東京 プラチナ・ストーリー




 

小説『VIP広尾クラブ』



序章

  
世はバブル景気のお祭り騒ぎを経験し、一頃の狂ったような消費狂乱の時も過ぎ去り、人々が落ち着き始めた90年代後半の頃、秘密のベールに包まれた完全会員制の性感エステ店が六本木ヒルズに存在した。

性感エステ店とは紛れもなく男性が通う性的なサービスを伴う風俗店である。

しかしその店はまるで異次元の新しい常識を振りかざすように生息し、既成概念をことごとく超越して運営されていた。
風俗店でありながら在籍女性は容姿端麗の美女達で占められ、育ちや肩書までもが一流どころの美しき女性達のみで彩られていた完全会員制の性感エステ店である。

その名は「VIP広尾クラブ」。

時はバブル崩壊からひと山越えた社会情勢で、好景気の余韻を残しつつまだまだ良識ある日本人が道徳的な概念を大切にして日本型の社会を形成していた時代である。

一般的イメージからすれば、性産業に従事する女性は社会からドロップアウトした訳ありの女性か、何かの事情で止むに止まれず落ち果てた状況と想像しがちだが、その店は違っていた、巷の風俗店が過剰なサービスの競い合いをするご時世の中、VIP広尾クラブはそうした店とは一線を画し、性感エステ店としてサービス内容は極力ソフトであり、性風俗店から連想するさげすんだ発想などとは無縁の存在で、威風堂々と超越した領域を保持するかのように凛とした拘りを貫き君臨していた。

VIP広尾クラブのハイレベルでスペシャルな存在感は、勿論 在籍女性の高いクオリティーと比例していた。
その事が希少価値となりVIP広尾クラブのブランド力を高めていったのである。そのスペックを見れば在籍女性の肩書きに驚かされる。

ミスコンやミスキャンパスの入賞経験者が当たり前のようにクラブの戦力の華となり、バブル時に当時もてはやされたハイレグブームの立役者である現役のレースクィーンやモーターショーのイベントコンパニオンが華やかな引力となり男性の心を引き寄せていた。

有名大学に在籍する現役の良家のお嬢様でもある現役女子大生も含め、元スチュワーデスから更には現役のスチュワーデスまで店の花形として飾り窓を飾るようにそこに存在していた。

艶やかなリストには、女優、モデル、バレリーナ等、憧れの肩書きが並び、ナレーターやアナウンサーからピアニストやバイオリニストなどの音楽家までもが一時的にしろ一定の期間に確かにそこに在籍の足跡を残していた。

系列店の在籍者の全体像を合わせれば、キャリアウーマンや外資系企業の役員秘書から受付嬢まで当たり前のように幅広い在籍者の中核を成し、中にはリュスクなインフルエンサーな女性や、現役の女性教師や美しき若き人妻まで、お育ちや経歴が一流にしてセレブな女性達が、お互いがお互いのブランド力を高め合うように、其々の目的と考えを持ち秘密裏に在籍していた。

彼女達は在籍する事によって予想以上の成功体験を得る事が出来た、彼女達の後々の人生が羨望せんぼうの的となる環境であればあるほど、その裏に隠された若き日の淡い成長の刻みがそこにあった事を知る事が出来る。

駆け出しのヒロインだった頃の若き日の彼女達が、どういう因果でこの特殊な裏社会の島に流れ着いたのか、それはこの本書を読み解けば徐々に解明し秘密の一端を理解出来るはずである。

それは、肩書きだけでも憧れの的となる豪華絢爛で才色兼備な女性達の、ある時期の興味深い思い出のストーリーである。

VIP広尾クラブは当然、在籍女性の採用基準はより高く、容姿は勿論、内面性も充分にけみされ採用されていた。

バブル全盛は過ぎたとはいえ、まだまだ消費にも勢いがあり次なるITバブルの恩恵が出始めた頃の六本木界隈では、まだまだモデルのような華やかな女性達が景気を支えるように街の灯りの象徴となっていた。

六本木ヒルズを拠点にしていたVIP広尾クラブの採用基準もハードルは高く、単純にモデルという肩書きだけでは中々採用される事はなかった。VIP広尾クラブで華やかなページを飾れるモデルはそこそこ一線級でなければ通用はしなかった。

美貌にしろ、お育ちにしろ、学力にしろ、何か一つ他者を制する飛び抜けた優秀な個性がなければ、このクラブの圧倒的グレード感に埋もれて消えてしまう。

これ程の上質の肩書の情景は壮観にしてにわかに信じがたい光景である。
しかもそれらの肩書きは客寄せ目的のよくある謳い文句やサクラではなく、真実の肩書である事が重要で、それがVIP広尾クラブの拘りとブランド力の象徴であった。だからこそ圧倒的な存在感を放つ独特の自主性を有した性感エステ店で無二の存在として君臨していたのである。
 
あこがれの肩書きがブランド感を象徴する女性達であるが故に、在籍女性のプライバシーを守る事はお店の経営理念のトップにある最重要項目の最たるものであった。

どんな状況や問題があってもクラブ側は常に女性の立場に立ち在籍女性を護る事がクラブ側の暗黙の掟であった。

シークレット性を重要視する経営理念により、内実は一般には公表されず運営されていたVIP広尾クラブは、その経営方式と特殊性は創業者である異彩を放つ一人のカリスマオーナーの「一色乃 燎成」(いしきの りょうせい)によって創設されもたらされたものであった。

VIP広尾クラブは、一色乃いしきの 燎成りょうせいと言う天才の手腕と哲学によって創り出された独自性の強い集合体で、そのスタッフと在籍女性達は強い仲間意識を一色乃と共有していた。

プライドを持って在籍する事で一色乃と運命共同体のように繋がった一色乃の価値観に沿った集まりでもあった。

オーナーの一色乃は社長と呼ばれ、オペレーションは一色乃が信頼を寄せる一部の関係者のみにより運営された風俗の色を持たない風俗店であり、それは完全会員制のコンセプトを貫き、独特の威風な存在感を放つ謎めいた組織体でもあった。

特徴あるその経営手法は、実体を完全なる秘密のベールに包み込みながら、安っぽい広告や宣伝は控え、ホームページはあるものの高級ファッションブランドのようなデザイン性に優れた重厚感あるホームページで、一見何の業種のホームページか判断できない謎めいた印象を与えるホームページで、トップページから数ページ進んでも、説明や詳しい内容が殆ど見つけられない格式の高さをイメージさせるデザイン性重視のホームページであった。

ホームページのその先はVIP会員のみが入室できるよう、IDとパスワードでブロックされている意図的に不明さと謎と好奇心をそそるホームページとなっていた。

運営は女性の在籍から会員の管理まで最低限のメンバーのみで行われ、一種独特のカリスマ性を持つオーナーの一色乃いしきののみが全体の実情を把握し、秘密主義を貫き運営された「VIP広尾クラブ」。
その秘められた実態は未だ多くの興味をそそる謎の性感エステ店であった。

VIP広尾クラブは完全会員制で稼働されているため、利用できるのは勿論会員のみである。
利用料が高額なため医師や弁護士など士業の会員も多くいたが、中には政治家、スポーツ選手、芸能人、政治家や役人や官僚など、著名人やマスコミ関係者なども秘密裏に個人的に入会していた。
しかし、著名人だからといって彼らが接客内容や予約について特別扱いされ優遇される事はなかった。

VIP広尾クラブは誰に対しても敷居の高さを変える事はなく、男性会員である顧客に対しても著名人だろうが有名人だろうが、へつらい営業する事は無かった。その為、高飛車であるとかサービス精神に劣るなど批判を受ける事も多々あったが、VIP広尾クラブの経営スタンスは創業から首尾一貫していて変わる事はなかった。
 
オーナーの一色乃は常々、利用者の男性はVIP会員であるが、また接客する在籍女性もこのクラブのVIP会員であると表現していた。よって男性会員も女性在籍者も立場は対等であって、レディーファーストの観点から言えば女性の方が立場は若干上であると位置付けし、女性重視に沿った接客がクラブ側の運営スタンスとなっていた。

一色乃は常々女性在籍者に、ここはへりくだるような客商売をするべき場所ではないと強調していた。ここは美しさを研く場所で女性として成長する為のチャンスと時間を生み出してくれる場所だと在籍女性に言い聞かせていた。

在籍女性に対して一色乃は日頃から、自分の素材の美しさに磨きをかけ希少価値を高める努力にお金と時間をつぎ込む事を怠るなと話していた。
女性として自分自身がブランド化するほど長所を磨き上げるのにはタダでは出来ないし女性が華と咲き誇る時期は短い、よってVIP広尾クラブを利用して今この時に何をするべきかよく考えて今を生きるように諭していた。

高尚で正直な美しい心で、向上心ある日々を過ごせば、高いプライドを内に秘めた魅力的な女性に自然と成長できると説明し、それはVIP広尾クラブの接客の時に限らず私生活においても同様であると女性達に説いた。

尊敬に値する美しい心を忍ばせた女性と思われるよう、美しい見た目同様に頭と心にも磨きをかけ、自らの存在価値を高め愛されあがめられる女性に進化していくようにと導いていた。

VIP広尾クラブには、通常の水商売や風俗店にあるようなノルマや罰金や就労マニュアルなど、お店として根幹をなす決まり事のルール等は一切なかった。

また元々在籍女性達は社会的常識を守れるような女性達ばかりなので敢えて細かなルールを明文化する必要もなかった、時間厳守や秘密厳守、礼節や言葉遣いなど最初から行き届いていない女性はそもそも採用される事はなかった。

更に付け加えるならば、一色乃は風俗店を経営している意識が根本的に全くなかったのである。何故なら、オーナー一色乃は収益主義の低俗で品格の無い下劣なレベルでの物差しに特化したような風俗店に何の興味もなかったからである。
 
一つには、高尚なレベルでの女性の成長する場を提供する事がオーナー一色乃の役目であり、オーナー流の社会貢献であって、在籍する才能あふれる女性達に、けがれることなく、社会に羽ばたくきっかけを与える事が運営の目的の一つでもあったからである。

よってVIP広尾クラブでは、商売よりも重要なのは理念であり美意識であって、それがクラブの存在意義を成す根幹にある事が暗黙の了解のように無言の共通認識となっていた。

そのため在籍女性達の殆どが、自分達が性風俗店に在籍しているという意識が全くなく、居心地の良い秘密のサロンに所属している程度の認識で、ある意味自由でポジティブに、強い負担やプレッシャーを感ずることもなく、お洒落な高級ホテルのラウンジに出入りするかの如く在籍していたのである。

この一色乃が築いたVIP広尾クラブのコンセプトは最早風俗店の常識とは掛け離れた位置にあり、会員制のセレブなサロンのように、美意識を高める事にこそ価値が見出せる成長理念にあふれた格式ある組織へと変貌を遂げていた。

故に外見の美しさだけではなく内面性に於いても特別でハイレベルな女性達が集まり在籍していたのである。彼女達は多かれ少なかれVIP広尾クラブの理念に共鳴して社長の一色乃を信頼し尊敬していた、家族とは言わないまでも在籍している事で一種の共同体意識を持ち人生に於いてのプライドを失う事なく存在していたのである。

差し詰めVIP広尾クラブは商業としての域を超え、一色乃の理想を具現化した学びの場と化していたと言えるのかもしれない。
 
VIP広尾クラブには、しっかりした経営哲学が先にあるからこそ前例のない女性のレベルと高額な料金設定が可能になっていた。また客単価が高額だからと言ってそのサービス内容がハードな分けでは全くなく、寧ろ性感エステ店としては最もソフトな内容のお店であり、それを可能にしているのも女性のレベルの高さと運営理念であった。

象徴的なのは在籍者の中に、他店の風俗店や水商売の経験者が殆どいないのも特徴で、未経験者が多いのもVIP広尾クラブの特色であった。面接には他店の風俗店でナンバー1を経験している女性も高額の客単価につられ自信満々で面接に来るが、ことさら不採用になるか、採用になったとしても客の反応が悪く打ちのめされて止めて行くのが落ちであった。
   
VIP広尾クラブでは風俗店の色を感ずる女性は覿面てきめん会員の反応は悪くリピーターにはならなかった。それはある意味当然の理由である。他店の料金の数倍を投じて男性会員はわざわざ風俗嬢に会いにここに来るのではなく、風俗界とは縁もゆかりもないような女性達が在籍しているからこそ高額を投じてVIP広尾クラブに足しげくやってくるのである。

実際にVIP広尾クラブの主力の戦力となる人気の高い中枢の在籍女性達にはVIP広尾クラブしか知らない女性が殆どで、風俗店の経験はおろか水商売の経験すらない女性達が多くいた、その為、女性達は夜の世界や風俗業界を含めた裏社会の常識や知識にも全く疎く、進んで知ろうとする概念すらなかった。それはある意味男性会員のニーズと合致していた。

風俗界から遠くかけ離れた世界に生きる女性達を男性会員は求めているのであって、そこに高額でも利用する価値があり、それがVIP広尾クラブの方程式であった。

ある意味商売として経営しているのではなく価値観と使命感ありきの運営が隅々にまで浸透し、女性在籍者達はその存在感だけで吸引力となりセレブがセレブを呼ぶ奇跡を可能にしていたのである。
 
VIP広尾クラブは、一般には非公開なため紹介などの特別なルートがない限り、通常は一見でストレートに会員になる事は出来なかった、クラブのVIP会員専用の予約電話番号に辿り着くにはある程度の段階を踏んで辿り着く必要があった。

「VIP広尾クラブ」には代官山と渋谷にオープンな形で運営されている『セレブ・セレクション』という一般公開型の系列店があり、VIP広尾クラブより単価と在籍女性のランクを下げた下部組織の性感エステ店の店舗サロンが存在し、一般からVIP広尾クラブに辿り着くには、そちらのクラブで優良会員と認められ承認され準VIP会員となる方法がルールとして決められていた。

準VIP会員としてのお墨付きを与えられ複数回の利用の中で女性からクレームなどが無いなど、クラブ側が厳格に審査し認められた利用者が、はれてVIP会員になれる仕組みで、尚且つその場合には申込手続きが必要で、申込書に個人情報を記入し身分証明書のコピーと名刺を添えて提出する面倒な条件のシステムがあり、この厳格なルールに則ったルートが一般からVIP会員になる唯一の方法として存在していた。そして勿論男性会員の個人情報も峻厳に管理され生涯表に出る事がないよう厳重に封印されていた。

下部組織である渋谷のサロンは、一般公開型であるためホームページも常時公開されており渋谷のサロンは一見の客でも利用する事は可能であった。その中から厳選された優良会員である準VIP会員はグレードアップした会員制の代官山のサロンも利用可能となっていた。

そして完全会員制のより厳選させたVIP会員と、選び抜かれた女性のみが在籍する広尾と六本木ヒルズに拠点を置く本丸である「VIP広尾クラブ」と、グレードアップ型に三段階の運営形態に分類されており、それぞれ渋谷、代官山、広尾と経営母体を有し運営されていた。そして、その其々の所属先に絢爛豪華で容姿端麗な女性達が所属し在籍していたのである。

多くの興味をそそる在籍女性の実態には其々に其々のドラマがある。
容姿、経歴、学歴共に秀でていながら、なぜにこのアンダーグランドな世界に辿り着いたのか、本書にはその実態を赤裸々に語られたドラマチックなノンフィクションに沿った物語りが綴られている。勿論、その天使たちは時が流れた今も立派に社会で生き、其々がそれなりの幸福な人生を歩んでいる。

彼女達が作り上げ体現したVIP広尾クラブでの出来事は衝撃的なストーリーであり彼女達の成長と進歩の、ある時期の人生の秘めたページでもあった。
その証拠に彼女達は在籍する事によって、より美しくより明るく自分自身の個性に磨きを掛け、見違えるように成長していった。
 
まず在籍する事によって経済的な余裕とゆとりを彼女達は手に入れる事が出来た。若さの中で誰しも経験する可能性があるお金の悩みがそこで一旦解決され、それにより自分の趣味や学びや美容にと自分自身に投資する時間と経済的余裕を得る事が可能となった。

VIP広尾クラブは高額な客単価な為に彼女達は効率よく収入を得る事ができ、尚且つ接客内容が最もソフトな内容のためサービス自体も嫌々行なう内容でもない為に精神的負担や肉体的な負担が殆ど感ずる事なく接客する事ができたのである。
 
そんな環境の中で彼女達は、より健全により聡明に飛躍するチャンスを得てポジティブに進化を遂げて行った、そして美しく魅力的に成長すればするほど女性としての付加価値や評価も上がり手の届かない女性へとステップアップしていった。
そして多くの男性会員たちは彼女達にのめり込み、高嶺の花であるからこそ手を伸ばし掴み取ろうとした、その結果として、男性としての本能に導かれるように女性達に会いにVIP広尾クラブにやって来たのである。
 
彼女達の多くが二十代もしくは三十代の女盛りの時期に、有効な方法としてVIP広尾クラブに在籍する道を選び女としての価値を上げて磨きをかけた。

一般的には人生の女盛りの時期は短く、時の流れと共に若さは衰えて行く。勿論経験と深みの中で熟して行く魅力も女性にはあるが、無邪気に華と咲き誇る無垢な時期は限られている。女性として最も美しく成長し磨かれるそんな時期に経済的悩みを最小限に抑え、自らの成長に時間とお金を掛けられる事が後々の人生にどれだけ良い結果を齎す事かを、少なくともVIP広尾クラブに在籍する女性達は本能的に知っていたのである。


 

【 第一章 】


其の一 「小河原 佑子」おがわら ゆうこ


バブルが弾けはじめた1990年代の初期頃には、ラインもSNSもがいして殆ど活発には活用されていなかった時代である、VIP広尾クラブの女性の面接の希望者は電話かメールで直接本人が問い合わせをしてくるのが一般的な方法であった。

男性の顧客に対しては完全会員制の秘密のサロンとしてベールに包まれた組織であるVIP広尾クラブであったが、在籍を希望する女性への窓口となる扉は常に開かれたオープンな扉であって、どんな女性も電話一本でその扉の前に立つことができた。
 
五月晴れの午前の心地良い頃合い、澄んで乾いたそよ風が吹く清々しいとある日に、一人の若きフレッシュな女性がVIP広尾クラブの扉を目指し躊躇することなく大胆に六本木ヒルズにやって来た。宿命の歩みを刻み導かれるようにつま先は確りとVIP広尾クラブに向いていた。

淡い白系のスーツの色に合わせたベージュのフェラガモのミュール、ヒールは下品にならない程度の程よい高さで軽く音を立て地下鉄日比谷線の改札口を出て六本木ヒルズに向かう。
平日の午前の通勤ラッシュも過ぎた頃の時間帯の人並みは軽快に急ぐわけでもなく人々はそれぞれにばらつきのあるスピードで思い思いにクロスし行き交う。

メトロハットのエスカレーターに身を任せ機械的に上昇してゆく美しい後ろ姿、急ぐ素振りはない。
上品なスーツ姿で余裕のあるリズムを刻みエスカレーターを捉え、揃えた両脚の何気ない仕草からすら香り立つような気品を放ち、嫌みのないナチュラルな美しさは高貴なお育ちを自己主張しているようである。

隣の下降するエスカレーターにもばらつきのある間隔で人が占有し下降してくる、その内の何人かの男性は交差際で気づかれない素振りで彼女を二度見するが目線で彼女を追う者とは距離がどんどん遠くなる。

下から見上げる彼女の後ろ姿は、小ぶりに跳ね上がったヒップラインと、スカートの裾から若干筋肉質なふくらはぎと細い両足首が見え、フェティッシュなセクシャリティーとスタイリッシュな清潔感が同居している。

後戻りは出来ない道を暗示すかのようにエスカレーターは一定の早さで彼女を運び、左手の巨大な大型ビジョンの企業広告に吸い込まれるように上昇してゆく。目的地を急ぐ通勤のリズムではなく、むしろ観光客の足並みのように観察しながら進む余裕を持った歩調で目的地を目指していく。

上品にスタイリッシュでありながら一見にして近寄りがたい華を咲かせ、どこか高貴な雅さを感じさせる落ち着き感を持つ優れた知的な色白の美人、品位と格式を無言で表現し知性に芸術性を加えたような鼻筋の通ったハリウッドラインの横顔、たなびく黒髪は前髪をカチューシャで留め真面目さと聡明さを表現しコンディションの良さそうなさらさらのセミロングの黒髪は爽やかにストレートに伸び髪先が緩やかに内巻きにウエーブされお嬢様ブランドを印象付けしている。

整い過ぎた美人顔は美人過ぎるが故に多少きつく見られがちではあるが、しっかりとした清い目力は強い正義感と聡明さを表し内在するプライドを感じさせる。

彼女の名前は、小河原佑子(おがわら ゆうこ) 二十一歳。

この頃には広尾の他に六本木ヒルズにも事務所を構え一層のグレード感をしたため運営していた「VIP広尾クラブ」。
六本木ヒルズ内の敷地に位置する高級レジデンスの一部屋がVIP広尾クラブの事務所があり面接場所にもなっていた。

面接用の電話はオーナーである一色乃が所有する携帯電話に転送されているため殆どの場合一色乃が直接電話を受け女性からの面接希望や問い合せの対応に当たるのが通常のパターンであった。

電話の対応や話し方で相手の人間性や素行がある程度読めると一色乃は考えていた。実際殆どの場合電話で話しただけで相手の容姿の美しさや内面やお育ちが読め、それは八割がた的中していた。

それはまた相手の女性からしても同じで、問い合わせをしてくる女性もクラブ側の電話の対応や話し口調でそのお店の程度を判断する傾向にある、その事もオーナーの一色乃は熟知し、応募対応の電話は出来るだけ自ら行うように心がけ、その対応には充分に気を使っていた。
 

 「はい。VIP広尾クラブです。」
一色乃の電話での声のトーンは低く落ち着きのある渋味のある口調だが、聡明感ある すんなりとした音声と言葉遣いは正統派な印象を相手に与えた、女性が好む多少低めの落ち着いた声質であり、その波長は女性を安心させる能力に長けていた特有なものだった。

声だけの印象では実在の年齢よりも5歳から10歳ほど年齢が高く感じさせる安心感があり多くの女性は一色乃の声に居心地の良さを感じていた。
 
 「初めてお電話するのですが、女性の応募についてお訊きしたいのですが、今、ご対応頂いて、よろしいでしょうか、」

主語と述語と丁寧語を正確に組み合わせ言葉を選び話す若干ゆっくりとした佑子の語り口調は育ちの良い家庭で躾やマナーを高いレベルで教育されて育てられた事が読み取れる印象を与え、丁寧な会話で対応する正しい日本語を話す教養レベルの高さが裏付けされていた。

会話の中で時たま微妙ではあるが語尾が幾分かすかに鼻に掛かる甘さを感じさせるトーンがあり、男心を捉えるアクセントになり得るセクシャリティーな部分で武器になる個性であると一色乃は気が付く、いずれにしろ正統派の美しさが声にも反映されていた。

一色乃は小河原佑子からの電話での問い合わせの段階でその知的で丁寧な話し口調や聡明感のある声にお育ちの良さと知性を読み取っていたが、実際に面接し直接会ってみてから事が進むので、彼女の育ちや内面の高尚さが容姿にも反映されている事を期待し、ある程度の採用基準は超えている予感を察しつつも、これまで千何百人と面接をしてきた一色乃の経験からそれ程の過度のスペシャル感を持つ事もなく冷静に佑子と一色乃の出会いが面接として淡々と行われた。
 

電話で面接場所の説明を受け、初めて赴くVIP広尾クラブの事務所は、その名に相応しいVIPのおもむきを漂わすロケーションに位置していた。
約十五、六階建て程度の洗練された高級感を象徴した豪華で重厚感あるレジデンスで、お洒落な周りの環境も憧れのスポットでもあり、敷居の高いグレード感に心奪われる高揚感がある立地環境である。

佑子は地下鉄日比谷線の六本木駅のヒルズ側の出口からメトロハットのエスカレーターに乗り指定されたレジデンスを目指していた、先ずはヒルズタワーを右手にして通り過ぎ、けやき坂の「ルイ・ヴィトン」の店舗を目指すように指示され、そこに着いてからもう一度VIP広尾クラブに電話を入れた。
そこからの場所の説明を聞き直ぐに目的のレジデンスの正面に辿り着いた。

佑子はその高級で重厚感あるレジデンスと、その周りの環境に妙に納得しレジデンスの豪華な入り口のエントランス前に立っていた。
建物の名称を確認し佑子は繊細で白く上品な指先で部屋番号を入力し呼出しボタンを押した。

インターフォンから
「はい、お待ちしておりました、どうぞお入りください。」

と二十代半ばかと思われる優しく上品そうな女性の声で返答があると同時に機械的にレジデンスの入り口の大きく豪華な耐火ガラスの扉がスライドして開いた。

彼女がこれから始まるドラマチックな扉の先へと足を踏み入れた瞬間である、この面接が何をもたらすのか人生の岐路であることを微かに感じ新たな小河原佑子の幕開けを予感するように、心の奥底で密かに佑子は自分自身にスポットライトを当て自分を勇気付けていた。
 
レジデンスの中に入り1階のエントランスの正面には一流ホテルのロビーのような応接と左手にインフォメーションデスクがありエレベーターまでの空間は吹き抜けの様に天井が高く無駄にスペースを取った美術館のそれのようであった。

入り口を入り右手に進むとエレベーターがあると電話で丁寧な説明を受けていたので、佑子は壁に掲げられた巨大なアート作品を眺めながら堂々とゆっくりと観察するようにエレベーターまで進んでいった。

レジデンスの入り口の左手の奥にはコンシェルジュのカウンターがあり何やら住人と思われる白人系のエリート男性とコンシェルジュの女性が流暢な英語でやり取りをしていた。

佑子も親の仕事の関係で海外での長期間の生活経験があるので、その頃の事を思い出させる光景であった。
佑子も英語はネイティブに操れる能力を持ち合わせているが、雑音のような他人の会話に聞き耳を立てるほどでもないので、コンシェルジュのカウンターには興味を示さず迷うことなく右手に曲がりエレベーターの乗り口を目指した、程なくしてエレベーターの乗り口が見え右に二基、左に一基と三基のエレベーターが備えてあり稼働していた、

ちょうど1階で静止している方のエレベーターにすんなりと乗り8階を目指した。

その部屋は801号室。8階に着きいよいよ部屋の前に辿り着きドアチャイムをならす、一、二度深呼吸出来る位のタイミングで程なくしてお部屋の扉が空き、目鼻立ちの整った小顔の美しい女性スタッフが笑顔で迎え入れてくれた。

彼女が先程エントランスのインターフォン越しに声で迎え入れてくれた女性なのは直ぐに分かった、その女性の綺麗なハーフのような顔立ちは幾分芸能人オーラを感じさせる端正な美しさと存在感があり、それだけでこのクラブが他とは違う一種特別な空間である事を感じさせてくれた。

受付の女性は優れた容姿だけではなく、機転の利く性格から一色乃の厚い信頼を受ける二十代後半の事務所スタッフの矢吹玲那(やぶき れいな)である。黙っていると見た目は佑子と同年代風に見えるが、少し話すと大人な落ち着いた雰囲気が伝わる実年齢は二十八才になるモデルを本業とする女性である。
 
その部屋の玄関入り口は家庭向けレジデンスの玄関としては一部屋分位はありそうな広さで全体に天井も高く開放感があり、正面に出窓があり明るく採光されていて古代ローマ風のオブジェと三人掛けのソファーにアールデコ調の等身大以上ある大きな三面鏡があり、ルネッサンス期のイタリアを思わせるヨーロピアン調の豪華なインテリアで装飾されていた。

床はフローリングで一坪半以上はあると思われる広い玄関部分は大理石の床になっていてフローリングとの境目はほぼフラットになっていた。

お洒落なスリッパ立てに素敵なスリッパが用意されているのもあり、一瞬靴を脱いで入るべきなのか、そのまま靴のままで入っていいのか躊躇し迷ってしまう、佑子も迷い一瞬立ち止まったが、
「そのままお入り頂いて大丈夫ですよ、」と
矢吹玲那が優しく誘導してくれた。

このお部屋の間取りは広い玄関を入り右と左にお部屋が幾つかあるが、先ずは右手に向かい廊下の突き当たりにある広めのリビング部分のお部屋に向かった。
美しいハーフ顔の女性スタッフ矢吹玲那に応接のあるリビングまで案内された佑子は、ひと目でイタリア製のカッシーナ・イクスシーと分かるモダンで洗練されたお洒落な応接のソファーに案内され優雅に浅めに腰をかけた。

多少の緊張感はあるものの佑子の姿は落ち着きのある凜とした姿勢に傍目には見えた。高級感のあるイタリア製の家具と、背筋が伸びた気品ある凜々しい堂々とした態度の彼女が佇む絵図らは洗練された一枚の絵画の様にマッチしていた。

矢吹玲那に
「暫くこちらでお待ちくださいね。」と、うながされ
「ありがとうございます。」と佑子は静かに微笑みながら返事を返した。

玲那の言葉は事務的な言葉ではなく心の美しさと親しみが感じられる優しさのある親切な口調であり、見た目も心も美しさに溢れた素敵な女性だなと思い、佑子は内心少しだけ安心感を抱いた。
 
事務所として使用しているこの部屋の間取りは、日本に赴任しているエリート外国人家族用に施工されているのか、しっかりとした天井高のある広めの4LDKの部屋で通常のリビングダイニング部分はかなり広く、ローテーブルとソファーの応接セットの他に大きなダイニングテーブルのセットがあり洗練された豪華でモダンな家具で装飾されていた。
 
リビングは、ほのかに爽やかで上品なティベローズスズランのエレガントでフローラルなアロマの香りがした、東南側一面は大きな全面窓とその先に簡易的ベランダがあり、東側の反面は開閉不可の窓になっている二面採光で、気品あるレース素材のカーテンで日差しをカバーしている、陰湿さの全く感じられない明るい雰囲気の部屋で気持ちも穏やかになるポジティブ感を誘うマイナスイオンの空気を感ずるお部屋だった。

広いリビングダイニング部分となるこの部屋の四隅の二か所の角には家具のように高級スピーカーが配置されている、家庭用としては大きすぎる高級家具の一部のように木目調の光沢のある装飾のアコースティックラボ社製の高級スピーカーからは邪魔にならない程度の音量で落ち着いたジャズの音色のBGMが心地よく流れていた。音への拘りがなければ購入しないであろう趣味の詰まったスピーカーである。

後は60インチの大きな薄型テレビが印象的で、四隅の一角にはパソコンデスクがあり誰でも使用できるようにシンプルに設置され、格子状の和モダンな三面の衝立で仕切られていた。

受付の美人女性スタッフ矢吹玲那はリビングと隣接するキッチンと思われるスペースに下がり、そこからは玲那が何かの用意をしている食器の生活音がする。

少ししてティーポットと共にマイセンと思われるティーカップセットをお洒落なトレーに乗せワゴンで移動させ応接のテーブルにセットしてくれた、と同時にアールグレイの香りが鼻先に届いた。

玲那は丁寧に親しみを込め
「紅茶で好かったですか、」と
佑子に微笑み掛け、ポットとティーカップをセットしながら声を掛け、
「このまま、もうちょっと待ってくださいね。」と
紅茶の葉が開き飲み頃になるまで待ってからポットの紅茶をカップに注いでくれた。
「有難う御座います。」
佑子は返事をして微笑みを微笑みで返した。

暫くして、廊下を隔てた奥の方から扉の開く音がして、その奥の部屋から程なく人影と足音がこちらに近付き、スーツ姿の男性がにわかに視界に入った、一色乃は扉が開けたままだったリビングに入り際に扉を閉め、応接を回り込むように歩きながら彼女の容姿を窺い、佑子の醸し出すその品のある美人オーラから面接するまでもなく一目で採用を決めていた。

一色乃が彼女の対面の位置に表れると同時位に佑子はゆっくりと立ち上がり軽く会釈をして、
「お電話差し上げた小河原佑子です。」と名前を名乗り
「宜しくお願いします。」と挨拶をした。
二人の目と目が合った瞬間であるが、一色乃は直ぐに目線を外し対面の椅子に腰を下ろした。

一色乃は己の眼力を知っているので凝視すると相手を威圧するようになるので、初対面の人間に接する時や面接の時は意識的に目線を外すようにしていた。

佑子は、この男性が電話での問い合わせ時に対応してくれた人物であるのはその質感で直ぐに分かった。想像していたイメージよりも若くてハンサムな印象を受けた。初対面の異性でもあり多少構える準備でいたが、それを解き放つ少年のような清潔感を一色乃から感じ取り警戒心を解く役目を果たした。
一色乃は動作と目配りで佑子に座る事を促した。

一色乃は直感型の人間で、彼女の内面の高尚さは電話での遣り取りの中でもう既に理解していたので、第一印象で何の問題もなく即断で彼女の採用を決めていたが、面接らしき体裁をとるため形式的に面接用紙に記入をお願いし無意識を装いながらも丁寧に優しくその所作を確認していた。

佑子の気品と高貴さは指先にまでも表現されていた。
そっと膝の上に置かれた指先はハーブを奏でる奏者のそれのように五本の指がバランスよく美しく音感を知らせるように白く透明に佇んでいる。
セレブ感漂うゆっくりと、はっきりとした口調の声は心地好い波長に乗せて脳髄の芯に届いてくる。

佑子を形容する言葉を一色乃は無意識に頭の中で考えていた、それは知的であり正統派であり超美形であり品位があり、一色乃が求める高貴な異質の文化水準がそこにはあった。

大衆レベルからは超越した別の世界でオーラを放つ偽りのない本物の格式を一色乃の五感がキャッチしていた。
彼女は上流の個性を無理なく無意識に存在感だけで表現していて、それは一般人が真似しようとしても到底真似の出来ない伝統を感じさせる存在感を放っていた。
 
着こなされた白系のスーツは上のジャケット部分はスマートな襟元のカッティングで高貴なおしゃれ感を表現している、中のトップスは白のストレッチレースブラウスで胸元に覗くレース素材が清潔セクシーな上品さを表現している。

多少タイトにフィットした弱ストレッチ素材気味のフロントスリットのスカートとヒップラインの曲線美が上品セクシーなほんのりとした色香を放っていて、スリット越しに少しだけ覗いた膝頭はベージュの光沢あるストッキングで高級感とセクシャル感を携え、膝を揃え斜めに傾けられた真っ直ぐに伸びた膝下が細い足首と調和している。バレエダンサーのような背筋がピンと伸びた姿勢の正しい直線美が小股の切れ上がった粋な清潔感を醸し出していた。

やはり洋服のセンスも大切で面接という勝負所でどんなコーディネートを選択するか、その人間性や価値観が表われるものである。佑子のコーデは、気品ある着こなしが正統派の無垢な聡明さを感じさせるセンスの良さを象徴するものだった。

