけれど、こちらの市場の方が、中で捌きたてを食べることができる、という情報があったので来てみたのだけど、想像以上だった。市場の中にある寿司屋のテイクアウトで瓶ビールを頼み、知性のある生物の脳みそくらい大きな岩牡蠣と、朝釣れたタイ、アジを捌いてもらう。スーパーだったら千円はする量も、その半額以下で食べられる上に鮮度もいい。タイの甘みも異様だった。今回は食べなかったけれど、カニも安価で売られている。刺身を食べるなら、ここに引きこもっていたらいいのかもしれない。
バスが来るまでしばらく時間があったので、海を散歩しつつ、クルーズターミナルで山崎方代の歌集を読んだ。
こういう味は、方代ならではだな、と思う。ぼくの好きな次の歌も入っていたので嬉しかった。
もうかなり疲れてはいたのだけど、ひがし茶屋街の方も歩いてみたかったので、また金沢駅から歩く。浅野川を渡ったあたりで、急に過去の記憶が蘇ってきた。ときどき頭の中で思い浮かぶのだけど、どこだったか思い出せなかった場所。ひがし茶屋街の、眺望点。完璧に風景が一致したので、声が出てしまう。
お茶屋美術館は人が少なく、薄暗く、谷崎潤一郎の陰みたいな空間だった。今にも文士が階段を登る音が聞こえそうな、階段の匂い。軋み。太宰治の眉山が駆け下りそうな。簪やぐい呑みなどの工芸品もゆっくり見られた。
ついでに近くにあった金箔工芸館で、金箔の製造工程に関する展示を見てきた。相当な薄さで、ああ、これは技術だ、と一目でわかる。最近Twitterで話題になっていた割烹や、歌舞伎町のイメージのせいもあって、金はどこか下品な印象が付き纏っていたのだけど、こうして紙の亜種として捉え直してみるとまた金への考え方も変わってくる。谷崎的な美と、三島的な美の紐帯だ。
くらがり坂を歩きつつ、昨日小耳に挟んだ日本酒の飲み放題の店、「醍醐」へ行ってみることにする。
今回は頼まなかったけれど、全四百種類が飲み放題になるコースもあるようだ。 奥能登の酒蔵は今回の震災で被害を被った。そこで、「赤武」の赤武酒造や「亀齢」の岡崎酒造が数馬酒造の「竹葉」とコラボをして、支援をしているらしい。どちらも好きなお酒だったのに、このことを今まで知らなかった。三つ飲み比べをしたけれど、赤武は赤武の、亀齢は亀齢の「竹葉」になっていて、オリジナルの「竹葉」のキリっとした感じと違う良さが引き出されている。フェスに出るはずだったバンドが出られなくなり、その代わりを引き受けたバンドが、カバー曲を歌う、みたいな良さがある。酒蔵同士の助け合い、感情になる。
かなまる酒店で「蔵人盗み酒」という本来大吟醸クラスらしいお酒を自分のお土産に買い、あとは方方へのお土産を買った。
匿名ラジオで、マンスーンさんが帰りの新幹線用に寿司を買っていた、という話をしていた。それって最高だな、と思ったので、ぼくも近くの「もりもり寿司」で特上寿司をテイクアウトにしてもらった。金曜日だからか、切符売り場は長蛇の列だったけれど、その分新幹線で食べるお寿司は格別だった。ビールも買えたら言うことなしだったけれど、その時間はなかったのだけが心残りだ。
星の街から。
芙蓉のなかにほとんどあなたの目のような星の彼方の闇 欲しかった