【クリミナル・マインド 8】沸く流涙【驚】
しかめつらしいガードマンを店内に構え、セクシーなエスコート・レディたちが、カクテルの王様と呼ばれるマティーニを賓客たちに運んでいた。ドレスコードは、フォーマルさが多少 求められる、ホワイトカラーよりのバーテンだ。
しなやかな細く、丸みのある腕が乙女らしさを演出し、メリハリの利いたタイトなミニ・ワンピースが、今が旬だとアピールしてくる。目のやり場にこまる、だいたんな胸開きが漢どもの金銭感覚を狂わし、まだ、この夢のような空間にいたいと、高い酒の川にドル札がどんどん流れていく。
友達同士や仕事関係者の会合としても人気なこの雅やかなお店には、二十代以上のおんな、おとこたちで喧騒だっていた。
そこに、一人の小柄なブルネットのエスコート・レディが、バー・カウンターのほうへやってきた。
「ねえ、ホッチ! オーバーライド お願い」返事がなかったので「ホッチ!」と、さらに煽るようにレディは呼んだ。
「その呼び方やめろ」カウンター・テーブルの上から男が顔をだした。
その男は、口まわり、アゴ、もみあげから頬にかけて、ヒゲが均等の長さで整えられており、短いツーブロック・ヘアと黒いワイシャツ姿が、なんともいえぬセクシーな光芒を放っている。
カウンターにか弱い両手を添えて、性格のひねくれた視線で見上げながら「オーバーライドお願い」と、レディは言った。
「カードは、セインが持ってる」
「どこにいるの?」
「決まってんだろ」男はやや嘲った感じで言った。
BARの同僚であるセインは、お手洗い場の個室で今にもその溜まった悦びの液体を放出させる儀式に取りかかろうとしていた。二十代後半くらいの痩躯な女性を、せまいトイレの壁側に立たせ、二人は絡み合うように密着している。
お酒とドラッグ、魅力的な女性の肉体を前に、セインはサルのように求め、そのフェロモン漂うほそい首に飛びついていた。しかし、女性の方はしかめづらで、どこか苦しそうなのが気にかかる。
「……のど渇いた」まゆをひそめ、女性は言った。
「まだ、飲み足りないのか?」構わず、セインは続ける。
「……なんか、暑くない?」
「じゃあ、脱がせようか?」
すると、誰れかがトイレに入ってきた。
と、同時にセインの動きも止まりだす。
「……だれ?」不安気に女性は小さくささやいた。
「シー」と言って、セインは声をひそめる。
耳を澄ますと、二人のいる個室にだんだん近づく足音が聞こえてくる。一歩、さらにもう一歩、そして、たどり着く。
「セイン」
その聞き慣れた声が耳にはいった瞬間、セインは自分の昂りが一気に引いてゆくのを感じた。
「なんだよ! ホッチナー」個室トイレの中から不愉快そうにセインは言った。
「オーバーライド・カードくれ」呆れた情を隠しつつ、男は言った。
「取り込み中!」
「知ってるけど、五千ドル、飲み逃げされてもいいの?」脳回路がサル化してるセインとは違って、この男はいたって冷静にかえす。
セインは女性に「ちょっと、待ってて」と言い、個室トイレのドアを開けた。
「いいとこなんだから、ジムに言えよ!」
「オーナーは会議」
「なんのだ?」
「知らないけど、そう言ってた。カード、くれよ」
セインは仕方無しに上限額を解除するカードキーをスーツのポケットから取り出し、ホッチナーに差し出した。受け取ったホッチナーは、仕事をサボっている同僚を咎めることなく、トイレから退出していった。すると——
「お水、ちょうだい!」個室トイレに待たせていた女性が、切羽詰まる感じで言ってきた。
「わかった、わかったー」と言って、セインは個室の扉を開ける——と、そこには……
「うぁっ!? おまえ、どうしたんだよ!」セインは驚愕の表情を浮かばせ、その様子に一歩しりぞいた。
長いブロンドの髪みに整った顔立ちをしてる女性の両目は、眼底出血を起こしており、赤黒い血のなみだを流している。その小さな鼻の両方の鼻腔からも出血を垂れながし、その容貌はもはやホラーを極めていたのだった。
だが、女性はまだ自分の異様な状態に気づいてない様子。
「なんか、気持ち悪くて」つたつたと女性は歩いて来ようとするのだが、意識の朦朧さは頂点に達したようで、怯えるセインを目の前に、ヘキサゴン・タイルの床に倒れだした。
突如、苦しみ出した女性に、セインは立ち尽くしたまま「ショーンっ!! 来てくれー!」とホッチナーを呼び寄せた。
退出して間もないホッチナーが駆けつけたときには、女性はすでに呼吸が停止状態。うつ伏せに倒れている彼女の体は、常軌を逸するほどの高体温で、垂れているその血も尋常ではない熱さであった。
「なんなんだよー、これ?!」セインは腰を抜かしていた。
「救急車 呼べー!」指示を出したホッチナーは女性の体を仰向けにする。
「…………」セインは慄いたままだった。
「息してないぞ……おい! 早く助け呼べって!!」