無理に気取る雰囲気は一切感じさせない凛とした物怖じしない堂々とした自然体の姿には上流感と知性がそもそも生れ付きに住みついているようだった。

彼女の姿は品行方正な彼女の私生活までをも想像させ教えてくれる嘘や偽りが似合わない血筋の良さが感じられた。
そこには「気取り」も「頑張ってる感」もなく爽やかなほどナチュラルにオーラを放つ天然の素材だった。

彼女はどうしてここに辿り着いたのか、今までの佑子を知る全ての人が不思議に思うはずである。

間違いなく俗世界の中でも隙間で裏のイメージであるはずの性風俗と呼ばれるアンダーグランドなこの世界に何故に彼女は踏み出そうとしているのか、誰しも答えを求める衝動に駆られるはずである。
常識的に考えてもここは、佑子の今まで生きてきた世界とは最もかけ離れた場所であり、彼女の輝かしくも真面目な人生とは対峙する世界である。
 
佑子は面接時に面接に来た理由を質された時、悪びれる事が全くない自然体の凛々しさで、透き通るような微笑み混じる笑顔でゆっくりと一言答えた
「ホームページのデザインが素敵だったので、」と。
それが理由として的外れな回答にしかなっていない答えではあるが、そこは多少世間ずれしたお嬢様感覚の天然性がある女性である事も理解して、それ以上深入りする質問もスマートではないので、話の流れを逆流させる事は無く一色乃は淡々と面接を進めていった。
 
一色乃が会話の遣り取りで何より感じ見ていたのは佑子の存在感とそのオーラであった、勘ぐる必要など全くない程に彼女は正統派の良識を存在自体で多くを表現していた。
彼女の発する言葉は全てが真実で、正直で嘘などあるはずがないと思わせる純粋培養された無垢な真面目さと格式が彼女にはあって、ある意味ではウイットが通じない堅物さも多少感じられた。

 佑子は大学を卒業したばかりで進路は予定として9月からアメリカの大学に留学して編入するつもりでいるが、先方の留学先の事情と個人的な問題で編入を一年延ばす事も考えているので、まだはっきりとは決まってはいないと、それまでの間社会勉強も兼ねて在籍して見聞を広げてみたいと真面目過ぎる動機を告げた。

しかし、ここは一流企業でも有名商社でもない、社会の隙間に生息する個人経営の風俗店である、いくらソフトなサービスであると言っても女性の性を売り物にしているお店である事には間違いはない。

はたしてこの上品で高貴なお嬢様はその事実を承知の上でここにいるのか、そして異性の強欲をどこまで理解しているのか、また どこまで受け入れようとしているのか、一色乃は事前の電話での問い合わせの段階である程度の事は説明しているはずなので、勘違いをして面接に来た分けでは無いとは理解しているが、念の為にもう一度よく説明をするべきか一瞬考えを巡らす程、佑子は俗世間とは掛け離れた印象を与える存在であった。
 
普通であれば性経験が未熟そうな女性であっても、接客自体の内容は極力ソフトであり現場で経験によって徐々に身に付けばいいと考えるパターンが一色乃の面接での一般的な思考回路だが、佑子の場合はそれが当て嵌まらない特別な予感を本能的に感じていた。

それは彼女が盲目的に導かれるように偶発的に辿り着いた今この時であって、この面接が彼女の意図した通りの正しい選択からくる行為として正解であるのか、一色乃が疑問に至るほど佑子の存在感が際立つ珍しいパターンの面接である事に間違いはなかった。
『ここは君の来る所ではないので直ぐに帰りなさい。』と言いたくなる程に良心に訴え掛ける人間性がその時点の彼女にはあった。しかし、人生とはそんな単純な流れで片付けられるほど簡単な問題でもない事も一色乃は知っていた。
何百回と面接をしてきた一色乃は、彼女達の行動の裏には必ず何だかの理由がある事を理解していた。
 
佑子は間違いなくお店のコンセプトに合ったVIPに相応しい存在である。お育ちから経歴に至る彼女の人生に汚点など間違いなくあるはずもないと思わせる独特の雰囲気と清廉せいれんさがあった。がしかし、そんな彼女をはたしてこの世界に招いていいのだろうか、多少躊躇する思いも一瞬一色乃の心をよぎった。

彼女は何を求めてここに来たのか、真実の理由が他にもある事を無意識に一色乃は感じ取っていたが、しかし、それを今知ろうとは敢えて思わなかった。人間の想いも女心も複雑なのは百も承知だからである。

今後遭遇する可能性がある男性の剥き出しの性欲に彼女が果たして対応できるのか使用者としての責任感からくる不安が一抹の脳裏をよぎったのも事実だが、オーナー一色乃は長年の経験値から佑子のポテンシャルが逆にあらゆる問題を克服する事も察知していた。その一色乃の予感通り、彼女のポテンシャルと宿命はあらゆる災いをも克服し善意に塗り替える能力を備えていたのだが、それよりも、この時、一色乃の心は本当に彼女をこの世界に招いてしまっていいのか神に自問自答する気持ちの方が強かった。
 
性感エステの中でも最もソフトな内容のお店とはいえ、どんなに高級な雰囲気であってもここは風俗店である事には間違いのない事実である。
内容には幅の広さはあるものの男性の性欲を開放して差し上げる内容が前提にある以上、ある程度は男という動物の性処理の内容を理解出来得る経験値が必要である。

一色乃は彼女に単刀直入に男性経験の有無を尋ねた。
「過去の恋愛経験は豊富ですか、」
一色乃は佑子が未熟でウブである事を百も承知であるが敢えて佑子に質問してみた。

「ある程度のセクシャルな行為は理解しています。」と佑子は話し、
「ですが、その具体的な男性との行為の経験は少ないです、無いに等しいと言えるかもしれません。」と、
はにかむこともなく、企業面接の回答のように佑子は答えた。
 
佑子は過去の恋愛経験という遠回しな一色乃のワードに正確に誠意を持って回答したつもりだった。
その内容は、学生時代に一度だけお付き合いした同年代の男性がいて、男性との性行為は経験済みではあるが、チェリーボーイと生娘のそれであった為、その回数も少なく極めてノーマルな内容で経験として言えるほどの密度のない体験だと、佑子は答えた。

一色乃は随分と真面目に文学的表現で性を語るものだと、ある意味感心したが、的確な佑子の説明に、それは剥き出しの性欲のぶつかり合いの経験ではなく、おままごと程度の内容での交わりであったと伝えてくれたのだと、一色乃は理解した。

VIP広尾クラブに面接に来た理由は佑子なりのきっかけがあったが、その事はこの段階では打ち明ける必要がないと佑子は決めていた。
勿論別世界への大きな好奇心と、自立した大人の女性への憧れなど、ありがちな理由を見つければそれはそうかもしれない。
多くの事に守られて生きてきた佑子の反動的な行動であり精神的な自立への衝動と言えばそれも間違いではなかった。
 
一流の有名大学に在籍し誉れ高き風土に身を寄せて高嶺の花の頂点までをも窺わせるお嬢様に待ち受ける冒険に、彼女自身どう対応するのか、ある意味彼女が本人自身に課した何かの為に異次元への挑戦が必要だったのか、何かを変えようとする佑子の未知への衝動であるのか、しかしそれらはあくまでも後付けの理由で、この世界に踏み込もうと決意した訳が他にもあるはずである。

少し前まで現役の女子大生で、どう見ても世間の手垢で汚されていないお嬢様の新たなストーリーがこれから別世界のこの土俵で刻まれる事になる。

佑子は当然、容姿や内面性も、VIPに相応しいレベルの女性で運営者が自信を持って提供できるクラブのコンセプトに合致した高いレベルの女性である事には疑う余地はない。当然男性会員の殆ど全てが納得できる逸材でもある。

佑子はその存在感だけで、女性として男性を虜にする特別な能力があった。その事実に一番気付いていないのは佑子自身で、佑子は男女の色恋沙汰の駆け引きには極力無頓着で深い恋愛経験もないに等しく、本人はこの時点では恋愛経験が人生において必要とさえも思ってもいなかった。

しかし、一色乃は分かっていた、男性を虜にする佑子の潜在能力は群を抜き、その才覚は芸術的で美しささえある事を。
その後、彼女の才能は日を重ねるごとに成長し進化し魅力的な変遷を遂げる可能性があるが、どう成長しようとも彼女の芯に潜む美徳は不動のものがあり常に新鮮であり、どんな足跡も彼女色に染まると、その行動は純潔で美しくあり続け、男性を操る能力に長けている事を一色乃は盲目的に悟っていた。それは佑子のDNAが元々持ち合わせているもので深い伝統と歴史とに培われ表現される遺伝的オーラでもあった。
 

VIP広尾クラブは性感のサービスはあるが俗に言う夫婦間で行うであろう最終的な性行為は勿論禁止されている、エステとしてのマッサージを施す中で性的な刺激を女性の方から一方的に手を使って行い男性を快楽に導くサービスである。
その過程で女性が洋服を着たままサービスを行うのがスタンダードで、洋服を脱いでランジェリー姿でサービスを行う場合もあるが女性によって多少の違いがあり、その判断はそれぞれの女性自身の判断に任されている。基本的に男性からのおさわりは禁止で、クライマックスへの導きは手技で行うのが決められたサービス内容のスタンダードな流れである。

一色乃はこの面接でお店について単価やバック率など収入についての細かな内容を説明する事はしなかった。しなかったと言うより彼女からも問う事がなかった。
一色乃は彼女には細かい下世話な内容の説明など必要ではないと直感的に把握していた。
また佑子もオーナーの一色乃をはじめ事務所のロケーションや雰囲気と接し、その価値観やお店の存在に盲目的に信頼し得ると確信を抱いていたので、収入やシステムの有無については二の次であまり興味がなかった、というよりは全てが初めて過ぎて、細かな事がこの時点では何も想像が付かなかったし何を質問していいのかさえも思いが及ばなかったのが事実である。

そして面接の合否を確認するまでもなく当事者全てが当たり前のように採用と認識し次の段階に動き出していた。
 
佑子に接客の流れを教えてくれたのは女性マネージャーの小川潤子(おがわ じゅんこ)が担当した。

一色乃が一旦場を外し別室に消え、少しして目鼻立ちの整った上品な美人オーラと色気に包まれた三十代半ばの美魔女風の大人な雰囲気の女性、小川潤子と再びリビングに表われた。

優しさと母性を感じさせる落ち着きのある大人な女性で、ウエーブの掛かったワンレングスでロングのヘアスタイルと美しい容姿は、少しだけバブル時代を彷彿させる派手さとつやをほんのりと醸し出していた。少し話せば面倒見のいい姉御肌なのが分かり対する人間に安心感を与える個性を持ち合わせていた。

「こんにちは、」「疲れていませんか、大丈夫ですか、」
潤子は面接疲れをしていないか佑子を気遣い、優しく挨拶代わりの言葉で佑子を覆った。

佑子は、突然目の前に現われた素敵な存在感を放つ美魔女に一瞬緊張したが、その強烈な存在感と裏腹な小川潤子の優しい笑顔と親しみのこもった暖かい言葉は佑子の心のバリアを解す役目を果たした。
 
一色乃から小川潤子を紹介され細かい事や接客の流れなどはマネージャーの小川潤子から説明を受けるように指示され、廊下を隔て隣接する別室に佑子は小川潤子と共に移動した。

佑子は大まかな流れを女性マネージャーの小川潤子から教わり説明を聞いたがそれ程心配する様子もなく淡々と施術の流れを聞き納得し幾つかの質問もし、大丈夫ですと応えた。

基本的には接客の時間は90分から120分位がスタンダードなパターンで、その中で最初の30分位はお話の時間を設け男性会員とお酒を含めたお好みの飲み物を提供しお話をしてディスカッションする事や、マッサージはパウダーマッサージとオイルマッサージがある事とその施術の仕方、男性をクライマックスまで導くには手で行う事など、実際にパウダーやオイルやローション等を手にしてその感覚を小川潤子から教わった。

ひと通りの接客の流れと施術の内容を小川潤子から教わり終えて大まかな感触を掴み、男性会員の癖や対応など説明を受けたが、先ずは実際に接客をする中で自然と覚えて行くので大丈夫だとも説明を受けた。

しかし、この時の段階では、佑子は女性が男性から性の対象として見られている事に全く無頓着で男性の性欲を深く理解する事もしなかった、もしくは理解できなかったと言う方が正しかった。

佑子は女性が清く正しく美しくあるべきなのが男性から好感を持たれる条件であると信じていたが、その美しさを性という手段で手に入れようとする男性のサガとの関連性に全く理解できず大いに疑問を持ち、そこに美意識を感じない佑子の感性は男性への拒否反応と不信感として表れ、本能的に男性に深入りする事を拒んでいるようにも思えた。
 
VIP広尾クラブの単価は他の類似するお店よりも数倍高く場合によっては五倍から十倍の単価であり、にも関わらずサービス内容に至っては最もソフトな内容であり、それは在籍女性の高いレベルがあってこそ成り立つ方程式である。その事が、独特で個性的なシステムである事をよく知らずに在籍している女性も結構多く、佑子もその内の一人である。

ある意味VIP広尾クラブしか知らずに在籍しているのは、それはそれで幸運な事であった。他店の下世話な常識を知る必要もないし知ったところでそれが何の役にも立たないからである。
 
女性マネージャーの小川潤子から聞く説明は、佑子にとっては勿論全てが初めて聞く事ばかりで、ある意味未知の世界だけに興味津々の内容でもあった。

接客時の服装はパウダーやローションを使うので私服ではなくお店で用意してあるドレスやワンピースやまたはスーツなどを着て行う方がいいとマネージャーから教わり大量にストックしてある洋服のクローゼットを見せられ好きなスタイルの洋服があれば選んで試着してみる事を薦められた。

事務所には接客用と写真撮影用にドレスやワンピースなどの洋服の他にも、イミテーションのアクセサリーやセクシーなランジェリーやヒールやパンプスやブーツなどの靴類や数々のファッションアイテムが用意されていた。
在籍している女性の私物もあるので広いクローゼットは一部屋分の広さがあるが女性の衣装やその他のアイテムで埋め尽くされていた。
 
佑子は潤子マネージャーに促され、似合いそうな好きな洋服を楽しそうに選び始めた。そこから佑子のミニファッョンショーが始まり、彼女が今まで着たことのない大人びた洋服やアクセサリーなどコーディネートを楽しみ、着こなしが素敵に嵌った時は部屋を出てオーナーの一色乃に見てもらい感想を聞こうとしたり、写真で撮影したりして変身を楽しんだ。

マネージャーの小川潤子は過去に美容関係の仕事に携わった事もありメイクアップアーティストとしての経験もあり、モデル時代の経験を生かし趣味でカメラ撮影の心得もあり、被写体としての佑子の才能に興味を示し佑子のコーディネートを楽しみながら佑子にメイクのポイントを教えて上げたりお勧めの化粧品をレクチャーして上げたり髪型を上手にセットして上げたりして、簡単な撮影なども行い新しい佑子の顔を発見したりして半分楽しみながら佑子にレクチャーを続けていた。

女性には先天的に化ける才能があり佑子も例外ではなく、変身願望が刺激され自分自身の新たな一面が引き出されることに快感を感じ取っていた。二人は作品を制作するようにコーディネートを楽しみ、潤子マネージャーからメイクの方法を教わり笑いとお喋りの中、佑子と小川潤子の距離はどんどん縮まり打ち解けた雰囲気が醸成され、潤子マネージャーと彼女の信頼関係が既に生まれていた。


佑子の扉

VIP広尾クラブの扉を開け最初に出会った美人で芸能人オーラを放つ二十代半ばの美しい受付の女性の「矢吹玲那」。
一見近寄りがたく独特の雰囲気と清潔感を放つ三十代後半のスーツ姿のオーナーで社長の「一色乃 燎成」。
そして知性的で大人の女性の美しさを持つ三十代半ばの女性マネージャーの「小川潤子」。

佑子にとっては全てが新鮮でありながらも、ここで出会った人達に違和感を感ずる事は全くなかった。寧ろ素直に溶け込める共通の価値観と品格を持ち合わせている人達に思えた、その肌感覚から伝わる人間性に仲間意識すら感じ取っていた。
 
佑子は前に進もうとしていた、ここで出会った人達は信頼できると、理由の無い盲目的な直感で確信していた。
特にオーナー一色乃への興味と好奇心は今までになかった心の目覚めを教えてくれると感じ取っていた、新しい冒険を与えてくれる恩人のような感触があった。
それは佑子の心の解放でもあったのかもしれない。
そう佑子は何かのバリアを破ろうとしていたのである。
 
一色乃が佑子の複雑な真理を読み取っているのか読み取ろうとしているのか、オーナー面接とマネージャーの接客の説明と楽しい試着が終わり流れるように時間が過ぎ、事務所に来て気が付けば3、4時間が過ぎていた頃、緊張も程なく和らぎ、一色乃に促され軽く気の利いた近くのカフェテラスに誘われ軽食がてらお茶をする事になった。
 
佑子は着替え疲れたのか、私服のスーツに着替えることなく、数ある洋服のストックの中から最後はお気に入りの爽やかな花柄のロングのカシュクールワンピースで寛いでいた。
佑子はカシュクール部分が上品セクシーなフリルのアクセントでフェミニンさもありリゾート感あるこの花柄のロングワンピースの洋服がお気に入りのようで着ていて楽で自分でも購入したいとマネージャーと話して購入先を聞いていた。
その気持ちを察したのか、一色乃はその洋服とそれに合ったサンダルをプレゼントするので、また私服のスーツに着替えるのも堅苦しいので、そのコーディネートのままカフェまで出かけようとアイディアを振った。
佑子は恐縮した素振りをしたが、直ぐに少女の様な笑顔になり一色乃の好意を快く受け入れた。

「本当ですか、嬉しいです、ありがとう御座います。」と
喜びを素直に表現し素の笑顔でオーナー一色乃にお礼を告げた。それは、知らない人様に迷惑をかける行為はしてはなりませんと躾られて育った佑子にとっては珍しい行為であった、佑子が甘えられる存在として一色乃を認識した最初の象徴的な出来事である。
 
佑子は事務所を出る準備をしながら、今日の受け付けで案内をしてくれた玲那に挨拶をしようとしたが、玲那は既に早退して事務所にいなかった。

一色乃は潤子マネージャーに佑子と出かける旨を伝え、二、三業務上の会話を交わして、一色乃と共に佑子は事務所を後にし、レジデンスの地下駐車場に向かった。
地下駐車場には居並ぶ高級外車が鎮座し、それだけでこの空間が特別な成功者の集まりである事を教えてくれた。車に殆ど興味のない彼女でも、流石にその豪華さはひしひしと伝わってくるのを理解していた。

一色乃の所有する左ハンドルのドイツ製の高級車の助手席にエスコートされるように乗り込み近所のオープンテラスのあるお洒落なカフェに向かった。
 
夕方前の五月晴れの麗しき気候はテラスで気ままな時を過ごすのに最適だった。オーナー一色乃の高級車はそのテラスの入り口近くに横付けされ、こなれた感じでパーキングメーターのエリアに車を停め、ここだよと彼女に目配りし車を降り店に入っていった。
彼女も一色乃の後に続いたが、慣れた感じで入り口に向かう一色乃のペースに追随するのではなく、彼女は慌てる事もなくゆっくりとした間隔の彼女のペースで一色乃に続いた。
 
幼少よりクラシックバレエの経験がある彼女はバレエダンサーのように背筋がピンと伸びた姿勢で自信ありげな歩幅で進み、微風に靡く長い髪と上品に揺れる花柄のロングワンピースのフレアスカート部分は見るからに爽やかでギャラリーの視線を引き付けていた。
尚且つ潤子マネージャーに多少映えるような派手目のメイクに手直しされていて髪型も多少内巻きのアレンジを加えワンレンにセットされたのも重なり、洗練された大人びた美女にアレンジされていて、それでなくても均整の取れた美人顔で小顔の佑子は、芸能人かモデルのように只者ではないオーラと美しさを放ち多くの来店客の目線を一瞬で奪い店に入っていった。
 
店員にテラス席に案内され席に着いた一色乃はスーツ姿で足を組み、面接の時とは違い、少しだけリラックスした感じで、一瞬眉間にシワを寄せ片腕でスーツのタイを緩め、目線を遠くにおき一呼吸し、ふと彼女に目線を向け好きなものを注文するように促した。

「今日は緊張していて実は朝から何も食べていないです、」と、
はにかみながら彼女は応えたが、
「不思議とあまりお腹が空かないです。」とも話した、

佑子は普段とは違うワンレングスの髪型に慣れていないのか、話しながらしきりに髪をかき上げる仕草をしたが、それが妙にセクシーに見えて大人びた一面を無意識に覗かせていた。

一色乃が気を利かしパスタとカプレーゼやカルパッチョ等を注文しシェアーして食べればいいと応えた。
一色乃と店員とのやり取りを聞いていて一色乃の馴染の店である事が直ぐに分かった。一色乃の素の部分が垣間見れて少しだけ楽しさを感じると同時に佑子もリラックスしてその場に溶け込んでいった。
 
オーダーが終わり、冒頭佑子は一色乃に、
「これから何とお呼びすればいいですか、」と尋ねた。
潤子マネージャーも矢吹玲那も一色乃の事を「社長」と呼んでいたので、
「私も社長とお呼びしていいですか、」と改まって訊いてきた。

一色乃は、
「何とでも好きに呼んで下さい。」と冗談めかして答えた。

面接では話せなかったことなども含め安心感と同時に緊張感も解け、会話にも素直にプライバシーを打ち明けるような会話に進展する事もあった。
最初は佑子も、ですます調の口調で話していたが、段々とフランクな口調で会話のキャチボールで遣り取りする場面もあり短い時間の流れの中でお互いを認め合う信頼関係が徐々に生まれていった。
 
彼女は両親について、厳格で厳しく真面目で極めて良識的な人間だと説明し最も尊敬している存在だと応えた。父親は東大出身のキャリア官僚で外交官として元は外務省に籍を置くエリート中のエリートで中立国の大使を務めた事もあるインテリジェンス溢れる高貴な存在であると語った。
彼女にとって父親への尊敬と敬意は最大の心の支えであった。母親はお嬢様育ちで地域の代々名士の家柄の出身で優しく良妻賢母で父を陰ひなたで支える心の温かい母親であると話した。
彼女には三歳年上の姉がいる事も打ち明けた。
 
VIP広尾クラブについての会話はある意味在籍女性の色々な質問の中の最も興味がある部分の最重要な知りたい事であるはずだが、会話は終始お互いのプライベートな話が中心で、VIP広尾クラブについての掘り下げた会話は殆どなされなかった。

一杯目のラテマキャートが飲み終える頃には、お互いが昔からの知り合いのような信頼関係にある友人同士の掛け合いのように傍目には見える、打ち解けた感じが伝わる二人の会話となっていた。

初対面の異性とこれ程フランクに話が出来るのは佑子としては大変珍しい事と言うよりは全く初めての経験であった。佑子本人も何故こんなに素直に会話が出来るのか不思議にすら思っていた。
無意識の内に二人はお互いの相性の良さを感じていた事も事実であり、一色乃は佑子にとっては父親以外での初めての依存できる対象となっていたのかもしれない。
 
このカフェでの時間は彼女にとって重要なきっかけを芽生えさせてくれた。一見クールでぶっきらぼうな一色乃の印象の裏から感ずる優しさと穏やかさは何なのか、彼女の興味はお店への興味から一色乃への興味に完全に移行していた。

佑子は一色乃に対して、会話の中に知的なセンスがあり、とても風俗店のオーナーには見えない育ちの良さを窺わせる端正なマスクの反面、アウトローな強さと不動の意志を感じさせるこの人物は何者であるのか、サムライのような冷静沈着な目力と爽やかで健全な清潔感は何なのか、話せば話すほどに引き込まれそうになる自分に、反面心が奪われるような感触に居心地の良さを感じていた。
佑子はその理由が、一色乃には大人らしくない少年のような清らかさがある事だと理由を発見し自分の感情を抑えるように納得させていた。
父親に代わる安心感を与えてくれるこの人物に救いを求めている自分自身に気付きながら心を自制している自分に不思議な感覚を覚えていた。
 
彼女は接客の流れを教えてくれた女性マネージャーの小川潤子について
「社長の奥さんか恋人ですか?」と尋ねた。

一色乃は彼女の質問に面白がるように微笑み、そうではないと応えて、女性マネージャーの小川潤子は既婚者で五歳の女の子のお母さんでもあると話し昔はモデルで女優業も経験した事もある古くから知っている信頼できる女性だと説明して上げた。
そして自分は独身だとも佑子に話した。

そしてもう一人、レジデンスに来た時に迎え入れてくれた美形でハーフ顔の女性の矢吹玲那について、
「社長の彼女ですか?」と真面目に質問した。
一色乃は即答で否定し、軽く笑いながら、ただの事務所のスタッフで現役のモデルであると応えた。派手な顔立ちに似合わずしっかりした性格で機転が利き実直な部分があるので信頼して色々任せられると話した。

佑子は、
「美男美女しかいないトレンディードラマのような世界に迷い込んだのかと錯覚しました。」と話し、「芸能事務所でも経営しているのですか、」と
真面目な顔で質問した。一色乃は面白がるように軽く否定し、
「そうじゃないよ、」と返した。
冗談や揶揄する話しはしないタイプの彼女であるから多分本当にそう思ったのかもしれない。
 

「実は、一つ大きな問題があります。」と佑子は一色乃に切り出した。
声のトーンを少し静かめに変え周りを気にする素振りをしてから佑子は話した、彼女はオーナー一色乃との事務所での面接時に、男性との性的な経験について経験済みであると応えたが、実際にはそうではなくて、性的な男性経験は全く無くバージンから卒業はしていないと応えた。その事実を告げると面接が不採用になると思い偽りの報告をしたとも述べた。
一色乃は驚きもせず冷静な態度と表情で、
「そうではないかと思っていたよ、」と彼女に話した。
そして過去にもバージンのままで在籍していた女性が何人かいたと彼女に話した。
「未経験者だからと言って不採用になる訳ではないよ、」と付け加えた。
 
佑子は恋愛感情にあってお付き合いしていた同年代の男性がいたのは本当で、何度か性行為をチャレンジしたが、お互いが未経験者同士なのもあって上手くいかずで、実は、その状態から進歩はしていないと小声で現状を述べ、男性の願望を受け入れる能力が精神的にも生理的にも難しく壁を乗り越えられないと打ち明けた。

彼女はそんな状態で在籍が可能なのかを一色乃に質すと同時にどうすれば、この男性コンプレックスを克服できるのか方法があれば教えてほしいとも一色乃に訴えた。
 
佑子は、実は大人の肉体的男性自身を見たのも身近にしたのも、そのお付き合いしていた男性が初めてで、信頼していた男性ですら自分を性の対象として見たことに違和感を抱き男性への嫌悪感から抜け出す事が出来ないと自分自身を分析していた。男性の身体を触る事は勿論見る事も想像しただけで拒否反応と恐怖心がある、と一色乃に打ち明けた。

一色乃は未成熟状態の彼女の現実を理解して寧ろ素直な彼女の人間性に微笑ましさを感じていた。また、一色乃は彼女が話したことについて、充分に克服できる問題でそれ程心配する必要はないと話し、徐々に慣れる問題だと諭した、先ずは彼女の心配を和らげようと言葉でサポートした。
 
一色乃は佑子の心配事を克服できる問題だと言って上げたが実際は難しい精神的な問題が絡んでいるとも思っていた。接客する中で少しずつ克服して行ける問題ではあるが、何れにしろ彼女には超えるべきハードルがあり、そのハードルを上手に超えさせることが必要で、心理的プレッシャーを極力与えないように克服できることが最良であると考えていた。
 
一色乃は佑子に、最初は優良な優しい会員を選んでアテンドするので接客する中で徐々に慣れて行けばいいと説明したが、彼女は自らのコンプレックスを克服するまでは接客に恐怖心があると一色乃に告げると同時に、その心理的な嫌悪感を克服してから接客をしたいと一色乃に直訴した。
勿論一色乃も了承し、
「焦る事は無いよ、」と佑子に話した。


佑子の告白

気が付けば一色乃との会話は数時間が経ち、打ち解けた信頼関係が既に存在する関係を築いていた。一色乃にとっては数いる在籍者の中の一人にしか過ぎないが、その中でもその内面性や容姿は共に尊敬できるハイクラスの金のタマゴで、共通の美意識レベルがそこにある事も理解し彼女については特別視していた。

そして彼女は間違いなくオーナーである一色乃を一人の人間としてリスペクトして強い好意を持ち、憧れる事に女性である喜びを感じていた。この初めて抱く不思議な気持ちは普通であれば恋心に近い心理かもしれないが、佑子にとっては新たな世界で自分を守ってくれる父親の代わりとなる強い味方のように見えたのかもしれない。
 
そしてあっと言う間に時間が過ぎ、日も暮れ夜の喧騒が都会を包み込んだ頃、二人はカフェを後にする。
一色乃は彼女の住まいまで車で送り届けるが、元々実家である住まいは武蔵野方面にあったが、今は大学が近いという理由で親が借りてくれた港区三田のマンションで生活をしていた。常に警備員が常駐しているマンションでしっかりセキュリティーが施された小奇麗な瀟洒しょうしゃな作りのマンションであった。
 
佑子にとっては内容の濃い長い一日であった。新しい出会いを始め真新しい新鮮な出来事がありすぎた。
一色乃は気を使いマンションの入り口から少し離れた場所に車を停車させた。名残惜しいのか彼女は中々車から降りようとしなかった、一色乃に何か言いたい事があるようにも見えた。
 
一瞬の空白が続いたのち佑子は切りだした。彼女は一瞬真顔になり何かを話そうと声を出すが声がつまり数秒の沈黙が流れた、そして突然ダイヤのような一筋の涙が頬を伝った、佑子は吐き出すように一色乃に語りだした。
「実は大学を卒業した卒業式のその日に、両親から自分たちは離婚すると告げられたんです。」と。

そのショックは計り知れない出来事でまだ心の整理がついていないと静かに彼女は打ち明けた。何の前触れも兆候もなく大学の卒業と同時に知らされた衝撃的事実は心にやり場のない悲しみを与え暫くは立ち直れなかったと告げた。

当初はその理由を知りたいと思っていたが今は逆に理由は知りたくないと考えるようになったという。それ以来両親を両親としてではなく人間として見るようになり、父と母は他人同士であり離婚してしまえば家族ではなくなり、たった一つの唯一の帰る場所が崩壊した事に気が付いたという。そして佑子には自立の精神が芽生え大人として独りで生きていく事を決心したと打ち明けた。

一色乃は黙って聞いていた。
そして彼女が面接に来た理由がようやく深く理解できた気がした。
佑子の虚しさと悲しさ、拠り所を無くした純白の心は、いたたまれずに巣を離れ新たな拠り所を探し無謀にも荒野を歩き始めたのが真実だった。
 
この時、佑子は一色乃に対して心の拠り所を求めているのは明白だった。この日の経験と出会いは彼女に救いと希望と冒険する勇気を齎したのは間違いが無く、オーナー一色乃の創造した空間は佑子に居心地の良さを本能的に与えていた。

一色乃は佑子の心理を読み取っていた。そこには特別な感情もあったが、彼女の心を揺さぶる軽はずみな行為は、今はするべきではないとも考えていた。時間が全てを解決するとクールな理屈も心の中にしたためていたが、段階を踏んで彼女を見守り育てる決心を固めていた。
 
一色乃は佑子の真実の告白をひと通り黙って聞いていた。一色乃は佑子の全てを受け入れるつもりでいる事が暗黙の中でも彼女にも伝わっていた。
そして、
「色々な事を今日は話したね。」と一言彼女に話した。
あとはアイコンタクトでお互いを理解した。
 
一色乃は、取り敢えず接客はしばらくする必要がないので、暇であれば明日も事務所に遊びに来ていいと佑子に話した。潤子マネージャーや受付の女性スタッフの矢吹玲那とも仲良くして友達になればいいと彼女に伝えた。
そして、それ以来六本木ヒルズの事務所を起点に彼女の進化が始まるのであった。
 

面接の次の日、佑子は一色乃に電話を入れる。昨日のお礼と感謝の言葉を伝えたかったと話した。

彼女は一色乃に電話口で、
「今日はお忙しいですか?」と尋ねて一色乃に探りを入れた。
昨日帰り際に一色乃が、
「毎日事務所に遊びに来ていいよ、」と、
言ってくれたのは本心なのかサービストークだったのか、遠慮がちに探っているのが一色乃には直ぐに分かった。

彼女の気持ちを察知した一色乃は助け舟を出すように
「暇なようなら事務所に遊びに来なよ、」と話しを振ってあげた。
「本当ですか、ご迷惑ではありませんか、」
佑子は一件用事があるので、それを済ませてから事務所に顔を出すと一色乃に伝えた。昨日お世話になった潤子マネージャーと玲那さんにもお礼を言いたいとも付け加えた。
 
昨日に続き佑子は事務所に向かった、途中六本木ヒルズのロブションに立ち寄り手土産にマカロンを購入し昨日お世話になった潤子マネージャーと女性スタッフの玲那へのお礼も兼ねての心尽くしの手土産を持参する事で感謝の気持ちを込めた。

佑子は、それ以来毎日のように事務所に出向くようになりオーナーの一色乃の秘書の様に仕事の手伝いをするようにもなっていった。

佑子は潤子マネージャーや玲那とも直ぐに打ち解け仲良しになり、一色乃が不在時の時でも自由に事務所に出入りするようになり、六本木ヒルズのこのレジデンスの801号室が急速に彼女の新たな拠り所となっていった。

玲那が休みの時には、面接時に自分が案内されたように、新しい応募の女性を案内する側になり進んで事務所のお手伝いをするようになっていた。

一つ新しい心強い事実としてわかった事があった。今は仲良しとなったが、VIP広尾クラブに面接に来た時に最初に会って案内をしてくれた小顔のハーフ系美女、矢吹玲那も実はVIP広尾クラブの在籍者の一人でトップレベルの人気と実績のある女性である事を知った。

玲那はVIP広尾クラブでの源氏名はローラと名乗り見た目はハーフのように見えるが純粋の日本人であり、現在進行形で在籍はしているが、今は決まった会員の予約しか受け付けていないと本人から聞かされた。
 
