プラネタリウム

THE FIRST TAKEで大塚愛が『プラネタリウム』を歌っていた。

聴いた途端、眼前には長野の空が広がった。ぼくがまだ地元で陰鬱な生活をしながら、始終テレビの点いている家で過ごしていたころの、あの空だ。振り返れば、ということかもしれないけれど、今よりもずっと明るいJ-POPが巷を占拠し、まさかいま、この瞬間が平成レトロになるなんて思いもせずに底抜けなお祭りをしていた時代のテレビからは、四六時中大塚愛が流れていた。

ぼくの生活圏にCDの売っているような店は半分が文房具屋であったTSUTAYAと、カメレオンクラブというゲーム屋に併設された平安堂しかなかった。パソコンも家族兼用のものしかなく、もちろんスマホも存在しなかった2005年には心地のいい電子空間はどこにもなくて、かといって現実の友人もほとんどいなかったぼくにとっての音楽の情報ソースはテレビしかなかった。何故だか契約されていた、一日中アニメを流し続けるANIMAXというチャンネルで見た『るろうに剣心』のJUDY AND MARYや川本真琴。『ドラゴンボール』のDEEN、『鋼の錬金術師』のL'Arc~en~Ciel、『NARUTO』のASIAN KUNG-FU GENERATION。『BLOOD+』や『東京ゴッドファーザーズ』のようなダークファンタジーに早いうちから出会えたのもANIMAXのおかげだし、やけにJ-POPアーティストをタイアップにつけていた風潮のおかげでたくさんの音楽を知ることが出来たのはテレビのおかげだ。2004年から2006年にかけて放映されていた『BLACKJACK』のアニメの主題歌はJanne Da Arcの「月光花」で、エンディング曲は大塚愛の「黒毛和牛上塩タン焼き680円」だった。なんていう変な曲名だろう。あまり音楽のことを知らなかった当時でさえ、あるいは当時だったからこそ、この曲名は異様に印象に残った。「さくらんぼ」という押しも押されもせぬようなキラーチューンを作り上げ、アイドルのようにまつりあげられていた大塚愛がこんなタイトルにするわけがない。それはもちろんYUIや絢香や平原綾香や大塚愛のような、平成の中期にたくさんいた女性シンガーソングライターたちに対する偏見でもあっただろう。シンガーソングライターがなんなのかもよくわかっていなかったぼくにとっては、彼女たちの歌う楽曲は「テレビ」という大きな枠組みの何物かによって作詞され、作曲された歌であるような気がしていた。「さくらんぼ」「CHERRY」「三日月」のような大雑把といってもいいような曲名の中で、「黒毛和牛上塩タン焼き680円」はそうとうな異物であった。

アイドルとしての大塚愛、という現象について覚えているひとつのエピソードがある。ぼくの家からの徒歩圏内には二つ中学校があって、仮にA中、B中とすると、その二つの中学校にはまったくといっていいほど交流はなかった。それなのにA中に通うぼくの耳には「B中に大塚愛に似ている可愛い子がいるらしい」という噂が届いた。みんながそれで盛りあがっていた。あれは、可愛い子がいてそれが大塚愛に似ている、ということではなく、大塚愛に似ている子がいて、それが可愛い、という順序だったに違いない、と思っている。田舎とはそういうところだからだ。

「プラネタリウム」に話を戻すと、避けては通れないバンドとしてBUMP OF CHICKENがいる。BUMP OF CHICKENについてはかつてnoteを書いたから繰り返しになってしまうのだけど、ぼくが出会ったのは2005年のおそらく秋。おそらく、というのは『テイルズオブジアビス』というゲームが出た12月15日よりも前に、たぶん週刊少年ジャンプに主題歌の情報が出ていたはずだからだ。『テイルズオブシンフォニア』に深刻にはまっていたぼくにとっての、テイルズオブシリーズ最新作の『テイルズオブジアビス』。主題歌から聴かないと、と思って平安堂で買ったのが「カルマ/supernova」だった。いわゆるavexのアルファベット三文字系(ELTとかDAI)のような女性ボーカルの曲ばかり聴いていた耳に浸透してくる藤原基央の声は閃光だった。2005年、14歳。14歳でBUMP OF CHICKENに出会うのって、あまりに出来すぎている。

BUMP OF CHICKENの「プラネタリウム」と大塚愛の「プラネタリウム」のCDがリリースされたのは、ともに2005年。でもぼくは、大塚愛の「プラネタリウム」しか知らなかった。テレビに流れていたのはそっちだったし、のちのちネットロアにのめり込んだぼくには、例の「裏拍手」の都市伝説は魅力的だった。怖くて、綺麗で、かなしい曲。大塚愛の「プラネタリウム」はそういう曲だった。

なぜ、この文章を書くつもりになったのか。なぜ、長野県の空を思い出したのか。それは、忘れかけていたひとつのエピソードが時間という重石をかき分けて浮上してきたからだ。2007年、高校一年生の四月末。入学して早々に、勉強合宿があった。詳しく場所は覚えていないのだけど県内のどこかの高原で、施設を貸し切って朝から夕方までみっちりと国語、数学、英語の三教科を勉強する、という頭のおかしなイベントだった。古文の助動詞や活用などはここですべて覚えさせられた。中学を卒業してから一ヶ月も経っていないのに。おそらく、交流を兼ねてのイベントだったのだろうけれど、ぼくは引っ込み思案でほとんど誰とも話さなかった。唯一、名簿が前後だった川上くんとだけ喋った。川上くんは野球部だったけれど、野球部らしくない少し影のある男の子だった。そうじゃなきゃ喋らない。というよりも、喋れない。夜は自由時間だった。おのおのがおのおのの時間を過ごしていた。ぼくは川上くんと外に出た。風を浴びようとか、自販で何か買おう、とかそんなことだったかもしれない。長野県は星が綺麗だ。どこの土地で見た星よりも、長野の星は大きくて、光っていた。川上くんは夜の駐車場のベンチに座り、「音楽とか流さない?」と言った。「プラネタリウムとか」。プラネタリウムといえば大塚愛だったから、いいかもね、と思っていたぼくは虚をつかれた。聞こえてきた声が紛れもなく藤原基央だったからだ。

今では信じられないことだけど、サブスクも、YouTubeやニコニコ動画もアクセスできず、iモードでは自由に泳げないインターネットはぼくには遠い、遠い場所だった。門限が厳しくて、本屋に行くにも車に乗る必要があった中学生の頃、BUMP OF CHICKENは「カルマ」の、ぎりぎり「天体観測」のバンドだった。CDのレンタル、という概念は知らなかった。

川上くんのガラケーから流れてくる「プラネタリウム」は、それはそれは格好よくて、ベンチに座る彼は一枚の絵みたいだった。消えそうなくらい輝いてて、だ。ほんとうに。BUMP OF CHICKENのアルバムを揃えはじめたのも、「涙のふるさと」を予約して学校の帰りに買ったのも、それからだ。大塚愛の「プラネタリウム」は表で、BUMP OF CHICKENの「プラネタリウム」は裏だった。この瞬間に、表と裏はひっくり返りはじめたのだった。


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