事件性の高い出来事に巻き込まれたショーン・ホッチナーは、ある人物の助けを借りることになる。
それは、FBI の行動分析課を指揮するリーダーであり、しばらく疎遠になっていた実の兄——アーロン・ホッチナーであった。
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「ひとつ屋根の下、家族が互いに成長を遂げるのは稀である」
作家 リチャード・バック
【感情のトリガー↓】
【驚・悲】沸く流涙・目の上のコブ
【新・哀】殺人ドラッグ・アーメン
【緊】暴走するモグラ
【悲】兄弟格差
【怖】レプリケーター
【驚・悲】沸く流涙・目の上のコブ
アーロン・ホッチナーには弟がいる。
堅実で厳格な アニ とはちがい、軽薄で放蕩気質のある弟——ショーン・アーロンはニューヨークのバーテンで働いていた。ショーンは、トイレで婦女とハメを外している同僚から、限度額の解除機能がついたカードをあずかると、お手洗いから出たタイミングで、咆哮の叫声がドアを突き抜けて聞こえてきたではないか! すぐに同僚のもとへかけよると、若い白人の髪長は、血を流して死んでいたのだった。それも、鼻からと両方の眼から……。
深夜の手前、ニューヨークに住んでいる恋人——ベスの自宅で、ホッチナーの携帯が鳴る。
トラブルに巻き込まれた弟からの電話であった。
明日はベスの案内で、息子のジャックと観光を楽しむ予定のはずだったのだが、一本の着信によって、おじゃんとなってしまったのである。
【新・哀】殺人ドラッグ・アーメン
事件に見舞われたショーンの一件から、他にも同じような症状で亡くなっている人たちが発覚する。死因はどれも過剰なドラッグ摂取が原因であった。遺体の体から、大量のエクスタシーが検出されたのだ。
しかし、エクスタシー は レイプドラッグ として有名ではあるものの、血を吹き出すほど劇物ではない。が、ある薬物がさらに見つかったことで、この問題は解決する。
通称“ドクター・デス”。
死亡例が相次いだことから、この異名が名付けられた。
厳たるクリスチャンの家庭で生まれた中学生くらいの女の子。少女は父親と母親の待つダイニング・テーブルにすわり、用意されたディナーを前に、渋々、お祈りをささげ、召しあがろうと瞑っていた目を開けた。すると……。
自分よりも長いあいだキリストに仕え、崇敬していたのにもかかわらず、両親は、黒い涙と鼻血をながし、少女の目のまえで息絶えるのであった。
【緊】暴走するモグラ
殺人ドラッグはお酒に混入されていたことが判明した。
FBIは、クラブのオーナが事件に関与、もしくは、情報を持っていると睨んでいる。
そこで、ホッチナーの弟——ショーン・ホッチナーが、スパイとして捜査に協力したいと志願してきたため、心情をくみとった兄——アーロンは、それを許すのだった。
兄の入念な指示を受けたショーンは、お店にもどり、仲間から薬物の流れをつきとめようとした。ところが、仲間が口をすべらした真実を知って、突如、ショーンがシナリオにはない暴走をしだすのだった。
【悲】兄弟格差
その後、ショーンはなぜか行方を晦ました。
盗聴器から伝わる長年のつき合いから、兄のホッチナーは知っていた——その理由を。
事件の解決後、ショーンは兄のいるベスの自宅へ顔を出した。弟は殺人ドラッグが入っているとは思いもせず、勝ってにお店の商品を転売していたのだった。そのせいで、犠牲者も数名 出してしまっている。殺人罪には問われないものの、窃盗罪で彼れは逮捕されるのだ。もしかしたら、そこに過失致死罪も加わるかもしれない。
別れのあいさつを済ませたあと、ショーンは警察の車に乗り、連行されていくのだった。
【怖】レプリケーター
口を糸で縫いつける、脚を切断する、死体をマリオネットに見立てる、遺体の血液を抜き取る、どれも過去に解決してきた犯人の手口を同じようにまねる模倣犯。
犯行が止まったことで、捜査はいったん打ち切りになっていたのだが、模倣犯が接触してきたときに使用していた——『ツーク・ツワンク』という言葉を、ハッキングしたガルシアのパソコンに流してきたのだった。
暖色の照明で照らされている、優美で格調高いホテルの廊下を、手袋をはめた怪しい人物が内なる謀りごとをめぐらせ、通っていた。
その人物は〈六〇二〉号室に入っていく。
そこは、ストラウス部長が泊まっている部屋。
不適な笑みを浮かばせながら見下ろされていることに、熟睡中の部長は気づくこともなかったのだ。
【感想】
ということで、なんだか悲しい要素が目立つ内容となっておりましたね。
この犯人、地味に犠牲者を一四人も出しています。毒物犯は、手足を切り落とすようなシリアルキラー以上に被害者を出すから恐ろしいですよねぇ。
ストラウス部長とロッシがそういう関係だったことに驚き!
そして、ガルシアさん。
また、ハッキングされたんですね……。