二人のタイプは違うがお互いがお互いをリスペクトし尊重できる存在として認め合える友達となっていった。
玲那からは接客について色々なアドバイスと情報を受ける事が出来た。
玲那の在籍するきっかけはモデル仲間の友達の紹介で、最初は気楽な気持ちで冷やかし半分で面接を受けたがオーナー一色乃の強い個性に魅了されて興味が湧いて在籍に至ったと教えてくれた。
ここはロケーション的にも居心地がよく、習い事もやりながら成長も出来るので週に何度か受付を手伝いながら出入りしていると佑子に話していた。
 
佑子にとっては玲那が同じ環境と立場に身を置く仲間がいて何より安心できた。しかし佑子は自らのコンプレックスである男性経験が未経験である事実については玲那には打ち明けないでいた。その理由は彼女なりのマナーとして非生産的な問題を他人に振りかざしたくないという、佑子なりの良識と美学があったからである。
 
この事務所に出入りして数週間が経ちクラブと関わるにつれ、佑子はこの時点で何かを悟っていたのかもしれない、彼女のコンプレックスを解除できるのも、心を開いて身を預けられるのもオーナーの一色乃 燎成の存在なくしてはない事を。

一色乃は常に六本木ヒルズの事務所にいる分けではなかった、渋谷や代官山の下部組織のお店にいる事もあるが突然音信普通になり連絡が取れなくなる事も多々あった。そんな時は潤子マネージャーに一色乃の居場所を聞くと、決まって、きっとジムでトレーニングしているのよと応えてくれた。

そんな一色乃の影響を受けてかどうかは分からないが、佑子も六本木のフィットネスクラブに入会し、水泳やエアロビクスなどシェイプアップに気を使う習慣を身に付けていった。


黒澤ゆかり

事務所には潤子マネージャーと玲那の他に経理担当の金庫番の女性、黒澤ゆかりが週に3回のペースでヒルズの事務所に勤務していた。
黒澤ゆかりは一色乃とは同年代で、一色乃が若かりし頃のバブル時代からの遊び仲間でもあり、一色乃が以前にクラブを経営していた頃には事務所スタッフとして一色乃の仕事を手伝っていた経験もある最古参のスタッフでもあり、一色乃が全幅の信頼を寄せる金庫番的な存在でもあった。
 
黒澤ゆかりは、スレンダー美人で元職はJALのCAだけあって知的で上品なきっちりした性格でお金の流れを管理して一色乃を支えていた。
ヒルズの事務所には社長室のような社長の作業部屋もあるが、そこに自由に出入りし仕事が出来るのは黒澤ゆかりだけで、社長室にある耐火金庫の鍵も一色乃の他に黒澤ゆかりだけが所有を許されていた。勿論、黒澤ゆかりは一色乃の伴侶でも男女関係があるわけでもないが、黒澤ゆかりは一色乃にとってなくてはならない重要な存在であった。
 
印象的だったのは他のスタッフは一色乃の事を「社長」と呼び、一色乃のプライベートな知り合いは「りょうさん」と呼ぶことが多かったが、黒澤ゆかりは一色乃の事を「りょうちゃん」と、ちゃん付けで呼んでいた。
そうした事から、当初は事務所のスタッフさえも全員が黒澤ゆかりは一色乃の親戚だと思っていた。

一色乃がある日半分冗談で黒澤ゆかりは自分の従姉妹であると話した事があり、否定せずにいた結果本当に一色乃の親戚であるという逸話が定着してしまったのである。
ある意味では、黒澤ゆかりは、それ程一色乃の身近で信頼を得ていたとも言える存在であった。無駄口をたたかないポーカーフェイスな口数の少ない女性で人の悪口や誹謗中傷などは一切言わない女性であった。
 
黒澤ゆかりはパンツスタイルで出勤する事も多くスタイリッシュな漆黒のパンツスーツと襟を立てた白いブラウスは宝塚の男役のような颯爽感があった。前髪を横に流したショートカットのヘアスタイルは行動的なインテリジェンスな印象と大人の女性の色香が同居していた。

黒澤ゆかりは一見クールで冷ややかそうに見えるがその実は愛情深く子供好きな所があり、事務所スタッフの女性や渋谷の下部組織のスタッフなど全員に親しまれ尊敬されているクールビューティーな素敵なお姉さま的な存在でもあった。
 
黒澤ゆかりは独身であったため一色乃に好意があるために献身的に支えているのではと思われがちであったが、一色乃の親戚であると訊かされると誰もが納得をして二人の関係がそれ以上の噂話に発展する事はなかった。
実際には二人の出身地は北と南で違いもあり学歴からお育ちまで全く共通点が無いが、事務所での存在感は一色乃の家族や身内である事に矛盾を感じない程に一色乃と親密感がある立場に見えた。

実際には黒澤ゆかり自身は一色乃に対して強い好意を抱いていた事が窺える節が幾つもあった。ヒルズの事務所には一色乃が寝泊まりすることも多く生活圏の一部になっていたので洗濯や食事など自宅のようにヒルズの事務所を利用していたが、一色乃の私物を洗濯してたたむのは決まって黒澤ゆかりの役目であった。
 
一色乃は自ら代表取締役を務める法人を所有運営し「VIP広尾クラブ」もその法人が運営する形を取っていたが、会計事務所や顧問の弁護士事務所との窓口となっていたのは黒澤ゆかりで、面倒な事務的な作業からスタッフの給与の支払いなど、会社としての運営上の面倒なことは黒澤ゆかりが全て担っていた。一色乃がそうした作業に神経を取られることなく、自身の仕事と生き方に集中できていたのは黒澤ゆかりがいたからに他ならないとも言える。
 
黒澤ゆかりは食についてもグルメでワインなどにも詳しくソムリエの資格も持っていたため定期的に星の付いたレストラン等に一色乃を誘い繰り出すこともよくあったが、二人が恋愛関係になる要素が無かったのは不思議な事である。

黒澤ゆかりの献身的な一色乃への姿勢を特別なこととは思わずに当たり前のように感じていたのは一色乃の最高に鈍感な所で一生の不覚であったのかもしれない。
少なくとも一色乃が黒澤ゆかりを口説いたことは一度もなかった。一色乃が少しでも黒澤ゆかりの気持ちに気が付いていれば、二人は添い遂げて黒澤ゆかりは生涯一色乃をサポートし続けていたのかもしれないし、VIP広尾クラブの展開も多少変わっていたのかもしれない。
 
いつの間にか、六本木ヒルズの事務所には、潤子マネージャーと玲那と佑子の誰かしらが居るのが当たり前になっていた、黒澤ゆかりもいるが彼女はVIP広尾クラブの現場の仕事に関わる事はなく経理処理のみの業務に携わり昼勤だけで何も無ければ夕方には退社するのが決まったパターンであった。
この事務所メンバーは六本木ヒルズの常勤スタッフとして定着しこの構成は暫く続いた、勿論オーナー一色乃も含めてである。このメンバーで連れ立ってランチや食事に行くことも珍しくはなかった。
 
佑子はパソコンのプログラミングも得意だったので、今まで外注する事も多かったお店のホームページの更新や新しくリニューアルする作業を佑子が任される事もあり確実に事務所の戦力の一人になっていった。この事は佑子にとって大きな変革を遂げる意味で重要な出来事であった。
世間に対しての新たな情報として佑子の脳に刻まれる社会の縮図が幾つもあったからである。ただ、接客に関してはまだ踏ん切りが付かず躊躇するうちに月日が流れていった。
 
佑子は事務所に出入りし仕事を手伝う中で今までに自分が触れる事がなかった社会のアンダーグランドな世界の色々な情報に触れる事ができた、今まで知らなかった様々な世界が世の中にある事を佑子は知った。

佑子はお店のホームページを制作する中で参考材料としてアダルトなサイトや男性雑誌や風俗の専門雑誌などを資料として目にする中で性に対する偏見が自然と取り払われ、閉ざされた世界にいた反動もあり逆に大きな好奇心と共に、精神的にも性への目覚めが助長されていった。

日本の表の社会の他に同じ容量の裏社会があり日本の経済を支える一分野を担っている事も知り、現実を直視する勇気を持ち得るようになっていた。

ことさら今まで封印して知ることを拒んでいた男性目線でのエロスな世界に自ら好奇の目を向ける事も平気になっていた、性産業が特別な人の為の世界ではなく一般的な普通な人々が利用する社会の縮図であり普通のサラリーマンや既婚者男性の多くの人々が、夜の裏の世界に出入りし欲望を満たし、それが経済の活性化の一助となり内需を支えている事も知り、最初は大人の男性に嫌悪感を抱く事もあったが、現実を理解する内に自らの性への解放感が一気に開花し、大きな意識変革が佑子の中に生まれたのである。
 
夜の銀座の世界、遊郭から続く吉原の世界、SEXを映像で商品とするAVの世界、そしてマニアな性癖を隠し持つ人間たちの様々な風俗の世界、それらに関する低俗な雑誌や書物など今までの彼女なら間違いなく開く事はおろか手にする事すらなかったはずの社会の隠されたページに目を通す経験が得られていた。

今までの佑子であれば垣間見るだけでも罪悪感を抱くはずである内容の現実が、今の佑子にとっては好奇心が助長される出来事へと変わり、振り子の原理で反動の幅が大きく振れるように、タブーと思えることが更なる興味を煽る材料となっていった。
そして男性目線の性への刺激を勉強するうちに、興奮する自分が発見できるようになったのも事実だった。

乾いたスポンジが水分を吸収するように頭の中では日に日に大人の階段を昇り始めていった。そして性に目覚めるように女性の新たな価値を知り、性欲が罪な事ではないことを知り、女としての喜びを知りたいと思う心境に発展していたのも正直な心の進歩であり意識改革が成されていった。
 
彷徨える佑子は傷心の中で行動し異次元の星に辿り着き一色乃と言う個性的な異邦人に出会い新しい価値観を発見し旅を続けたのであった。



其の二 小河原佑子と一色乃燎成

 
その日は満月の夜であった、潤子マネージャーも玲那も早めに上がり、佑子一人と一色乃だけでヒルズの事務所にいた時、佑子が衣裳部屋のクローゼットでブツブツ独り言を言いながら衣装を物色して何やらごそごそと洋服の品定めをしはじめていた、一色乃は佑子が接客をする為の準備のために衣装を選んでいるのかと直感で思い、一色乃は軽い気持ちで佑子に
「そろそろ接客してみる気になったの?」と声を掛けた、
佑子は即答で返事をせずに曖昧な疑問符の付く小さく唸るような返事を一色乃に返した。一色乃は佑子が悩んでいるが何かを前に進めようとしている事が直ぐに分かった。

思えば面接の日から三ヶ月あまり彼女は随分と逞しくなった、それは意識の変化なのか環境の変化なのか、多分その両方なのか、何かを吹っ切ったような脱皮感が今の彼女にはあった。精神的な自立感が少しだけ外見にも表れているような気がした、多少大人の雰囲気が増しセクシーな妖艶さにつやが加わり新たに蠱惑的こわくてきな魅力が増しているように見えた。
 
その日、一色乃は彼女を食事に誘ったが、一色乃も佑子もその日は何かが起きる事をお互い予感していた。

一色乃は佑子にどこか行きたいお店があるかリクエストを訊いた、あまり出かける前にあらたまって食事したい飲食店を訊かれる事がなかった佑子は少し戸惑ったが、お店はどこでもいいけど今日はどちらかと言うと和な気分だと伝えた。

一色乃は六本木ヒルズの事務所に寝泊まりする事も多かったが、別に虎の門にセカンドハウス的な居を構えていた。一色乃は少しお酒も飲みたいので車を虎の門の自宅の駐車場に停めてから一緒にタクシーで移動する事にした。

そして六本木の個室のある和食割烹のお店に予約を入れていた、いつもは高級であってもカジュアルなお店を好む一色乃であって、その場の乗りと雰囲気で行き場所を決め急な予約を入れる事が多いが、その日はいつもの行動パターンと少しだけ違っていた。
 
一色乃のセカンドハウスに寄るのも車を駐めてタクシーで移動するのも今までにないパターンだった。二人は六本木ヒルズの事務所を後にした。
一色乃のセカンドハウスはホテルオークラの敷地に隣接するタワーマンションでセキュリティーの行き届いたシステムのレジデンスで、ある意味近代的ではあるが重厚な作りの新築感があり、豪華な印象の個性的タワーマンションで十一階に一色乃のお部屋はあった。
 
ヒルズの平置きの駐車場と違い、ここの駐車場は機械式の駐車場で常に二十四時間警備員が常駐し機械操作をするので車を出し入れするのに幾分時間が掛かった。忘れ物をすると車を出すのにまた時間が掛かるので忘れ物をしないようにと佑子に伝え入庫スペースに車を停車させた。

彼女は資料や着替えを始めその日は少し荷物が多かったが車から下ろして、一色乃が車を入庫させるまで同乗者の待機スペースで一色乃を待った。
佑子はそのまま六本木のお店に移動するのかと思っていたが、出来るだけ軽装で出掛ける方がいいので荷物を部屋に置いて出かければいいとアイディアを振り、一色乃は常駐の駐車場のスタッフに軽く手を上げ挨拶をして二人で一色乃の部屋へ向かった。
 
駐車場からレジデンスのエントランスまで二度オートロックの扉を通った、まるで近未来の秘密基地のトンネルを通過するようにしてエントランスに辿り着いた。

エントランスはミサイル基地の様に天井が高く吹き抜けになり高い天井の頭上にシャンデリア風な豪華な装飾がなされていた、右手にコンシェルジュのカウンターがあり、上等にあつらえた背広を着た中高年の執事風の男性がカウンター越しに丁寧に頭をさげ「お帰りなさいませ。」と声を掛けてきた。
 
エントランスの空間があまりにも広すぎるので、コンシェルジュのカウンターが小さく見えた。佑子はその建物にも珍しさを感じたが、この建物に居を構える一色乃が何者なのかの方に興味が湧いた。

エントランスからエレベーターに向かうにもオートロックの扉を一つ潜り抜けやっとエレベーターホール前までたどり着いた。
エレベーターに乗って電子キーをかざして目的地の十一階を目指した、このエレベーターは目的地以外の階に降りる事は出来ないシステムになっていると一色乃は佑子に話した、セキュリティーが確りしているのは有り難いが、部屋に到着するまで、いちいち何度も電子キーをかざさないといけないので、本当にイライラするとも佑子に話した。
 
十一階に着き二人で一色乃の部屋に向かった、当たり前のように部屋のドアの鍵穴は二か所にあり二か所の鍵穴のロックを開け中に入った。
 

お部屋自体は天井高も普通で玄関も通常の家庭向きのレジデンスと変わりなく寧ろ庶民的な雰囲気すら感じる玄関でエントランスや外観の豪華さから見て期待をしたが、実際のお部屋はそれ程の特別感は感じられなかった。

寧ろ六本木ヒルズのお部屋の方が天井も高く解放感があり豪華なグレード感が感じ取れた。ただこの虎の門のレジデンスにはキッチンにディスポーザーが設置してある事や最上階に一流ホテルのスイートルームのようなゲストルームがあり入居者は予約をすれば利用が可能な事や会議室や簡単なジムがあるなどサービス面での特別感のあるレジデンスであった。

一色乃のお部屋は3LDKでリビングと隣接したキッチンと奥にはベットルームとオーナーの仕事部屋があり、意外に生活しやすい間取りになっていたが、一番の特徴はこのお部屋にはウッドデッキの広い専用バルコニーがある事で、一色乃の部屋のバルコニーにはバーベキュー台やキャンプ用のパラソルの付いたテーブルセットやリゾートチェアー等が設置してあり、後付けされたハイチェアーとバーカウンターがお洒落に配置されていた。
バルコニーの前面にはビルの狭間に東京タワーと遠くにレインボーブリッジが見ることもできた。
 
一色乃は軽く彼女にお部屋を案内して、リビングのソファーに一時的に置いた彼女の荷物を見て、この部屋には自分以外誰も出入りしないのでそのまま荷物を置いたままで大丈夫だと彼女に告げた。佑子は
「素敵なお部屋ですね、」
と言い、自分もこうゆうお部屋に住んでみたいと願望を伝えた。一色乃はバルコニーから東京湾の花火が見えると思うのでその時はここでホームパーティーをやろうと思うから佑子も見に来ればいいと彼女に話した。

荷物を置いて出かけるという事はまたもう一度この部屋に二人で戻って来るという事である。すでに佑子の心は準備ができていた、この後の行動の流れは暗黙の中で気が付いていた。そんな彼女の気持ちを一色乃自身も知っていた。
 
お店の予約の時間もあるので、早々に一色乃のお部屋を後にして予約してある六本木のお店に向かった。

虎の門から六本木の繁華街まで数分の距離である。短いタクシーでの時間の中で初めて二人は寄り添った、そし指を絡め手を握った、それは全く自然なかたちで違和感がなくそうなった、信頼しあえる恋人同士の様にお互いの手と手が絡み合った。

一色乃はその時、もう既に彼女は男性コンプレックスから克服していると感じていた。

あの日、面接に来てから事務所の仕事を手伝うようになり、彼女はアンダーグランドな社会の事を随分と勉強する事ができ世間の現実を知ることができた、今まで全く興味が湧かなかった男女の性についても急速に好奇心が芽生え、反動で目覚めたように知識を吸収し、その中で男性の習性や男心など彼女なりに理解し受け入れる心理が自然な形で活動し遅めの思春期が開花したかのように急成長していたのである。
 
六本木の交差点近くで下りた二人の接近具合はまるで仲の良い恋人同士のようであった。

美里「みさと」という和食割烹の個室では、お互い向かい合って座るのではなく自然と並んで座り、お互いを身近に感じていた。最近、中々面と向かって深入りした話しをしていなかった二人はお互いのプライベートな話にも会話は弾んだ。

彼女は男の人は不思議で理解できなかったが、最近は少しずつ理解できるようになった気がすると話した。9月から留学でUCLAに行くつもりだったが、新しく知った日本の社会が面白いのでもっと日本の社会を垣間見たいので留学を1年延ばすつもりでいるとも話した。一色乃の知らない間に彼女は自由を随分と謳歌し立派に成長していた。
 
事務所スタッフの矢吹玲那とも仲良く、色々な事を教えてくれるので感謝しているとも話した。佑子がこの期間で随分と見聞と見識が広がったのも矢吹玲那の影響も大きく、お酒も飲めなかったというよりも試した事すらなかったが、佑子も初めて玲那に誘われ少しだけカクテルやワインを嗜む事が出来るようになったと話した。玲那のモデル友達も紹介されランチをしたことや、その玲那の友達からモデルにならないかと誘われた事など、新しい青春を謳歌するように佑子は今まで経験したことの無い自由を満喫していた。

そして一度経験してみたかった夜遊びも玲那の誘いで経験できた、初めてのクラブデビューも玲那に誘われ一度だけ経験して楽しかったと話したが、オールも経験してみたかったが、眠くなったので途中で挫折したと話した。
確かに一度深夜過ぎに終電を逃したと言って二人で六本木ヒルズの事務所になだれ込んできた事があった。だけど夜遊びの経験は一度だけで充分満足したと話した。やはりお昼間に行動する方が自分には向いているとも話した。
 
佑子は一色乃に聞いてみたい事が幾つかあった、何故何の為にこの仕事をしているのか、本当の本職は何をしているのか、本当に独身で過去に結婚した経験は無いのか、どうして虎の門に豪華なレジデンスを借りているのかなど質問をした。

一色乃は一色乃なりにウイットを交えて応え煙に巻くのがいつものパターンだが、彼女は何でも真に受けて理解するお嬢様特有の天然的な部分があるので、多少冗談を封印していつもより誠実に答えて上げたつもりだったが、結果的に一色乃の答を纏めると、全て成り行きでこうなったという結論だった。

佑子は成り行きだけでこうなるはずはないと思ったが、取り敢えず一色乃はバツゼロの独身で反社会的勢力との関わりはなく、武道の有段者であり毎日のようにジムに通いワークアウトを怠らず、若い時から自立的人生を歩み続け色々な経験を積み、やはり成り行きで今に至ることに辿り着くが、結局真相を掴みきれない男である事に変わりは無かった。
 
一色乃の謎めいたキャラクターは、接する人間が全て抱く共通の印象である。特に佑子の様に正統派の人生を歩んできた女性にとっては一生出会う事のない別世界の人種であることは確かである、しかし、一色乃のそのキャラクターには謎めいた雰囲気はあるが邪悪な威圧感が全くなく、ワンマンで毒舌ではあるが、汚らわしさが一切なかった。寧ろ端正な顔立ちや清潔感のある振る舞いからは正当性や正義感と絶対的自信が感じ取れ、女性に安心感を与える何かがあった。また動揺しない姿勢からは、ぶれない強さと大らかな優しさを感じさせる人間味を持っていた。

在籍する女性達の多くが一色乃のその存在感に引き込まれて在籍する決め手になっていたのは事実である、一色乃の人間性が強い引力になってハイレベルで美しい女性達が集まり、幅広く層の厚い形で女性の在籍者達が集った大きな要素であったのは間違いがなかった。VIP広尾クラブの不思議の発端はオーナーで社長の一色乃自身の存在であり、部外者が真似の出来なかった秘密の理由の一つだったのかもしれない。
 
佑子は、
「潤子マネージャーや玲那さんや黒澤ゆかりさんも虎の門のレジデンスに来たことがあるんですか?」と一色乃に尋ねた。
一色乃は、
「そう言えば誰も来たことがないな、」と話した。

実際に小川潤子も玲那も来たことがなかった。黒澤ゆかりは、物件の内見の時に一色乃に同伴して来た事があったが、実際に入居してからは出入りしたことがなかった。佑子は少し優越感を感じたが、自分だけ虎の門にお邪魔して玲那さんや潤子マネージャーに申し訳ないと話した。
一色乃は別に虎の門に呼ぶ用事がなかっただけで、機会があれば別にいつでも彼女達を招くと話した。

虎ノ門の部屋は元々別件の仕事で使おうと思ったが止めたのでそのまま借り続けているとも話した。一色乃は自分自身も大体は六本木ヒルズの事務所で事が足りるので、わざわざ虎の門に帰る必要もない事が多いと応えた。
着替えや洗濯や食事まで仕事や生活に必要な事は六本木ヒルズの事務所で全て事足りるよう揃っているので、虎の門に一週間ぐらい帰らない事もザラにあると話して上げた。

一色乃が家庭を持たないのには特別な理由は無くバツゼロの未婚なのは本当に成り行きでそうなっているだけで、特に理由は無いと佑子に話して上げた。
 
女性は恋をすると相手の事を知りたがるが、一色乃に関しては深すぎて通常の物差しでは計り知れないと思わせる特異な感覚を相手が抱く事が多く、一色乃のプライベートな事を尋ねても中々結論を聞くまでに至らない事が殆どであった。
 
『美里』での食事は楽しいものだった。一色乃は取り敢えずのビールから始まり、少しだけお酒を嗜んだが、会話と食事に楽しんでいたのでそれ程に酔うほど飲む事はなかった。そして、気の利いた和食を満喫した二人は『美里』を後にした。
 
佑子は一色乃の腕に腕を絡め うなだれるように寄り添って歩いた、今日だけは特別なような気がした。今日だけは一色乃を独り占めしたかった。都会の繁華街の喧騒の中に特別な思いを持つ二人が大人びた夜を背中でフェードアウトしていった。

帰りのタクシーの中で佑子は寄り添い静かに優しく甘く呟いた。
「今日オトナになれますか、」
一色乃の返事はなかったが、指を絡め握られていた手で強く握り返す事で返事をした。虎の門のレジデンス近くでタクシーを降りた二人、こんなに六本木から近い距離なのに虎の門のレジデンス近辺は静かで落ち着いて穏やかに時が流れているようだった、満月の光だけが何かを興奮させる後押しをしているように思えた。
虎の門のレジデンスのエントランスにはもう既にコンシェルジュの姿は無くカウンターだけが二人を迎え入れた。
 
二人は手をつなぎエレベーターに乗り十一階を目指した、何故か二人は笑っていた、二人で密かに行動している姿が可笑おかしいのか、佑子の無邪気な行動様式と反応が可笑しいのか、一色乃は思わず笑いを誘いそれを見た佑子も笑っていた。

エレベーターを降りホールから小学生がじゃれ合うように小走りにお部屋のドアに向かいカギを開け反転するように部屋に入り、玄関で佑子が扉を背に一色乃と向かい合い鼻先と唇が重なり合うほどに接近した、ロミオとジュリエットのように、それはまるでバレエダンサーの舞踊のように舞を演じているようだった。

二人とも少しだけ呼吸を荒げていた、呼吸を落ち着かせるように二人はしばし向かい合ったままお互いの息遣いを和らげようとしてその場に立ちすくんだ。
「ガチャ」後ろ手でカギを閉めたのは佑子だった、その音が合図となり、二人の心の鍵は解放された。男と女の機能をフル活用するスイッチが完全にオンになり、一色乃はハンターになり佑子は新鮮で芳醇な果実になった。
 
部屋のリビングに戻りお互いの心を探り合うように、両手を握り向かい合い一色乃は下から上に彼女の全身を目線でなぞった、佑子は一色乃の目線を感じ一瞬恥じらいでうつむいた、しかし勇気を出して目線をゆっくりと上げた、その瞬間目線と目線がぶつかり合い火花が散った、強い眼力を持つ二人のエネルギーが熱く燃えた瞬間である。
 
既に佑子はお泊りセットや着替えを用意していた。六本木ヒルズの事務所の衣裳部屋でごそごそしていたのは、この日のために自分で購入した勝負をする高級なランジェリーや洋服を確認しコーデを確認するためだった。

戦闘服となるランジェリーは妖艶でセクシーな黒にすべきか、純白で上品セクシーな白にすべきか、最後まで佑子は悩んでいた。なので二色のパターンのランジェリーを用意して持参し、佑子が選んだ結論は一色乃に選択してもらうだった。
「質問です。白と黒とどちらが好きですか、」
甘い息遣いの中で佑子は質問した。
 一色乃の応えは
「両方」だった、
佑子は一色乃が応えそうな結論だと思った。取り敢えずは好きな人に純潔を捧げる気持ちで純白の白を選んだ。
 
一色乃は佑子に先にシャワーを薦めたが佑子は時間が掛かるので社長が先に浴びて下さいと言って一色乃はそれに従った。
一色乃もスーツから解放されて手際よくシャワーを済ませタオル地のガウンを羽織り首からバスタオルをぶら下げリビングに戻ってきた。佑子にタオルの場所や素敵なゲスト用に一色乃が用意していた白いシルクのロングガウンをクローゼットから出して佑子に渡して上げシャワータイムを交代した。

一色乃はキッチンの冷蔵庫から缶ビールを取り出しリビングのソファーで五臓六腑にエネルギーを注ぎ込んだ。
 
佑子は、
「髪の毛も洗いたいので時間が掛かるから先に寝ていてもいいですよ、」
と、一色乃に伝えたが、その言い方が妙に自分の家にいるようだったので、一色乃が、
「まるで夫婦みたいだね、」
と言ってお互い笑い合った。

実際、佑子がシャワーを浴び準備して出てきた時には一色乃はリビングのソファーで軽い眠りに付いていた。
佑子はシルクの白いロングガウンをまとい薄化粧とサラサラのロングヘアーを束ねずにワンレンにセットしドレッシングルームから出てきて、ソファーで寝てしまった一色乃の傍らに寄り添い、耳元で、
「お待たせしました、」
と一色乃の肩にそっと手をやり優しく起こした。

一色乃は一瞬の眠りから目を覚まし見上げるように佑子を見つめた、そこにはセクシーで妖艶な今まで見た事のない佑子がいた。ソファーで横になる一色乃の上半身にしな垂れるように身を寄せた佑子と一色乃の頬と頬が重なり合った、重なり合った頬と頬が一瞬はなれ唇と唇に限りなく優しく移動した、上品な唇の交わりの先に求め合う深い交わりに進もうとした瞬間に佑子は唇を外しはにかむように、優しく細い声で
「照れます。」と呟いた。
 
恥じらいがあったが拒絶する理由は何もなく受け入れる全ての準備ができていた。後は一色乃のリードで佑子の唇は奪われ深く交わり本能を探り合った。二人はクロスするように何度も腕と上半身のくねりで求め合い抱擁しあった。

優しさと情熱で大きく胸元がはだけたガウンを直そうと佑子が恥らった、戯れの中で、胸元がはだけたガウンの狭間からセクシーなイタリア製のラ・ぺルラのレースが施された純白の高級ランジェリーが覗き、恥じらいの仕草の中、清楚さの理由のように佑子は襟元を何度も正そうとした。
 
白いシルクのロングのガウン越しに相手の温もりある質感を互いに確認していた。佑子の細身でしなやかで上品な背中のラインを指で優しく這わせるだけでビクつくように敏感に反応する。佑子の普通の息遣いが徐々に甘い吐息に変わっていった。

いつもは細く透き通るような上品な佑子の指先もその時ばかりはセクシーに乱れる事を知り、一色乃の筋肉質の逞しい男らしい腕や肩や首筋をまさぐるように躍った。

細身のスタイルにしては、想像以上に豊満で適度に張りのある柔らかなバストはイタリア製の上品でセクシーな高級ランジェリーに大切に守られレース越しに透き通るようなピンク色のバストの先端部分が視界に入り、シルクのガウンから見え隠れし男の本能を挑発する役目をはたしていた。
 
ウエストのクビレは絶妙のバランスで背筋せすじと調和していた、小ぶりで引き締まって丸みを帯びた弾けるようなヒップラインは全てに於いて上品さを強調している佑子の中で反動的に野性味を連想させ、そのギャップに男のボルテージが上がった。

細身で繊細なS字曲線の裸体は最高の抱き心地で男の本能に火を付ける。魔力を内包した真似のできない天性の素材だと一色乃は感じた。

一色乃は佑子の反応を全身で感じ取っていたが一色乃の微妙でソフトな指先の攻撃にもビクッと反射するものの拒否することなく熱く受け入れようとしていた。
 
佑子の男性コンプレックスは間違いなく家系の厳しい躾や教えからくる精神的な問題であって、真面目な両親への忠誠心のような思いから性への全ての概念を不埒ふらちな事と決めつけ端から受け入れることを拒んでいただけで、両親の離婚をきっかけに精神的に自立し自由になり、新しい拠り所を見出した今は、くびきが取れ逆に果実が弾け本来の眠っていた才能が解き放たれたように熱情を持って性を知り躍動し反応していた。

それは相手が一色乃 燎成だったからこそ余計に解放されたとも言えるのかもしれない、一色乃が佑子の新たな拠り所となり、佑子にとっては全てをさらけ出せる甘えられる相手で、生理的な相性の良さも重なり男性への違和感を取り払い、身を委ねられる誰よりも安心できる存在になっていた。
育った世界が違うにしろ二人の相性は良かった、意外なほど肌が合う事も感性で予知していたのかもしれない。
 
シルクのロングガウンは二人の情熱に負けるように着こなしを乱し、上等なレース素材であしらわれたセクシーな高級ランジェリーのラ・ペルラがその威力の全貌を露わにして一層、二人の情熱に火を付けた。

クライマックスへの序章のような戯れのさわりを確認しあってから、どちらが誘うでもなくベッドルームに二人で移動した。そこは間接照明とムーディーな音楽で演出された二人の舞台だった。佑子がシャワーを浴びている間に一色乃は気の利いたBGMをチョイスし間接照明でムーディーに部屋をアレンジしていた。
 
佑子は高揚する息遣いと熱い情熱を持って高まりを経験し未知の領域を体感し一色乃を受け入れる準備が出来ていた、一色乃は少しずつ佑子の様子を見ながら進めて行ったがそんな心配も取り越し苦労と思わせる程に佑子は大海原を自由に泳ぐように楽しみながら反応し、後は流れるようにスムーズに事が進み佑子は満月の夜のエキゾチックな夜の過ごし方を知った。

佑子の躰は精神よりも正直で何の問題もなく、万感の思いを持って満ち足りた潤いと共に一色乃を受け入れた。佑子自身も信じられない程に違和感も苦痛も無く男性の身体を覚えた。緊張で硬直する以前に佑子はしなやかに舞っていた、緊張する暇など無い程に快楽の方が勝っていた。

佑子は男女の営みがこんなにも素晴らしく満ち足りた行為である事に感動と衝撃を受け今まで知り得なかったことに少しだけ人生のロス感を感じたが、官能的な新しい価値観を右脳で授受していた。一色乃ももう少し手こずる事も想定していたが佑子の事前準備が功を奏して二人はトラブルなく一つになる事ができた。
 
佑子は男性との交わりのシミュレーションを自分で何度も行ったと一色乃に話した。性に関する映像や書物や雑誌を見て何度も想像して練習する内に心と体がより溢れるように満ち足りる事に気が付いたと打ち明けた。
佑子の勤勉さはエロスへの研究にも適応され怠りなく事前勉強していたようで、好奇心と今までの真面目一辺倒の生き方の反動も重なり、ある程度自分自身の体を自分自身で開発していた。

正直すぎる佑子は毎日のように性行為のシチュエーションを想像し予習を一人で行っていたと一色乃に話した。アダルトなグッズにも興味を抱き通販で購入してみようかとも考えたが勇気が出なかったと正直に話した。
一色乃は佑子に
「そこまで何でも男性に話さなくてもいいんだよ、」
と告げると、佑子は
「勿論、他の人には恥ずかしくて言えませんよ、」と話し、
「社長だから話したんですよ、」
とはにかみと照れが混ざるように話した。
 
色白の佑子の肌は透き通るような透明感で高揚すると血流が活発になり薄いピンク色に染まり艶めかしい息遣いが漏れるたびにお互いの陶酔感を助長した。

以前は男性の核心部分に嫌悪感を抱いていた佑子だったが、今は、ロックが外されたように、一色乃の分身を見る事も触れる事もキスする事も積極的に自然に反応ができた、そしてそうした行為を第三者のように俯瞰して自分自身を見ることで更に燃え上がる心境に導かれる事を知り脳が空白になるような不思議な快感を楽しんだ。それは事前勉強のシミュレーションでも経験した空白感だったが、生身の異性との間で知る空白感は比べ物にならない位の充足感で気が遠くなるような感覚を佑子は覚えた、ブラックホールに吸い込まれるような快感だと思った。
身体は知らない内に精紳よりもいち早く既に大人に成熟していた、佑子の気品あるパーツの全てが、女の喜びを知り快楽の素晴らしさを脳に教えてくれていた。
 
一色乃は佑子の解放された精神は今までの反動と初体験の新鮮さもあり、刺激を与えると直ぐにボルテージが上がり、セクシャルなモードに切り替わる事を知った。理知的な普段の佑子の姿からは想像が出来ない魔性の側面すら感じられた。
佑子の深層心理に隠されたアブノーマルへの好奇心に進もうとする時に佑子の心にスイッチが入り、佑子の目付きが娼婦のように変貌する時がある。そのギャップには百戦錬磨の一色乃さえもマックスの興奮を覚え虜になりそうになる。
先天的に女性として持ち合わせた極上の肉体のフィジカルな才能が、解放された精神と一致した時、底のない快楽が佑子を襲うのだと思った。
 
