荘子の哲学
たぶん、高校生のときだっただろう。国語の教科書に奇妙な文章が載っていた。それは、顔のない渾沌という生物がいて、その顔の部分に七つの穴を開けたら死んでしまった、という不条理極まりない文章で、ある種の幻想小説であるとも言えた。
教師からは「老荘思想の無為自然を体現した文章で、顔に穴が空けられたのは自然ではないから渾沌は死んだ」というような説明を受けた気がする。当時はまるで納得できなかったし、定番の孔子の方が説得力のあることを言っている気がしてわかりやすかった。荘子というのは、とにかく変なことを言っている人なんだ、というのがぼくの理解だった。
荘子の本を読もうと思ったのはなぜだろうか。確かにぼくは顔のない芸術が好きだ。マグリット、モロー、マティス、あるいはブランクーシ。それは顔という意味の塊であるトポス、視覚中心主義と相まって、そこにべったりとくっついてしまった意味のスライムで窒息死しそうになることばかりだったからだ。匿名性。つまりは純粋、イデアの希求。「渾沌」もそうした顔なしの一人ではあるのだけど、それはこの本を読んで思い出したので、どうやらそこからの連想ではなさそうだ。ゲンロンを追っていると荘子itという名前がサブリミナル的に刷り込まれるので、荘子というその文字列自体はよく見るのに、手に取った理由の中心がどうしても思い当たらない。
読んでみて、その理由が理解できた。中島隆博のこの本は、いわゆる荘子の逐語訳や解説というのではなく、荘子の読み直し、それも西洋哲学や古注といった古今東西の哲学史を踏まえた上での読み直しで、荘子の再生でもある。読みながらぼくの目の前を何度もドゥルーズが、スピノザが、ユクスキュルが、國分功一郎が、ニーチェが走っていく。これまで好んで読んできた様々な哲学書の要素がここにはたくさんある。そう読まれるポテンシャルが荘子にはあったということで、したがってぼくはいろいろと読むなかできっ荘子を刷り込まれていたのだろう。
それにしても、第一章の『荘子』読解の系譜学からすでにショッキングなことが書いてある。何の疑いもなく「老荘思想」と並べられている「老子」の「荘子」の思想には、実は距離があるということだ。例によって『史記』による創作がここにはあって、だから「無為自然」という道家を貫く基本原理からもう一度捉え直さなくてはいけない。
繰り返すけれど、この本は荘子を読み直す、再構築する本だ。学校の教科書の説明の多くは、ここでは覆される。
古注で異彩を放つのは郭象だ。郭象は老荘思想の「無」という基本概念を、『老子』読解に一般的な存在論的根源者としてのそれから切り離す。「有」は「無」に関係なしに「有」そのものによって基礎づけられる。これが、今後この本を貫いていく「物化」「斉同」という荘子概念の指標になっていく。郭象による「有」の根拠なしの自己措定は、そこに偶然性が入り込む隙間を産む。郭象の物化は「この世界が別の仕方でもう一つのこの世界に変容する」ことを表す。
ここまで読んで、あれ、これってもしかしてユクスキュルの「環世界」であったり、ニーチェの「ディオニソス的な肯定」であったり、つまりはドゥルーズの生成の話になるのか、と思ったら見事になった。
一般的には「斉同」とは、以下のように説明される。
この教科書的解釈には、仏教と習合した荘子の解釈が入り込んでいる。色即是空。鈴木大拙が『大乗仏教概論』で書いたような「空」「全は一、一は全」という観念と荘子の万物斉同が結束し、一切は区別なくひとしい、そしてむなしいというひとつの境地のようにとりあつかわれてきた。この老子や仏教によってねじ曲げられた「斉同」を捉え直し、「〈他なるものになる〉=物化」を荘子哲学の中心に据えて、言語・コミュニケーション等の問題系を考えてみる、というドラスティックでスリリングな本なのだ。
郭象によれば万物斉同は、万物それぞれに与えられた条件を徹底化していく限り、それぞれの「この世界」が同じであるという説である。
『荘子』の歴史的読解、近代中国での読解、欧米での読解を、数人の論を引用しながら確認していく第二~四章は、しっかりと図式化しながら読んでいかないと骨が折れる。でも、わかりやすく作られている。
魅力的な論考もある。ジャン=フランソワ・ビルテールの「人のレジーム」から「天のレジーム」へ、という変化である。「天のレジーム」に入るというのは、精神と身体が新たな関係に入ることであり、身体の解放だ。「丁」という天才の解体屋は、「天のレジーム」に入っている。しかし人のレジームから天のレジームへの移行には断絶がある。天のレジームには「忘却」が伴う。言葉でその状態を説明することができなくなる。すると、荘子のいう「遊」へ入る。
遊……まるでスキゾキッズみたいな。あれ、そういえば孔子の方はお墓に繋がったり、長者を敬ったり、どことなくパラノだ。それもまた儒教の一面的な解釈ではあるのだけど、そうした対比で見てみるとき、荘子はオルタナティブに遊んでいるように思える。
「忘言」については多くの解釈がある。主流なのは、言葉なき言葉で無為自然の「道」を話し合いたい、というコミュニケーションの肯定的な提示、ということであった。中島はそれに異を唱える。これは伝達可能性についてのアポリアである、と。「言」は「意」を歪ませる。これはもうたくさん身に覚えがありすぎる。何せメッセージはメタ・メッセージを含有する。遂行性と記述性が混在する。そんなことを言っていないのに、言外のメッセージが伝染していく。例えば「男は夢を追う」というメッセージには、「女は生活をしろ」というメッセージが含まれてしまう。エクリチュールは散種し、誤配されていくのである。荘子もまた「意」が「書」によって損なわれてしまうことに意識的であった。
いっぽうで、荘子は「言」という原―話し言葉にも注目する。「言」の場所は吹く風や鳥の鳴き声のような、バックグラウンド・ノイズのオラリテの場所でもある。このバックグラウンド・ノイズの場所の存在こそが、荘子にとってはコミュニケーションの可能性の条件だった。音に関するこのあたりの文章にはメシアンや武満徹が引用されているのも、かなり面白いと思った。啓示は耳から来る、と書いたのはブレーメンベルクだったはずだ。玉音放送はラジオで流れる音声だった。コミュニケーションは目によってよりも、一層耳によって交わされる。
道は屎尿にあり、という言葉からひろがっていく思索も面白い。超越論的原理の「道」が屎尿にまで及ぶ。そこを逃れるために持ち出されるのが「物化」だ。儒教の「教化」に対して、老荘の「物化」。物が他の物になる、生成変化。荘子のなかでももっとも有名な「胡蝶の夢」は物化についてのエピソードだ。
この解釈はまさに斉同について郭象の述べた見解と重なる。自らが他なるものになり、他の物もまた運動に巻き込まれて変容していく「悪魔的現実性」(ジル・ドゥルーズ)と荘子の物化が重なる。
物化の究極には、物との結びつきが解けて「このわたし」があらゆる出来事の可能性に受動的な仕方で開かれることになる。
このようにして紀元前の思想家と二十世紀の思想家が、古今東西、時間と場所の距離を焼いて接近していくのはすごくスリリングだ。