一色乃は想像以上の佑子の優れたパフォーマンスとパーツの優秀さに官能と驚愕を持って酔い尽くす方法を取った。
一戦を交えた後のインターバルで水分を補給した後もそれで終わりにはならなかった。佑子はバスルームで軽く汗を流し役目を果たした純白のラ・ペルラに変わりセクシーで妖艶な黒のラ・ペルラに兵器をチェンジした。
無意識に身体をくねらせ現われた大人の姿の佑子に魅了された一色乃は再度戦う準備の臨戦態勢にスイッチがオンにされた。

そして満月が夜明けの明るさで白い影に変わるまで交じわり合い熱く新鮮にお互いの素を曝け出し繰り返し認識し合った。
 
佑子は喜びに溢れる一夜を経験した後は、何かから解放されたように、知性の裏に隠されたセクシャルな神秘性を手に入れた、ダイヤのような上流の輝きと真珠のような大人びた上品さを兼ね備えた超一流の女性に成長したようだった。

佑子は一色乃に恋心に似た心境を抱いていたが、オーナーである一色乃を独占するほどの勇気も図々しさも持ってはいなかった。在籍女性達から見ればオーナーの一色乃はVIP広尾クラブの象徴でありカリスマ的な憧れの存在でもあり、独り占めすべき存在ではない事が暗黙の了解のように思っていた、ただ求められればいつでも心を開く気持ちで慕っていた。

それよりも、これで、もう何も心配する事がなく、VIP広尾クラブでのお仕事が出来る自信を得る事ができた。これで精神的にも経済的にも自立できる解放感が佑子の心を安定させた。

一色乃と佑子の特別な関係はそれから暫く続いたが、佑子にとっては精神のバランスを保つのに必須な関係であり無二の存在として一色乃を必要としていた。
 



其の三 佑子の初仕事


それから約一週間後、面接から約三ヶ月半程が過ぎた頃に佑子のVIP広尾クラブでのデビューの日がおとずれた。予約を入れた男性会員は温厚で優しく良識的な風貌の常連客である。クラブ側の薦めもありVIP広尾クラブでの佑子の源氏名「西園寺 君華(さいおんじ きみか)」に予約を入れてきた。肩書きのキャプションには「正統派の超美形知的セレブ」と表現されていた。
 
接客場所は、今回はクラブ側が接客用に常設して用意している事務所に程近い六本木六丁目の高級レジデンスの接客専用のVIPルームで行われる事になった。

VIP広尾クラブではいくつか六本木と広尾にそうしたお部屋を確保しているのと、女性在籍者の都合や予約状況によっては、お店側で高級シティホテルのお部屋を予約確保し接客に利用することも多々あった。
VIP広尾クラブは新風営法の施行後は派遣型としても登録しているので、会員が宿泊している高級シティホテルへ派遣する場合もあるが、それは店側が優良と認めた実績のある会員の場合のみ可能となっていた。

また、男性会員の自宅への派遣はセキュリティーの観点からも一切行ってはいなかった。接客時間は90分か120分がスタンダードな内容で延長も希望すれば可能であるが、男性会員によっては最初から3時間とか5時間など長時間で予約する会員も少なくはなかった。
 
そして当日、流石に彼女も緊張しているのか多少のそわそわ感が伺えて何度か一色乃に自分で嫌われないか大丈夫なのかと尋ねていた。その都度、一色乃は全く問題ないと優しく言い聞かせていた。新人の女性の場合の最初の接客は問題のない常連の優良会員をアテンドするのが通常のパターンである。

勿論今回も会員は常連客で紳士的な男性で何度もクラブを利用している実績があり優良会員である事を彼女には説明しているので、何人もの女性を送り出している店側からすれば結果はある程度織り込み済みである。
 
VIP広尾クラブの特徴はエステやマッサージの施術を行う前に会員と女性との間で会話の時間が設けられている点である。シャンパンやお酒類も揃え、さながら銀座の高級クラブのように飲み物を嗜みながら女性とのディスカッションを楽しむ時間が設けている。

そのシステムはある意味独特で、VIP広尾クラブのコンセプトを表現する重要な儀式のようなものでもある。女性の性的な部分をクローズアップするのではなく人間性の高尚さに重点を置き表現する為の時間であり、それはVIP広尾クラブの特徴で、その手法は専売特許のような拘りでもあった。
 
大抵の場合、男性会員は最初の会話を交わす時間の中で、その女性の魅力に心が惹かれ親愛感を抱く、それはそうなるようにナビゲートされた時間であり、ディスカッションの時間を設ける事の意味は大きい。

男性会員は先ず会った瞬間の第一印象で女性の容姿の美しさに一目ぼれし、ディスカッションの時間の間でその女性の内面性の高尚さやお育ちの良さや、その女性の持ち合わせている内面の魅力に心を奪われ好意を抱く、多くの場合恋心で下心を封印しその後も再会する事を望み、ある意味女性に執着心を抱く。この一連の流れこそが他店の風俗店とは違うVIP広尾クラブの秘密のレシピでもあった。

男性会員はお相手の女性に恋をする事によりその女性に気に入られようと努力する、男性会員は当然好意を持つ女性の嫌がる事をしようとは思わない、よって女性の施すサービスは極力ソフトになり女性のペースでサービスが行われる。それを可能にしているのが女性のレベルの高さであり、それがVIP広尾クラブの方程式である。
 
オーナーの一色乃は常々、接客する中で最も大切なのは第一印象であると説いている、その次に大切なのは接客時間の最初に設けているディスカッションの時間であるが、第一印象が憧れを持って衝撃的で好意的であればある程、殆どの場合会員はその女性のリピーターになり、第一印象で抱いた感情の高ぶりは長く持続され、クラブを通しての会員と在籍女性との関係も長く続くこととなる。

特にレベルの高い佑子のような女性の場合は、その存在だけで価値が認められるパターンなので自然と振る舞っているだけで思いのままに男性をコントロール出来るのである、そんな方程式など知る由もない佑子は、何度も頭の中で接客の流れをリピートし、初めての冒険の扉をある意味大胆に物怖じする事なく開けるのであった。
 
これから彼女のVIP広尾クラブでのファーストステージが訪れる。今回の接客場所はお店が確保している高級レジデンスの一室が舞台となる。アールデコ調に装飾された家具は高級感を演出し貴族のお遊び場に足を踏み入れた錯覚に陥るお部屋である。

会員も女性もVIPの高貴な内装の特別感に陶酔する。高級オーディオのスピーカーからは耳障りにならない程度の音量でチャイコフスキーが流れている。間接照明で薄暗く設定された2LDKのその部屋には応接の備わったリビングと接客用の部屋と多目的に利用できる事務用の部屋とがあり、接客用のお部屋にはディスカッション用の応接と、施術用に用意されているセミダブルのベットが備わっている。大きめのバスルームには足を延ばしても充分足りるバスタブと上半身を映す横長の鏡に覆われた洗面台とトイレがあり扉ひとつで接客用の部屋と隣接している。
 
この男性会員は複数回この部屋での利用実績があり迷うことなくこのレデンスに足を運ぶが、今回は初めて会う女性のため期待と緊張感が男性の心を覆う。

高級レジデンスのエントランスに着くたびに男性はウインドウに写る自分の身だしなみをチェックし時間を確認し一拍おいてから部屋番号の呼出しを押す。いつも通りインターフォンからの返事はなく程なく男性会員を招くように自動ドアがスライドして開いた。
エレベーターに乗り部屋の前まで来たと同時位に部屋の扉が空き、通常はスタッフか指名された女性本人が会員を迎え入れる。今回はオーナー一色乃が直々に男性会員を迎え入れた。

一歩立ち入れば、各お部屋全体が間接照明と静かなBGMでアレンジされ穏やかなアロマの香りに包まれた異質の空間のように演出されている。現世から夢の世界にスリップしたような錯覚に陥る。

いつものように一色乃にリビングの応接まで案内され、会員はソファーに腰を下ろす。会員はクラブの常連であるが何度来ても緊張する瞬間であり中々慣れないと後に女性に打ち明けている。

利用料金は前金制のためこの時点でスタッフが集金するが、予め封筒に入れ用意していたため封筒ごと応接のテーブルに用意してあるゴールドの金銭用のトレーに沿えるようにのせ、軽く目配りして一色乃にどうぞと促した。

一色乃は封筒の中を確認することなくトレーごとそのまま回収し在籍女性のアルバムを丁寧にテーブルの上に沿えた。一色乃が封筒の中身を確認しなかったのは、この会員が何度も利用実績があり几帳面な性格で金額を間違える事は有り得ないと知っていたので、その場で確認をせずに支払いを受けたが、お金を数えると言う下品な行為が好きではない一色乃の小さな拘りである。

そのまま一色乃は接客をするお部屋にいる佑子の部屋に行きリビングまで会員を迎えに行くよう合図をし、一色乃は事務処理用のお部屋に下がった。
 
ドレスアップした佑子は息を呑むほど美しく妖艶であり上品で知性的であった。ハーフアップのポニーテールは事務所を出る前に潤子マネージャーが揺れるシルバーの素敵なイヤリングが見えるようにと髪型をセットアップしてアレンジしてくれた。

少しタイト気味の白いサイドスリットのドレスは胸元の上部がレース素材で細い首元のタートルネックに繋がり上品な真珠のネックレスで気品を表現している。少し高めのヒールで歩く出で立ちは抜群の存在感で、十分すぎる魅惑でその場の空気を支配していた。

佑子の特長であるハリウッドラインの鼻筋の通った横顔はカサブランカのイングリッド・バーグマンを想わせるほど知的な気品に包まれていた。
美人を見慣れている一色乃も思わず二度見をするほど美しい仕上がりだった、精魂込めた美術品を完成させた芸術家のような気分で一色乃の満足感がそこにあった。

バトンは佑子に渡された、いよいよである、両手を胸の位置で握り大きく深呼吸をして頷くように自分に気合いを入れた。
会員が待つリビングへ向かった、リビングの扉を開け笑顔で堂々と、
「初めまして、お待たせしました。」と会員に挨拶をした。
会員は座ったまま斜め上に佑子を見上げた。
当然のように会員は佑子の容姿の美しさに心奪われるほどの衝撃を受ける。
「お部屋までご案内します。」と言うと、佑子が先頭になり接客する部屋に移動した。
 
接客するお部屋にも応接があり通常シャンパンクーラーにシャンパンが用意してあるが、今回の会員はお酒が飲めない会員なのでシャンパンの用意は省いてある。佑子は源氏名を名乗り宜しくお願いしますと改めて挨拶をして
「何をお飲みになりますか、」と尋ねた。

会員は緊張しているのか、一瞬言葉を詰まらせ口籠もって返事とも頷きともおぼつかない仕草で意味なく小さく答えた。佑子は会員の答えが聞き取れなかったが、聞き返すことはせずに、冷蔵庫を開け自主的にペットボトルのお茶を手にしてゆっくりと二人分のグラスに注ぎ会員側のコースターに丁寧に乗せ、言葉と手で「どうぞ」とリアクションした。

「あっ、どうも」
会員は明らかに緊張していた、それは佑子の余りの美しさに圧倒されての緊張であった。二人掛け用のソファーに会員が座り対面の一人がけ用の大きめの椅子に佑子が浅く座った。会員と並んで座る場合も多いが、始めて会う会員の場合は対面に座る方がいいと矢吹玲那からのアドバイスでもあった。
理由は、初めて会う男性の場合はお互いの事は何も知らないので隣り合わせに座ると馴れ馴れしくなるので、最初は距離を置いて座り、徐々に相手を知るようにした方が女性優位に接客を進められるとの経験者玲那のアドバイスがあったからである。  
 
この会員は何度もVIP広尾クラブを利用しているが、指名する女性は大体決まっていて気心の知れた何度も会ったことのある女性を指名するので、今回初めて会う女性を指名するのが久しぶりの事もあり、増してやそれがただ者では無い美人オーラ全開の「西園寺君華」であった為に気後れしたのが事実で最初堅い空気が二人を包んでいた。
男性会員は最初、対面に座る彼女を凝視する事が出来ず目を逸らしがちに猫背で座って落ち着かない様子だった。

その緊張感を解くように佑子が優しい笑顔で会員に話し掛けた。
「君華(きみか)と申します、よろしくお願いします。」「・・・・ねっ。」
語尾を少し上げ少しだけ鼻にかかる声で、意識して親しげに話し掛けようとしたのか、「よろしくお願いします。」と、言った後に数泊間を空けて「ねっ。」を付け加えた。佑子も緊張していた。変な言葉遣いになってしまった事を自覚して一瞬言葉遣いを失敗したと思った。が、咄嗟に会員が「ねっ?」と返事をした、つられるように佑子がまた「ね。」と語尾を下げて返事をした。
この「ね、」の遣り取りがお互いの笑いを誘い、この短い言葉のキャッチボールで堅い空気が一気に和らいだ。
 
結論から言うと彼女の初仕事は無難に問題なく終了した。男性会員は一目会った第一印象で既に一瞬にして「西園寺 君華」に完落ちし虜になっていた。
男性会員の立場から捉えるのなら、それは男性の性の欲求の捌け口として終了したのではなく、一人の女性との出会いに喜びと期待と夢を抱いた事実に満足した内容の充足感であった。
 
彼女と会員は初対面の緊張の中でお互いのぎごちない挨拶から始まり、終始お互いが敬語で話しをし、辺り障りのない季節の話から音楽の話し、芸術の話し、好きな食べ物やレストランの話しなど取り留めもなく話題が尽きることなく楽しく会話が続いた。
90分間会員とのお話だけであっという間に時間が過ぎ、エステマッサージの施術を行わず彼女は会員に指一本触れることなく接客を終了した。
 
それは通常のお店であればクレームの対象になるかもしれないがVIP広尾クラブであれば許される有りがちな内容の一つでもあった。しかも会員男性はその内容に十二分に満足をして再度また指名して来店する事を彼女に約束しレジデンスを後にした。
接客時間のほぼ全ての時間を有してお話の時間に費やされる事は会員も理解しての行為であった。
 
接客後の彼女は何事もなかったように淡々としていた、一色乃から初仕事の感想を聞かれ「とても良い人でしたよ、ずっとお話をしていました。また来ると言ってましたよ。」と
微笑みながら冷静に一言応えた。

相手に対して愛欲も虚飾願望も何の欲もない状態で男性と対峙するこのお仕事の内容と、そうした事に多額のお金を払う男心に多少疑問と不思議さを持った程度の認識しか彼女にはなかった。

無知ゆえの怖いもの知らずと言うよりも、男性自身が彼女の世界観に吸収されてしまうと言った方が正しいのかもしれない。

ストレートの髪を靡かせるだけで魔法の様に彼女は独自の空気感を一瞬で作り上げる、彼女の色は何色にも染められていない澄んだ無色透明であり良識ある行動しか受け付けないと思わせるオーラを放っている。

艶を求め勇んでやってくる男の本能も一瞬一矢で彼女の世界観に飲み込まれ、手出しできなくなる、そして男性会員は忘れかけていた良心の扉が開かれる。無色透明の無垢な心に接することにより自分も同じ価値観に同化させられてしまう。美しき良識こそが正当であり、健全の空間へと導かれた男性は嫌われる事を心配し、結果邪悪な下心を封印してしまうのである。
 
男性会員は彼女を指名し彼女の接客を受ける為に90分12万円の対価を支払う。それは彼女に限らず他の在籍女性の場合も同じようにシステム化されている単価である。それは男性としての本能が女性を求め、あわよくばいい関係になり、欲を言えばお店を通り越しプライベートで交流を持ち、異性の対象として心も体も手に入れたいからに他ならない。
そんな下心剥き出しの男心を多かれ少なかれ抱きつつ男性会員はVIP広尾クラブにやってくる。そこには男と女の様々なストーリーがあり、色々な形の個性のぶつかり合いがありドラマチックな結末も男女の数だけ物語りがある。
 
彼女の最初の客となった会員は、それ以来定期的に決まったように彼女のもとにやって来た、勿論VIP広尾クラブの会員として彼女に会う為だけを目的に程よい間隔で通い詰めた。そして毎回彼女に指一本触れることなく、お話をする為だけに高額の利用料を支払い訪れるようになった。
 
彼女の初仕事は無難に終了した。そして彼女自身もやって行けそうだというある程度の自信と確信を得たはずである。

彼女は次の日にも出勤し接客を行ったが、最初の時の客と左程変化のない対応で接客を終えた。彼女が実際にマッサージを施し男性の性処理のサービスまでを行ったのは三人目の会員との対応の時であった。

最初の一時間ほどは会員とのお喋りであっという間に時間が経過し、彼女の方からそろそろマッサージを行いますかと会員に促しマッサージを行った。控えめな三十代後半の物静かなその会員は大手企業に籍を置くエンジニアで物腰の軟かい謙虚な男性で、多少オタク風な雰囲気を感じさせる所があるが、その控えめな態度が彼女を安心させ、彼女自らリードして会員にマッサージを受ける事を促した。しかし会話に多くの時間を割いたため時間が足りなくなり30分ほど延長して施術を行った。

男性会員はお部屋に隣接するバスルームに案内され単独でシャワーを済ませタオル地のバスローブに着替えてベッドに移動して施術を受けた。会員は最初うつ伏せになりパウダーマッサージの施術を受けた、彼女の繊細な指先がゆっくりと首筋から背中へとさするように円を描き滑るように優しく刺激をする。あくまでも流れるようにセンシティブにムーディーに神経細胞に敏感に届くようにパウダーマッサージを進めた。

その後に仰向けになってもらい、エレクトした男性自身の象徴をローションを利用して手技で難なくクライマックスまで導いた。彼女は最初から終了まで洋服を着たままで全てのサービスを行った。

以前の彼女であれば知らない男性の全裸を見る事すらはばかってしまうほど拒否反応があっただろうが、今の彼女は逞しかった。男性への免疫が完全に備わり淡々と潤子マネージャーに教わった通りに施術を進め程よく難なく片付けたお仕事感があった。
 
 
それから佑子はVIP広尾クラブに在籍しながら自らの人生を謳歌し色々な経験をする。それは、真面目に管理され生きてきた今までの人生と離婚した両親に復讐するかのように、自由に大胆に水を得た魚のように弾け躍動するように変遷を遂げる。

佑子には一色乃の存在があり、多少無茶をしても何かあれば必ず一色乃が守ってくれる安心感もあり、大胆な行動に拍車を掛けたのかもしれない。そのドラマチックなその後の行動と経験は佑子のストーリーとして専用の一冊が必要なほど内容が豊富な経験で刻まれる。

結局その後、佑子は約三年ほどVIP広尾クラブに在籍し、様々な体験と経験をし、自立し逞しさと更なる美しさを手に入れ成長を遂げその後アメリカへと旅立って行く。


【 第二章 】


其の一 VIP広尾クラブのCA達


VIP広尾クラブには現役のスチュワーデスの複数名の在籍者が存在していた、元CAを含めれば十数名のCA経験者が在籍していた事になる。最も多く在籍していたのは日本を代表する二大大手のJALとANAで、外資系の航空会社のCA達も元、現役を問わず常に複数名のCAが在籍していた。
空のマドンナ達の地上のドラマが其々に存在するが、どういった理由で在籍する道を考えるに至ったのか、その理由は其々に個人的なドラマがある。
 
方法論的にはCA達がVIP広尾クラブの在籍に至る流れは大きく分けて二つのパターンがある、一つはホームページにある募集のページを見て直接電話かメールで問い合わせをして面接に来るか、そしてもう一つのパターンは既に在籍しているCAの紹介で面接を受けて在籍するかのどちらかの方法である。

ホームページの募集のページを見てVIP広尾クラブに興味を持ち面接に来るCAも決して少なくはなかった。いったい彼女達がアクションを起こし、踏み出すきっかけとなった募集のページとはどんなページであったのか、女性達を引き付け興味を与え心を動かした理由がそこにはあるはずである。
 
VIP広尾クラブの女性の応募のページは一般的な風俗店や水商売のお店の募集広告とは全く違い、メッセージ性の強い長文の文章で女性に語りかけるような内容の募集ページとなっていた。そのページには収入や待遇面についての詳細な内容は一切掲載がなく、文学的な表現で、応募を考えている女性へのメッセージのような形容で、美しい言葉と上品な表現で心に響く美的な感性に溢れた内容の文面で、デザイン性にも優れたサイトで高級感ある募集のページであった。
 
例えば仕事の内容については、
『極めてソフトな内容で女性のプライドと尊厳を傷つけることなく行える癒し系マッサージの手法で着衣のまま行える簡単な内容です。』とある。
前文には、
『私達、VIP広尾クラブは在籍女性の女性としての付加価値を高める事に興味がありますが、ネガティブな発想で自らをさげすむ女性は当クラブには存在しません。VIP広尾クラブは向上心あるポジティブな才能に恵まれた貴女たちが関わる場所で、そうした女性をバックアップし応援をし、貴女達の支えとなる事が私達の喜びです。VIP広尾クラブは美しい心と成長理念を持ち合わせた女性が目指す場所で、そうした女性達の期待にお応えする事をお約束します。』とある。

また『在籍女性は私達と共に成功体験を共有するパートナーのような存在です。そして会員として選ばれた男性に感動と夢を与える芸術家でもあり、在籍女性自身が高尚な美術品のような存在です。』と綴られている。

また心構えとして、
『意識と心が高い次元でありながら、謙虚で感謝の気持ちを持ち続けられる女性が私達のお仲間になる大切な第一の条件です、女性の美しい姿と他者を思いやる美しく優しい心は人に感動と癒しを与えます。』とあり、高尚な考えを持つ事を女性に求めている表現で心に訴えかけている。

続けて、
『私達が、求めているのは容姿も内面性も美しさへの探求を行える女性で、美的な人間性への向上心を持てる女性です、特別に選ばれた貴女達の才能を花開かせる手助けとしてVIP広尾クラブは存在していると考えています。そして、そうあることによって見返りとして高額の収入が貴女たちに保証されているのです。』とありレベルの高い女性の琴線に触れる言葉で語りかけている。

また、文末の方では、
『VIP広尾クラブでは、様々な職種や肩書のある女性が秘密裏に在籍しています。モデルや女優さん、レースクィーン、ナレーターやモーターショーのコンパニオン、役員秘書やキャリアウーマンから丸の内のOL、そして、スチュワーデスやピアニスト、高学歴の女子大生やご令嬢、女性教師や看護師の女性、その他も含め様々な女性達が通常の自分たちのライフスタイルのペースを崩すことなく在籍しています。それ故に私達VIP広尾クラブは在籍女性のプライバシーを守る事に細心の注意と最大限の努力と神経を使っています。接客をする男性会員の職業や年齢や実名なども事前に知る事も可能です。厳重な管理体制で秘密厳守を行っております。』とある。
 
知的な職種にしろ、華やかな世界にしろ、本業が確立している女性にとって、気になるのはやはりプライバシーの保護の問題である。彼女達にとって在籍は極秘の行動であって副業を持つ事実を公にしたい女性などいるはずもなく、ましてやそれが性産業となると、最高難度の秘匿行動であり絶対に護るべき個人の秘密でもあった。

ハイレベルな女性であればある程、VIP広尾クラブと在籍女性の間には強い信頼関係がなければ在籍には至らない。そうした意味でも面接を行うオーナーの一色乃のキャラクターは重要で、女性を安心させその気にさせる魔力と女性の心を動かす潜在的能力にオーナーで社長の一色乃は長けていたのかもしれない。



其の二 現役CAの「花菱 小百合」はなひし さゆり

ANA在籍の現役美人CAの花菱小百合(はなひし さゆり)はインターネットで偶然見つけたVIP広尾クラブの募集のページを見て強い興味を抱き応募してきた、彼女は心優しい癒し系で美脚美人の現役CAである。彼女の応募の理由は単純明快で経済的に副収入を得る為の目的で面接にやって来た。

現役のCAである小百合は職業柄、秘密厳守のスタンスにも強い興味を抱き電話でそのポリシーを何度も確認し納得をして面接に至ったケースである。勿論、容姿も育ちも肩書も性格も良く何の問題もなく面接には合格し、小百合自身もオーナー社長の一色乃の人間性や事務所のロケーションを確認しそのスタイルとスタンスに惹かれ信用して是非在籍する事を希望し採用となった。
 
自営業者の家庭で育った小百合は明るく朗らかでセンスが良く、さりげない優しさに包まれたスマートな女性であった。彼女の良い所は常にプラス思考で、人生をエンジョイし何事も上手に乗り越える才能に恵まれた女性であった。
バブルの時期とは違い、当時はCAもそれ程給与や待遇に恵まれている分けではなく、多くのCA達も経済的には華やかだとは言い難い境遇で生活をしているのが現状だった。そんな中でVIP広尾クラブに関わりを持つ結果になった事自体彼女の運の強さを表わしているのかもしれない。

彼女は早稲田大学出身で学生生活を思う存分エンジョイし青春を謳歌して、それなりの恋愛や遊びも経験して、そうした流れの中で見事にCAという花形の職種に就職し社会人にステップアップした、人にも環境にも恵まれて過ごしてきた女性であった。
 
美人には美人を引き寄せる効果があるが、彼女の周りの交友関係にも普通に美人が多かった。小百合には学生時代から同じ大学に在籍している親友と呼べる仲の良い女子が二人いて、会社は違うがその二人とも航空会社に就職しCAとして活躍をしていた。一人は外資のキャセイパシフィックに入社し香港ベースでCAとして働いていた。そしてもう一人は、明るく聡明で目鼻立ちの整った美形女子の雛形由美子(ひながた ゆみこ)である。

由美子はJALに就職し小百合同様にポジティブに社会人生活を満喫していた。結果的に由美子も小百合の紹介で一時期VIP広尾クラブに在籍する事になるのだが、この二人は一色乃から見ても明るく、上手に肯定的に人生を生きている典型的な勝ち組タイプの女性で、乗りの良いポジティブ思考のこの二人を一色乃もお気に入りで、よく連れ出してプライベートな食事に誘う事も度々あった。
 
この二人は在学時代からスチュワーデスになる事を目標に、その為の対策を充分に勉強し、結果的に新卒の採用試験でJALとANAなどを受け、小百合はJALの試験には最終選考で落ちたがANAに見事に合格し、由美子はANAには落ちたが見事にJALには合格し、会社は違えども、みごとCAへの道を手にした勝ち組の王道を外さない女子達である。因みにもう一人の仲間の女子は、堪能な英語力を活かして外資を希望し、先に述べたように後にキャセイパシフィックに入社しCAとなった。

この三人がCAになる事に拘った理由は明快で、男性からの受けが良く、間違いなく一目置かれる職業で、憧れの対象となる職種であり、将来的にハイレベルな男性と結婚するためにも最適な花嫁道具としてCAになる事に命を懸けたという、みごとな、早稲田大学の女子らしい発想で有言実行してきたプラス思考の女子達である。

特に小百合と由美子の目論見は見事に成功で、定期的に合コンや飲み会やホームパーティー等に積極的に参加し、将来の伴侶を物色し、CAブランドをフルに活用し活発に活動しエンジョイした生活を送っていた。
時代はバブル崩壊後であり堅実なのが正当と判断される価値観が出始めた時代であったが、彼女達にとって限られた時間を有効に使い美容や装飾にと自分のために使う副収入を得るには、VIP広尾クラブは最良の環境を得られる場所であったと言える。
 
VIP広尾クラブに在籍する中で雛形由美子は男性会員の職業や経歴を慎重に選んで予約を受けるタイプの女性であった。例えば地方に居住している男性会員で自分のプライベートな人生に関わりを持つ可能性が限りなくゼロに近い男性会員を選んで予約を受け付けるようにしていた。
また既婚の医師や弁護士など名誉職で護るべき家庭がある会員など、秘密を共有できる人間を選んで接客をするようにしていた。由美子は月に一、二回のペースで接客をしていたが、それでも結構な副収入になるので家賃分以上位の収入が得られ、地方出身で一人住まいの由美子にとっては、大変有意義な在籍であった。

当初、由美子は自分が現役のCAである事を隠して接客をしていたが、由美子はCAブランドを利用しなくても華のあるタレントのような美人な美形女子なので直ぐにリピーターも付き、出勤日数も少ないのもあって予約の取りづらい人気者になっていった、信頼がおける会員にだけ由美子は自分がCAである事を自らの口で伝えていた。
 
一方、小百合の方は、会員をあまり選ばず、事前予約のオファーがあれば躊躇なく対応するタイプで、店側が問題無いとチョイスした会員であれば本人からNGを出すことはなく対応し接客をこなしていた。よって接客する回数も多くそれなりの収入も得ていた。

小百合の性格は優しく温厚な部分があり、身だしなみにも気を遣う傾向があって、接客をする時はしっかりと手抜きのないお洒落をして髪型のセットにも気を使い、時間を掛けて巻き髪にしたり隙のない化粧やエステでのメンテナンスを施すなどして臨み、自慢の脚線美を高いヒールでより一層強調するので、第一印象も良く会員がリピーターになる確率も高い女性であった。

また小百合の接客の特徴は、会員の予約の接客時間が長時間で予約を取る会員が多い事であった、普通は90分か120分がスタンダードな接客の時間枠だが、小百合の場合、3時間や4時間など長時間で予約を入れる会員が多かった。
温厚で優しく献身的でのんびりとした性格の小百合なので齷齪あくせくバタバタとしたスタイルが苦手なのもあり、会員も小百合のペースにはまり長い時間での接客を望む傾向にあった。
小百合は最初からCAである事を隠す事もしなかったので、CAブランドを存分に活用して人気を博していた。
在籍して数か月後には常連の会員だけで予約が埋まるようになり、信頼できる決まった会員だけの予約で稼働するようになり、身バレの心配もなく在籍期間を有意義に活用して収入を得ていた。
 
後々、小百合も由美子も結婚と同時にCA稼業を退職し、結果的に小百合は大手広告代理店のサラリーマンと結婚し後々一人娘を儲け、幸せな家庭を築き今は専業主婦として都内で生活している。

由美子は大手商社のサラリーマンと結婚し夫の赴任先のフランスのパリで一男一女を儲けこちらも幸せな生活を送り後に家族で東京に戻り順風満帆な結婚生活を営んでいる。

勿論この二人の其々の伴侶との出会いは合コンとホームパーティーで、彼女達は当初の計画通りに、プランに沿った人生を歩んだ勝ち組の女子達と言える。勿論、小百合と由美子がVIP広尾クラブに在籍していた事をそれぞれの旦那様は知る由もなく、一生隠し通す秘密の出来事であった。
 
ある意味小百合は温厚でおっとりしているように見えるが行動が大胆で物怖じしない所もあった、小百合は結婚してからもVIP広尾クラブでの在籍を続けていて、その在籍期間は結婚後も二年間程続き、それは待望の子宝に恵まれるまで続いた。

小百合によると夫とは結婚以前は頻繁に男女の営みがあったが、婚姻後は急に夜の営みがレス気味になり、精神的にもフィジカル的にも不満が募る事が多くなり、その捌け口をVIP広尾クラブでのドキドキ感で発散しマインドをセルフコントロールしているとも打ち明けている。
一色乃はよく小百合から夫への不満や愚痴を聞いて上げる事もしばしばあったが、夫を愛している事はつくづく感じられる上での不満や愚痴であった。
 
結婚後も夫にばれる事なく在籍を続けられたのは、小百合が巧妙に対策を講じていたからである。
VIP広尾クラブから小百合への連絡は必ず、女性マネージャーの小川潤子から連絡をするようにしていて、その内容も決してクラブの予約に関する内容ではなく、食事に誘う内容にカモフラージュしたりアリバイを確立できるように女子会を装う内容にしたり、しかも必ず夫が仕事中の時間帯に限って連絡を取るように対策をしていた。

尚且つ小百合はANAを退職後暫くして週に三、四日ほどメディカルクリニックで院長秘書の仕事をしていたので一応共働きの形を取っていた事もあり、お洒落をして身嗜みを整えて外に出ている事や副収入がある事が、夫に怪しまれる材料になる事も全くなかったのである。
 
小百合は、結婚後は豊洲のタワーマンションに夫と住んでいたが、小百合は元々東京で生まれ育っているので実家も近く、専業主婦でない事もあり、結婚してからも割りと自由に行動できる環境を意図的に作っていた。

小百合の実家は月島の下町にあり、両親は銀座で居酒屋を二店舗経営している商売人の家庭で、実家にもよく帰っている事も多く、婚姻直後も割りと自由に行動できる生活パターンを維持していた。ただ必ず夫との時間を大切にするようにもしていて、レス気味であっても夫に優しく愛情を持って明るく楽しい夫婦生活を営んでいた。
 
小百合の旦那も結婚前は多少小百合を束縛する事もあったが、結婚後は手に入れた安心感からか必要以上に小百合を束縛する事もなくなり、典型的な釣った魚には餌を上げないパターンにも見えるが、小百合は自らの経済力で餌を得ていたので経済的な不満はなく夫婦がその事でぶつかる事はなかった、夫は小百合を愛していたし美しい元CAの妻が自慢でもあり、それだけ小百合を信用していたとも言える。
 
本当の小百合は学生時代から、ある意味で性に対しては開放的な考えを持っている女性であったが、ただ可憐で清潔感のある慎ましく見える雰囲気と、貞操観念が強そうなイメージから、ふしだらな対応や言動はご法度な女性と思わせる第一印象を与える部分が多分にあった。

更に彼女とお話しして接すれば穏やかで温厚な話し口調で、その真面目で優しい性格に癒されない者はなかったし、隠微いんびで不真面目な会話は受け付けないと思わせる雰囲気と清楚感と清廉せいれんさが彼女にはあった。

多くの場合男性会員は繊細そうな小百合に嫌われる事を恐れ最初は腫れ物に触るような紳士的な対応で対峙するので、大体の場合において女性主導の立場が形勢され、サービス内容においても、ソフトな内容で着衣のままでのマッサージと女性から一方的な手技での施術で接客が済む事が殆どであった。

小百合自身は相性のいい優しい会員であれば多少触られる事やランジェリー姿やヌードを見せる事も望まれれば平気と思っていたが、多くの場合そうした要望やリクエストをされる事も無くセクシーな行為を無理強むりじいされる事もなかった。

小百合は接客をする時は、身だしなみや所作に気を配りその日着る洋服のコーディネイトが以前と被らないように注意をし、必ず巻き髪にしお洒落をしてその指先も綺麗にネイルサロンでネイルを施し対応するのが小百合流であった。
当然毎回高級なランジェリーを纏い気合をいれるが、その素敵な勝負用のランジェリーも会員の目に留まる前に事が済む事が決まった小百合の接客パターンであった。
 
小百合は、VIP広尾クラブの接客の中で男性が喜んでくれるのであれば出来るだけ男性会員が満足してもらえるように可能な範囲内で努力をしたいと思う優しいタイプでもあった。
本来は男性にご奉仕する事に喜びを覚えるタイプの女性で、自分自身でも楽しんで接客をしたいポジティブ思考の女性でもあった。本音を言えばVIP広尾クラブでのスタンダードなソフトなサービス内容に物足りなさを感じる事も多少あった。
 
小百合は細身でスレンダーなスタイルで真っ直ぐに伸びた美脚の持ち主で、毎回毎回決まってヒールを履くので、その美脚が一層強調され会員に褒められない事はなかった。

そんな小百合スタイルの作法の中で、特別脚を強調しようと思って接客した事はあまりないが、小百合を指名する会員のほぼ全てが脚フェチである事は小百合の新しい発見でもあった。
小百合は自分の美脚が男性に常にセクシャルな目で見られている事をあらためて認識し自分の脚にそんな価値がある事が小さな発見でもあった。優しい小百合は、信頼のおける相性のいい会員であれば多少過剰気味なサービスでも対応して上げたいとも思っていた。
 
小百合の常連客で地方在住のある会員は出張で一、二ヶ月に一度必ず東京に出張に来る三十代後半のサラリーマンで、出張の度に決まって小百合に予約を入れてVIP広尾クラブにやってくる男性がいた。

この男性会員は元々学生時代には大学が東京だったため東京に住んでいたが、就職先が大手の札幌の会社だったため地元の札幌に戻り家庭を築き奥さんや子供達にも恵まれ円満な生活を送る真面目そうな男性ビジネスマンである。
紳士的で言葉使いも丁寧で常にレディーファーストな姿勢に小百合も好感を持って対応していた会員である。
彼の公言しない秘密は強いスチュワーデスへの憧れであった。スチュワーデスの頭から足の先まで彼は大好きで、そのフェチ度は脚に集中しその事実は奥さんも知る事のない彼の秘密であった。

最初の頃は彼も小百合にその事を話す事は無く通常のソフトなサービス内容と色々な会話で毎回満足して楽しんでいた。彼にとっては憧れの現役の美しいCAとお話ができるだけでも大きな喜びを得られる出来事でもあった。
小百合もこの会員がスチュワーデス好きなのは知っていたが、そこに強い性癖と執着がある事までは当初は理解していなかった。

彼が小百合にカミングアウトしたのは四度目の予約の時であった。毎回毎回二時間から三時間の予約を入れ、多少は顔なじみになり慣れ親しみが出てきた頃である。
いつもは小百合にお任せのサービスで男性のみシャワーを浴びてから最初はうつ伏せに寝て小百合の繊細なソフトタッチでのパウダーマッサージを受け次に仰向けになり同じくパウダーマッサージの後に小百合の美しいしなやかな指先で男性がクライマックスを迎え終了となるパターンで、男性から小百合にボディータッチする事はなく、その間小百合は洋服を着たままで全ての工程を行い、女性へのお触りはなく男性がフィニッシュを迎えるスタンダードな内容であった。
 
元々紳士的で丁寧で一般常識のあるこの男性会員に多少心を許していたのか、その時は小百合が何かしてほしい事は無いか男性に尋ねた。
男性は多少遠慮がちにヒールを履いたままでマッサージをして欲しいと小百合に話した。

小百合は簡単なリクエストに拍子抜けしたが、優しく、
「大丈夫ですよ、」
「脚フェチなんですね、」と温厚なゆっくりした口調で応えた。
男性は恐縮したように
「すいません。」と応えた。
男性はバスタオルを腰に巻いた状態で仰向けに寝ていたがヒールを履いて横座りの小百合の美脚に目をやり男性の息遣いが多少荒くなったように感じた。

小百合は男性の反応を見て、
「触りたいですか、」と男性の期待に応えようとした。
男性は少し興奮した様子で静かに途切れ途切れに
「いい・・んですか、」と応えた。
小百合は気を利かせたつもりで、
「生足になりましょうか、」と優しく呟いた。
男性は
「ストッキングが好きなんです・・・」と荒い息遣いと共に言葉を吐いた。
 
その時は小百合も男性会員が脚フェチだと聞き、私の脚で満足してくれるのなら多少のリクエストは利いて上げてもいいと思っていた。

小百合は少し腰を浮かせスカートを十センチほどたくし上げ触りやすいように男性の手元に膝を近付けた、小百合は男性の手を取り優しく自分の膝の上に男性の手を添えて上げた。
男性は恐る恐る小百合の膝を撫ぜるように手で擦り出した。
男性の腰に巻いたタオル越しに男性が反応しているのが明らかに分かった。小百合は更にスカートを腰までたくし上げ触りやすいように太腿まで露わにした。
たくし上げられたスカートの隙間から小百合のランジェリーが微かに見え隠れするチラリズムに、男性の興奮度が上がり感激指数が急激に上昇したのが荒い呼吸に顕れていた。
男性は小百合の膝から太腿にかけてストッキングの肌触りを確かめるように優しく遠慮がちに摩り頭の中で憧れのスチュワーデスへの願望を具現化していた。   

小百合は触られる事は嫌ではなかった、寧ろ男性の手が太腿や膝を這う事に心地良さを感じていた、自然と小さな甘い溜息が小百合の口からも洩れた。小百合はスカートのしわが気になり
「取りますね、」
と言って一瞬立ち上がり腰を振るようにタイトスカートを脱いで手際よくたたみベッドの脇のソファーに丁寧に置いた、男性はタイトスカートを脱ぐ一連の小百合の動作を衝撃的に見ていた。
いつも機内で心の中で想像を膨らまし見ていた憧れのCAと小百合の動きをリンクさせて自らのフェチシズムの願望を高め夢が叶ったような興奮を堪能していた。小百合はヒールを履きなおして男性の横に美脚をくの字に横座りして、男性が触りやすいように太腿を近付けた。
 
ストッキング越しにセクシーな高級ランジェリーが男性の視界に入る、男性にとっては夢にまで見たスカートの中に隠されたスチュワーデスの秘密の一部である。飛行機に乗る度に妄想して心の中にしまい込んでいた足フェチくんの夢の現実である。

小百合の不完全な姿は職務中であれば人前では曝すことのない非現実的な姿である、フェチシズムとは常識の概念を外れた所から生まれる誇張されたエロチックな世界である。小百合も自らの羞恥心を高め知的プレイに便乗し興奮度を楽しむ思考回路を選んでみた、姿見に映る自分の姿は他人の男性に見られていることで羞恥心を煽るのに十分な恥ずかしい姿で小百合自身も脈拍が少し上がるドキドキ感を体現していた。

それよりも男性の感激度はマックスに近く呼吸は荒れていた。小百合はいよいよ男性の腰に巻かれていたタオルを取ろうとし、取りやすいように男性は腰を浮かし小百合に協力した。小百合は横座りで向きを変え男性と向かい合う形で男性の魂に優しくパウダーを振り掛け利き腕で男性を天国の境地へと導こうとした。男性はあっと言う間に小百合の攻撃に朽ち果てた。

男性は、今までにない程の満足感を得ていてより一層の充足感を得ていた、そして小百合に対して自分は脚フェチで、ストッキング好きで、スチュワーデスマニアである事を小百合に恥ずかしそうにカミングアウトした。
小百合は優しい微笑みと笑顔で
「そうだったんですね、」と応え、
「私でよければストレスの発散に利用して下さいね、」
と小百合らしい謙虚な姿勢で言葉を返した。
 
男性は、それからも定期的に小百合の元を訪れ小百合に嵌っていった。
小百合も嫌な会員ではないので、出来るだけフェチのリクエストに応えて上げようとした。

五回目に男性が指名してくれた時はCAが勤務中に履くストッキングを着用して接客して上げた、そして太腿から下の部分は自由に触る事も許可して上げた。

六回目に指名してくれた時は髪の毛をお団子にして夜会巻きにし、業務中に着用する本物のスカーフを巻いてCAの制服に似たスーツを着用して、いかにもCA風にコーディネイトして接客をして上げた。

男性は小百合の上半身にはあまり興味が無いようで胸を触りたいとか見たいとかリクエストする事はなかった、小百合は紳士的な会員なのでランジェリー姿になることも究極バストを露出する事も平気と思っていたが、男性は着衣のままでストッキング越しに足やお尻が見える方が興奮するフェチを内在しているのでヌードには全く興味がない様子だった。
小百合の脚で男性の上等な部分を触られたり踏まれたりする事で願望を敵え、足に顔を近づけ時には圧迫される事でストッキング越しに小百合の下半身の質感を楽しみ快感を得ていた。
下半身が唾液で汚れるので五回目以降の接客の時からは、小百合は替えのストッキングや下着を用意するようにしていた。
 
小百合は、接客の中で味わう秘めたる行動のドキドキ感やスリルを楽しんでいたが、夫への心の忠誠心は強く、勿論、最後の砦は絶対に踏み越える事はなく、当然夫への操は頑なに護る節操を持ち合わせていた。

小百合は仮面夫婦とまでは言わないが、秘密の行動がある事でストレスも溜まる事が無く、少しだけ後ろめたさを感じる事で逆に夫に優しくできるし、愛情も捧げられるので最近は夫婦円満であると、オーナーである一色乃に話していた。

一色乃はある意味女性の恐ろしさを感じていたが、世の夫婦には小百合夫妻のように多かれ少なかれ似たような秘密を持ちつつ連れ添っている夫婦が多くいるだろうと理解していた。

足フェチの小百合を指名する会員もそうであるが、妻には言えない性癖と願望を隠し人生を共にしている夫婦は多くいるはずである。夫だけではなく妻の立場でもそれは同様で夜の営みを含め夫に不満を抱いている人妻は多くいる、夫婦は所詮他人同士であるが、一色乃自身が未婚なのは女性の本性を知り尽くしていたからなのかもしれない。
 
VIP広尾クラブの女性も後々に結婚してゆく女性も勿論多くいたが、在籍していた事実を伴侶に打ち明ける女性は殆どいなかった。珍しいパターンとして結婚を機にVIP広尾クラブを卒業し離婚を機に再びVIP広尾クラブに復帰する女性も数名存在していた。
 
その他に小百合のように人妻でありながら在籍をしていた女性も数人存在していたが、それは色々な理由があるが旦那に構って貰えない事からのストレスや旦那の浮気が発覚したのが元での行動である場合も多く、旦那への復讐心から浮気まではしたくないが、性の対象として旦那以外の男性に女性として見られたり扱われることで、鬱憤うっぷんを解消させているセレブ人妻も何人か在籍していた。
 
そして極々稀に、VIP広尾クラブの在籍女性の中で既婚者で人妻でありながらVIP広尾クラブに在籍し、接客で知り合った男性会員と恋に落ち結果離婚をしてけじめを付け、その男性会員と結ばれた女性が一人だけ存在する。
元モデルで容姿端麗な彼女は旦那の浮気が発覚した事をきっかけに復讐心から在籍を決意し、そこで、たまたま出会った会員の男性に心を奪われ人生の再スタートを決断するに至ったのである。元の旦那に見切りを付ける彼女の行動は、褒めるべき事ではないが、後悔のしない人生を歩むと言う意味での彼女のポリシーからすれば正解だったのかもしれない。元の夫との間に子宝がいなかった事も彼女に自由を与えた要因の一つでもある。
 この事について一色乃は彼女を否定したり非難する事はしなかった。建前上は男性会員と在籍女性とのプライベートでの交流は御法度であるが、一色乃はその事を在籍女性に口うるさく強要する事はしなかった、寧ろ男性会員との恋愛は不可抗力として希に起こり得ることと広い心で捉えていた。
その女性の物語も衝撃的な運命の悪戯に操られるが、それぞれの人生のストーリーを演じ幸せを掴み取るのは個人の権利である、しかしその行動が正しい行動であるのか、そうではないのか、常に自己責任を負う覚悟が必要である。



其の三 CA 「栗栖 瑠璃」 くりす るり


VIP広尾クラブには花菱小百合のように一色乃に可愛がられたCAが何人かいて一色乃のプライベートな行動に誘われる女性も数名いた。
オーナーの一色乃はCAがお気に入りの噂まで囁かれていたが、JALにしろANAにしろ VIP広尾クラブには核になる印象的な現役CAが何人かいた。

また、一色乃がプライベートで親交のあった現役のJALデスであり、VIP広尾クラブには関知する事は全く無く、結果的に同僚の現役のCAをクラブに紹介する結果になった、例外的に特異なケースでクラブに貢献する事になった現役のCAが存在する。

彼女の名前は栗栖瑠璃(くりす るり)、容姿端麗でどちらかと言うと和風で端正な顔立ちで、仕事中の彼女は、清潔感ある整えられた夜会巻でJALらしい正統派の香りが立つCAであった。称えられた容姿は会社のブランドをも表現しているようにも見え、その制服姿はミスJALの冠を拝しても不思議ではないほどのいかにもJALらしい美人CAであった。性格は真面目で正統派の硬派な女性で、年配の男性受けする安心感と落ち着きも備えた女性でもあった。   
 
一色乃と彼女の最初の接点は上空だった。羽田から地方へ向かう国内線、一色乃が私用で乗り合わせた機内での出会いである。勿論彼女はCAとして乗務し一色乃は乗客として乗り合わせていた。

搭乗ゲートよりトンネルのような通路を通過し機体との接続線を跨ぎ機内に足を踏み入れる一色乃に、機内入り口の左手にはパーサーらしきベテランのCAが笑顔で出迎えてくれるが、直ぐに忙しそうに動き出し乗客のヘルプや作業に取り掛かっていた。一色乃はそのCAに一瞬目をやり分かるか分からないか程度の会釈をして直ぐに目線を外し席の番号を確認しながら先に進んだ。

その日のフライトは閑散期で空いている事を考慮し、全席エコノミーの機体だったため一色乃は後ろの方が静かだろうと考え、束の間の短いフライトを軽い仮眠に費やそうと最後尾付近に座席を確保していた。案の定機内はガラガラの状態で少ない乗客たちは概ね中央部から前の方に集中し、最後尾付近は一色乃を含め二、三名の乗客だけであった。
一色乃は通路側の席に座り、空いている隣のシートにアタッシュケースを置き一息ついていた。

一色乃の一人飛行機での離陸までの空疎な時間の潰し方は新聞を読むか、転寝うたたねを取るかくらいしか思い当たらない。その他の楽しみと言えばその時乗務のCAをチェックし、その便が当たりか外れかを推考する程度の事である。CAも制服効果で乗務中は普段よりも三割増しに美人に見えるのも分かってはいるが、美人のCAが乗務していれば目の保養にもなり気分も上がるのが単純な男心のサガである。
 
一色乃は定期的に年に何度か国内線を利用するが、外の景色に興味の無い一色乃は決まって通路側のシートをいつも座席指定していた。何度も利用する内に最近のCAも容姿レベルが期待外れな事も多く、自分の目が肥えたせいなのか、憧れるようなCAに出会う事も中々ないなと諦めモードで席に着いていた。

そんな中、期待もせずあまりCAの存在を確認もせずに席に着いていた一色乃の目に入った栗栖瑠璃に一瞬ではあるが目を奪われた。要するにその便は久々の当たりの便であったのである。

数名のCAの中で一色乃の目に留まった美人のCAが二人いた。二人とも二十代に見えるがテキパキと仕事をこなしている、他のCA達が落ち着きのある足腰の重そうな三、四十代に見えるので、際立つ二人のCAは多分その便の一番後輩のCA達だろうと思われた。

栗栖瑠璃は笑顔に優しさがあり、端正な整った日本美人的な顔立ちで乗客達に微笑みかけているのが印象的で、整えられた夜会巻がおじさま達を虜にしそうな和装映えもしそうな女性であった。

美人というのは見ているだけで幸せな気分になれるもので、一色乃もご多分に漏れず美しい制服姿を見ていたいが、余りにジロジロ見るのも失礼かと思い適度な間隔の頻度で栗栖瑠璃に目線を投げていた。
制服効果の三割増しを差し引いても間違いのない美人で如何にもJALらしい正統派な印象の女性であり、どうやら瑠璃は一色乃の座席に掛かるエリアが担当と思われ、他のCAよりも頻繁に一色乃の横を行き来する頻度が多かった。
 
そして、もう一人のCAは、夜会巻ではなく、肩までのショートボムのヘアスタイルで都会的で華があり、抜群のお洒落感がセンスの良さを引き立たせるモデルでも充分通用するスレンダー美人のCA、長谷川凜々子(はせがわ りりこ)その人である。

後に分かるが長谷川凜々子は学生時代に雑誌の専属モデルの経験があり、当然に頷けるセンスの良さは扇のようにサイドに広げられたスカーフの巻き方やスレンダーでスタイリッシュな制服の着こなしに表われ、シャープなその動きはファッションショーのモデルのようで、スカートの長さが他のCAより短いのではと錯覚させる程の洗練されたスタイルとセンスの良さが一際目を引く只者ではないお洒落なオーラを放っていた。
その日の凜々子の担当は前方の座席らしく中々一色乃の目に留まる事が少なかったが、時折目に入る限りで華やかな美人の片鱗を確認していた。
 
 後になり瑠璃が話してくれたが、この二人はその年の同期入社で友人同士でもあり、訓練を終えて数か月しか経っていない新人のCAであり、やっと慣れてきた頃のフライトであり、その時期たまたまチームが同じになり乗務が一緒になる期間に当たっていたらしく、閑散期でもあり業務に追われる事もなく楽しいフライトとなっていた。
 
一色乃も美人のCAが自分の座席のエリアの担当で、通路を行き来し目に入るのも満更でもなくその都度その都度の決まったサービスを心地良く受けていた。
確かに乗客が少なかったので一人一人へのサービスも丁寧で飲み物のサービスやブランケットのサービスも素敵な笑顔で対応してくれるので、勘違いしてしまいそうになるが、それはあくまで仕事上のサービススマイルである事を理解しているので、浮かれた気分になる事もなく、いつもよりは楽しいフライトに束の間のささやかな喜びを感じる程度だった。

CA達も乗客が少なかったので時間を持て余しているようにも見えた。だからといって国際線の長時間のフライトではなく国内線の短いフライトでもあり、短時間のひと時だけの交わりであり、個人的にお近づきになろうなどとは思ってもいないので、私語を交わす分けでもなく、一期一会を楽しむつもりで時を過ごしていた。
 
そんな中、運命の悪戯かただの偶然か、瑠璃と一色乃の接点が生れる。最初に話しかけてきたのは、栗栖瑠璃の方からだった。

通路の後ろの方から歩いてきた栗栖瑠璃が一色乃の方に回り込み、しゃがみ込むようにして目線をさげ突然、一色乃の名字を尋ねてきた、
「恐れ入ります、失礼ですが、いしきの(一色乃)さまでしょうか、」
一瞬、一色乃は驚いた、一瞬驚きはしたが、美人に名前を尋ねられるのも満更でもなく、栗栖瑠璃の乗客に話し掛ける時に一瞬眉頭だけ微妙にハの字型になり困った系の表情になる表情にもタマラなさを感じつつも。
「はい、そうですが、」と素直に好意的に答えた。
「お客様のお名刺が通路に落ちておりました。お客様が落とされた物でお間違い御座いませんか、」

一色乃は少し前に、機内に持ち込んだアタッシュケースを空け書類の確認をしたり、名刺入れを確認し到着してからの私用の前準備として自分の名刺を取り出してアタッシュケースの出し入れし易いポケットに挟めたはずの名刺だったが、何かの拍子で名刺が飛び通路に落ちたのだった。
瑠璃が乗客名簿で一色乃の名前を確認したのかどうかは定かでは無いが、一色乃が「一色乃 燎成(いしきの りょうせい)」である事は勿論確信しているようだった。
 
栗栖瑠璃は両手を丁寧に添え落とした一色乃の名刺を渡そうとした、一色乃も一瞬受け取ろうとして手を伸ばし名刺に触れた時、瑠璃が
「珍しい素敵なお名前ですね」と、
一色乃に話しかけてきた、一色乃は少し恐縮する態度を見せながら、そうなんですよと話し、栗栖のネームプレートを見ながら、
「栗栖さんも中々珍しいお名前ですよね、」と言葉を返した。瑠璃も、
「そうなんですよ、クリスですが日本人です。」
と少し茶目っ気を交えて笑顔で応えた、その応えが業務用の言葉ではなく二十代の女の子らしい瑠璃の素のトーンの言葉だったので、その反応を見逃さない一色乃は、少し打ち解けて話そうとし、瞬時のタイミングで咄嗟に、
「もし好かったら栗栖さんにこの名刺お渡ししてもいいですか、」
と言って受け取ろうとし手にした名刺を栗栖瑠璃に向けた。
「よろしいのでしょうか、有難く頂戴致します、」
と素直に瑠璃は受け取った。

この時の会話の遣り取りは何ともスムーズで小気味よく進展したので、お互いに高感度抜群な印象を持ち話しが弾む予感をお互いに感じた。
栗栖瑠璃が一色乃に投げ掛けていた業務中のスマイルは決して営業用のスマイルだけではなく意識をしての個人的な恣意が入ったスマイルであったのかもしれない。

二人が会話を交わす前に何度か二人の目線が合ったタイミングが数回あり、その度に瑠璃は優しい笑顔を一色乃に投げ掛けていた。一色乃は、それはあくまで営業用のスマイルであると思っていたが、その中に個人的な想いが半分詰まった笑顔である事は瑠璃自身しか知り得ない事実であった。

瑠璃は高校時代に一色乃の名字と同じ名前の男の子が同じ学年にいたと話した。その後はお互いの出身地や出身校等について会話の遣り取りがあり、短い間に楽しく会話のキャッチボールが広がったが、どうやら出身も育ちも共通点が全く無いので、瑠璃の高校の同級生の一色乃君は一色乃の親戚でも何でもない事が判明した。
 
暇なのも手伝ってか何故か瑠璃は楽しげだった、多分、同期入社の長谷川凜々子が同じ乗務だったからかもしれないが、エンジョイして仕事をしているように見えた。

私もお名刺をお渡ししてもよろしいですか、と瑠璃が一色乃に振った。
「勿論、お願いします。」
と、一色乃は応え、半分冗談のつもりで
「連絡先もお願いします。」
と、ダメもとで話した。瑠璃は得意の眉頭が微妙にハの字になる愛くるしい表情を交えイエスともノーとも答えず楽しげな笑顔で返すだけだった。
一色乃はフレンドリーな遣り取りにちょっと図に乗り過ぎたかなと思い少しだけ反省をした。

今回は国内線でのフライトで乗務しているが来月からは国際線の業務に就くとも話していた。
瑠璃は、
「国際線でも当社をご利用頂ければ、またお会いする機会があれば大変嬉しいです。」
と、営業トークも交えながら一色乃との会話を楽しんでいるようだった、話の途中で瑠璃はちょっとだけ先輩CAを気にして振り返ったが、すいませんと言って仕事に戻った、瑠璃はテキパキと業務らしき動きをこなして暫くして、また一色乃のもとに戻ってきた。

今度は瑠璃が自分の名刺を一色乃に渡した。
「栗栖瑠璃と申します、宜しくお願い致します。」
そして、その名刺には彼女の携帯電話の番号が手書きで書いてあった。
一色乃は心の中でまさかと思った。と同時に喜ばしく感動したが、ここは極力冷静さを装い
「瑠璃さんなんですね、綺麗なお名前ですね、」
と、返し、こんな出会いがあっても不思議ではないと思い、この短い国内線のフライトの運のいい出来事に感謝した。

先輩CAやパーサーの目を盗んで私的な会話に付き合ってくれる栗栖瑠璃の行動に大胆さと仲間意識を感じ、瑠璃に対して変わった共同体意識と身内のような感覚の親しみを覚えた。

この時、瑠璃が楽しげだったのも過剰にサービス精神が旺盛だったのも、実は一色乃を個人的に意識しての行動で好意的な感情を瑠璃が抱いていたからである事は本人と神のみが知るエピソードである。

この時の大胆な行動のことを後に瑠璃は、短い時間の中で悩みに悩んで自分の名刺に個人的な連絡先を書いたと打ち明け心臓がドキドキで、渡してから大いに後悔したと話している。

真面目で正統派の栗栖瑠璃にとって国内線の初対面の乗客に自ら連絡先を渡すことなど後にも先にもこの時が初めてだった。瑠璃は大手の航空会社のイメージを損ねる事や自らの行動が先輩に注意を受ける事など余計な気掛かりもあったが、それよりも一色乃に軽いCAに思われる可能性を心配する事のダメージの方が気になっていた。
 
そして、どちらかとゆうとポーカーフェイス気味にテキパキと業務をこなす、もう一人の美人CAの長谷川凜々子について、どちらが先輩なのか栗栖に聞いた時に、同期入社で訓練の時から一緒の個人的にも仲のいい友達であると話してくれた、長谷川凜々子も栗栖瑠璃と同じく来月から国際線の乗務に就くとも教えてくれた。
 
そうこうしている内に着陸間近となり、あっと言う間に時が過ぎた。
一色乃と瑠璃の出会いは偶然から始まったが、色々な偶然が重なったと言えばそれまでだが、瑠璃が偶然のきっかけをリードし一色乃の個人的な領域に入ったのは事実であり、瑠璃が一色乃に好感を持っていたのは確かである。多分怖いもの知らずの新人だったからこそ出来た瑠璃の大胆で無防備な業務を超えた越権行為であり不思議な見えない力を一色乃がいざなったのである。
一色乃は栗栖瑠璃にプライベートでお食事に行く約束を取り付け、後日早い時期に連絡をする事を約束して、二人はそれぞれの世界に戻っていった。
 
その後二人は連絡を取り合いプライベートでも交流を持つようになり、瑠璃と一色乃の微妙な友達関係は続いた。
一度は瑠璃と凜々子と一色乃の男友達を交え4人でディズニーランドに行き子供のようにはしゃいで遊んだ事もあった。

また、一色乃の友人宅でバーベキューを楽しんだり、知り合いのホームパーティーに参加し楽しんだり、有意義な交流を続けていた。
一色乃の本心としては瑠璃よりも垢抜けした都会的でお洒落な凜々子の方がタイプだったが、勿論その事は瑠璃に話す事は絶対になく、尚且つ当時凜々子には真面目にお付き合いをしている彼氏がいる事もみんなが知り得る共通認識であり、一色乃は凜々子とツーショットで会う事は無かった。
瑠璃については一色乃への好意は一色乃自身感じてはいたが、瑠璃と深い恋愛に発展する気配はなく仲のいい友達としての間柄が長く暫く続いた。
 
バブル絶頂期であればCAのお給料もプチセレブ並みの厚遇であったが、ITバブル前の彼女達の環境はそれ程の特別感はなく、CA達も収入面でも不満と厳しさが増す内容のお仕事でもあった。しかし、どんなに不景気であってもスチュワーデスは憧れの仕事である事には変わらず、その肩書は不変のパワーがある事に変わりはない。

一色乃は飲食業に携わっていた事もあり個人的にCAの女性の友人達も多くいたが、自らの交友関係からVIP広尾クラブに勧誘した例は全くなく結果的に結論を言えば、長谷川凜々子は数少ない例外と言えばそう言える。   
栗栖瑠璃は、生真面目で几帳面な性格であるが、金銭欲が強くリッチで華やかなセレブの生活に強い憧れを持っている面があった。
また、長谷川凜々子はある意味華やかで学生時代はモデルでならした経験もありセンスも良く、常にポジティブなオーラを持ち合わせている女性であった。
そんなかたちで出会ってから三年近くが経った頃、ある時、真面目な性格の瑠璃はお金儲けになると友人に誘われマルチ商法に手を染めた事があり、マルチの活動をしてみたが中々儲からず悩んでいた事があり一色乃に相談した事があった。

真面目である事は良いが、世間はそれ程正直者の集まりではなく、生き馬の目を抜く社会である、時には素直である事が仇となり、世間知らずであるが故に、正直であっても人間関係を壊してしまう事もある。

瑠璃は一色乃が経営しているVIP広尾クラブについて殆ど何も知らずにいたが、薄々一色乃が女性を扱っている仕事も行っている事は知っていた、ただ詳しい事はあまり知らず、訊いてはいけないタブーな質問なのかと勝手に気を使っていた。
一色乃については色々な業務に携わっている羽振りの良いセレブ感ある男性であり、見識のある人脈と環境を持つ、信頼できる年上の憧れの男性である印象を持っていた。
 
一色乃は、マルチ商法は結果的にあまり儲からず結局は人間関係を壊すので、止めた方がいいと瑠璃にアドバイスした。
一色乃には瑠璃が何故にそんなにも金銭欲に囚われているのか、理解できない面があった。一色乃的分析で言えば真面目で地味な公務員の家系で育った瑠璃の、派手な世界への憧れの反動的な行動意識なのではないかと思ってた。

瑠璃はサイドビジネスや副業でお金儲けをする事を常に考えているように一色乃の目には映っていたが、その生き方は瑠璃には向いていないと一色乃は思っていた。
折角インターに移り世界各地を飛び回る機会があるのだから、その境遇をエンジョイして生きる方が自分の身になると瑠璃に話した。お金は追いかければ追いかけるほど逃げて行くとも話して上げた。

一色乃は内心ではVIP広尾クラブでバイトをしているCAがそれなりに高額の副収入を得ている事実が身近な現実としてあるが、瑠璃をVIP広尾クラブに勧誘する気は全く頭の片隅にもなかった、一色乃の中ではプライベートの交友関係の人間を風俗関係のビジネスに絡める事はしないとはなから決めていたからである。
 
瑠璃は一色乃に対して、高級なレジデンスに住み、高級な車に乗り、どうしてそんな贅沢な生活が出来るのか問い質してきた事がある。
一色乃には多彩な顔があり謎が多すぎて不思議だとも話した。出会って三年ほど経つが、もっと頻繁に会ってビジネスもプライベートも色々教えてほしいとも話した。
一色乃は正直少し面倒くさいと思っていたが、それは瑠璃が一色乃に男として好意を持っているのを知っていたからである。取り敢えずは、お金儲けはそれ程簡単ではない事と、自分はそれ程お金持ちでもないしセレブでもないと瑠璃に話した。

一色乃と瑠璃には恋愛関係にはなかったが、大人の関係になった事が複数回あった。一色乃としてはプレイのつもりで瑠璃も承知の上での行動でその時だけの交わりであったが、瑠璃としては割り切れない感情があったのも事実である。
 
一色乃は、そんな事より、来週知り合いの経営するレストランのオープニングレセプションが表参道であるので、休みが合うようなら長谷川凜々子も誘って何人かでレセプションに行かないかと誘った。

丁度その日は、瑠璃はスタンバイで自宅待機になるが、多分スタンバイのままフライトは入らないと思うので、夜は空いているので大丈夫だと思うと一色乃に話し、早速、瑠璃は凜々子に連絡を取り休みが合うか確認を取った、凜々子からは直ぐには返信が無かったが、夜になり暫くして凜々子から瑠璃に連絡があり、凜々子はその日の前日にホノルル便で帰って来るので、その日は美容室に行く用事だけなので夕方からなら大丈夫だと連絡があった。早々、瑠璃は一色乃に連絡し約束が確定した。
 
今まで、一色乃が長谷川凜々子に合う時はいつも栗栖瑠璃が一緒だった。
別に瑠璃を飛び越えて直接凜々子にコンタクトを取る事も可能ではあったが、瑠璃の気持ちを薄々気が付いていたのと凜々子には真面目にお付き合いしている彼氏がいる事を知っていたので、気を遣い凜々子に直接アプローチする事は避けていた。
 
そして、約束の当日となる。瑠璃は運悪くスタンバイが入ってしまい、フライトとなりレセプションには参加できなくなってしまった。

一色乃は元々三人で行くつもりだったので、凜々子と二人のツーショットで遊びに出掛けてもいいのだが、事はレセプションなので他にも美女がいた方が華やかだろうと思い、他に誰か綺麗所を誘うつもりでいた。
勿論凜々子と二人でも充分いいのだが、折角のレセプションでもあり楽しさを分け与える暇人を同伴させるのもいいだろうと考えるのが一色乃流の行動パターンである。

こんな時に決まって使える人材が矢吹玲那である、美人で乗りがいいポジティブ指向の凜々子とタイプが似ているのもあり、たまたま六本木ヒルズの事務所に出勤していた矢吹玲那がいたので、レセプションに行かないかと誘い凜々子と玲那と三人で行く事にした。
 
一色乃は大体いつもそうなのだが、お出かけの予定のメンツを事前に決めるより、その場の雰囲気とタイミングで予定とメンツを決める傾向が多い性質なので、凜々子と玲那は初対面だが乗り的に性格が合うだろうと一色乃は思い、中々楽しそうなメンバーだと思っていた。
一色乃は直接凜々子と連絡を取り合い落ち合う約束の場所を決めた、一応瑠璃の代わりと言っては何だが、もう一人同伴者がいる事も凜々子に伝えた、これでお洒落で派手目の三人が揃った、楽しい出撃になる予感がした。



其の四 CA 「長谷川凜々子」 はせがわ りりこ


一色乃と玲那は六本木ヒルズの事務所から一色乃の車で出掛け、途中凜々子をピックアップする事にした。
玲那はどんなレセプションなのか、服装の決まりがあるのか一色乃に尋ねた、一色乃は決まりを熟知している分けではないので、お洒落であれば何でもいいと思うと適当な返事を返したが、元々玲奈は現役のモデルでもあり普段から存在自体がお洒落なので、どんなにカジュアルでも玲奈ならカッコよく着こなすのを知っていたので、一色乃は玲那に「何でも大丈夫。」と責任のない返事をしていた。

玲那はスキニーフィット気味の白いサブリナパンツとヒールが高めのスワロフスキーでアレンジされたサンダルとホワイトカラーの五分袖のサマーニットのトップスにデニムのジャケットを着こなし手際よくコーディネイトした。
足元以外殆ど出勤時のスタイルだが、ちょっとしたアイテムと足元のヒールの高いサンダルとアクセントに光り物のアンクレットだけでスタイリッシュで格好良くなる、流石にファッションリーダーの現役のモデルである。
凜々子は表参道で美容室の後だったので表参道のアニヴェルセルカフェのテラスで待ち合わせをして拾う事にした。
 
玲那と一色乃はヒルズの事務所を少し早めに出たので、凜々子との待ち合わせ場所の表参道のオープンカフェの通り沿いに車を停め、カフェでお茶をしながら一息つく事にした。

このオープンカフェも時折一色乃は利用するので、心得た感じでオープンエリアの席についた。玲那と世間話しをしながら心地良いそよ風に吹かれた。玲那は所属しているモデル事務所のオフィスが近くなので行き交う人波に目線をやり、
「知り合いに合いそう、」
と話したが別にそれが嫌だという分けではなかった。

そうこうしている内に凜々子が現れた。凜々子も流石に元モデルである、白いタイト気味のミディ丈のスカートにパンプス、お洒落可愛い首回りがエレガントなレース素材の白いブラウスに淡いカーキ色のジャケットで168㎝の井手達がスタイリッシュに栄える抜群のセンスで極めてきた。
流石に現役のCAである事を忘れず、誰に会っても恥ずかしくない着こなしで、会社の看板を背負っている事も忘れず、上品さと真面目さをコーディネイトに取り入れ、TPOをわきまえながらファッショナブルにまとめていた。
私服ではあるがCAである事を連想させるセミフォーマル感も主張しているコーディネイトであった。
 
このままレセプションに出撃してもいいのだが、時間通りに行くのもお洒落ではないので、暫し凜々子も一緒にお茶をする事にした。凜々子には瑠璃の代わりに他に女子が一緒だがそれが誰とは伝えていなかったので、一色乃は軽く二人を紹介し合い面通しをした。

二人は笑顔で当たり障りの無い決まり切った挨拶をして一色乃を通してその場に和もうとした。今日の華のある豪華な美女二人の面子に一色乃は満足していた。
凜々子は一色乃と一緒にモデル女子がいる事に最初少し戸惑った様子だったが、玲那に対して綺麗なモデルの女子で自分と同じDNAを感じたのか、直ぐに二人は打ち解ける雰囲気があった。凜々子は、それよりも一色乃と玲那の関係性と、繋がりがある事に少し驚きを覚えていた。

一色乃は凜々子に玲那を紹介した時に二人は初めましてと挨拶し合ったが、どうやら二人は初めましてではなかったらしく、二人には共通点が多くあるらしい事が徐々に判明していく。
 
最初に口火を切ったのは凜々子だった、
「玲那さんって矢吹玲那さんですよね、雑誌で見ていて綺麗な女性だなと前から思っていました。」
そして4、5年前にモデルをしていた時にオーディションで何回か一緒になった事があると話した。

玲那は今ではないが一つ前の時期にとあるファッション雑誌の専属モデルをしていたので知っている人は知っているモデルでもあった。
昔のオーディションの事は、はっきりとは覚えていなかったが、
「なんとなく記憶にあるかもしれない、」
と話して、話しを合わせたが、全く記憶にないのはバレバレで玲那の取り繕った会話が妙に可笑しくて、三人で笑った。

それからは、玲那と凜々子の、お互いの相通じる話題が多くモデル仲間やモデル事務所の事、カメラマンからスタイリストやメイクさんの話しからスタッフの事とか共通の知人の話題などで二人は盛り上がり、一色乃そっちのけで会話が弾んでいた。
玲那は子供の頃はスチュワーデスに憧れていた事など打ち明け凜々子を持ち上げ尊敬すると話した。二人は華のある美女同士、短い間にお互いをリスペクトし合った。
 
玲那は凜々子のセミフォーマルないでたちを見て、
「私だけこんな普段着でレセプションに参加して大丈夫なのかな、」
と二人に照れ笑いを交えながら話した。
「玲那は顔立ちがフォーマルなので全然大丈夫だよ、」
一色乃は右脳的感性のあまり根拠の分からない返事を返した。

そうこうしている内に程いい時間となりカフェを後にした。
三人で一旦パーキングメーターのエリア内に停めていた一色乃の車に乗り、近くの駐車場に車を入れなおしレセプションに向かう事にした。玲那が助手席に後部座席に凜々子が乗った。
新しくオープンするレストランは表参道にある大型のカジュアルなイタリアンで入り口までの通路には既に人が並び、お祝いの段花で飾られ芸能人やスポーツ選手の札で彩られ賑わいに箔を付け、入場規制までされていた。
 
一色乃は美女二人を引き連れ、列には並ばず直接入り口に向かった。入り口でセキュルティの横に並んで立っている店側の幹部スタッフが一色乃を見つけると軽く会釈をして一色乃の側にやってきて、何名での来店であるか訊いてきた。
二、三会話をして同伴者の美女二人を軽く紹介し二人と共に顔パスで中に入り、幹部スタッフはホールスタッフに一色乃一行を誘導するように指示しVIP席へ案内され席を目指した。

レストランの中は通勤電車のように込んでいて一般の招待者は立ち飲み状態なので人波をかき分けての入場だった。一色乃は席に付くまで何人かの知り合いに声を掛けられ挨拶をしたりしながら移動していたが、ホールスタッフに露払いをしてもらいながら美しい女性を引き連れて巷に繰り出すのは気分が良く、それだけで優越感に浸る事が出来るものである。   
 
席に付いてスタッフに飲み物をオーダーして程なくして席に飲み物が手配された。一色乃の席に何人か知り合いが挨拶にきたが挨拶と握手だけで会話しディスカッションする事はなかった。

玲那は何度か一色乃に誘われレセプションやイベントに参加した事があるので、これといった驚きもなく一色乃の行動を見ていたが、凜々子は一色乃の派手目の夜の姿を見るのは初めてだったので、一色乃は何者なのか少しだけ不思議に思った。今までは一色乃に会う時は決まって必ず瑠璃と一緒で、昼間が多く決まった人間との食事やバーベキューやアウトドアだったので、この時の華やかな夜の世界での姿は初めて見る一色乃の姿だった。
 
三人は時間にして二、三十分程してレストランを後にする事にした、丁度一杯目のドリンクを飲み終えたあたりでスタッフが追加のドリンクの注文を訊きに来たが、混みすぎていて長居をする雰囲気では無いので一色乃は凜々子と玲那に目で合図をして、店を出ることにした。

それなりに店の雰囲気と内装を確認できれば後は店側の幹部の知り合いに挨拶をして、お祝いの意味で顔を出せば目的は終了なので、後は三人で静かな場所で食事をするのが定番の行動である。

帰り際に入り口で一色乃は店の責任者だという男性に凜々子と玲那を紹介し二人の美女はその男性から名刺を受取り、
「またお邪魔させて頂きます。」と、玲那と凜々子は社交辞令の挨拶をした。

名刺には代表取締役社長と肩書が書いてあった。
店を出て車に戻る途中で
「先程の方がお知り合いの方なんですね、お店の経営者の方なんですか?」と
一色乃に凜々子が訊いてきた。
一色乃は
「彼は昔クラブを経営していた時の従業員なんだよ、」と答えた。
今の店のただの雇われ社長で全てのオペレーションの責任者であるが店のオーナーではないと教えて上げた。女子会の機会があれば彼に連絡をして一色乃の名前を出せば色々配慮してくれると凜々子に話して上げた。
 
一旦車まで戻り、場所を移動する事にし、一色乃は二人に何を食べたいか訊いたが、三人とも気分はイタリアンになっていたので、西麻布の気楽に入れるカジュアルで粋なテイストのイタリアンに行くことにした。

一色乃の目には、凜々子は普段瑠璃といる時よりも玲那と一緒の時の方が活き活きとしているように見えた。モデル時代の凜々子の姿が想像できるようだった。
凜々子はレセプションのような華やかなイベントに参加するのは久しぶりだと話し、たまには華やかな場所に出向くのも悪くはないと一色乃に話し、また誘って欲しいと楽しげに話した。学生の頃のモデル時代は、お誘いも多く時には勢いで夜遊びに参加する事も多々あったが、社会人になってからは大分落ち着いた生活をしているとも話した。
 
凜々子が一色乃の知られざる一面を知ったように、一色乃も凜々子の新しい顔を知るきっかけにもなった。やはり凜々子は社会人になってからの仕事上で繋がりのある友達と、本当のプライベートで素になれる友達とを使い分けている事が理解できた。

今まで瑠璃を介して何度か凜々子に会っているが、くだけた言葉で陽気に話す女子高生のような凜々子の顔を見たのは今日が初めてだった、玲那の存在が凜々子を明るく素直にさせたとも言える。凜々子が飾らない姿で少女のようになるのは、自分より美人でファッションセンスが高くしっかり者の玲那がいる事で気が楽になり、いつもの凜々子の役割を玲那に全て任せられるので安心していられるからかもしれない。
 
凜々子は、ちょっとした疑問がふと浮かんだ、玲那が一色乃の事務所でバイトをしている事は訊いたが、どういったきっかけで二人は知り合いになったのか、ちょっとした疑問だった。玲那は一色乃の事を「社長」と呼び、凜々子は一色乃の事を「燎(りょう)さん」と呼んでいた。一色乃は、玲那は昔経営していたクラブの客だったと説明した。

まあ、実際にはVIP広尾クラブの面接で知り合ったのだが、それは当然シークレットコードなので機転の利く玲那も一色乃の話しに辻褄を合わせるのがいつもの事で暗黙の了解である。事実玲那は昔に一色乃が経営していた南青山のクラブに行ったことがあり、その時に一色乃と話したり紹介された事はないが、その時に知らない者同士ではあるが会っていたのは確かかもしれない。
 
矢吹玲那はとにかくポジティブ思考で明るく利口で華やかな美人なので一緒に連れだって食事に誘ってもどんな状況でも最高のパフォーマンスで期待に応えてくれる。わりとフットワークも軽く、一色乃が玲那を事務所のスタッフとして雇っているのも、そうした玲那の高い信頼性があってこその事務所スタッフである。

凜々子は凜々子で、ポーカーフェイスな部分があるので美人でキリッとしていて、黙っているとツンとしているように見られがちだが、実際にはフランクで気の合う仲間には素をさらけ出す裏表のない性格で信頼を裏切らない女性である。

今日の三人の集まりはかなり個性的な三人の集まりだったが、三者三様居心地の良い集まりでもあった、見た目にもポテンシャルの高い個性的な三人の集まりで何故が最高に楽しく、優越感ある集いとなった。

玲那が一色乃に直接凜々子と連絡先を交換していいか一色乃に訊いてきた、勿論、玲那と凜々子は気が合うようなので連絡先を交換し直接交流を持っても全く全然大丈夫だと玲那に話した。玲那が一色乃に許可を求めたのは仲介者の一色乃を立てる意味で許可を促しただけで、そんな玲那の小さな気遣いの出来る性格を見ても玲那を一色乃が信頼している要因の裏付けでもあった。
 
帰りは車で一色乃が自宅まで二人を送った、最初に凜々子を日本橋まで送った後に、玲那を三軒茶屋まで送った。

帰りの車の中で、日本橋は住みやすいのか、玲那が凜々子に訊いていた、凜々子はTキャットも近いので仕事的にも、まあまあ住みやすいが、今のマンションの更新があるのでそれを機会に引っ越しをしたいと考えているとも話していたが、お金が掛かるので大変だとも話した。

凜々子は実家が千葉だが成田空港とは逆方向なので、結果的に都内で一人住まいになるとも話していた。学生とモデルを兼用していた時代は実家住まいだったので食費も家賃も掛からなかったので楽だったとも話した。

一色乃は凜々子を自宅まで送り届けるのは初めてだった。確かに一般的なオートロックの中規模な普通のマンションであったが、この時代CA稼業も経済的に大変なのは知っていた。
 
凜々子を日本橋で降ろし玲那を三軒茶屋まで送る車の中で、玲那と一色乃は雑談を交わすが、その中で玲那の住まいの話になり家賃の話になったが、玲那はモデル業で、ある程度の収入がある上にVIP広尾クラブでの収入もあるので、恵まれた生活が送れると話した。そして半分は冗談のつもりで
「凜々子ちゃんも広尾クラブでバイトすればいいのにね、」
と茶目っけを交えて話した。一色乃も冗談のつもりで、
「そうね、今度バイトに誘ってみれば、」
と軽い気持ちで言葉を返した。
 
玲那と凜々子は連絡先を交換はしたが、暫くは直接連絡を取り合う事はなかった。しかし一色乃の誘いで、また三人で出掛ける機会が生まれた。一色乃の特有の突然の思い付きでメンバーを決める行動から始まった。それは格闘技イベントの観戦の為のお出かけの時だった。


凜々子の翼

以前より知り合いの格闘技イベントの関係者より招待を受けていた一色乃は、そのイベントに玲那と佑子を誘うつもりでいたが、急遽佑子は準備していないのとライブラリーで勉強する予定があると言って参加できないと言いだし、
「そうした誘いは前以て誘って下さい。」と、
父親と多感期の娘との会話のように冷たい口調で一色乃にクレームを残し、佑子はサッサと早退してしまった。

その代わりに玲那が凜々子を誘う事を提案し、凜々子に玲那が直接連絡をして運よく凜々子がオフの日だったので、また三人で行動する事が確定した。以前のレセプションで凜々子と玲那が一緒の時に二人は連絡先を交換していたが、実は玲那が直接凜々子に連絡を取るのはこの時が初めてだった。
 
格闘技イベントの会場は横浜アリーナだったので凜々子とは六本木で待ち合わせをして、一色乃の車で凜々子をピックアップしてそのまま三人で横浜アリーナまで向かう事にした。

玲那は一色乃からイベントの開始時間を訊き、手際よく凜々子とのピックアップ時間と場所を決めて凜々子に伝え、急な誘いだったので楽なカジュアルな格好でも大丈夫だと思うと凜々子に伝えた。

カジュアルと言われても、そこは社会人としての良識がある凜々子なので、あまりにもラフなスタイルは好まない凜々子なのもあり、動きやすいスキニーフィット気味の白のパンツとジャケットを合わせ動きやすいミュールでコーディネイトし手際よく身支度をして日本橋を出て、取り敢えず六本木ヒルズに向かった。
 
約束の時間の少し前に六本木ヒルズに到着し取り敢えずグランドハイアットのロビーから玲那に連絡を入れた。玲那も凜々子も時間厳守で予定通りに行動していたが、一色乃だけ準備中で直ぐには出掛けられない状態だったので、凜々子を待たせるのは悪いので、玲那にグランドハイアットまで凜々子を迎えに行ってもらう事にした。

玲那は用心深い性格なので、いつも予定の時間に余裕を持って決めるタイプなのもあり少し早めに時間設定をしていたのと、凜々子も仕事柄時間厳守が染みついているので、時間的に余裕のある集合となった。

グランドハイアットのロビーで玲那は凜々子を探し凜々子を見つけ笑顔で手を振った、二人は再会を喜ぶと同時に親しげに早口で話し始めた。最初に凜々子が玲那に
「久しぶり!元気―? 相変わらずお洒落で素敵ですね、」と話しかけた。
「全然そんな事ないよ、」と玲那は話し、
「その言葉ソックリそのままお返しするわ、」と言って笑い合った。
玲那は社長が支度中なので事務所で暫く待つ事を提案して二人で事務所に向かった。二人とも再会が本当に嬉しそうだった。
 
六本木ヒルズの事務所に凜々子が来るのは初めてだった。普通事務所というと簡素な感じのオフィスビルを想像するが、六本木ヒルズの事務所はちょっと違っている。トレンド感溢れるリッチな雰囲気に包まれた豪華なレジデンスが二人を迎え入れる、玲那は慣れているので合鍵で違和感はなくそのエントランスを通り過ぎるが、凜々子は初めてお邪魔するそのロケーションと豪華さに、驚きとワクワク感でただただ、「凄いね!」と何度か呟いた。

事務所のドアを開き玲那が凜々子を招き入れた。モダンなイタリア製の家具で装飾された家具の一つ一つに圧倒される驚きとラグジュアリーなセンスに凜々子の目は暫しハートマークになった。
「凄いね、ここが事務所なんだ、想像と全然違った、」と
凜々子が玲那に話した。

凜々子は事務机と書類棚と電話がある事務所を想像していたので、確かにイメージとは全く違った事務所だった。取り敢えず玲那がリビングの応接に座るように促し、凜々子は浅めにソファーに腰掛けきょろきょろと珍しそうに部屋の中を見渡していた。
 
凜々子が
「サロンみたいだね」と、言うと玲那も
「そうサロンだよ、ここは、」と、言葉を返した。
リビングは窓も大きく日当たりも良く解放感もありポジティブな空気が流れている。
「玲那ちゃんが羨ましい」と、凜々子が話した。玲那が
「そうだね」と、肯定して
「社長のおかげかな、」と、ちょっとニヤケ顔で話した。

凜々子が
「燎(りょう)さんは?」と、玲那に尋ねた、玲奈は
「部屋にいるんじゃない、」と、言いながら
「何か飲む?」と、凜々子に尋ねキッチンの冷蔵庫に向かった。
凜々子は
「そうね、大丈夫よ、でもやっぱり何か貰おうかな」と、言って玲那の背中に話しかけた。
キッチンから玲那の声がした、玲那が、
「ちょっと来て、好きな物選んでいいよ、」と、冷蔵庫を開けて取り敢えず自分も何にしようか考えた。
凜々子もキッチンに向かい玲那の後ろから冷蔵庫を覗いて見た。
凜々子は
「凄い何でもあるね」と、応えた、
冷蔵庫にはびっしり色々な飲み物が綺麗に並べてストックしてあった。
玲那は缶の無添加の野菜ジュースを取り、玲那が
「これにしようかな」と、言うと、凜々子が
「健康に良さそう、私もそれがいい」と、言って冷蔵庫から取り出した。
玲那が
「飲みやすいし、美容にもいいよ、」と、付け加えた。玲奈は二人分の缶を空けストローを取り出し、
「グラスに入れた方がいーい?」と、凜々子に訊きながらも、既に缶にストローを刺していた。
凜々子は
「これで大丈夫、大丈夫、洗い物を増やさなくて済むしね、」と、話した。

二人の賑やかなやり取りは如何にも気が合うさまを象徴しているようだった。
二人はキッチンで立ったまま飲みながらお喋りを続けていた。
そんなところに、スーツ姿の一色乃が現われた。
一色乃が
「賑やかだねー、」と、言いながら、凜々子に
「元気?」と、声を掛けた。
凜々子は
「はい、お邪魔してまーす!」と、応えながら
「ジュースも頂いてまーす!」と、明るく答えた。
玲那は一色乃に
「そろそろ出た方がいいんじゃない?」と、訊いた。
一色乃は
「そうね、」と、答えたが余り急ぐ様子もなかった。
凜々子が
「横浜アリーナですよね?」、一色乃に訊いた。
一色乃が
「そうなんだよね、そろそろ出ますか、」と、すこし気怠い感じで呟いた。
 
そして三人で六本木ヒルズの事務所を出て、地下駐車場に向かった。凜々子と玲那はエレベーターの中でもお喋りを続けていた。一色乃は凜々子がこんなにお喋り好きなのを初めて知った。今までの栗栖瑠璃といる時の凜々子とは別人のようだった。やはり瑠璃といる時はJALの会社員である社会人としての顔だったのかと、あらためて感じた。
 
一色乃の車に乗る時に、この前は助手席に玲那、後部座席に凜々子が乗っていたが、今回は、玲那も凜々子と一緒に後部座席に座った。それは違和感が無く自然にそうなった。一色乃が冗談で、
「俺が運転手みたいだな、」と言うと玲那が、
「運転手さん、お願いします、横浜まで、」
と、言って三人とも笑いのツボに入り、笑いに包まれた賑やかな出陣になった。

六本木ヒルズから目黒通りに出て世田谷方面に向かい、第三京浜に乗り港北インターで下り横浜アリーナに向かった。車の中でも玲那と凜々子は仲良く打ち解けて素の状態でお喋りをしていた、一色乃もたまに会話に入り込むが殆ど二人の女子トークにシンクロする余地は無く、二人からの振りにたまに相槌を打つだけだった。
 
横浜アリーナ付近では新横浜駅からアリーナに向かう人波が続いていた。横浜アリーナ近辺の駐車場は殆どが満車で駐車場を探す車がアリーナ近辺を右往左往しているが、ひどい渋滞とまではいかなかった。一色乃は予め新横浜で飲食店を経営する知り合いから、店の客用に確保している平置きの駐車スペースを借りられるように話を付けていたので、何の問題もなくその駐車スペースに車を停めた。横浜アリーナの正面入り口の近くで最高の条件の良い場所である。

正面入り口は既にオープンして来場者を受け入れているが、次々に入り口付近に人が向かうので、のべつ人でごった返している。
玲那は何度かオーナーの付き添いで格闘技観戦に付き合わされているので一応経験者であるが、凜々子は格闘技観戦が初めてらしく、
「こんなに凄いんだ、」
と、うきうきした気持ちで状況を体感していた。それも其のはずである、このイベントは当時民放テレビ局が生放送をする程の絶大な人気を誇るイベントで、ヘビー級の立ち技格闘技の最高峰に位置するプロフェッショナルな戦いを演出したイベントだった。
 
一色乃は美女二人を引き連れアリーナの入り口に向かい招待者入口のゲートを探し、そこに向かった。
入り口付近では待ち合わせをする人や携帯電話で連絡を取り合う人や、様々にイベントを楽しもうと思い思いの人々で賑わっていた。このイベントはテレビ中継も入るトレンドな大イベントだけに多くの著名人や芸能人も招待されている華やかな催しである。一般的な格闘技ファンも多いが、モデル風の女子や夜の高級クラブにお勤め風の女性や派手目の成金風の男性やらと、時代のブームを捉えた華やかな格闘技イベントとなっていた。
 
一色乃は正面入り口付近で、二、三知っている顔も見かけたが、挨拶する事もなく気が付かないふりをして、人込みをかき分けて目的のゲートに向かった。
招待者入口で名前を名乗り三名である事をスタッフに告げた、スタッフもてんやわんやの忙しさだが、リストをチェックし「一色乃 燎成 様」と書かれてある封筒を探し出して、中身の枚数を確認して、三名分のチケットを一色乃にも確認を取って人数分のパンフレットと一緒にチケットを渡された。
チケットを玲那と凜々子に渡し半券を無くさないようにと二人に話して、三人分のパンフレットを玲那にまとめて渡した。

アリーナ内も多くの人で賑わっていたが、売店やグッズ売り場もいいが、取り敢えずは席の場所を探し一旦席に着く事にした。アリーナ席の前列から二番目の席が用意されていた、臨場感が味わえるリングサイドの席である。
開始予定時間までは30分ほどあるので、玲那と凜々子は、一端席を確認したのでパンフレットと上着を席に置き見学がてらグッズ売り場やトイレの用など時間つぶしを兼ねて席を立って、賑わうスペースに行ってみる事にした、再度オーナーに半券を無くさないように注意され、楽しげに入り口付近に戻って行った。
一色乃は人込みが嫌いなので席に付いたままパンフレットを開いて時間を潰した。
 
暫くして、二人が席に戻ってきた。売店もトイレも人が並んでいたと報告して何も買わずに戻ってきたが、元々場内は飲食禁止なので東京ドームのようにビール片手に観戦とはいかないので一色乃は長いイベントになるのでトイレだけ行っとくべきと言って二人と入れ替わりでトイレに向かった。
それと同時に『間もなく開始致します。』の場内アナウンスが流れ観客がにわかに席に戻り始めた。玲那が一色乃に
「もう始まるよ」と、告げると、
「その方がトイレが空いてていいんだよ、」と、言って慌てる様子もなくトイレに向かった。
 
確かに派手な格闘技イベントである。
見た事のある芸能人や業界人風な怪しげな人達がリングサイドの席に何人も見かける。凜々子は初めての体験でパンフレットを見ても、ちんぷんかんぷんで訳が分からず、全く以て格闘技はウブだがその雰囲気を体感し高揚していた。玲那もそれ程詳しくはないが、知り得る限りで選手の事や見所など凜々子に説明をして上げた。

間もなく開始のアナウンスは流れたが中々始まる気配がない中、一色乃が席に戻ってきた、と同時位に緞帳どんちょうが降りた。一瞬場内が暗転し、派手な爆発音とスモークと共にオープニングの音量が響くと同時に大型ビジョンに映像が流れる。掴みの映像の後に、全出場選手の紹介が始まった、中央のリングではなく観客席中断に設営された壇上に選手が登場しスポットライトが選手を光で抜く、ド派手な選手紹介である。場内の盛り上がりは尋常ではなくなる、いつもながら度肝を抜く演出で来場者を盛り上げる、玲那と凜々子も興奮気味で鳥肌が立つ感触を味わっている。
オーナーも毎回、回を増すごとにグレードアップして行く演出に感心すると共に雰囲気を楽しんでいた。
 
イベントは夕方から始まり途中休憩などを挟み午後9時前くらいに終了した。玲那も凜々子も会場の盛り上がりに同調して堪能した、初体験の凜々子はこのイベントのにわか知識も身に付け次回が楽しみでまた絶対誘ってくれるように一色乃にお願いした。

イベントの最後は出場した全選手と主催者がリング上に集まり、お互いのファイトをねぎらったりイベントの成功を祝うように記念撮影に応じたりしていた。
帰りの込みようを知っている来場者は早めに帰ろうとする観客と、もう暫く余韻に浸りたい直ぐに帰らずリング上の〆のセレモニーを眺めている観客と思い思いに其々だった。

一色乃は現場の裏方を仕切っている風のスタッフと何やら立ち話をしていた。どうやらこの後に打ち上げがあるらしくお誘いを受けていたようで、打ち上げ用の入場チケットを渡された様子だった。
 
一色乃はまず凜々子に明日はお休みかどうかを訊いた。凜々子は完全オフで予定のない事を告げた。一色乃はこの後に打ち上げがあるが行きたいか二人に尋ねた。二人は顔を見合わせどうしたいか一瞬お互いに気持ちを探り、一色乃にお任せする事にしたが、選手とかも参加すると訊き全然行きたいと結論を即断で決めた。
会場は新横浜のホテルの宴会場で、始まるまで少し時間があるので、一色乃は車の駐車場を貸してくれた飲食店のオーナーで知り合いの経営するダーツバーにお礼がてら顔を出し時間を潰す事にした。
会場の出口はまだ込み合っていたが人は流れているので会場を出る事にした。途中車に寄ってパンフレットなどの余分な荷物を車に積み徒歩で知り合いのバーに向かった。
 
知り合いのダーツバー『ファンキーカフェ』は70年代風のレトロ感のあるお洒落な内装の大箱のバーで7、8台のダーツマシンやビリヤード台やサッカーゲームの台など遊べるアイテムがあり、懐かしいオールディーズが流れる食べて呑んで遊べるカフェバーであった。

経営者は一色乃のプライベートでも親交のある仲間内の吉澤氏で一色乃より4、5歳年上で一色乃が主催するホームパーティー等にもよく参加しているので玲那も顔馴染みで面識のある人物だった、ただ凜々子はこのダーツバーに来るのは初めてだった。
経営者の吉澤氏は明るく楽しくサービス精神旺盛な性格で玲那や一色乃の取り巻きからも「ファンキー吉澤さん」と呼ばれ親しまれている人物である。一色乃も玲那も気楽に立ち寄れるバーとして行きつけの場所でもあった。
玲那も何度も一色乃に連れられて来た事のある場所なので慣れた感じで会話をしたり音楽を楽しんだりしていた。

打ち上げがあるので『ファンキーカフェ』では三〇分ほど会話をして一杯だけで喉を潤す予定だったが、結局一時間ほど長居をし、レセプションが終わればまた戻って来ると約束をしてレセプションが行われるホテルの宴会場に徒歩で、三人で向かう事にした。
 
宴会場には既に人が集まり打ち上げが始まっていた。広い宴会場には立食形式で食事や飲み物が振る舞われていた。
熱戦を繰り広げた選手達もこの打ち上げに参加し食事や会話を楽しみながら、記念撮影に応えている選手もいて、賑やかに思い思いに歓談や飲食に興じていた。
一色乃も顔見知りが何人もいるようで、挨拶をしたり談笑をしたり、それなりの振る舞いで対応していた。玲那と凜々子もいかにも楽しそうにエンジョイしていた、まずは食事を楽しもうとお寿司にローストビーフや天ぷらとあれこれ堪能し、デザードやフルーツでしっかり〆ていた。

最初は恐る恐る選手に近付き握手を求めて記念撮影をお願いしたり、取り敢えずのミーハーな行動もとってみたが、玲那も凜々子も美人なので選手たちも大変優しく喜んで機嫌良く写真撮影のリクエストに応えていた。玲那はハーフ顔なので英語で気さくに外国人選手に話しかけられていたが、実は玲那はそれ程英語に堪能ではないので、凜々子に通訳してもらったり面白おかしく時を過ごしていた。

笑えるハプニングとしては玲那のファンが数人いて、一緒に写真を撮らせて下さいと玲那が声を掛けられた事で照れながら応じている玲那に、
「選手より人気あるじゃん、」
と、一色乃に冷やかされていた。
 
そうこうしている内にお開きの時間となり主催者の挨拶と共にレセプションは終了し素早く会場を後にするようご協力下さいと司会者のアナウンスが流れた。一色乃は主催者の重鎮に挨拶をし、玲那と凜々子を連れ立って足早に会場を後にした。
そして約束通りまたファンキーカフェに戻って行った。

ファンキーカフェも週末なのでほどほどに込み合っていたが、ダーツの出来るハイテーブルの席をスタッフに用意してもらい、折角来たのでダーツを楽しむ事にした。一色乃も玲那も常連客と言えば常連なのでマイダーツを店にキープしてある程だが、凜々子は初心者なので、みんなにルールを教わりながら楽しんだが、凜々子はビギナーズラックなのか中々上手く、玲那の嫉妬を駆っていた。

結局三人は閉店の午前5時までファンキーカフェで楽しんだ。凜々子と玲那の間もより一層仲良しになり、この日以来二人はランチやお茶をしたり同じヨガスタジオに通うようになったりと、一色乃抜きでも深い親交を持つようになり、この日を境に凜々子と玲那の二人は急速に近付いたように思えた。元々気の合う二人だったので、後には恋愛相談や恋バナを話す程に、気を許せる友人となって行った。
 
格闘技観戦から翌朝になるまで、三人は良く遊んだ。凜々子も余りお酒は強くないが、シャンパンからカクテルまで良く飲んだ、少し酔っ払いになりお喋りになっていた。

凜々子はお付き合いしている彼氏がいるが、何度か凜々子の携帯電話に彼氏から電話が掛かって来ていた、その度に凜々子は席を外し、防音された重い店の扉を開けエレベーターホールまで出て電話をしていた。

勿論店内は騒がしいので話しづらいし聞きずらいのもあるが、内輪揉めの様な話しを他人に聞かれたくないのもあった。
凜々子は少し酔った勢いもあるが、玲那に最近彼氏の束縛が激しいので別れようと思っていると相談していた。同棲をしている分けではないが凜々子の部屋のカギを持っているので、それもあって引っ越しをしたいと玲那に話していた。

一色乃は凜々子が酔っている姿を初めて見た。凜々子は普段は自分の事をあまり話さないタイプの女子なので、酔うと饒舌になり自分の事も含めよくおしゃべりが弾む事を知り、凜々子に対しての初めての発見だった。

一色乃が運転する帰りの車は静かだった、さすがに凜々子もお酒も入り帰りの車の中では寝てしまっていた。一色乃は車を運転することを考慮してアルコールは控えて遊んでいたので、朝帰りのいつものパターンの運転は慣れた感じで空いている道を走り抜け、日本橋まで凜々子を送り届けた。
日本橋に着く間際に目を覚ました凜々子は、玲那と途切れ途切れの会話を交わし、また連絡を取り合い会うことを約束して朝日で眩しく眠そうな目をして一色乃にお礼を言って手を振って別れた。そしてそれ以来、玲那と凜々子はプライベートでも親交を持ち頻繁に会って行動を共にするようになる。
 
ある日、二人は二人が通う広尾のヨガスタジオの帰りに広尾でランチをする事があり凜々子が玲那に相談をした。
お付き合いしている彼氏と別れる事にしたと玲那に話し出した、色々あったが性格の不一致と価値観の相違が理由らしいが、玲那は凜々子の彼氏とお会いした事はないが、多分凜々子が考えに考え抜いた結果がそうなら多分相性が合わないのだろうから別れてもいいんじゃないのと凜々子に話した。
学生時代から長い間お付き合いをして、今まで寂しさを補うために依存していた部分もあったが、凜々子も社会人として成長し色々な人と交流を持つ機会もあり新しい世界をまだまだ見てみたいし、何の成長もしようとしない彼に束縛されるのはストレスが溜まるだけで何のメリットも感じないと打ち明けた。

そしてこれを機会に引っ越しもしたいとも考えていると話した。そして、色々出費もかさむので真面目に副業をしようかなとも考えていると話した。また少しモデルの仕事をしてみたいとも思ったが、表に出る仕事だと万が一会社にばれたらまずいので、それも無理だし何かいいバイトは無いかなと玲那に相談してきた。玲那は凜々子が真面目に色々考えていて偉いなと思うと同時に、凜々子の力になって上げたいと思い、以前に一色乃と話した会話を思い出した。
玲那が一色乃に、
「凜々ちゃんもVIP広尾クラブでバイトすればいいのにね、」と話した時に、
「そうだね、今度誘ってみれば、」と一色乃と軽い感じでした会話の事である。
一色乃もその時は成り行きで話した会話だったので、あまり真剣に話し合ったつもりがなかったはずである。

玲那は一瞬少し悩んだが、VIP広尾クラブについて凜々子に話して上げた。玲那にとってそれは意を決する思いでの告白だった。
玲那は凜々子が驚かないように、ゆっくりと少しづつ話して上げたが、凜々子の反応は全く驚く素振りもなく、拍子抜けする程に冷静な態度だった。

凜々子は
「燎さんが多分女の子を扱っている仕事をしているのは薄々感じていたよ、」と、話した。
それは職場の仲間でもある栗栖瑠璃に燎さんの仕事を訊いた時に瑠璃が
「色々やっているみたいだけど秘密クラブみたいな事もやっているみたいよ、」
と、話した事があったし、六本木ヒルズの事務所を見ただけで普通じゃないと思ったし、玲那と一色乃の会話を聞いていると何となく分かっていたけど、詳しく訊いてはいけない事だと思っていたと話した。

玲那曰く、接客の内容は簡単だし、いい会員ばかりだし、秘密も守ってくれるし、男性会員の情報は事前に分かるので断る事も出来るし、安全に接客できるので、レベルの高い女の子は楽に稼げると教えて上げた。
玲那は思い切って自分自身も在籍している事も打ち明けたが、今は信頼の置ける決まった太い会員が三名いて、その人達が定期的に指名してくれるので、その人達だけの接客で可也の収入になるので、不特定多数の会員に接客で合う事も今はないと話した。
「多分、凜々も在籍すれば私と同じように、そうなると思うよ、」
と、話し玲那は自分もモデルの友達の紹介でVIP広尾クラブを知って入ったと話し、その知り合いのモデルの女の子も今も在籍していると話した。
玲那は現役のCAも何人か在籍してるが女の子同士は会う事はないと教えて上げた。

事務所スタッフでもある玲那の言葉には説得力があった。凜々子は興味本位もあり、玲那が大丈夫と薦めるなら大丈夫なんだろうと思っていて、心の中では在籍を決意していた。
凜々子は、
「燎さんは認めてくれるかな?」と、ちょっと心配げに話したが、
「全然大丈夫だよ、社長は誘ってもいいって言っていたよ、」と、確信を持って玲那は話して上げた。
「社長には明日私からも言っとくから心配しないで、」と、玲那は付け加えた。
「うーん、ちょっと恥ずかしいな、でもよろしく。」と、玲那に凜々子がお願いをした。
 
玲那は早速次の日に、一色乃に話した。
「凜々ちゃんが、VIP広尾クラブに在籍したいって言ってたよ、大丈夫だよって言っちゃったけど、いいですよね。」

一色乃は玲那と凜々子が親友に近い仲良しになっている事は知っていたので、いずれこうなる可能性を深読みしていたので、最初はハッとして
「話したんだ、どうだった?」と、言って凜々子の反応が少し気になったが、玲那のやる事は大体において間違いではないので、
一色乃は
「色々教えて上げてね、」と今後の事は玲那に一任した。ついでに
「彼氏はどうしたのかな?」と、玲那に訊くと、あっさりと
「別れたみたい。」と、返答が返ってきた。
「マジで!」一色乃が新聞を見ながら無造作に応えた。
「引っ越しもしたいみたいだからお金が必要なのもあるんだって、」と、玲那が応えて、
「源氏名考えてアップしておいて下さいね、次のオフから大丈夫みたいだから、」と、言って一色乃を急がせた。
 
こうして長谷川凜々子はVIP広尾クラブの一員となり玲那同様に人気者となり玲那の予想通り少数の太い客を掴み、経済的安定と精神的な余裕を手に入れた、そして何を思ったか、何と日本橋からまた日本橋に引っ越しをして、明るくポジティブに自らの新しいライフスタイルを構築する事になる。

そしてこの在籍の事実は栗栖瑠璃にはオフレコにしたいと凜々子のリクエストがあり、当然オーナー一色乃もプライベートの範疇であるので瑠璃には話す理由はないので、その事については瑠璃に話す事はなかった。



【 第三章 】


其の一 「一色乃 燎成」という男


この類い希な性感エステ店、VIP広尾クラブを、一色乃は何の目的とどんな経緯で創設しこの独創的な有り様を作り上げたのか、その成り立ちと経緯を知ろうとする一色乃への問いは、VIP広尾クラブに興味を持った人間なら必ず一色乃に求めようとするクエッションである。

その問いを直接一色乃に投げかける人間もいれば、心にしたためつつ疑問符のままでやり過ごす人間もいる。そのビジネスモデルを真似ようとシステムを手に入れるために一色乃に交渉を持ち込む人間など様々な輩も寄って来るものである。ただ大体の場合は一色乃の持つ独特のオーラに阻まれ容易には核心に近付く事はできないのが現実で、その正確な答えを直接一色乃から引き出した者はいないはずである。
 
一色乃自身はその手のVIP広尾クラブについての質問は下らな過ぎて答えるのも面倒でいつも冗談ではぐらかすか無視を決め込むかのどちらかである。そもそも一色乃の価値観は一色乃独特のもので一般的な良識からは掛け離れた世界にあり、一色乃以外に同じ事を行える輩などいるはずも無く、そこは一色乃の独自の聖域でもあった。

一義的な貧困な発想で他人の領域に入り込もうとする短絡的な人間の無礼さが、一色乃の美意識から遠く掛け離れた行為であり、お金目的の低脳で下劣なやり口と決め込み、一色乃はそんな人間の存在も行動も大嫌いだった。
 
右脳的な直感で行動する天才肌の一色乃にとっては、過去の成り立ちなどを真面目に説明するほど面倒臭い事はない。一色乃は常に理想の姿を見据え、何かに追随することを選ばず、自分独自の発想と理念で正しいと思える道だけを追求し、感性に導かれる方法論を選択し生きてきた男であって、VIP広尾クラブについても例外では無い。

VIP広尾クラブの創設は別に設計図があった分けでもなく、計算されたコンセプトがあった分けでもない、一色乃の生き様とポリシーが具現化するように自然な形で出来上がっただけである。
一色乃は「成り行きでこうなった、」とよく話すが、それは満更嘘では無く本当にそう思って生きていたのである。
 
ある種一色乃は安易に内面や核心を易々とひけらかす人間ではなかった。表面上で挨拶程度に持つ交遊は多くあるが、一色乃の内輪に近付く事を許している人間はそう多くは無かった、ただの顔見知りと、心を許し腹を割って付き合う人間との関係性の境界線をハッキリと引いていた、一色乃的にとってはその境目を挟んで両者には百とゼロとの違いがあった。
 
一色乃は秘密主義的側面を持っているように見えて、本人は至って包み隠すことの無いオープンで自由な生き様を満喫して生活していると自分では思い生きていた。一色乃の持つ境地とはまるで天才肌の領域に見えるが実は地道な努力の元に成し得た結果の個性である事を本人以外知る人間は少ない。

一色乃の、その経歴も謎に包まれた部分が多いが、それにスポットライトを当て追求すると、また一冊分の長編分の余白が必要になるので、また本誌とは別の新たな機会が必要となるであろう。兎に角、一色乃自身もVIP広尾クラブと同じように一般的な既成観念からは抜け出した類い希な人物であったのは確かである。
 
また一色乃は経営者としてはどう考えても計算高い人間では無かった、長期ビジョンがある分けでもなく、損得勘定やビジネスモデルの定説で物事を判断するよりも、心の動きと情念と感性で歩み、行く先と行動を判断するタイプであった、その意味では情に熱い部分もあり徳を重んじ生きる傾向にある人間味のある男であった。

一色乃は自分では、自分が商売人でも商人あきんどでも無いので商売もお金儲けも至って苦手で金銭欲に薄い人間だと自己評価している。毒舌で我儘で、ひらめきと感性で行動する一色乃の個性はパイオニア的な発想でVIP広尾クラブを作り上げ運営をしていた。

模範となる前例がある分けでもなく、成功例に学ぶ分けでもなく、他者を真似する分けでもなく、自分自身の自由な発想だけを頼りに、VIP広尾クラブは成り立たせ生き生きと稼働させていた、そしてその目的と最終章は何であったのか、一色乃自身しか知り得ない常人には理解しがたい未知の領域だったのかもしれない。
 
一色乃の個人のストーリーは一意的な側面で語れる程に単純でもなく、その背景に何があるのか謎めいた部分があり踏み込み切れない領域があった。
特徴的な例を挙げれば、VIP広尾クラブには警察もヤクザも入り込んだ形跡も余地も全く無かった。一色乃にどう言ったコネクションがあり、どう言ったネゴシエーションを駆使しているのかは明らかにはされていないが、風俗店の営業は通常であれば警察への報告や、地元のヤクザ対策など裏の作業が付き物だが、VIP広尾クラブとその下部組織に関しては、お店としてのそうした付き合いの形跡が皆無だった。
しかも警察関係とは良好な付き合いを維持しているようで、渋谷の下部組織の店舗をはじめ何かあれば従業員から一色乃に直ぐ報告をすれば、一色乃が電話一本で物事を解決させる不思議な力を有していた。その電話の先が何処なのか誰なのか、それを知る人間は一色乃以外にいないのである。

VIP広尾クラブに関しては極力しがらみを避け一色乃個人の思いを百パーセント反映される形を取っていたのは確かである。一色乃にとってVIP広尾クラブは仕事というよりは、趣味の範疇の延長線上にある出来事であったのかもしれない、だからこそ強い拘りと特異なシステムもトップダウンで押し通して運営することが出来たのである。この独断専行の方法に口を挟む人間は誰もいなかったのである。
 
一色乃はどちらかと言えば文系の流れを汲んだ芸術家肌の側面があった、よって美は奥深く尊いものだという概念を持ち、真の美しさには研鑽され磨かれた過去の積み重ねの歴史があると信じていた。

在籍女性についてもレベルの高い人気のある女性は、受け継いだ格調高い遺伝子が今に伝わり表われていると感じていた。女性の育ちの良さは伝統的な家系の中で格式となりその個性が如実に反映されて司る事を知っていた。
一色乃は美徳に繋がる人生を背負った人間が現代社会の現実に飲み込まれドラマチックな生き方を強いられる運命的ストーリーに面白さを感じていた。在籍女性達の色々な人生の悲喜こもごもと、難題に直面する彼女達の人生に関わる事を楽しんでいた側面もある。

一色乃はクローズアップされた人生は悲劇に見えるが、遠めに距離を置いて見た人生は喜劇に見えるとよく話していた。悲観的な考えを無くすには、一拍置いて遠めに人生を俯瞰して見るのがいいと女性達にアドバイスする事もよくあった。
 
一色乃は自分の城の中では極めて我儘で自分勝手な行動を取る男であったが、スタッフや周りの近しい人間は、相対的に一色乃については優しい男だと全員が認める印象を抱いていた。我儘な振る舞いも毒舌を吐く事も冷たい態度を取ることも実は一色乃は自分自身でも自覚していたので、自分が優しい男と思われている事をちょっと不思議だと思っていた。多分おおらかで芯の強さがある何事にも動じない余裕が優しさとして表われていて厳しさの中に情深い所があるので、そんなところも優しさの裏返しとして映っていたのかもしれない。

事実一色乃は口が悪いが面倒見がよく気配りが効くところがあった。それは無理をしてそうなっているのではなく、遺伝的に面倒見の良さを受け継いでいるだけで一色乃にとっては至って普通であり自然な事でもあった。
強さと優しさは一帯である事を一色乃は知っていたが、それを隠しているつもりでいたが、周りの人間はその事を百も承知で一色乃を見ていたのである。
 
事務所の中やスタッフの中では一色乃に異論や口を挟む者は誰もいなかったし独断専行が当たり前だったが、ただ一人、一色乃の我儘や無礼な振る舞いに時たま刃向い楯突く人間が一人だけ存在した、何を隠そう小河原佑子である。

佑子は正義感が強く礼儀作法も行き届いた人間なので、人の意見を無視したり挨拶や質問をしても返事がなかったりする一色乃の行動に佑子の正義感が爆発し、たまに佑子は一色乃と大きな口喧嘩をする事が定期的にあった。

他のスタッフであれば一色乃の振る舞いには慣れっこで一色乃がどんな無礼な振る舞いをしていてもいい加減いつもの事と無視して遣り過ごすのが普通だが、自己主張と正義感の強い佑子は違っていた。
仕事上の事からプライベートな考え方の違いなど小さい事から大きな事まで、よく佑子と一色乃は言い争いをしていた、逆に言えばそれは気心が知れているからこそ感情むき出しでぶつかり合える間柄とも言えるが、周りのスタッフは導火線が切れた個性的な二人をハラハラしながらも面白がって見ているのがいつものパターンであった。
 
ある時、一色乃は小河原佑子に問われた事があった、
「VIP広尾クラブの在籍者の中で一番の容姿端麗な女性は誰ですか、」
一色乃は無表情で佑子の問いには即答しなかった。
暫く無視を決め込み、暫くして無造作に唐突に
「下らない。」と一色乃が応えた。
一瞬、佑子は黙った。佑子は人が真面目に質問しているのに「下らない。」と一言で返す一色乃の態度に心の中で憤慨したが、佑子はいつものように一色乃の我儘な振る舞いと思い、しょうがない人だと思ったが、それで会話は終わった。佑子はそれ以上質問しても正確な答えが返ってこない事を知っていたからである。
一色乃が何かに集中している時には話し掛けないという教訓を学び始めていた、だんだんと佑子も一色乃の癖や冗談やウイットにも慣れてきた証左であった。
その時は、それで会話は終了したが、その後二、三日して、唐突に佑子に一色乃が話しをした、
「容姿端麗だけでは何の面白味もないんだよ、中身が大事なんだよ、」
「え、」
佑子は突然の言葉にハッとしたが、二、三日前の会話の続きなのを察知し会話の流れを思い出し遣り取りを接続させた。
一色乃の会話は暫くして思いついたように継続される事がよくあった。
全く我儘で面倒臭い男である。
続けて一色乃が話しをした。
「裏付けが容姿に出るんだよ、」
佑子が
「裏付けが?」
「そう。」と一色乃が応えた。
一色乃が続きを話した
「容姿端麗の裏付けは才色兼備って事が必要条件で、それプラス地頭の良さと受け継がれた遺伝的な徳の要素が美しさに拍車を掛けるんだよ。」
佑子は一瞬理解に苦しんだ、そして一色乃の言葉をメモを取るようにリピートして頭に刻み込み、その後ゆっくり考えて学習しようとした。佑子の優等生的行動様式である。
 
VIP広尾クラブが求める真の意味での容姿端麗とは、単に外見が整っているだけの意味合いではなく、内面性に於いても正義と高度な美徳が備わっている事が一色乃的な容姿端麗と言える条件であった。
親の教えや育ちなどの遺伝的要素も大きく影響する要素であって、一色乃が認める容姿端麗とは、先天的な才能としての比重が高く、努力だけでは限界がある不平等な現実でもあるとも一色乃は悟っていた。
容姿端麗な女性達に一色乃はよく話していたのは、
「君が美しいのは、それを授けてくれた親がいるからなんだよ、何よりも親に感謝して生きるように、」
と促す事がよくあった。

内面性の美徳は外見に醸し出すように現れると一色乃は信じていた、要するに品格である。内面に道徳的概念が確立されていなければ外見で一瞬欺けても、永続的に奥の深い美しさを引き出し生きる事はほぼ不可能である。その場限りの偽善や見せかけの良心はいずれ化けの皮が剥がれると説いていた。
人の心を引きつける美には正当性があり、そこに徳が隠れていれば、美しさに深みが生まれその価値は不動になる。VIP広尾クラブでは容姿端麗の要素は才色兼備と地頭の良さと遺伝的要素のトライアングルの前提がある場合に於いてより確信となり付加価値が高まるのである。

一色乃はそれを佑子に伝えたかったのである。あの時「下らない。」とぶっきらぼうに佑子に答えたのは一言で言い表せない核心であるから、時を置いて時間のある時に説明して上げると言う、親心が含まれていたのである。中々読み解くのが難しい男であるが、一色乃の優しさを理解するまでに至るのはある程度の付き合いの時間が必要なのかもしれない。
 
礼儀作法や正義感の強い佑子は、一色乃の周りに対しての人の意見を聞かない態度や無視をする行動が発端で反発してぶつかる事もよくあったが、潤子マネージャーや玲那などは一色乃の無礼な振る舞いもある程度慣れていて、子供みたいな大人だと思い逆に平常心を保ち無反応で遣り過ごし、大人の対応で刃向う事がなかった。

逆に正義感の強い佑子は黙って遣り過ごす事は納得がいかなかった。ワンマンで自己中心的な一色乃の態度や言動に強い口調で反論することもよくあったが、段々とヒートアップし二人の遣り取りが子供の喧嘩のように自我を曲げない意地の張り合いのような遣り取りになるので思わず笑ってしまう事も多々あった、それは父親と娘の家族の親子喧嘩のようで佑子が一色乃に心を許していて甘えている証拠でもあり、口喧嘩が元でお互い気まずい間柄になる事はなかった。
 
VIP広尾クラブには生真面目な女性が多かった、格式のある家柄のお育ちは真似できるものではなく、付加価値の高い魅力的な女性は、やはりその語り口調や眼差しや物腰など無理をしない自然体の中に醸し出すようにお育ちが現れている。当然お勉強も真面目に取り組むので高学歴な才女として崇められる事となり、ちょっと出の容姿端麗の大衆気質の女の子とは次元が違うものである。
 
在籍女性は大きく分けて文系の才女と理系の才女とに別れるが、両者の間ではその傾向に特徴的な違いがあった。

今ではリケジョと呼ばれ注目を集めることも多くなった理系女子も印象的な女性在籍者が複数名在籍していた。
理系女子の特徴は性に関して意外にもエンジョイ型の女性が多く、文系の女子が情念型やモラル型であるのに対して、理系の女子は情や心の動きに流される事が少なく、数字で割り算や足し算をするように、割り切って性を楽しむ傾向にある女性が多かった。リケジョの秀才はプラス思考で性と向き合う事で計算高くストレスを解消する傾向が強くあった。

一色乃は、自らは文系であることを自覚していたが、理系の女子の考え方や行動様式が嫌いではなかった。逆に人にもよるが文系の女子の煮え切らない行動様式やハッキリしない態度にイラつく事でロスする時間が無駄だと考え、イエスノーがハッキリしているリケジョの方が分かりやすく付き合いやすいと考える事もよくあった。しかし文系であっても佑子のようにイエスノーがハッキリしている女子もいるので一概に一括りには出来ないものである。
 冗談交じりに一色乃はつぶやいた。
「理系は空気が読めないが、文系は数字が読めない。」
ある程度核心をを付いた言葉である。

 

其の二 現役東大生 「北里川 櫻季」きたさとかわ ゆき


理系女子の中にも印象的な在籍者が何人かいたが中でも日本の最高学府である、東京大学出身の在籍女性も累計で数名存在していた。中でも印象的な女性が現役東大生にして理科三類に在学する才女が面接に来た時の事である。東大の中でも理科三類は最も偏差値が高く難関の学部として知られ秀才の集まる理系の最高峰と言っても過言ではない特別な世界である。
その多くが医学博士となり医師の道に進むが、そんな環境にある才女が何故に、VIP広尾クラブにやってきたのか、普通に考えても七不思議の一つであった。彼女の名前は北里川櫻季(きたさとがわ ゆき)二十二歳、かなり個性的な女性であったが、その志望動機も大変独特なものであった。
 
先にも説明した通りVIP広尾クラブの在籍に関する問い合わせの電話は一色乃の所有する携帯電話に転送されている為、殆ど一色乃が対応するが、はっきりとした的確な内容で落ち度なく質問をしてくるのが彼女の電話での特徴であった。
相手の話を素早く分析理解し疑問があれば納得を得るまでアンサーを求めるが、その言葉遣いや態度は極めて丁寧で品格があり、正確に文章を起こしても美文で収まるような感覚を思わせる話し方で、格調高い家系が背後に見え隠れする空気を感じ取っていた。それに加え、言い間違いや認識の齟齬がないように会話を運ぶ話し方には彼女のリケジョ体質とIQの高さが理由なく説明されていて、一色乃に気合いを入れて対応するよう見えない力が後押ししていた。
 
彼女は電話での問い合わせの段階での質問で、その接客の内容についてストレートに質問をしてきた。まず彼女は、そのサービス内容について最終的な性交渉があるかどうかの問いを一色乃に礼儀正しい口調ではあるが実直にぶつけてきた。一色乃は電話で、勿論そうした行為は全く無い事を丁寧に説明し、何故そうなのかの理由も付け加えて回答して上げた。

性交渉どころか女性が受け身になる事もなく、多くは着衣のままサービスが行なわれる事など、ソフトサービス重視でハードなサービスがない事も説明に付け加え女性のレベルの高さがソフトなサービスを助長する要素である事もVIP広尾クラブの特質すべき所であると丁寧に回答して上げた。
 
そして彼女は、
「この事が在籍するにあたり重要であるのか無いのか私個人では判断が付かないので質問させて頂きますが、」と前置きし、
結婚するまではバージンでいる普遍のポリシーがあるので、自分自身は男性との性交渉の経験が無くその事について未経験であるが、それでも在籍が出来るものなのかとイエスかノーかで丁寧な言い回しながらも的確な回答を求めてきた。
また男性の肉体は医学研修を含め嫌と言う程、見てきているのでバージンではあるが男性の肉体の構造はよく理解している事など説明をして自分の現況として付け加えた。一色乃は勿論、男性経験がない事が不採用の条件ではない事をはっきりと説明し、あくまでも総合的判断で面接によって採否が決定されると返答した。
 
また彼女は採用になった場合でも勉学が本業であり、研修や自習なども山のようにあるので、採用になったとしても極力忙しくしているので、月に一度位しかお仕事をする機会が持てないが、それでも在籍することは可能かと訊いてきた。
VIP広尾クラブでは勿論それぞれが個人のペースで在籍しているので、それでも全く問題はなく大丈夫であると説明して上げた。後はプライバシーや個人的情報が完全に保守出来るのかなど、理系の女性らしく、坦々と疑問点を洗い出し、質問し回答を得て自分自身で自分の問題を解決して納得をしていた。
 
一色乃は、出勤のサイクルは在籍女性個人が自由に決められるので、出勤が少ないのは全く問題がない事を伝え、ただその分、収入も勿論少なくなる事を、一色乃は説明したが、櫻季は、
「私の場合動機として、お金のために働くのではありませんので、収入が少なくなると言うことですが、その事については全く問題が御座いません。」と彼女は即答してきた。
一色乃は随分と珍しい事を話す女性だなと思って逆に興味を持って対応をした。
 
中々個性的な女性だと思ったが、取り敢えず電話の段階でお店側から女性にプライバシーに関わる色々な質問をするのは極力控えているので、一色乃は面接の日時を決めて面接対応で採否を判断する事にした。

それにも増して彼女の的確で正確なはっきりとした語り口調と、自分自身の事を「わたし、」ではなく「わたくし、」と話すところや、「・・・・おります。」とか、「・・・・存じます。」など、ですます調の敬体に独特なニュアンスで語る口調の言い回しがあり、格式ある古い家柄の人間が使う言葉の特徴がある事も一色乃は見逃さなかった。何か不思議に引き付けられる高貴さを持った女性であることを察していた。
 
そして彼女はその日の内に面接を希望して、問い合せの電話の後に面接を受けに六本木ヒルズの事務所に向かう事を希望し双方了解のもと当日の面接が確定した。

午前中に電話での問い合わせを行ない、午後には面接に来る無駄の無い動きであるのも理系女子の特徴である。これが文系の女子だと、あれやこれやと考えを巡らし悩みに悩んで数日後に時間を空けて面接に来る場合が多く、心の動きに惑わされるのが文系女子の典型的なパターンである。しかし櫻季のようなリケジョの女性の場合は違っていて、何事も坦々と物事を進める傾向があり、ある意味イエスとノーがハッキリしている分、対応しやすい部分もあった。
 
一色乃は面接場所の説明をして午後二時に時間を決める事にした、一色乃は随分と効率的に行動する女性だなと思ったが、彼女曰く、
「私の場合、空いているお時間が中々ないものですので、恐れ入りますが時間が取れるその日の内に行動し結論を導かなければならないのです。」
とこれまた的確な説明を彼女から受けた。
ある意味しっかりした目的とポリシーを持ち面接に臨もうとしている事と、自我を確立している女性であると一色乃は感じとっていた。
その日の受付の案内とお茶出しは小河原佑子が担当したが、一色乃から
「午後二時に変わった女性が面接に来るので、よろしく、」
とだけ一色乃から訊かされていた。
 
櫻季の容姿はトップモデルのように端正で華がある分けではないが、在籍を否定するほど容姿が劣っている分けでも全くなく、むしろ育ちの良い遺伝子を受け継いだ上品なオーラを放つ独特の個性は男心を虜にする要素を多分に持ち合わせていた、一般的にも色白の大変綺麗なお嬢さまであった。
 
美白に合った茶色い瞳と、セミロングの髪色は落ち着いたダークブラウン系の色で、黒髪よりは幾分明るく、それが色白から来る色素が薄い地毛の色なのか、お洒落に染められた色なのかは判別しにくいナチュラルな美白美人であり、普通に真面目な雰囲気のお嬢様で、お洒落れでありながらも硬派なイメージの容姿端麗な女性であった。

案内とお茶出しなどアテンドを担当した小河原佑子も好感度の高い清潔感のあるセンスの良い同年代くらいのお嬢様が来たので、間違いなく採用されるだろうと思いながら、一色乃が言うところの、その女性がどこがどう変わっているのか、理解できぬまま佑子は櫻季を招き入れお茶出しながら何気なく彼女を観察していた。
 
一色乃は彼女が医学生である事は電話の段階で聞いていたが、その在校先が東大の医学部である事は、面接の時点で初めて知ったが、ある意味頷けると一色乃は思った。お育ちから学歴まで、彼女は代表的なスーパーエリートであった。

お勉強一筋の地味な生活のガリ勉の才女が来るのかと思いきや、一色乃の初対面の時の櫻季の第一印象は、そのコーディネートは明るい色のノースリーブのワンピースに白いカーディガンを羽織り、程よい踵の高さの薄いピンクベースのリボン風なアレンジが施されたミュールで、それなりに美容にもお洒落にも気を掛けているようにも見える清潔感のあるビューティーで聡明な女性であった。

面接では理系の東大生らしく、先の電話での問い合わせでもそうであったが、イエスかノーかで物事を判断する傾向にあり、疑問があった場合はその趣旨に納得し解決を見いだされるまでとことん回答を求める傾向にある納得の東大理系らしさが垣間見れる才女たる女子でもあった。
 
面接は電話での遣り取りの確認作業のように進んだ、一通りの櫻季から質問が繰り返され、それに一色乃が応えるQ&Aの後、早々に彼女は一色乃に採用か不採用かの結論を訊いてきた。

「不採用であれば次の段階の行動を考えなければいけませんので、私の採否をお訊かせ頂いてよろしいでしょうか、」と一色乃に迫った。
貴女あなたが良ければ勿論採用です。」と一色乃はハッキリ応えた。この手の女性の場合は曖昧な返事は誤解を招く恐れがある事を一色乃は経験値で知っているので、確実にハッキリと採用を告げた、そして、一色乃は最後に櫻季に質問をした、
「どうしてVIP広尾クラブに在籍しようと思ったのですか、」と、
その動機と理由を櫻季に問い質した。櫻季の回答は秀才ならではの一般人には発想が及ばない奇想天外な答えであった。
 
先ず第一に櫻季の父親は当然のように高名な医学博士で大きな病院の理事長でもあり弟も医学生であり父方の親族一同医者の家系であり、自分自身も家名に泥を塗るような事は出来ない運命と立場にあると話した。そして、VIP広尾クラブでは、事前に接客する会員の職業や本名など素行が確認できるとの事で医者や医療関係の会員はNGにしてくれるので、それが当然の条件で在籍できるので、VIP広尾クラブを選択した事を話した。

そして尊敬する母親の教えもあり、結婚するまでは生娘でいる事を教育され、母親もそうであったように遊びの恋愛は御法度なのが家の家訓であると話した。櫻季の母親は、女の操は結婚をする男性の為に守る事が家の掟であると物心ついた頃から強く教育され生きてきたと話した。
 
櫻季は名前をみても分かる通り櫻の咲く季節に生まれ、母親の名前の櫻子(ゆこ)から一字を貰い櫻季(ゆき)と名付けられた。「櫻」を「ゆ」と読むのは古い和歌からの呼び方を取り入れたらしいと後々世間話の中で櫻季から説明を受ける。
 
櫻季の母親の血筋は明治初期からの華族の家系に繋がる出身で遡り辿れば戦後に臣籍降下した皇族の縁戚に繋がる流れを汲む家柄で、多少一般人とはかけ離れた考えを持ち合わせていた。婚前交渉も自由恋愛も御法度な今時珍しいしきたりの中で育っていた櫻季は忠実に母方の家訓の教えを守り生きてきた。
 
櫻季の母親は社会に出て働いた経験も無く生涯専業主婦で子育てと習い事で人生を組み立てた女性なので母親の言う家訓の掟も納得は出来るが、櫻季自身は手に職を持った医者となる事を自分自身に宿命付けているので母親の立場とは違いがあると思ってはいるが、家系の掟は掟であり、それを破る事は櫻季の頭にはなかった。
 
しかし櫻季の性への探究心は強く男性への興味と共に、自らの男性との性行為を封印しながら男性の性的欲求を知る方法を模索した結果「VIP広尾クラブ」を知り、バージンのまま男性の性的欲求を解放する行為を実体験できると考え、その為に応募したと回答した。
 
普通の風俗店では最終的な性行為のギリギリの所までサービスを行なう可能性があり、強靱な男性や女心を利用する男性にリードされ性行為を強要される可能性があるのでそうしたお店は最初の選択の段階で働くのは無理であると考え、VIP広尾クラブの募集のページにたどり着き、ホームページの内容を見る限り、安全でソフトな内容で女性主導の施術で女性の安全が担保されているようなのでVIP広尾クラブを選んだと述べ、プライバシーを含め、ここだと在籍女性を強く守ってくれると判断し選択をしたと話した。
 
尚且つ先々医者となる立場から性への知識と体験が無いままだと医者として男性患者の立場に百パーセント寄り添える自身が持てないのと、未だ伴侶となる男性の候補者との出会いも数年先になるだろうから、それまでの空白を埋める為のベストな選択的行動であるとも話した。
 
櫻季は、いずれは親が選んだ伴侶の候補者とお見合いで結ばれる運命である事が暗黙の道筋であり、その事については時期も相手も選択の自由が自分にはないのであってそれが嫌だという分けではないが、ここだとバージンのままで男性の性処理行為を垣間見る事が可能と考え、そのために応募したと話した。

正に彼女ならではの志望動機である。また櫻季は医師として自らの医療行為の向上を図るためと、男性の性欲を研究し体現するためにVIP広尾クラブに応募してきたのである。
才女の東大生の変わった発想にも一理あるが、特別な家柄に生まれ真面目すぎるが為に家訓を守りながら男性を理解しようとした櫻季の考え抜いた優等生の勇気ある選択に、ある意味一色乃は面白さと同調を覚えた、そして一色乃は快く櫻季の選択を支持し協力出来ると彼女に話した。
 
もう一つ、櫻季の内心は、異性との性行為への強い興味を抱きながら、その好奇心と性の対象としての男性への強い思いが積もり、遊び盛りの成長した肉体に抑制のブレーキを掛ける事のストレスへの開放を求めたのも事実であった。
自らの精神や肉体に対峙しコントロールする事に限界を感じ気持ちを押さえられなくなったのも応募した理由でもあったのかもしれない。やはりいくら優秀な医学生として学問上だけで男性の肉体に関わるだけでは補いきれない領域がある事を本能的に察知していた事と、肌感覚でプライベートに近い領域で性の対象として男性の肉体と接する事が医師としても人間としても必要であるはずと言う深い拘りも櫻季の中にはあったのである。
 
一色乃は櫻季にこれから一、二時間ほど時間を取れるか訊き、大丈夫なようなら接客の流れの講習を受けるように確認を取った。櫻季はこの日はどんな一日の流れになるか読めない場合を考慮し特別な確定している用事を入れていないので大丈夫であると一色乃に伝えた。
そしてその後はマネージャーの小川潤子にバトンタッチをして彼女に施術の内容と流れを教えてもらうように指示した。そして後日、出勤できそうな日程が解った時は、潤子マネージャーに報告できるように、連絡先を交換しておくように櫻季とマネージャーに話した。

彼女の実直な態度と物事を無駄なくテキパキと進めるペースに一色乃も流れを合わし、時間も限られているようなので、今日の内に出来ることは今日の内に行なうのが良いと判断し、それが櫻季と一色乃の共通認識となっていた。
 
リビングに設置してあるパソコンデスクで作業をしていた佑子はパテーション越しに面接の遣り取りを訊いていたが、トントン拍子に物事が進んでゆく流れを訊いていて凄いなと思いながら、櫻季の面接の前に一色乃が変わった女性が面接に来ると佑子に話した意味が櫻季の面接の様子を聞いていて理解できた。確かに北里川櫻季は変わった発想を持ち合わせた女性であった。
 
理系の秀才格の代表のような櫻季と、どちらかというと文系の秀才格の佑子と、両雄の双璧が同じ空間にいる事に凄い場所であると心の中で面白がった一色乃は、潤子マネージャーと別の部屋に移動し櫻季がいなくなったリビングで佑子と一色乃が顔を見合わせ変わった女性だったねと頷いて同調した。しかし佑子は彼女の気持ちも凄く分かるような気がすると一色乃に話し櫻季に理解を示した。


櫻季ゆきの開花

物事が早く進む時はタイミング良く導かれるように事が進展するもので、櫻季が潤子マネージャーのレクチャーを受けている間に、会員予約専用の電話を転送させている携帯電話が鳴り常連の会員の予約が入った、特に指名の無い当日予約のオファーである、一色乃は咄嗟の判断で面接したばかりの櫻季に接客をさせてみる事を閃きで思いついた。
 
その常連の会員は年齢が四十代半ばの弁護士で、いつも当日に予約を入れてくる、もう古くから何年もVIP広尾クラブを利用している男性会員である。
そのダンディーな風貌と濃い顔立ちのマスクは正統派の良識を感じさせ、高身長でハンサムな風采は、若い頃からの育ちの良さを感じさせる慶応ボーイ上がりを印象付けさせるダンディーな会員であった。その紳士的な行いと態度は女性受けもよく、安心して女性を紹介できる馴染みの優良会員である。
 
この会員は弁護士としても優秀のようで大手外資系の弁護士事務所に所属し、企業絡みの大きな事案も担当する経済案件に強い敏腕弁護士であった。私生活では郊外に一軒家を所有し美しい愛妻と学業優秀な進学校に通う一男一女を儲け、絵に描いたような立派で幸せな家族を持つエリート紳士で自他共に認める愛妻家でもある男性であった。
 
一見何不自由の無い生き方をしているモテそうな存在感のあるミドルエイジの男性会員であるが、こんな素敵で紳士的な男性でも風俗店を利用するのかと真面目な女性は男性不信になるかもしれない。この男性会員の普段の顔は真っ当過ぎる人生を歩む落ち着きのあるジェントルマンなのである。

月に一度は必ず、多い時には月に三度位のペースでVIP広尾クラブを利用し決まった好みの女性をローテーションで指名するか、タイプの新人が入るとどんな女性か電話でリサーチして好みであれば指名する、知的で格式高い美人な女性を好む優良会員である。
 
早々に一色乃は、櫻季がこの会員の好みのタイプの女性であると判断した。櫻季に時間的に可能であるかの確認を取るため、講習中の部屋に行き部屋をノックし一旦講習を中断してもらい、櫻季に男性会員の内容を説明し今日の午後七時位からの接客が可能であるかの確認を本人に取って、可能であるとの櫻季の承諾を取り予約を成立させた。そして潤子マネージャーに多少早めに接客の流れを櫻季に教えるようにお願いをした。
 
この会員の場合、接客場所は決まっていて、お店側が確保しているシティホテルで接客する事がいつものパターンである、今回も六本木の一流シティホテルでの案内で接客場所は確定した。

店側でキープしているホテルでの接客の場合、予めお部屋で女性が待機をしていて男性会員がお部屋に出向く形を取っている。午後7時からの案内なので一時間位前にはホテルのお部屋に入り接客の準備を行なうのが通常の流れである。
 
潤子マネージャーよりレクチャーを受けた櫻季は、早々に一色乃と共にホテルに移動した。接客は私服でも可能であるがローションやパウダーで汚れる可能性もあるのでクラブで用意してある華やかで上品なワンピースで接客をする事にした。
 
初めての接客であるが、櫻季は落ち着いていた。動揺もせずに淡々としているのもリケジョの特徴である、一色乃の車で溜池方面に移動する車の中で櫻季は一色乃に質問をした、接客の時に最初に三十分ほどお話をすると、潤子マネージャーから教えて頂いたが何を話せばいいのですかと、一色乃はこの会員は常連の会員で安心できる人物なので何を話しても問題はないが、取り敢えず念の為、医学生である事は黙っておく事にして、東大在学の理系を専攻する女子大生である事にした。

紳士的会員で根掘り葉掘り素性を訊いてくるタイプの会員ではないので、最初のディスカッションでは、世間話程度に話しを合わせておけばいいとアドバイスした。男性会員はもう何度もお店を利用している常連の会員なので、流れは会員に任せても、大丈夫だとも付け加えた。
 
直ぐにホテルの駐車場に到着した、早々にお部屋に移動し接客の準備を始めた。先ずはルームサービスに内線をいれ、氷の入ったシャンパンクーラーとシャンパングラスを頼み手配をした。それが届く間に櫻季はバスルームで着替えたり化粧直しをしたり準備をするようにと一色乃が指示した。

部屋のテーブルにシャンパンクーラーとグラスをセットして向かい合わせになるように椅子をセットしBGM用のCDをセットしチャット・ベーカーのムーディーな音楽を流し、明かりを間接照明で薄暗くセッティングした。マッサージ用のアロマオイルやパウダーやローションのセットはベッドサイドのサイドテーブルにセットした。
 
到着予定の二十分前に準備が完了した、後は会員の到着を待つだけである。会員がホテルに到着すれば部屋番号の確認の為に電話があるはずである。
接客予定時間の5分程前に会員からの電話が鳴った。一色乃は会員に部屋番号を伝えた。集金用のバインダーを彼女に渡し、客が入室して程なくして一色乃が部屋に集金に伺うので彼女が前金で利用料金を直接頂いて集金にきた一色乃に渡す段取りを櫻季に説明をした。そして一色乃は一旦部屋を退出し後は彼女に任せ、会員が部屋に到着次第案内のスタートである。
 
櫻季は多少の緊張があるものの物怖じしない大胆な性格で期待の方が強くドキドキした刺激を楽しむ準備が出来ていた。

部屋のチャイムが鳴った。櫻季は一応ドアスコープで様子を確認して扉を開けた。事前に一色乃から訊いた通りのスーツ姿のソース顔でダンディーな大人の紳士な男性が立っていた。会員の男性も初対面の女性に会う時は期待で胸が膨らむものである。会員から見た櫻季の第一印象は期待通りの満足のいくものだった。

櫻季は男性を招き入れてセッティングされた椅子に案内し取り敢えず初めましての挨拶を交わした。櫻季は男性に何をお飲みになりますかと尋ねた、男性はこなれた感じで先ずはスーツの上着を脱ぎ、初対面のお祝いにシャンパンで乾杯しましょう。と、女の子が喜びそうな紳士的な会話でスタートした。

櫻季はシャンパンクーラーからシャンパンを取り出しトーションでシャンパンボトルの水滴を拭き取り、自らの手でシャンパンを抜いた事が無いので、会員に空けるのをお願いしようとするかしないかのタイミングで会員が
「私が空けましょう。」
と優しくシャンパンボトルを櫻季の手から受け取り、抑え気味の景気の良い音と共にシャンパンを抜いた。それと同時くらいに部屋のチャイムがなった、一色乃が集金に来たのである。
常連の会員は予め封筒に入れて準備していたので、スムーズに封筒に入れた利用料をそのまま櫻季に渡した。
「ありがとう御座います、ちょっと失礼致します。」と会員に断りを入れ、お部屋のドア外にいる一色乃にバインダーに挟めた封筒をバインダーごと扉の隙間から一色乃に渡した。
 
櫻季は慌てる様子も無く優雅に椅子に戻り会員とのお話が始まった、会員と自分とに用意されたシャンパングラスにシャンパンを注いだのは男性だった、櫻季はシャンパングラスにお酒を注ぐのは男性の役目であるという習慣があるので、恐縮する事も無く、取り敢えずは男性のリードで初めましての乾杯を交わした。
 
この日も弁護士先生の態度は終始紳士的で上機嫌であった、一色乃が読んだ通り、櫻季はこの会員の好みのタイプの女性であった、知性的で格式がある物腰と上品な所作と話し方など、黙っていても良家のお育ちを感じさせる櫻季の存在感は、この会員の弁護士先生のど真ん中のストライクゾーンにあった。

会話は一色乃のアドバイス通り当たり障りの無い世間話に終始し和やかにあっと言う間に最初の三十分間が過ぎていった。事前の一色乃との打ち合わせの通り、現役の東大生で理系の学部を専攻している事を会員に話したが、その事について会員が根ほり葉ほり聞いてくる野暮な男性ではなかった。

この弁護士先生は常にスマートな余裕のある態度で櫻季も好感を持って対応していた、施術の間も女性に気遣いをする紳士的で素敵な大人の男性である事が櫻季のかすかな不安を払拭させた。弁護士先生は櫻季が今回初めての接客であると訊いて自ら流れをリードし、まるで接客の流れを教えて上げるように一連のノーマルなパターン通りに流れを進めた。
 
約三十分のディスカッションの後、先ず男性会員が単独で軽くシャワーを浴びて汗を流した。シャワーの終わりを見計らって櫻季がバスルームに入りタオルで水滴を拭いて上げ腰にタオルを巻くのを手伝い、ガウンを手に取り袖に手を通しやすいように羽織るのを手伝った。正に潤子マネージャーに教わった通りの流れである。

バスルームを出た会員はガウン姿のまま一旦椅子に座った。櫻季が冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しタンブラーグラスに注ぎ、
「お飲みになりますか、」
と優しく会員に渡した、この行為は潤子マネージャーのアドバイスでシャワー後に水分補給のためにミネラルウォーターをグラスに注いでお渡しするのも好感度を上げる素敵な方法ですよ、と教わった通りに実行した。会員はグラスを受け取り一口水分を補給した。一息ついて後はベッドに移動し羽織っていたタオル地のガウンを脱ぎうつ伏せで横になり櫻季のマッサージを受けた。
 
櫻季は先に潤子マネージャーに教わった通りにパウダーマッサージから施術を始めようとしたが、パウダーもアロマオイルも使わなくていいので指圧マッサージでいいので背中と腰を押して欲しいと櫻季に告げた、どうやらパウダーやアロマオイルの匂いが体に付くのが嫌なようで、その事を櫻季に話して、自分の奥さんが匂いに敏感なので気付かれない為の方法だと少し冗談風に櫻季に話した。

ため息と共にうつ伏せでベッドに吸い込まれるように脱力している会員に櫻季が、
「お疲れのようですね、マッサージが余り得意ではなくて申し訳御座いません。」
と気に掛けた。
弁護士先生は、
「充分効いてるよ、ツボに入るよ、」
櫻季は安心できる男性であると感じたのか、最初洋服を着たままマッサージを行なっていたが程なくして、
「動きづらくて暑いので洋服を脱いでマッサージさせて頂いてよろしいでしょうか、」
と言って、自ら洋服を脱いでランジェリー姿になった。

この行為も潤子マネージャーのアドバイスで櫻季が高級で上品セクシーな素敵で高価なランジェリーを纏っているのを知り、信頼できる男性であれば素敵なランジェリー姿で施術をするのもいい方法ですよと潤子マネージャーより聞かされていた。規範意識の高い櫻季は講習の時に禁止事項やどこまでサービスが可能かなど、事細かくマネージャーに質問をして説明を受け、ほぼその通りに接客を行なった。洋服を脱いでランジェリー姿になる事は許されていてトップレスやオールヌードになる事は禁止されていると理解をしていたので、櫻季は迷う事なく、自慢のランジェリー姿を男性会員に披露した。
 
上品でセクシーな黒のレース素材の高級感ある上品セクシーなランジェリーでガーターベルトに品のある黒いきめの細かい素材のストッキングがよく櫻季に似合っていた、櫻季の自前のランジェリーであり、お洒落のセンスが窺える自慢のアンダーウエアのコーデであった。

「素敵だね、センスがいいね、」
と会員に褒められ、櫻季は嬉しさを感じた。その言葉を櫻季は待ち焦がれていた、異性に自分のセクシャリティーを褒めてもらう事が櫻季の心の鎧を解放し心を楽にしてくれた、櫻季が少し頬を赤らめたようにも見えた。
「ありがとう御座います、嬉しいです。実はランジェリー集めが趣味でもあります。」
と櫻季は応えた。
多分櫻季は真面目で上品な洋服の下にセクシーで高価な高級ランジェリーが隠されている事に密かな興奮とスリル感を楽しむ自分だけの秘密の行為が、櫻季の人には言えないフェチシズムへの陶酔であり、ストレスの発散方法の一つでもあった。
 
櫻季は恋愛禁止の抑圧の中でセクシャルな行為を封印されている事への反動からか、セクシャルなアンダーウエアを纏う事が微かな櫻季の冒険的な抵抗であった。
櫻季は時として精神的余裕のある時は白衣の下にそうしたアイテムを纏い冒険する事もあった。それは自分だけの楽しみで、当然他者の目に晒す事はなかったが、意中の異性に見てもらいたいと思う願望は常に深層心理の中に隠されていた。
好意を持つ異性に見られるという行為が櫻季の隠された願望であり喜びであった。多分、豊満なバストやウエストのくびれや色白の美肌にも自信があり、それを見た時の男性の反応にも強い興味があり、自分への評価を知りたかったのかもしれない。
 
勉強一筋の現役東大生であると思いきや、その勤勉性や努力家の一面はオールラウンドに生かされていて、櫻季の学び癖は医学の勉強に留まらず、同時にファッションや流行はやり事にも探究心があり、トレンドに敏感で美容やアーティスティックな事にも気を使う事の出来る才色兼備な女性である事はやはり素晴らしい事であり、櫻季の誇らしい感性の見事な長所であった。
 
施術の流れは進み背中一体への指圧マッサージのあと、会員に仰向けになってもらい同じように胸から下半身へとソフトにさするようにマッサージを進めた。櫻季の繊細なマッサージとセクシーな下着姿に普通に興奮度が増した男性会員は櫻季がローションを使って男性の核心部分を刺激しようとしたが、会員がそのまま何も付けないで触れてほしいとのリクエストがあり、櫻季の素手の動きだけで難なくクライマックスまで導いた。どうやら会員はローションのベタ付きも苦手のようであった。

櫻季は初めて男性のエクスタシーの瞬間を間近で体験したが、ほぼほぼ予想通りであまり新しい発見はなかったが、自分が行なった行為で男性が果てた事が何より喜びであった、自慢のランジェリー姿で興奮してもらった事にも喜びと充足感を味わった。
 
櫻季のセクシャルな事へのフェチシズムは、密かに自身の自慢でもある肉体のパーツにより男性の脳が興奮状態に陥る事に面白味のある現象であると思った。男性の性欲はある意味明解であり、生殖本能が知的レベルで指数が上下する事に男性の心理的メカニズムを操っているようで櫻季はそれが快感であった。櫻季は内心で自身のボディーとそのスタイルが自慢であったが、それを表現する場所を探していたのかもしれない。確かに面接時に櫻季が話していたが、櫻季のバージンへの拘りを維持したままセクシャルな経験をするには、このVIP広尾クラブでの接客が方法論としてベストであったのである。
 
櫻季の経験する非現実の願望とストレス解消はVIP広尾クラブで叶えられる。この弁護士先生のお好みのリストに櫻季も追加され、その後も月に一回のペースで櫻季を指名するようになるが、櫻季の出勤が少ないので両者とも忙しい人間なのもあり、クラブ側としても中々タイミングを合わせるのも大変であった。
櫻季もVIP広尾クラブの居心地の良さと信頼もあり、最初は月一の出勤のペースを考えていたが、この弁護士先生の指名が月一で入るので、他の会員の接客も経験してみたい願望もあり、何とか色々と調整をして月一回のペースの他にイレギュラーで月に一、二回プラスして出勤可能日を調整するようになっていった。
 
櫻季はこの弁護士先生との接客が好きであった。最終的な性交渉を求められる事も絶対なく、見た目も素敵で生理的にも受け入れやすく、魅力的な紳士でお互いのプライバシーの秘密の領域を侵すことも絶対無い無言の紳士協定が双方にあり、その状態でお互いのフェチシズムを解放する事ができるので、櫻季にとっては理想的なお相手でもあった。弁護士先生はレディーファーストで女性に気を使ってくれるジェントルマンであり、櫻季も信頼してシークレットな願望を解放する事が出来た。
 
この弁護士先生にとっても非現実空間の中で興奮度を高められる櫻季は理想的な相手でもあった。まず第一に櫻季が東京大学出身である事が知的レベルで弁護士先生のボルテージを上げフェチズムを満足させた、それには理由があり、この弁護士先生は大学受験の際に東大受験に失敗した経験があり、滑り止めで慶応大学に入学した経緯があり東大コンプレックスが未だに深層心理の中にあった。

尚且つ櫻季の育ちが偽りのない良家のお育ちである事に加え、話し口調から身のこなしや仕草まで真似の出来ない真実の格式と上品さを兼ね備えた自然体の姿は弁護士先生の興奮度を更に高めた。

弁護士先生の心の中には自分よりも高学歴でエリートの女性の時間をお金でコントロールして買った事への優越感で心理的満足感を得ていたのかもしれない。
また、この弁護士先生は自他共に認める愛妻家でもあり、一線を越えて妻を裏切る行為に至ることは考えていない生真面目さを兼ね備えていたので、そうした意味では二人の相性は限りなく良かったと言える。
二回三回と会う内に信頼度も増し、お互いの存在だけで、精神的にお互いの性癖をある程度満足させる事ができた、意識し身近に交わるだけで、お互いにお相手を利用し楽しむ事が可能だったのである。
 
櫻季は弁護士先生を接客する時には毎回ランジェリーに気合いを入れ上品セクシーで高級なランジェリーで勝負をしてボルテージを上げる事を怠らなかった。櫻季は意中の異性に見られる事で脳がエクスタシーの領域に辿り着く事を知りその境地を自分なりに楽しんでいた。ある日の三、四回目の弁護士先生との接客の時に自前でセクシーなスーツを用意持参し接客前に着替えて接客に臨んだ。

櫻季はタイト気味の弱ストレッチ素材のスーツと多少高めのヒールに黒いストッキングで普段着る事のないセクシーな洋服のコーディネートで弁護士先生に対峙した。インテリジェンス溢れる二人には品格と高級というキーワードがよく似合っていて、エリートの二人にはブルジョワな空気が流れ知性的な交わりでお遊びを堪能していた。
 
櫻季は弁護士先生にそのコーデの感想を訊いた時に弁護士先生は
「私の事務所にもいつもセクシーなスーツを着たアシスタントの女性がいてね、ジロジロ見るとセクハラで訴えられそうなので出来るだけ見ないようにしているよ。」
と半分冗談のつもりで櫻季に話した。
櫻季は
「今の私は先生にお望み頂くまで見て頂くことをいとわないです。ご満足頂くまでご鑑賞下さい、それがご希望であれば私も嬉しく思います。」と話した。

弁護士先生は櫻季の言葉遣いが大好きで、
「君の言葉は魔法のように僕の琴線に触れてくるんだよ、」と、よく本人に話していた。
櫻季はテーブルを挟み対面で椅子に座っている弁護士先生に
「好きな方に見て頂けるのは私にとっても歓びでもあります。」と話し立ち上がった。

椅子に座り足を組んだ弁護士先生の前で見やすいように椅子の横に立ち見られている事を意識した。櫻季は汚らわしい目線で凝視される事には嫌悪感を抱くが、信頼の置ける好きな相手には自慢の女性の武器を好きなだけ確認して欲しいと思っていた。

弁護士先生は櫻季のスタイルの良さを褒めた。
「素敵だね。スタイルがいいから目のやり場に困るよ、」
櫻季は嬉しかった。
今までは日の目を見る事がなかった櫻季のセクシーコーデコレクションがやっと威力を発揮する場を得たのである。櫻季はゆっくりと回転をして自らの全身を披露しようとした。 

櫻季の後ろ姿は小ぶりでプリッと突き出したお尻が特徴的で今日のタイトな膝上十センチ程の丈のスカートは下着の線がスカート越しに写り見え、余計に櫻季のセクシーさを際立たせていた。
 
弁護士先生は櫻季の声のトーンや言葉のチョイスが何より好きであった。櫻季の持つ格式と交わる会話だけで充足できる、そんな相手はそうはいない。櫻季がわざわざ着替えを持参し自分を満足させるためにファッションに気を遣い準備してくれた事にも興奮にも似た満足感を得ていた。
東大コンプレックスがある弁護士先生は現役東大生の彼女が、自分の意を汲んで誰にも見せる事のない姿を見せてくれている行為に優位性を感じ、受験で弾かれた過去の現実への復讐心的な感触に似た複雑で独特の快感を覚えていた。
 
櫻季は立ったまま、弁護士先生は座ったままで会話は続いた。
弁護士先生は褒める意味で櫻季に話した。
「君とお付き合いできる君の彼氏は幸せ者だね、」
櫻季は、
「今は正式にお付き合いしている男性はいないのです。お付き合いを申し込まれる事も全く御座いません。」
弁護士先生が
「それは君が美し過ぎて完璧すぎるから近寄りがたいだけだと思うよ。」と切り返した。
弁護士先生は続けた、
「君の周りの男性達はきっと全てが君とお付き合いしたいと思っているさ、」
櫻季は言葉を返した
「そのような事はないと思います、そのような不敬な目で品定めをするような方々ではないと理解しております。」 
一旦会話がそこで止まった。

一瞬の静寂の中でも弁護士先生は櫻季を見つめていた。
「君を見ているだけでも満足な気持ちになるよ。」弁護士先生が話した。
「そのままゆっくりと洋服を脱いでと頼んだら僕も不敬な男になるね、」と弁護士先生が櫻季に話した。
櫻季は、
「そうなると思いますので、それはお許し下さい。脱衣姿やお着替えは人様にお見せするものでは御座いません、お相手に失礼ですし手の内を晒すようでお恥ずかしいです。」
櫻季の高貴でゆっくりと正確に話す声のトーンは母親譲りでその気品は血筋以外の何ものでもない事が明らかだった。
 
この弁護士先生も、櫻季が接客をする他の会員も櫻季がバージンであることは知らずに接客を受けていた。勿論、それは櫻季が意識的にその事を話さずにいたからである。櫻季にとっては、その事を見ず知らずの男性に告白するメリットなど何も無いことを知っていたからである。櫻季は肉体的にはバージンであったが、その知識や精神は熟練した落ち着きを感じさせ大人びた雰囲気を持ち合わせていた。対峙した男性達は櫻季がよもや生娘であるとは夢にも思わなかったはずである。
 
VIP広尾クラブでの櫻季の冒険は数年間続いた、そして医師としての立ち位置を確立した頃に櫻季はVIP広尾クラブを卒業し自然な形でフェードアウトして行く。

そして程なくして櫻季は親の決めた同じく東大出身の優秀な脳外科医と生涯たった一度のお見合いをして誓いを立て伴侶を得ることになる。親族の全ての期待を裏切ることなく、自らのプライドと役目を完璧なほど人生に当て嵌め裏切る事なく、全てが櫻季の予定通りにストーリーを仕上げたように見えた。

櫻季の無駄のない生き方を一色乃はある意味最大限に尊重していた。文系の一色乃にとっては到底真似の出来ない計算された生き様である。一色乃は数年来に渡り雇用者として櫻季と関わりを持っていたが櫻季が感情的になる素振りや状況を一度たりとも見た事がない。傍目には櫻季は完成された方程式の中にいるようなクールさと潔癖さで、まるで脳内にAIが内蔵されたアンドロイドのように計算された女性であったが、そんな中でたった一度だけ櫻季が感傷に浸る場面を垣間見た事があった。

それは、櫻季がVIP広尾クラブで最初に関わりを持った弁護士先生の不幸を知った時の事であった。櫻季がVIP広尾クラブに在籍して3年が過ぎた頃だったろうか、櫻季もVIP広尾クラブを卒業間近と感じていた頃である。
 
優良会員の弁護士先生はある中堅企業の疑獄事件に巻き込まれる、数年に渡りとある金融系財団法人の顧問弁護士として企業の中枢の闇に深入りし、優秀過ぎるが故に不正に深く手を染め、その結果、司法の手が入り追い詰められ、愛する家族を残し、自ら命を絶つ事となる。プライドとメンツを気にする結果なのか、慶応ボーイ上がりのエリートの弱さなのか、弁護士先生の死は新聞の政治面で小さめの記事で取り扱われた出来事であるが、順風満帆には行かない人生の機微を感じさせる出来事であった。
 
櫻季がこの事実を一色乃から知らされたのは死の事実から2週間ほどして接客のためにVIP広尾クラブの接客用のレジデンスに出向いた時の事である。
弁護士先生の不幸を知らされた櫻季は初めて不安定な表情を一色乃に見せた。最初は冷静に話しを聞きながらも驚きと悲しみの表情で俯瞰的第三者の出来事として聞いているようであったが、無理に冷静さを装うような素振りに一色乃には見えた。
そして化粧直しをしますと言ってバスルームにこもり暫く出てこなかった。ドア越しに何度も洟をすする息遣いが聞こえてきた、準備をしてバスルームから出てきたはずの櫻季の目は赤く充血し潤んだ瞳を隠そうとしている事が明らかに分かった。

こんな状態で接客が出来るものかと一色乃は思い櫻季にその時の予約について「キャンセルすることも全然出来るよ、」と話したが、櫻季は「大丈夫です。」と言って強がった。
一色乃は少なくとも接客後に櫻季に話すべきだったと後悔したが、実際にこれ程までに櫻季がショックを受けるとは予想していなかった。それは櫻季が医師という立場で常に生と死の狭間を垣間見る状況にある覚悟を持っていると知っていたからであるが、一色乃が初めて見た櫻季の感極まった感情的な姿であった。
 
VIP広尾クラブには様々な会員がいて中には新聞の紙面を賑わすような人物も存在する事もある、この弁護士先生の事案もそうであるが、定期的に利用する会員の音沙汰が暫く遠のくとVIP広尾クラブ側も多少気に掛け心配になる事もある。
 
毎月決まってVIP広尾クラブを利用していた弁護士先生が、ここのところ2、3ヶ月ほどクラブの利用も問い合せもなく、弁護士の先生はどうしたものかと一色乃も潤子マネージャーと噂話をしていたころである。猛暑の夏も過ぎ秋口の哀愁ある季節を迎えた頃の時節であった。
 
最初に弁護士先生の悲報に気が付き一色乃に報告を入れたのは、櫻季とは別の在籍女性で弁護士先生のお気に入りで長年指名を受け続けていた在籍女性で弁護士先生との関係は櫻季よりも倍以上の年月がある、元CAの翠川才華からであった。
弁護士先生が自らの命を絶ったことが朝刊の紙面で見つけたと、翠川才華から一色乃にメールで報告があり、驚きと悲しみを伝える物であった。
一色乃も驚き、各紙朝刊を取り寄せ新聞の記事を探した。そこには確かにそれ程大きな扱いではないが、確かに政治面に疑獄事件の事件名とその法人の担当顧問弁護士自殺の見出しで記事が掲載され弁護士先生の実名が載っていた。
 
男性会員と接する時間はクラブのスタッフよりも在籍女性の方が遙かに長いわけで、馴染みの会員になれば家族の事や女房の事など色々なプライベートな会話もするケースもあるだろうし多少情も移る事もある。
医師として人の別れを垣間見る事も多々あるはずの櫻季ではあるが、弁護士先生とは知的レベルでの相性も良く櫻季の最初の顧客でもあった特別な想いもあり、彼女の驚きとショックは隠せないものがあった、そして何よりも残されたご家族の事を考えると何と可哀想なことかと心の痛みを一色乃に話し悲しみを共有していた。


エピローグ 次なる扉へ


桜ヶ丘の下部組織

VIP広尾クラブには下部組織として一般公開型の性感エステ店が渋谷と代官山に存在していた。この下部組織の店舗兼総合受付窓口は渋谷の桜ヶ丘にあり、マンション型の性感エステ店として好評を博していた。
この渋谷のサロンは広めの4LDKの間取りの中に施術用の個室が3部屋用意され、その他に顧客の待合室の個室が一部屋あり、受付と事務スペースがリビング部分にアレンジされていた。
 
この渋谷のサロンは、一見の顧客でも出向けば利用することが可能となっていて、VIP広尾クラブほど高額ではないが同種の競合する他店舗よりは幾分高めの料金設定で「セレブ・セレクション」という名称で在籍女性の高い容姿レベルを売りに高級店として運営されていた。

在籍女性はVIP広尾クラブほどお育ちなどに於いて付加価値が高くはないが、見た目重視な女性を基準に採用しモデルをはじめOLや秘書などを中心に容姿端麗な女性を集め運営されていた。また、この桜ヶ丘の店舗から代官山方面にワンメーター程の距離に代官山のサロンがあり渋谷店のVIPルームとして長時間の案内や優良会員用に稼働されていた。
 
この渋谷の4LDKのマンション型店舗のリビング部分が受付と事務スペースになっており、カウンターになった受付があり顧客はカウンター越しに立ったまま受付を済まし、隣接した待合室で案内が始まるまで待機できるようになっていた。
リビングの事務スペースには受付カウンターの他にキッチン部分が隣接されていて事務用の机とパソコンのデスクと小さな応接があり、それ程広くはないが、こじんまりと寛げるスペースとなっていた。
玄関を入って直ぐの廊下の右手にトイレの扉があり、さらに奥に進んで右に曲がると、個室とシャワールームの部屋があり廊下を隔てそれぞれ四つの扉がありシャワールームとそれぞれの接客用の個室になっていた。
施術用の個室が3部屋あるので、同時に三人まで接客する事が可能となるので、ピーク時には忙しく慌ただしい状態で稼働する事もよくあった。
 
この渋谷の店舗の成り立ちは、ほぼVIP広尾クラブの創設から程なくして始まり、渋谷店専属の数名の男性スタッフが運営を担い稼動していた。ほぼVIP広尾クラブの歴史と同時に進み共に進化の歴史を歩んできたが、そもそもはVIP広尾クラブで不採用になった女性達の受け皿として創設された経緯があり、VIP広尾クラブに在籍する程ハイレベルの肩書きやお育ちでは無いが、容姿や性格に於いて否定しがたい魅力がある女性を救済する目的も含め、不採用にするには忍びない魅力を持つ女性のために作られた店舗でもあった。
 
当初はマンションタイプの常設型の店舗であったが、後に新風営法の施行と共に派遣型の風俗が解禁となり、それに合わせ新たな店舗名で派遣型の店舗としても稼働を行なっていた。この渋谷の店舗は一般に公開型であるので、午前十時から深夜帯まで営業し、ある程度の回転率があり、VIP広尾クラブほど客単価が高額ではないが、回転率が高いので集中して稼ごうと思えば収入部分だけ考えれば女性達はそれなりに高収入を得られるお店でもあった。
 
この渋谷店在籍の女神達は、殆どの場合、一色乃が面接をして採用していたが、頭数がVIP広尾クラブより多いだけにバラエティーに富んだ人材達で彩られていた。また、それぞれに興味深い人生のドラマを経験した女性達でもあり、その一人一人のストーリーを綴ると切りがないが、幾つかの興味深いストーリーは彼女達の人生の機微を感じさせる、興味をそそるドラマチックな物語りがそこにはある。
 
渋谷店のスタッフの構成は当初より男性従業員が2名でそれぞれにローテーションを組んで出勤体制を組み稼働させていた。この男性従業員は以前より一色乃が経営していた飲食店からのスタッフで電話対応やオペレーション全般から事務所の掃除まで総合的に業務を担っていた。

この渋谷店での業務で一色乃が重要と考えていたのが受付の電話対応の業務であった。渋谷店は一般に公開されているので既存の会員からの予約等の電話に加え新規の問い合せの電話など対応が要求されるので、ある程度頭の回転の良さと臨機応変さが必要でその電話対応の如何によって店舗の忙しさが左右される事も多々あるもので、当初は実際に一色乃自身も電話の対応の業務を行なう事もよくあった。
 
ある時期に渋谷店に於いて男性スタッフ以外で、この電話対応の業務を担当した女性のオペレーションスタッフが歴代で二名存在した。一名はオープン当初に人材不足のためにスタッフの業務を手助けする目的でお手伝い的な理由で電話を取っていた女性で、ほぼ毎日出勤する在籍女性でもあった青山きさきである。彼女は特別電話対応に優れていた分けではないが人材不足の部分もありオープン当初に電話の対応のお手伝いをしていた。
 
そして、もう一人、渋谷店も運営的に軌道に乗り盤石の回転率で運営していた頃に一色乃の抜擢で電話係を任された在籍女性がいた、それが花山院かざんいん 玲亜れあである。 
彼女は、広尾の某お嬢様大学の出身で大手自動車メーカーの社長秘書を務める知性派の女性で、一般面接を受けセレブセレクションに入店した在籍女性であったが、大学時代はアナウンス研究会に在籍していた経歴もありアナウンサーのようななめらかな滑舌と知的な口調と艶のある声質で、社長である一色乃に見出され、電話の受付対応係を任されていた。勿論在籍女性でもあるので、指名や予約が入れば電話の対応を男性スタッフにバトンタッチして接客もこなしていた。

そんな彼女も壮絶な経験の末にセレブセレクションに辿り着いた経緯を持つ女性であった。小顔できめ細やかなはだつやで実年齢よりは十歳以上若見えのする上品な女性で実際に年齢を鯖読さばよんで在籍していた。その鯖読み方は徹底していて男性スタッフや仲良くしていた他の在籍女性に対しても実年齢を明かさず最後の最後まで年齢を鯖読み続け、一色乃以外彼女の実際の年齢を知る者はいなかった。
 
彼女は、元々は会社経営者の社長令嬢で大学生までは蝶よ花よで何不自由なく生活していたが、彼女が大学を卒業し就職した矢先の頃に父親が他界しそのゴタゴタの中で父親の会社の側近達の裏切りに合い、資産を騙し取られ挙げ句の果てに借金を背負わされ窮地に追い込まれた経験の持ち主だった。

裏切りを首謀した元側近達はある程度資産を搾取した後その債権を裏社会のブローカー集団に売り渡し早々に素知らぬ顔で退散して後は野となれ山となれとばかりに姿を眩ましたのである。ビジネスのことは何も知らない母親と一人娘の彼女は、いいように裏ビジネスの輩達に利用され持ち家も追われそんな中で、追い込まれた世間知らずの彼女は銀座でショッピング中に銀座のクラブの黒服のスカウトに合い、銀座に救いを求め水商売に手を染め最悪の事態を切り抜けたドラマがあった。
 
銀座の女としてスカウトされた、この事実は彼女にとっては不幸中の幸いと言っても良かった、それはギリギリの瀬戸際で最悪の事態を回避した彼女の捨て身が強運をもたらした結果でもあった。

当時、確かに彼女にとっては最悪の事態が背中合わせで忍び寄っていたからである。彼女の昼の勤め先は輸入車を扱う大手自動車メーカーの社長室勤務で社長秘書として勤めていたが、裏稼業にも精通した債権者達は彼女自身がお金になると踏み、追い込みを掛ける計画を練り、彼女の勤務先まで押しかける寸前であったからである。

ある意味悪徳なやり口を厭わない債権者グループは彼女が女である事が金目になる事を百も承知で、その方法が汚かろうが非道であろうが、金の価値には変わりはなく追い込みの手を緩めることはしない連中であった。それはどう言う事か、固定資産から流動資産までむしり取れる物は全て毟り取り、最後に残った身一つまでをも金に換えさせ搾取する事、端的に言えば最後は彼女に会社を辞めさせソープ等の性風俗産業に落とすと言う事である。
 
彼女は昼の勤務がほぼ定時で退社できるので、その後銀座に向かいホステス業を行ない取り敢えずの急場をしのいでいたが、じわじわと悪徳債権者の触手が迫る中、彼女を救ったのは、彼女を銀座でスカウトしたやり手の黒服の男性で、彼女の事情を知りコネを利用し取り計らい債権者と話しを付け彼女を守ったのである。裏には裏で形を付けるのが筋の通る手っ取り早い解決方法で黒服として二十年近くも銀座に生息しているのは伊達ではなく段取りよく事を収め、店としても彼女に恩を売る事で移籍の心配もなく、迷いなく売り上げを上げてくれれば、それはそれで店にとっては御の字となるのである。
 
その後彼女は銀座勤めで知り合った既婚者である若手実業家に気に入られ水揚げされ愛人としての生活を選んだのであった。その事で債務を一切精算し人生を立て直した経験の持ち主で、逞しく成長した元社長令嬢は今となっては、中々女の武器を心得た愛人気質を隠し持った女性に進化していたのであった。

彼女は大手自動車メーカーの社長秘書として務める傍らで、愛人として月に百万ほどのお手当てを貢いで貰い数年間過ごしてきた経緯があった。
ところが、その若手実業家の奥様に不倫がばれてしまい愛人関係を清算させられ、また銀座に戻ったが、条件に合ったパトロンを中々見つけられず、生活レベルを下げることが出来ずに迷った末にこのセレブセレクションにたどり着いたドラマチックなストーリーを生きた女性であった。
 
セレブセレクションの接客時間は70分が基本的な案内時間で単価は5万5千円となっていた為に競合他店よりは割高な性感エステ店であったが、VIP広尾クラブよりは単価が半額以下で利用でき、尚且つ一般に公開していた為に、一見の客でも利用できる手軽さがあった。そのため、それなりに回転率も高く在籍女性も充分に潤える収入を得ていた、また接客内容がソフトなため口コミも含め多くの女性達が面接にやって来ていた。それぞれの女性達の在籍動機や経歴も興味深く多様なドラマで彩られている。

VIP広尾クラブの受け皿としてスタートしたセレブセレクションであったが、豊富な在籍女性の肩書きや個性から層がそれなりに厚く、VIP広尾クラブの下部組織としての立ち位置を超え独自の経営戦略で成長を続けていった。その結果、多くの会員とバラエティーに富んだ女性在籍者で独特の価値観を持ち活発に稼働していた。
 
そんな女神達のドラマも、ある時代の興味深い衝撃で彩られたストーリーがある。
次なる衝撃的な物語りは次回作へと引き継がれる。
 



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